2011/09/30

現地報告


活動日:2011.09.27
報告者:田中真人
天 候:天気も良く暑い

紫会館にフィンランド製のサウナが到着。テント形のサウナで組み立てのお手伝い。説明書がないので、なんだかんだと設営完了が昼前になりました。三陸新報の記者が来ており取材していました。
組み立て中の様子
広場にあるお風呂の横に設置されたサウナ

「あーや、こーや言いながら一生懸命するのが楽しかった。避難所や、仮設住宅でも何かみんなで物を作るような企画があると良いのではと、熱田のOさん。」

昼は、ホテル一景閣の部屋の窓全室開けて、空気の入れ換え。

それから、小泉地区にある海岸で、海岸清掃をさせて頂きました。
10月2日に本吉町の登米沢海岸でサーフィンの大会が開催されます。この話を聞いた時は、かなり驚きましたが、現実の物となりました。
サーフィンコンテストの案内
以上

2011/09/29

現地報告

活動日:2011.09.26
報告者:田中真人


唐桑で写真救済活動に5名が参加。
「ミーティングでの報告」
・A/薄い写真は、スキャンの機械によって、ぐちゃぐちゃになってしまう。(ローラー式のため)
・B/乾燥しきってない写真があり、アルバムから取りだせない、無理に取ると写真が剥がれてしまう。

※上記2点には、改善策が必要ではないか。次回、行った時に提案してみようという話になりました。
A提案1,厚手の紙に貼り付けてスキャン
  提案2,セロハンタイプの印画紙を使ってみたらどうだろう(費用の面は、要検討)
  提案3,通常のスキャンを一台用意してもらう

B提案1,アルバムにくっついてしまう写真は手を入れても届かない。アイスの木の棒を使ってみてはどうだろう?
  提案2,乾燥しきっていない写真があるのでは? しっかりと乾燥させてからアルバムに入れるよう指導する必要あり

・住民で、どれぐらいの人がここで写真の活動をしていることを知っているだろう。

気仙沼復興協会(KRA)のTさんは、言う「イチゴは、自分で夜に成長するのです、私達は、少しの力添えをしているだけ。写真は、心の準備ができたなら、探しに来て欲しい。中には、見たくない人もいる。」 農家で被災されたTさんが、いちごを例えに使って説明してくださったのが、ボランティアの心に響いたようです。

成城のIさんは、「水に浸かってしまったカメラの中のデーターなどは、費用が莫大にかなるので、復旧させることが無いのです。」と報告されました。どこかの企業やボランティアなどでそのようなサービスを無料でしてくださると良いのですが。。。

活動が終わってから、熱田のSさんは陸前高田まで足を運び、絶句されていました。Sさんは「TVでは見ていたけれども、直接見るのは、まったく違う。苦しくなります。家に帰ってから、これをどう伝えていいのだろう。。。写真では伝わりきらない。。。」と語られていました。

Nさんは、こう語っていました。「自分の為だとそうでも無いけど、人は誰かの為になら、一生懸命に生きれると思う。」未信奉者の大学生ですが、朝の御記念にも来るようになり、奥原先生のお取り次ぎを頂き、えらく感激していたのが印象的に残ります。来てから数日と、今の状態ではまったくの別人のように変わっている事が嬉しく感じます。

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商工会議所で行われた復興商店街の会合で、商店街の幟が発表されました。
こちらは、中野のS氏の提案でフォーゲル倶楽部が運営している「ひかり募金」がお手伝いする事になったものです。
資金の方は、こちらでもち、地元気仙沼の双葉印刷がデザインの提案をして、復興商店街事務局で決定したものです。

幟のデザインをシールにした物
※標準のぼり(60㎝×180㎝)を50本、卓上に置けるミニのぼり(9㎝×27㎝)を80本、商店街に寄贈


気仙沼教会の大祭(10/16)に神様にお供えし、その後の贈呈式で商店街の方にお渡しする事になっています。
当日は、南町夢通り商店街の会長M氏を始め、紫会館の自治会長さん、3名も来られます。

写真は、幟のデザインをシールにした物です。赤は、もっと淡い色になると聞きました。

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追伸:10月1日に地鎮祭があり、3日には復興商店街の着工が始まります。
商店街の正式名称は「気仙沼復興商店街 南町紫市場」に決定しました。
以上

2011/09/28

現地報告


下記の内容は、2011.09.25の現地報告です。

報告日:2011.09.28
報告者:田中真人
天 候:天気/晴れ

松島町中央公民館で慰霊祭及び、東日本大震災・金光教慰霊復興祈願祭があり、気仙沼教会から、支援機構ボランティア22名、信者さん4名の合計26名が参拝しました。(直接会場へ行かれた方は数に含まず)。台風の影響で日程が変更になったにも関わらず300名以上の方が参拝されました。

この日は、五右衛門ヶ原の運動場(170世帯)で足湯+お茶会が入っており支援機構からは5名がロードプロジェクトの方達と一緒に活動しました。巨大な仮設であり、子供の数も多いのでエネルギーに満ちあふれる会になったと報告がありました。

成城のIさんの報告→住民の方が「ボランティアには本当に感謝している、ボランティアだと分かると、車ですれ違う時でも、お辞儀するようにしているんだ」と感謝している気持ちを語っていました。

住民のKさんがうちわを持ってきて下さり、ボランティアに配ってくれたそうです。そして、松島へ行っており当日は、居なかった私ですが、住民のKさんが「田中さんに渡してください」と4枚のうちわを預けてくれました。うちわには、一枚一枚お礼のメッセージが書かれているのです。正直、これを読んだ時は、ジーンと来るものがありました。野球場の住民で昨日の足湯+お茶会と、ジャズライブにも来て下さった方です。私達の活動をダイレクトに感じているようでした。今後、キーパーソンの一人になりそうな気がしています。

