2013/02/28

現地報告(2/25-28)

活動日:2013.02.25-28
報告者:嶋田 洋

25(月)
 I氏(東京教会)と清水氏は、一日中、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅集会室において、マッサージの施術に携わられました。午前7名、午後8名の合計15名が施術を受けられ、昼食も弁当を集会室で食べるほど盛会でした。
 
 
 
 
私は、ボランティアが使った部屋の掃除や布団、毛布、ストーブの入れ替え、ステップワゴンの洗車等を行いました。

 26(火)
 午前中に先月から借りっぱなしだった臼と杵を返却するため、越喜来まで行きました。
 午後、清水氏は6月に予定されている被災地ツアーの件で、プラザホテル及びホテル一景閣へ打合せに行かれました。私は、軽トラの洗車等を行いました。
 
27(水) 
 奥原教会長、清水氏と私の三人で、支援物資の米をもって大島へ榊とりに行きました。信者さん宅へ立ち寄り米を渡し様子をうかがいつつ、山の中では所々で残雪に足を取られながらも、袋一杯の榊を持ち帰りました。

28(木)
 御用開始前に水30箱(2L×12)が届き、息を切らしながら金光会館へ収め、cadoccoの掃除に行きました。午後は、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅で、私の送別お茶っこを催してくださり、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
 

 
以上です
 
 

 

2013/02/24

現地報告(2/22-24)

活動日:2013.02.22-24
報告者:嶋田 洋

22(金)
 清水氏は、一日「U日報」記者N氏の取材に同行されました。
 私は午前中、ボランティア入れ替わりのための洗濯や部屋の掃除、布団と毛布の天日干し及び交換を行いました。午後は、月例祭に参拝しました。

23(土)
 今朝も朝ご祈念後の雪かきから作業開始です。また本日紫市場でイベントが組まれていることから、午前9時から紫市場駐車場の雪かきの手伝い依頼があり、N記者も一緒に三人で雪かきに加わりました。
 雪かきをしてる間も、雪が降り続いていたため、イベントは打てないかもと雪かきを終了しました。午後は、本日到着されたI氏(日本橋教会)とI氏(東京教会)を同行し、13時から田中前公園仮設、15時から東新城仮設でのバグパイプ演奏イベントを開催しました。

<田中前>
 


 
 
 
<東新城>
 
 
 
 

24(日)
 今朝は薄っすらと積もった雪景色でしたが、段々と天気が崩れだし大雪に変わりました。
 10時からの西八幡前仮設での餅つきイベントへ、美紀子先生、両I氏、清水氏と私の5人で向かう時には、すっかり雪景色となっていました。
 バクパイプの演奏を合図に餅つきを開始しましたが、3臼ついてる間も雪は止むことなく降り続き、帰る時には車の窓の除雪を行うほどでした。
 

 
 
 
 
 
 
 


 餅つき後、I氏(東京教会)へのマッサージ依頼があり、美紀子先生とI氏を残して、I氏(日本橋教会)、清水氏と私の3人は、一旦教会へ戻り、餅つきの道具と次のイベント用具を積み替え、14時からイベントを打つ天ケ沢仮設へ、清水氏と二人で向かいました。
 道中吹雪く中、スリップしながらも、バグパイプ奏者と合流し、どうにか会場へ到着しました。この仮設住宅には、埼玉県で結婚式を上げた際、このバグパイプ奏者の演奏があり、その時以来の再会を喜び、乳飲み子を抱いて家族全員で参加してくれました。
 演奏後、ビンゴゲームで商品を渡し、住民の方々と再会を約束して16時に閉会しました。バグパイプ奏者とはここで別れ、東京までの帰路へつかれました。

 
以上です。
 

2013/02/21

現地報告(2/21)