うちわのメッセージを一枚だけ紹介させて頂きます。「人と人との繋がりが出来ました。そして短時間でしたが皆様から、和、心配り、笑顔、優しいまなざし元気、沢山沢山頂き有り難うございました。大事な時間でしたね。コミュニケーション最高です。皆様の健康を祈っています。事故の無い様に仕事に生活に頑張って下さい。ファイト」
いただいた「うちわ」


ボランティアは、人に喜んでもらえると言うことが、どんなに嬉しいことか。言葉では表しきれないと報告されました。

お互いに支え合う人間模様にただただ感動するのは決しておかしな事ではないでしょう。
以上

2011/09/27

現地報告


下記の内容は、2011.09.24の現地報告です。

報告日:2011.09.27
報告者:田中真人
天 候:天気/晴れ  

本日は、合計27名の支援機構ボランティアが結集。
3チームに別れての活動となりました。
1.唐桑で写真救済のボランティア
2.終日、一景閣で食器洗浄とトイレ洗浄の活動。
3.午前中は、一景閣。午後からは、五右衛門ヶ原野球場で足湯+お茶会
※自分は9時から1時間ほど、某出版社の編集長さん達と今後の仮設住宅支援について話し合ってから3に合流。

1.唐桑での写真救済プロジェクトでは、次のような報告がありました。
「こんな膨大な量の写真からどうやったら写真が持ち主の物へ帰るの?正直、いろいろな意味で頭がいっぱいになったし、なにやってるんだろうと思った。でも、実際に写真を見つけて、声を上げて喜んでいる人達を見て考え方が変わった。もっと多くの人に見つけて帰って欲しい。」
体育会系の方から、「肉体を動かさないような活動は、正直言うと自分には合わないと思っていた、でも今日は初めて何かが変わった。活動をしているパテーションの裏から、“あ! これ私のお婆ちゃん”という歓喜の声が聞こえてきた。その声の聞こえるパーテーションの裏と自分が1つに繋がりました!」
「結婚式の写真があって、幸せそうなその瞬間を感じました。生きていて欲しい」。


2.津波でドロに浸かってしまった洗浄活動。ボランティアの報告
「洗う食器の量は膨大であり、時間がかかりますが、復興にも時間がかかります。長期的に復興のお手伝いに関わらせてもらいたい」
「自分の生活のありがたさを感じます」
「洗われた食器達が、いつかさまざまな料理に使われていく、、、 それを神様も喜んでくださると思う」。

3.五右衛門ヶ原の野球場仮設。(107世帯)先週、入居が始まった場所でどんな人がいるのかまったく分かっていませんでした。参加人数は、子供達を合わせて20名程でしたが、柔らかい雰囲気だったのが印象的で、最初から最後までいた男性もおり長時間一緒におしゃべりされていました。芝の教会長は、その場にいるだけで周りを明るくしてしまう空気をお持ちで、住民の方達にも好かれていました。芝のFさんは、「何もしゃべらずに座っている女性がいましたが、話かけると止まることなくしゃべりかけてきました。避難所生活の話もあり、胸の中に溜まっているものがあるのだと気がつかされました」。楽しくお話しながらも時折、目に涙を浮かべているおばあちゃんが印象的でした。何度も、「また戻ってきてね。」と言ってくださるのがありがたかったです。持って行ったメルヘンカルタは非常に笑いの絶えない一時となりました。一度、部屋に戻ってお漬け物を持ってきてくれた方がいました。何か人の為にしたい、喜んで欲しい。そう感じる人間は素敵だと思います。
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夜のミーティングでの報告をいくつか紹介させて頂きます。
「私は、感情移入しない方です。なんで、ボランティアの人達はいつも熱く語っているんだろうと理解できなかった。命についてもよく分からなかった。でも、だんだんと変わってきた自分に気がつきます。今では、沢のハエの命も感じるようになってきました」と報告される未信奉者。

ある男性は、涙を堪えながらこう話しました。「最初に、気仙沼に来たときから、自分が変わったと思う。私は、自殺を考えた事がありましたが、今は、自分のケツを叩いて前に進んでいかねばと思います。また戻ってきたいです」。

※ここでの生活は何か通常生活ではないものを感じる場所になっており、それは自分での経験も含め、ボランティア達を見ていれば感じる事ができます。
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以前、長期で活動していた学生寮のK君は、「いつも活動報告を読んでいますが、それでも現場の事は、伝わりきらない。やはり、現地へ来なくてはならないと改めて感じました」と報告。

芝の教会長「ボランティアに行ってきた学生達は言う、行った事のない人は絶対に行ってほしい。人を助けるのが人間である、そしてその人自身の力にもなると感じる。」

※人の役に立てる喜びと、まず現地に足を運ぶことが大切である。それをあらためて感じた一日となりました。

※被災地での自殺者数が増えていると聞きます。生活支援の必要性をひしひしと感じています。今後もみなさんの力が必要です。よろしくお願い致します。

現地報告


下記の内容は、2011.09.23の現地報告です。

報告日:2011.09.27
報告者:田中真人
天 候:天気/晴れ  

2名は、唐桑の写真救済ボランティアで終日の活動。それ以外は、朝9時から荷物の搬入のお手伝い。中古の棚や、シンクなどが4トントラックで運びこまれました。支援機構からの9名+東大生25名が一緒にお手伝い。搬入が終わってから、教会にあった談話室の物資を紫会館にあるテントの中に大移動。人手があったのでスムーズに事が運びました。それから、紫会館にある山のようにあった切られた木々を北野神社の裏山に移動。(許可取得済み)
軽トラック3往復分の量で、お昼までかかりましが、またも軽トラが大活躍。


午後は13時〜16時で五右衛門ヶ原テニスコート仮設で足湯+お茶会。

17時から五右衛門ヶ原運動場でジャズライブのボランティア。私達は、同日までのイベントコーディネイトと、当日の準備と運営を担当させて頂きました。五右衛門ヶ原にいるテニスコート・野球場・運動場全ての仮設に呼びかけをし、総勢80名を越える方が来て下さいました。仙台から来られた4名のジャズ・バンドで気仙沼のスウィングドルフィンズ/子供達のバンドと、年に一度セッションをしている方達です。(ちょうど、この夜にTVの特集で扱われていました)このバントと、スウィングドルフィンズのプレゼント交換など、心温まるシーンもありました。 ふたを開ける前は、人集まるかな、、、、などと思っていたスタッフもいたようですが、大盛況で住民の方達は思い思いに演奏を楽しんでいるようでした。 演奏が終わってから、生き生きとした表情で会場を去るみなさん。

ジャズライブの様子


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19時から20時まで同じバントが紫会館で演奏。演奏途中でボランティアにメッセージを下さいました。「ここまで来れたのは、ボランティアのおかげなんです、ありがとう」15分程のスピーチだったでしょうか、時間は覚えてませんが、心打たれるお話でした。私の右斜め前に座っていた避難所リーダーのCさんが涙を流していました。私は、次の曲があまりにもスピーチのイメージとかけ離れるような明るい曲の演奏で、そのギャップで涙がこみ上げてきてしばらく止まることがありませんでした。このような明るい曲で涙を流す経験は生まれて初めてでした。呼吸も苦しくなりました。さらに次の曲は、落ち着いたムードのある曲で呼吸も少しづつ落ち着いてきました。涙を流すと言うことは大切な事なのだと聞くことがありますが、音楽の心への作用、パワーというものを大きく感じる事となりました。

仮設でのライブを思い出します。目を明るくキラキラさせながら聞いている人達、目を閉じて何かを感じるように聞く人達、涙を流す人達。同じ空間に引き寄せられています。音楽ボランティアはさまざまな場所でお役に立てるでしょう。音楽業界の方でこのレポートを読んでいる人もいるかと思いますが、そのような方達からのボランティア相談も歓迎したいと思います。

2011/09/26

現地報告


下記の内容は、2011.09.22の現地報告です。

報告日:2011.09.26
報告者:田中真人
天 候:曇りのち雨

昨日は、台風の影響で、一部地域に避難勧告が発令。駒場公園仮設住宅が水に浸かりました。

本日は、6名が唐桑公民館体育館で写真救済の活動に参加。3つの作業のお手伝い。

1.洗浄された写真をアルバムに戻す
2.アルバムの表紙の作成
3.写真をスキャンして、写真を長期保存がきく状態にする。
詳しくはこちら

支援機構ボランティアは、「写真だけでなく、トロフィーや、賞状など、持ち主の元へ戻って欲しい、、、、捨ててもおかしくないような物達を集めて、大切に大事に扱ってこられた方達の行動に感銘を受けます」「写真の力を感じます。赤ちゃんの笑顔が写っている写真が頭から離れません」「この写真に写っている方達が生きているのか、、、、どこで何をされているのかを考えると胸が苦しくなります」と報告されました。
写真を、誰かの大切な物ではなく、自分の大切なものの一部と感じて活動されている事を報告される方もありました。 夜のミーティングを通して、お互いに感じ合うことを話し合い、より深い思いで毎日を過ごさせて頂ける事がありがたいと思います。

別口で、五右衛門ヶ原テニスコート仮設の自治会長さんと市役所に行きました。自治会の誕生を改めて報告し、書類の作成をしました。自治会長さんから、色々な質問も飛び交い、自発的に動き始めた事がありがたく感じてなりません。 

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午後は、ボランティア連絡会がJVCで開催されました。
市役所、気仙沼社協、県社協を含む、23団体が集結。

主な内容;
・各団体の一週間の活動報告
・寒さ対策について
・気仙沼の地元の人が中心になっていくような形が理想である
以上

2011/09/23

現地報告


下記の内容は、2011.09.21の現地報告です。

報告日:2011.09.22
報告者:田中真人
天 候:雨  台風接近(深夜に直撃の恐れあり)

唐桑の公民館体育館で7名が活動(学生寮のT氏、K氏とA氏、成城のD氏、大崎のN氏、熱田のN氏とK氏)。写真のスキャンなどに携わる活動。 
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午後から、五右衛門ヶ原仮設の運動場集会場で集まりがありました。
内容については、
目的:
1.お互いを知る
2.それぞれの活動を知る
3.今後について考える

市の町づくり推進課、高齢介護課、健康推進課を始め、保健所やその他14団体が集まりました。

※当日は、いつも来られる町づくり推進課の方が来られず、他の方が来られたのですが、初めてお会いするにも関わらず、名前を聞いていましたと、私達の自治会支援の活動を高く評価してくださり、誠にありがたかったです。難しい課題もたくさんありますが、多くの方と、手を繋いで住民の方達のお役になれるよう前を向いて活動させていただけたらと思います。