活動日:2013.02.21
報告者:嶋田 洋

21(木)
 午前中、Y氏(芝教会)と清水氏、私の三人でcadoccoの清掃をしました。このところ二人でやることが多かったので、三人でやればこんなに楽なのかと思いました。ただ冷え込みが激しく、窓の外側は水拭きだとそのまま凍ってしまう有様でした。

 午後からは、清水氏は宇部から取材に来られた記者の方に同行されました。
 美紀子先生、Y氏、西八幡前仮設住宅のK氏と私の4人は、24日西八幡前仮設住宅での餅つきイベント用の買い出しに行きました。その帰り道、ホームセンターに立ち寄り、雪かきの道具を購入しました。
 
以上です。

2013/02/20

現地報告(2/20)

活動日:2013.02.20
報告者:嶋田 洋

20(水)
 今朝も雪かきから活動開始です。奥原先生談「今年は雪が多い!」。
 前に降った雪が凍っていることも多く、雪かきの道具の痛みが激しく、新しく支援機構で購入することにしました。また、美紀子先生をある会合へ送迎することもあり、久々に洗車しました。あとは天気を見ながら、布団や毛布を順次天日に晒しました。

 清水氏は、午前中、越喜来の嘉宝荘の様子伺いに行かれました。ここからご本人の報告を転記します。
 315日にオープンする予定だった民宿は、一部工事が進まず、ご主人は元気を無くしていた。大工としての工事は全て終わっているのだが、業者に任せている水廻りの最後の工事が未完成なので、イライラが溜まっていた。
 元気付けるのが私の役目、「疲れがみえるので、ここは焦らず少し休養しましょう」と言って、談話して帰りました。
 
 
 
 次に1330分、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を訪れた。
 集会所には会長をはじめ数人の方々が居られ、お茶っこしながら、228日(木)14:00から嶋田先生の送別会を兼ねた、お茶っこをする事になった。
 3月に役員改選が予定されている。新役員の下で、新年度のイベントについて話し合う事になった。
 
 テニスコート仮設住宅を後にして、運動場仮設住宅を訪れた。
 ここも会長をはじめ数人の方々が集会所でカゴ作りをしておられた。ここでもお茶っこしながら、東京教会のIさんが23日(土)からマッサージに来られる話しをしたら、25日(月)10時からマッサージをする事になった。4月以降のイベントについては、新役員の下で話し合う事になった。
 
 
以上です。

2013/02/19

現地報告(2/19)


活動日:2013.02.19
報告者:嶋田 洋
 
喉の痛みも大分治まり、おかげさまで完治が見えて来ました。
私は、明日から来られるボランティア受け入れ準備、また自分の荷物整理をボチボチとさせて頂きました。

 清水氏の動きにつきましては、ご本人から報告を受けましたものをそのまま転記いたします。

 午前中、美紀子先生を生活相談室に送った後、東新城仮設住宅に23日のバグパイプ演奏のチラシを配布した。
 チラシ配布後、同じ仮設住宅に居られるFさんを訪ねた。脳腫瘍の大手術を終えて1ヶ月、17日に仙台から東新城仮設住宅に帰られた。表情は手術前より良くなり、痛みも無くなった。でも表情は暗い、もうしばらく本当に明るくなるには時間がかかりそうである。出来るだけ顔を見せて、元気付けて行きます。

 東新城仮設住宅を後にして、田中前記念公園仮設住宅に23日に行うバグパイプ演奏のチラシを配布した。
 会長のOさんを訪ねたら、ご主人の大腸ポリープは良性とわかり、今は元気で仕事に出掛けていると云う事だった。でも、良かった良かっただけで、終わりにしたくない。

 午後は天ヶ沢仮設住宅に24日の午後からのバグパイプ演奏のチラシを配布した。
天ヶ沢仮設住宅の後、西八幡仮設住宅に24の午前中に行う餅つきイベントのチラシを配布した。夕方5時頃から雪が降り始めてたちまち雪が積もった。明日は越喜来に行きたいが無理かもしれない。
 20日からボランティアの人達が来始める。準備をしなければならない。さあ今日は早く寝る事にしょう!
 