2011/09/21

現地報告


下記の内容は、2011.09.20の現地報告です。

報告日:2011.09.21
報告者:田中真人
天 候:雨

支援機構ボランティア8名は宮古まで行ってきました。
夜のミーティングでみなさん次のようにコメント。
熱田のA氏「みんな、町がずいぶん整理されてきたと言うけれども、私は、まだこんな状態なのかとショックを受けました。現地にいる人達と、外の人の違いなのかもしれない」
大崎のN氏「被害が広範囲すぎて先が見えない感じがする」
成城のD氏「先週来たときと比べても違いを感じる事ができた。これからも変わって行くのだと信じている」
学生寮のK氏、2ヶ月前に被災地に来ている事から「瓦礫を見ることは覚悟できていた、しかしバックや、時計などの生活用品を見ることによって、この地に人が生活していた事が感じ取れ心が苦しくなった。」
学生寮のT氏「前に来たときに何も無かったところに草が生えている。草が、土が生きている事を感じました。起こってくることには、意味はあるし、我々はお陰の中に生きていますが、しかし、神様、、、ここまでしてしまうのかと、、、、、  私達は時間をかけてコツコツと継続してこの地と関わって行くことが大切なのだと感じます。」
みんなそれぞれに感じ、そして今後何が出来るのかを考えるきっかけになったのではないでしょうか。

私は、ある地元の方に会いに赤岩まで足を運びました。先日行った仮設住宅アンケートの集計をしてくださる方を見つけたのです。地元の方と一緒に活動できる事ができるようになってきたのは、ありがたいです。24日の足湯+お茶会にも一緒に来てもらうことになっています。

お昼からは、紫会館で会合があり参加してきました。全国商店街支援センター(東日本大震災商業復興支援マネージャー派遣事業委託機関)の取締役を含めた5名が来て、仮設住宅を出た後の本復興に向かっていくための話でした。いろいろと考えさせられる時間となりました。こういった話が出てくるのは当然と言えば当然かもしれませんが、まだ、仮設店舗がスタートしてもいないのに、、、、 みなさん複雑な気持ちの方が多かったかと思いますが、仮設店舗の話を進めている代表の方が、この本設の話も同時進行で進めていこうと力の入った声でみなさんに話をしていたのが印象的でした。

現地報告


下記の内容は、2011.09.19の現地報告です。

報告日:2011.09.20
報告者:田中真人
天 候:雨  半袖では肌寒い


本日は、唐桑の公民館体育館に8名で伺いました。

宇部東のS氏、日本橋のI氏、大崎のN氏、成城のD氏は写真をスキャンし保存する活動を終日行いました。
私と、学生寮の、T氏、K氏、A氏は、先日集めたアンケート用紙をスキャンさせてもらいデータ化してから現場を離れ、五右衛門ヶ原のテニスコートに向かいました。

学生寮のメンバーでこの仮設に花壇を作る事はできないかという提案があるのです。「仮設の玄関である入り口付近に花壇を作る事により、住民に喜んでもらえるのでは?」、自治会にお聞きしたところ一緒にやりましょうと回答をもらいました。 前に「花の寄せ上のボランティアを支援機構ボランティアでできないか」と報告した事がありますが、学生寮で何かをさせてもらいたいと企画が立ち上がりました。

※花壇
気仙沼で1ヶ月半もの間、ボランティアに来ていた学生寮のK氏がホテル一景閣の活動に参加し、ホテルの玄関が綺麗になることより、凄く印象が変わったという経験から考えに考えて出された企画

花壇を作る場所の寸法を測り、自治会長と確認をしてから、ホームセンターに向かい、必要な在庫をこちらで購入できるかと、価格を確認。ほぼ全てこちらで購入できる分かりました。

それから、市役所に行き、学生寮で作成した提案書を提出。(パワーポイントによるプレゼンテーション・ドキュメントでbefore/ afterを一目で見ることができます)。21日に自治会長と市役所に行く用事がありますので、その時に回答をもらう事になりました。

2011/09/19

現地報告


下記の内容は、2011.09.18の現地報告です。

報告日:2011.09.19
報告者:田中真人
天 候:天気/快晴  かなり暑い


■ホテル一景閣(活動人数7名)
部屋の空気の入れ換えの為に、窓を開ける。
畳や、壁のカビを取る作業をし、最後に食器の洗浄。

一関の先生は、以前壁壊しに来たときから考えると想像つかないほど、綺麗になっていて感動したとコメント。
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五右衛門ヶ原仮設住宅(運動場+テニスコート)

■運動場仮設駐車場で物資の配布(活動人数10名)
午前10時〜正午

アンケート用紙を配布し、51名の方が回答を下さいました。今後の活動に役立てて行きたいです。 社協にも情報をお渡しする事になっています。

 物資の陳列を一緒にやりましょうと住民の方に促してみると、大勢の方が参加してくださいました。 
 最初は、びくびくしていたと言う学生寮のボランティア達も、自然に住民の方達とコミュニケーションを取れるようになっていました。

「今回の物資の配布で感じた以前来たときとの違い」
必要な物を袋に入れると、すぐに部屋に戻ってしまう住民の割合が多かったように思うのですが、今回は、しばらくその場に留まって住民同士、又は、ボランティアと話し込んでいる姿を多く見かけるようになったことです。

今回、軽トラックの荷台、テーブルを4台、パイプハンガー2台と、広げたダンボールに物資を広げました。大崎のNさんは、「今回 初めて仮設住宅に行ったんですが、物資を物色しているみなさんの顔がよかったですね。ショッピングに来ているみたいで。普段着にまじってちょっとおしゃれなものを選んでいるときの表情がよかったです。」と語ってくれました。 学生寮のKさんは、「普通に話している時に、突然、津波の話になったりするのに驚いた、でも、こういった時に正直に思った事を落とすことにより自分で整理をつけようとしているのではないか、それを聞かせてもらうことよって、その助けになるのではないか」とコメント。
物資配布中の様子



■テニスコート仮設でお花の寄せ植え(活動人数6名)
13時〜15時

市の町作り推進課主催、日本家庭園芸普及協会の方達の協力の元、社会福祉協議会と、金光教支援機構ボランティアで寄せ植えの活動に参加させて頂きました。市の職員も確認できる限りでは3名、社会福祉協議会から、7名の参加。活動としては、事前準備の大量にある土の入った袋や花を運んだり、住民と一緒に寄せ植えをし片付けをするまで。支援機構の軽トラックが活躍しました。

ボランティアはあくまでサポートで住民の方達が主役です。その主役という言葉が当てはまるように住民の方達は、お互いに助け合いながら寄せ植えをしていました。お花が入る事によって、仮設住宅の雰囲気は一気に明るくなりました。そして、土をいじりながら寄せ植えをした住民達の心も明るくなったのは間違いありません。学生寮のTさんは、「普段感じる事のなかった花の力、生命の力というものを感じました。」とコメント。

 先月ボランティアに来ていた日本橋のMさんは、こう話してくれました。「午前と、午後を通して、以前にここに来た時の雰囲気からの変わりように驚き、感動します。アンケート用紙のおかげでスムーズに、会話することができました。」

夜、社会福祉協議会の方から、あらためて、「本日はありがとう」と電話を頂きました。

市や、社会福祉協議会との関わりはもとより、住民の方達との関わり方がよりダイナミックになってきたことを感じる一日でした。

2011/09/18

現地報告


下記の内容は、2011.09.17の現地報告です。

報告日:2011.09.18
報告者:田中真人

本日の午前中は、五右衛門ヶ原仮設のテニスコートに物資の配布で行ってきました。物資の配布の前にアンケート用紙に記入し持ってきてもらいました。当日は、物資配布の時に、記入してもらうはずでしたが、住民の方の提案で、急遽そのような形になりました。

物資の陳列などは、仮設住民の方達と一緒に行いました。みなさん、積極的に参加してくださり今までにない動きでした。受ける方から参加する方へと意識が変わってきている証拠だと思います。

物資配布は、45分程で、片付けも住民の方達と一緒に行いました。

そして、仮設の班長さんを含む住民の方が12名で談話室に集まりました。自治会の発足をしようと言うのです。この中から、自治会長、副会長2名、婦人部長1名、婦人副部長1名、青年部長1名、会計2名が決まりました。1時間に渡る話し合いで会費について等、さまざまな事が議論されました。住民の方達の意志と、少しずつ前に進んでいることを強く感じます。 

■昼過ぎに、金光大阪のH先生と、気仙沼小学校、中学校、市民公園、市民会館に足を運び、吹奏楽団ボランティアの会場視察。

■14時より、紫会館神社祭りに使う投光機を階上地区まで引き取りに。
17時過ぎに八幡太鼓が紫神社に到着。太鼓を車から下ろし、セッティングのお手伝い。

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■紫会館避難所のリーダーCさんのスピーチで紫神社祭りが幕をあけます。クレープ、かき氷、型ぬき、焼き鳥が出店されました。そして、コロッケの移動販売車による無料のコロッケ提供や、おまんじゅうの提供。ボランティア15名で参加させて頂きました。

八幡太鼓はあっかんでした。演奏の休憩中にリーダーCさんのコメントが入り、NHKの放送ディレクターの紹介と、金光教のボランティア現地代表として、私まで紹介されました。金光教ボランティアの存在が無かったら、この紫会館は、ここまでこれなかったと、紹介してくださいました。予期していませんでしたので、かなり驚きましたが、そのように思ってくださっているのかと思うと、胸からこみ上げてくるものがあり、そう感じたのは私だけでは無かったはずです。

このような地域のお祭りに、来て欲しいと、声をかけてもらい、本当にありがたいと支援機構ボランティアで話していました。






2011/09/17

現地報告


下記の内容は、2011.09.16の現地報告です。

報告日:2011.09.16
報告者:田中真人

今朝、早島のI氏より22箱の物資が到着。

本日は、明日五右衛門ヶ原テニスコートで行う物資提供のチラシを配布。仮設の班長さん達にコンセプトをお話させて頂きました。明日は、物資配布の時にアンケート用紙をお配りする事になっています。

宇部東のSさんは、明日から、来る大勢のボランティアの受け入れ準備の為に、洗濯や、掃除をされました。それから、23日に行われる芝教会でのバザーで販売できる品を購入し送付されました。そして、午後からは、成城のDさんと一景閣へ。

玉水のI師は、大島へ。

私は、13時より、ボランティア連絡会へ行きました。議事録については、また後日連絡させて頂きます。

明日は紫神社祭、通称「かぼちゃ祭」が開催されます。
本日は、19時より、紫会館の中に、震災前の気仙沼の写真と、震災後の写真を壁に展示するお手伝いをさせて頂きました。こういった大切な時に、声をかけてくれ、地元の方達と一緒に時間を共有させてもらえるのは、本当にありがたいことだと思います。

避難所のリーダーCさんと、Oさんは、「今までお世話になったんだから」と、お社の屋根の上から、壁まで全てペンキで塗り替えました。お社が化粧をするのは、ここ40年で初めての事だそうです。見違えるように綺麗になった紫神社。膝を痛そうにしながらも、何度も、お礼の言葉を口にしながら、その感謝の念が伝わってくる彼の姿に感動しました。

お社の写真
避難所のリーダーCさん



2011/09/16

現地報告


下記の内容は、2011.09.15の現地報告です。

報告日:2011.09.15
報告者:田中真人
天 候:湿度も高く、かなり暑い。

朝9時より、南町のある場所から、ある場所へ、荷物を大移動。(大量の机、椅子、800足程の靴、箱に入ったペットボトルの水を運びました)。南町に来ていたボランティアと一緒に活動し総勢20名程。おかげさまで1時間ほどで終わりました。その後、支援機構から4名が一景閣へ。私は、五右衛門ヶ原の野球場仮設(107世帯)の入居が本日始まると言うことでしたので、足を運びました。(もちろんテニスコートと、運動場も)