以上です。

2013/02/17

現地報告(2/16-17)


活動日:2013.02.16-17
報告者:嶋田 洋
 
日々のお祈り添え、ありがとうございます。体調不良のため、大した活動はできていませんが、気仙沼の様子が伝わればと思い投稿します。

16(土)
 一昨日の14日に朝ご祈念後、教会の周辺、通学路の雪かきを、奥原教会長と清水氏、私の三人でやりましたが、その雪がとける前に、今朝も積雪がありました。
 同じように教会長と二人で雪かきをやりました。教会脇の路面の凍結も厳しく、一台の軽自動車が冬タイヤ仕様にもかかわらず、スリップして立ち往生したため、後続の二台が教会の駐車場でUターンした後、立ち往生した車を教会の駐車場へ誘導し、Uターンさせ事なきを得ました。東北地方の冬は、四駆車以外は厳しいと痛感させられます。
 また夕刻、奥原教会長とT氏をある会合に送迎しましたが、ステップワゴンのスライドドアが開かず、後ろの荷台から乗り込んでもらうことになりました。先般も同じようなことがあり、その時は、荷台に荷物を積んだ後だったこともあり、助手席の背もたれを倒して、順次ハイハイで後部座席に乗り込んでもらいました。整備する必要があります。

17(日)
 今朝も雪かきするほどではありませんでしたが、薄っすらと雪が積もっていました。薬局で買った風邪薬もなくなり、体調が戻らないため、猪苗代病院へ行きましたが、スノーブーツでさえ、坂を降りるとき二度滑りました。
 診察結果は、インフルエンザではなく風邪ということで、3日後回復しなければまた来るようにとのことでした。
 また、ステップワゴンのドアを整備してもらいに行こうかと動かしてみたら、何度やってもドアが開き、開かない時に持って行かないと原因が分からないだろうと行くのを見合わせました。

以上です。

2013/02/15

現地報告(2/13-15)

活動日:2013.02.13-15
報告者:嶋田 洋

13(水)
 午後から清水氏は、大川小学校(石巻市)、南三陸町(志津川・歌津)、小泉地区と、海岸線の今の様子を写真に収めるべく出かけられました。
 私は、昨夜から喉の痛みが生じ、風邪をひいたもようです。

14(木)
 午前中、cadoccoの清掃を二人で行いました。二人でたっぷり2時間かかります。
 午後は、今月の23日、24日に4ヶ所の仮設住宅で行うイベントのポスティング用チラシを二人で手分けして作成しました。

15(金)
 清水氏は、フォーゲルクラブ総会に出席されるため、早朝の列車で東京へ向かわれました。
 私は、風邪がひどくなり、休養しました。
 
以上です。

2013/02/12

現地報告(2/12)

活動日:2013.02.12
報告者:嶋田 洋

午前中、清水氏と二人で要谷地区の2ヶ所の仮設住宅へ「米」を届けて来ました。
どちらも小規模の仮設住宅ですが、合計3つが空き部屋になっていました。元の住民の方が、自宅へ戻られたのか、別の地へ転居されたのかは不明ですが、自活される方が増えることはありがたいことです。
ただ一方で、経済力のないお年寄りが、最後まで仮設住宅に残されるのかと思うと、やるせなさが襲ってきます。

以上です。

2013/02/11

現地報告(2/10-11)


活動日:2013.02.10-11
報告者:嶋田 洋
 
現地スタッフ清水氏の活動です。
 
2/10(日)
午前中は、現地レポートの作成。午後は、月例祭に参拝しました。

2/11(祝)
午前中、東新城仮設住宅の会長Kさん宅を訪れ、今月2315時から仮設住宅でバグパイプの演奏をすることを承諾してもらいました。その後、同じ東新城仮設住宅におられるFさんのお母さんを訪れ、Fさんの術後の経過をお聞きしました。今月16日に退院されるそうで、おかげを頂きました。