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野球場については、落ち着くまで、少し見守る必要がありそうです。

テニスコートのリーダーの方は、良い物件を紹介されており、まだどうなるか分からないが引っ越しを考えているとの事。

先日、町作り推進課が入った時に、班長制を導入する事になったので、各棟に一人づつ班長が存在する。

今週の日曜日に東京からのボランティアでテニスコートと、運動場でお花の寄せ植えをする事が決まっている。この寄せ植えの後に、「集会をして自治会長を決めたい」とリーダーのOさん。

17日は、テニスコート仮設で物資の配布をする事になりました。物資配布のお知らせを作成し、明日配布することに。それと合わせてアンケート用紙を作成し配布。(移動手段、暖房器具、その他必要なことについて10項目)

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夕方17時半より、宇部東のSさんと清涼院に足を運びSVA、ロードプロジェクト、栃木ボランティア、社協と金光教で「足湯の活動」について2時間半に渡る話し合い。

足湯とは、湯の入った桶に、足を入れてもらい、ボランティアが住民の正面からハンドマッサージをしながら、必要な事を聞き取ります。聞き取りの内容は“つぶやき”と呼ばれ、住民の声をしてデーターベース化され保存されます。このデーターを眠らせておくのでは意味がない、この中から、出てきた問題点や、役に立てる事を実行に移して行く必要があります。(現在は、ほぼ眠ったまま)

社協のOさんは、こう言っていました。「なぜ五右衛門ヶ原のような場所に、第一優先で入って良いような要介護者やリストカットしているような若者達が大勢入っているのか分からない。あえて集めているのだろうか? この仮設は、一筋縄ではいかない。。。」  

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※21日に、五右衛門ヶ原支援者ミィーティングが開催されるので参加してきます。社協、友愛訪問員や、生活指導相談員、市役所から町作り推進化、SAV、ワールドビジョン等が参加します。今後の支援をしていくには、横の繋がりが必須です。

2011/09/13

現地報告


下記の内容は、2011.09.08から2011.09.11の現地報告です。

報告日:2011.09.13
報告者:田中真人

気仙沼からの電話報告を受け、簡単ではありますが、報告させて頂きます。

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9月8日(木)
午前中は、 昨日に引き続き、高圧洗浄機を使い、紫神社のお社を綺麗に。9月17日に、年に一度のカボチャ祭りが紫神社であるのです。

午後から、一景閣で洗浄。

夕方前に避難所にいた方の荷物を、ご自宅に移動する、引越ボランティアの活動。

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9月9日(金)
IVUSAの方達が25名参加してくださり、一景閣の活動。ホテル前にある、建物内から出された物や、瓦礫を10mほど移動。相当な量があり、時間がかかると言われていた物ですが30分で終了したと聞きました。
「一人一人の力が微力に思えても、その力が結集すれば、とてつもない力になる」と、高知のD氏。 

その後、昼頃に南町へ戻り、届いた400箱の物資の荷下ろしのお手伝い。
こちらが終了してから一景閣に戻り活動。

※昼より支援機構から2名が五右衛門ヶ原テニスコート談話室に行き、足湯+お茶会のサポート

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 9月10日(土)
昨日に引き続きIVUSAの学生が25名が支援機構のボランティアと共に、一景色で活動しました。トイレの洗浄や、食器洗いです。

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9月11日(日)
午前中は、ホテル一景閣に4名、唐桑の写真の活動に4名参加しました。

そして午後からは、前から手配しておりました五右衛門ヶ原での指笛ボランティアのサポート。15時からのテニスコートでは、7名の住民が参加。南町へ届いていた物資(靴)が1,000足あり、少しを配布。ある程度の量をリーダーの小野寺さんに託して、後ほど来れなかった住民に渡してもらうことに。運動場では、45名程の住民が参加。こちらでの配布は、後日することに。(まだ自治会や、リーダーも存在していないので、託すことができない状態) 

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震災からちょうど、半年。みなさん、感じることがたくさんあった事でしょう。

※五右衛門ヶ原仮設では、もうすぐ野球場(107世帯の入居が始まります)。これで、テニスコート・運動場と合わせ、合計1,000人を超える巨大な仮設エリアとなります。

※熱田のK氏は、昨日12日まで、唐桑写真の活動に専念されました。(燃やされてしまう写真を使ってアートを作り上げ、再び写真に命を吹き込み、その命が世界とこの被災地を繋いでいきたい)さらに、気仙沼復興商店街の壁画のようなものを南町の青年会の方から依頼され、こちらの活動も本格化していきそうです。

2011/09/07

現地報告


下記の内容は、2011.09.06および2011.09.07の現地報告です。

報告日:2011.09.07
報告者:田中真人

■活動報告 9月6日(火)
支援機構の活動はお休みで、宇部東のS氏は、きとんと被災地の痛みを感じないといけないと、4名のボランティアを連れて、釜石の方まで出かけました。

私は、午前中にボランティアセンターに足を運び、ローカル社協2名、近畿ブロック社協1名、生活指導相談員2名で五右衛門ヶ原仮設について話し合いました。

話し合われたのは;
※過去にどんな支援が行われてきたか
※今後、どんな支援が予定されているか
※どの団体が関わっているか
※もっと他の団体と情報を共有していこう
※支援の方向性について共有する必要がある
※9月21日に関わっている団体全てに声をかけ五右衛門ヶ原支援ミーティングをしよう

五右衛門ヶ原仮設住宅は、気仙沼市において最も危険な仮設住宅の1つと言われています。(規模、ロケーションから)団体間で情報を共有し共に協力していかなくてはならないと、再認識する事となりました。

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■9月7日(水)
IVUSA(NPO法人国際ボランティア学生協会)より、今週末ボランティア学生が350名集まるとお聞きしていましたので、危機対応研究所長の方に一景閣の応援に来て頂けないかお願いしました。結果、9日と10日に25名ずつ来て頂ける事となりました。私は、本日、東京へ戻っています。9,10日の両日も気仙沼におりませんので、今朝、東京へ帰る前に、私、宇部東のSさんとIVUSA学生リーダーの方達6名の8名で打ち合わせをしました。

宇部東のS氏と、高知のD氏は、紫神社の屋根と、壁を洗浄機で清掃。

日本橋のT氏と、熱田のK氏は、唐桑公民館で、写真の洗浄に行きました。
Kさんは、燃やされてしまう写真に再び命を吹き込み、みなさんにこの東北の現実を少しでも感じる機会にしたいと作品にして展示したいという思いがあると、現地レポートで報告したことがありますが、いよいよ具体的に動き出しました。気仙沼復興協会のリーダーさんからは、「供養される写真に再び命を吹き込みたいというは、写真洗浄を続けてきた私たちの想いでもあります。どんな作品になるか今から楽しみです」とありがたいお言葉を頂きました。

2011/09/06

現地報告


活動日:2011.09.05
報告者:田中真人

朝7時から、お教会の坂下にある被災した美容室で20分ほどの作業(荷物が搬入される場所を確保する為の片付け)。8時より4トントラックで届いた美容室関係の機材を下ろす作業をしました。

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10時〜16時、4名がホテル一景閣で食器を洗う作業へ。

初めて足を運んだ、学生寮のIさんは、「これが、栄えた日本の姿なのか?半年経ってまだこんな状態だとは・・・・・」、「東北に来るのも初めてなのに、ホテルの厨房にいて、食器を洗っている。不思議な感じがする。今、自分に洗われている食器達、この食器達の今後の運命は、、、」。それぞれ感じる事がたくさんありました。
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午前中に、金光図書館のK師が気仙沼教会にみえたので、今後の支援についてお話する機会を頂き、絵本の読み聞かせボランティアと心の図書館のようなものを談話室や、集会場に置く可能性について話し合いました。ただ、本を提供するのではなく住民の方達と触れあいながら、話し合いながら方向性を見つけていく必要がある事も、お互いに認識していることだったように思います。
以上

2011/09/04

現地報告


下記の内容は、2011.09.04の現地報告です。

報告日:2011.09.04
報告者:田中真人
天 候:くもり  じっとりと暑い

本日は、テルミーの温熱療法(からだにぬくもりと刺激を与えることで、自然治癒力に働きかけ、病気の予防、疲労回復、健康増進を図る温熱刺激療法です)の先生方5名に温熱療法の活動をして頂きました。

午前中は紫会館で5名全員で、13時からは気仙沼小学校避難所に2名の先生に活動して頂きました。昨日、作成したチラシを学生寮のK氏、元学生寮のS氏、日本橋のT氏、高知のD氏と気仙沼中学校仮設住宅にお配りしていたのが効いてか30名の方が紫会館へ足を運んで下さいました。

夜のミーティングで、テルミーの先生方は「住民の方からよく話しかけて頂けた」、「長い、避難所での生活のせいか、ストレスで頭が固い人が多かった」、「夜、寝れないんですという方が数名いました。その方達が今夜、ぐっすり眠れるように、心を込めて施術させて頂きました」、「6ヶ月のお子さんをもつお母さんに施術しました。その方は、産後すぐに避難所生活になったわけで、そのストレスを考えると、いたたまれないが、自分が助産婦だと話すと会話がスムーズになり少しでも心が軽くなってくれたらと思う」、「大勢の方に、次はいつ来るんですか?と聞かれた。メンバーは変わっても、継続的に活動していきたい」目を赤くして報告されたみなさんでした。大勢の方がこの自治会館に運んでくださるようになってきました。今後も、継続して仮設住宅の方と、地元地域の方達を繋いでいく活動ができたらと思います。

高知のD氏、日本橋のS氏、甲府のO氏は、唐桑公民館体育館で写真のスキャンニングの活動に参加しました。夜のミーティングで、O氏は、「TVなどでこの活動があるのは知っていたが、実際にやってみて感じる事がたくさんありました。写真とは、幸せの固まり、結婚、子供、そして数々の幸せがそこにある。より多くの方に見つけてもって帰って頂きたいと泣きながら報告されました。」

唐桑に行く前に、五右衛門ヶ原のテニスコート仮設に少しより気仙沼復興協会さん主催のお茶会に少しだけ合流させて頂きました。ここに来るボランティアの話になったのですが、入るのは、私達ぐらいで他は殆ど来ないとの事でした。前から話は聞いていましたが、大きな仮設には人が来る可能性が高いが、小さい所には来ない。ましてテニスコートは、そこに仮設があるかも分からないような奥まった高台にあるから、なおさらなのでしょう。復興協会のSさんは、お茶会(コミュニティー支援)をする人数が足りないので、問題になっていて他団体の協力が必要だと話していました。

一緒にいったOさんは、「今までにあった下地のお陰で、仮設住宅のような場所にすっと入って行くことができる。本当にありがたい。今まで活動された人達のご苦労があったからだ。本当に感謝しています。」と報告。