次に天ヶ沢仮設住宅の会長のMさんを訪れ、24日の14時からバグパイプの演奏とビンゴゲームのイベントを行うことについて話し合いをし、開催が決定しました。
 
以上

現地報告:2/9-11東北教区シニアキャンプ報告

活動日:2013.02.09-11
報告者:嶋田 洋

2月9日(土)~11日(祝) 東北教区シニアキャンプ参加報告

2/9(土)
7時半に復興マルシェ(鹿折にある復興商店街)で参加する子どもを拾い、一路仙台駅へ。
10時にJR仙台駅で仙台組3名と合流し、キャンプ会場である「大鳥自然の家」(山形県鶴岡市)へ向かいました。山形道に入った途端雪景色に変わりましたが、四駆車のレンタカーはスリップ一つせず、13時半会場に無事到着しました。今年は積雪が平年以上だそうで、350cmと村長さんが仰っていました。

開会式後、早速かんじきを履いてスノートレッキングをやりましたが、子どもたちははしゃいで、何度も雪に埋もれながら転げまわっていました。また、翌日のかまくら作りの下準備で、踏み固めながら雪山を作って外での活動は終了しました。

2/10(日)
かまくら用の雪山を更に大きくし、休憩を挟んで、かまくら作りとソリ遊びに分かれて楽しみました。子どもたちは、ゴムボートやチューブにまたがり、ソリ遊びに没頭していました。結局、午後からもしばらくソリ遊びを堪能し、かまくらが出来上がったところで、昨夏のドリームキャンプのフラッグを背にみんなで記念撮影しました。
 



 


また夕食後、大鳥村の村長さん(大山教会在籍信徒)から、大鳥村や雪国の生活についてお話を伺いました。

2/11(祝)
使った部屋を掃除して、閉会式後、それぞれの方面の車に分乗して、11時帰路につきました。気仙沼到着17時でした。ただ出発する前に、雪が舞う中、車の周囲及び屋根に積もった50cmほどの雪をどかしてという思わぬ作業が入りました。

期間中、冷えから腹痛を訴えた子どもはいましたが、すぐに回復して遊んでいましたので、十分楽しめたキャンプだったろうと思います。気仙沼から参加した子どもも母親に楽しかったと報告していました。

以上

2013/02/09

現地報告(2/8-9)


活動日:2013.02.08-09
報告者:清水 幹生
 
2月8日(金)
* 9時過ぎに田中前記念公園仮設住宅の会長宅を訪れた。
23日の昼からバグパイプの演奏をする事で、了承を得る為と、ご主人の術後の様子を伺う為に訪れた。バグパイプの演奏はOKを頂き、ご主人の術後の経過も良いそうで、良かったです。
* お米150kgを購入した。購入代金はある教会の信徒会からの支援金で賄っています。

* 午後からは岩手県高田市小友地区の会長宅を訪れたが、お留守で会えなかった。
3月にイベントを開く事にしたので、その打ち合わせをする為でした。
会長宅近くの散髪屋を営んでおられるFさん宅を訪れ、おちゃっこした。Fさんのお友達を含めて3人で話しは1時間30分も掛かりました。
時間が掛かるのは、「んだべ、そうだんべなあ、んだべ、そおだっぺ」と、こちらの言葉には慣れたけど、地元同士は早口で喋られるので、理解するのに時間が掛かるのです。
教会に帰って来た時は午後の6時前だった。

写真は小友地区の風景です。田畑は全部海水で浸かりました。小友中学校も壊滅的な被害で、取り壊しが始まっています。
 





 
2月9()
* 嶋田先生は気仙沼の子供(去年のキャンプに来た子供)を二人を連れて、東北教区シニアキャンプ地である山形県鶴岡に出掛けられた。参加者は十数人のようである。
夏のキャンプに繋がると良いですね。
* 午前中、美紀子先生と二人で昨日購入したお米150kgを、一袋3kg50袋にした。
このお米は必要とされている被災者や、イベント時のゲームの賞品に使っている。
今のところ毎月300kg必要ですが、時には不足する時もある。