明日は、11時より、日本財団ロードプロジェクト、SVAと金光教で五右衛門ヶ原の支援について話し合います。
以上。

現地報告


下記の内容は、2011.09.03の現地報告です。

報告日:2011.09.04
報告者:田中真人

宇部東のSさんと五右衛門ヶ原の仮設に行き、Oさんと話をしてから一緒に市役所へ。談話室の鍵を受け取りました。これから、Oさんが鍵の責任者となり、自由に談話室を空ける事ができるようになります。9日に町作り推進化主催の集会がありますが、私は東京へ帰っておりませんので、Sさんに引き継ぎさせて頂きました。

11時より聖敬会の事務局長Hさんと会合。昨日のボランティア連絡会での話し合いからこうなりました。内容としては、主に、お互いの具体的な活動報告と、これからの生活支援についてなどを話し合いました。このグループは主に唐桑と本吉で活動しているのですが、毎週火曜に唐桑独自の連絡会が唐桑支所であり、ボランティアセンターで私の後任になったSさんも参加しているとの事、私も6日火曜日に出席する事になりました。
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明日は、15時より復興商店街の会合があるので出席させて頂きます。
ちなみに、6日の朝は、社協のTさんを始め、生活指導員の方達を含め一緒に話し合いをする事になりました。
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13時より一景閣の6階で御祈念。
ここに70名の方が避難されていました。ここから見る外の景色は、言葉で表すのは難しい。
信徒総代のS氏や、お教会に避難されたいたS氏、南町2丁目自治会長O氏も参拝されました。私達ボランティアも全員(7名)参拝させて頂きました。全員で20名弱ぐらいだったと思います。
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現地報告


下記の内容は、2011.09.02の現地報告です。

報告日:2011.09.04
報告者:田中真人


ここ、しばらく間、五右衛門ヶ原の仮設住宅に足を運んで、物資の配布や、かき氷+足湯の提供などを続けています。いつもの報告で書いていますが、ここには現在25世帯(最大で32世帯)のテニスコートと呼ばれる仮設と、170世帯の運動場(もしくはグラウンド)と言われる仮設が完成しています。テニスコートの仮設でキーパーソンになるであろう、男性Oさんと話を続けていた中から、仮設住民を集めて話し合う場を作ろうという事になりました。以前から、話を持ちかけていたのですが、なかなか「うん」とは言えない心境だったようですが、ついにOさんが「やりましょう」とやる気を出してくださったのは本当に嬉しい限りです。集会は9月1日(月)朝10時からと決まりました。

■8月30日(火)
Oさんと一緒に集会のチラシを作成し市役所へ行く。今やろうとしている集会の報告と、その後のプランを相談する為です。社会福祉事務所と、町づくり推進化と絡んで行く必要がある事がわかりました。

チラシをプリントし帰る途中に、Oさんの食料品の買い物にお付き合いしました。通常は、自転車で買い物にでるそうですが、五右衛門ヶ原から市内に自転車で来るのは、かなりの体力を必要としますし、一度でたくさんの買い物をする事は出来ません。お買い物ボランティアや、シャトル便の運用などで行政をまきこんで行く必要がありそうです。

■9月1日(木)
五右衛門ヶ原仮設のテニスコートで、より住みやすくする為にみんなで集まって話し合いましょうと集会を開きました。社会福祉協議会にも声をかけ2名が参加。集まった住民の方は、20名程。部屋をぐるっと周りを囲むようにして座りました。
進行は私が努めさせて頂きましたが、うまくOさんにも絡んで頂けました。Oさんの熱い思いを伝える場面もあり、みなさん聞き入っておりましたかんたんなアイスブレークで隣の人と握手を交わしてもらい、スタート。

お互いの事をご存じですか?と聞くと、首をふる住民のみなさん。
それから、時計回りの自己紹介で「名前」と「どこの地区に住んでいたか」を紹介してもらいました。地区の話になると、「私も、○○に住んでいたのよ!」とか、そのような形で意気投合する場面も数多く見受けられました。そして、用意していった議題は「4つ+その他」という形で進めさせてもらいました。その中で今回のメインは、市が持っているこの談話室(サイズが小さいと談話室で、大きな物になると集会場とよばれます)の鍵、誰かが空けてくれないと決してあかない談話室。この鍵を「住民の方達で持ってはいかがだろうか?」という提案です。それには、この鍵を預かる代表の方が必要になります。毎朝、談話室の鍵が開けられ、夕方に閉められる。つまり毎日、人が集えて、自由に使える空間となるのです。最初は、みなさん、「ごくっ」っとつばを飲み込むようなシーーーーーンとした、、、そんな印象でしたが、「ぜひともそうしたい」と賛成されました。まずは、Oさんが鍵を預かる代表者になり、それをサポートする女性の方が必要だと投げかけます。しばらく黙り込むみなさん、話をふっても無理だと言われる方、、、、 しかし突然、自発的にやりましょう、でも女性は3人で協力しながらやりたいと言うので、挙手によるお伺いをして、全員の賛成をもって男女4名の方が担当者になると決まりました。他にも、色々な話が展開し想像以上に意義のある集会になりました。

最後に、持っていった物資を配布。

■9月2日(金)
本日は、唐桑公民館で写真の洗浄を行いました。一緒に行ったみなさんは終日でしたが、私は、市役所にいく用事と、午後からボランティア連絡会の会合がありましたので抜けさせてもらいました。会合に町づくり推進化のSさんが来ていたので、昨日の集会の話をして、鍵をもらう許可を頂き。明朝、Oさんと一緒に鍵を取りに行くことになりました。いよいよ、仮設の方が自由に談話室を空けることができるようになります。そして本格的な自治会作りについて「町づくり推進化」に入ってもらえるようお願いをし、結果、今月9日に行政による集会が設けられることになりました。ありがたい!と叫びたくなりました。