 
 

 

* 午後からは昨日会えなかった岩手県高田市小友地区の会長宅を訪れた。
この地区で何とかイベントしたいという願望があり、会長といろいろ話し合ってやっと了承して頂き、331日に行う事になりました。
バグパイプのKさんのお力添えで、バグパイプ・歌手による音楽コンサート等を予定しています。
今年度最後の大イベントにしたく思っています。
プログラムについてはこれから煮詰めて行かねばなりません。
皆様のご支援を、お待ちしています。

[お願い]
* この3月でボランティア活動2年目も終わります。
この一年間毎月、お米300kg、お水2リットル入りペットボトル役800本購入してきました。それでも不足しましたが、ある教会とかある団体、個人の方々の支援で何とか乗り越えました。
金額にすれば毎月約15万円になる。
新年度の4月以後は、今のところ支援機構の新年度の決議会議がされていませんので、何もわかりません。
いずれにしても、支援機構が活動母体ですので予算案が出されると思います。
フォーゲル倶楽部・有志の教会及び信徒会・個人の有志の方々からの支援が、活動を支えて行くことになるので、ご支援宜しくお願い致します。

* これから先、被災地は復興に10年以上掛かるでしょう。
私はプラント(工場)の建設やプラント(工場)の試運転に関わってきましたので、ほぼ状況を把握できます。
この被災地の復興状況を見ていると、「これは5、10年ではおさまらないなあ」と、感じています。
経済のある力のある者は、立ち上がって行くでしょう。経済力のない弱い人々が殆どの被災地、見捨てられるのでしょうか?無理して現地に来られなくても、心を寄せて被災地の事忘れないで下さい。
* 福島県の原発事故、本当は放射能から逃れる為には被災した現地を離れる事が重要な事なのです。でも故郷を捨てられない人々は多い。死を覚悟しておられるのでしょうか!
また、現地を離れたくても経済力がなく、手の打ちようもないのが大方だろうと思う。
* 被災地以外の我々は何をしたら良いのでしょうか?いや何かをせねばならないのです。何が出来るのか考えてみて下さい。
* 私はもうしばらく気仙沼に居ます。小さい事でも良いから、活動して行きます。
* 「我も!」と思う人、被災地に来て下さい。
* 現地に来るのが難しい人は、義援金を首都圏災害ボランティア支援機構や、金光教フォーゲル倶楽部のひかり募金に支援して下さい。この二つの団体は、被災地で人が助かる活動にお役に立ち続けていますので、力強いご支援宜しくお願いします。
* イベント等でゲームや輪投げ等で賞品が必要となります。
醤油・洗剤・トイレットペーパー・お米等、生活用品等が必要です。
衣類などは必要ありません。
* また、音楽活動やマッサージ活動が出来る方々、連絡下さい。
被災者の方々を元気づけるには最も有効な手段です。
* コミュニケーションが出来る方:被災者の方々とおちゃっこしながら話しを聞いてあげて下さい。
来る時、郷里の手みやげを持って来て下さい。おちゃっこする時、話が進みやすくなります。
帰る時はお土産を買って下さい。お金を地元に落とす事になり、立派な人が助かる活動になります。
* 被災地を見てみたい人:
被災地はあなたの目で確かめ、感じた事を郷里の人々に話してあげて下さい。
それで、人が助かる働きになります。

以上です。

2013/02/07

現地報告(2/5-7)

活動日:2013.02.05-07
報告者:嶋田 洋
 
5日(水)
清水氏は広田半島の視察に行かれました。
私は、明日から気仙沼に来られる先生との打合せ、また9日からの東北教区シニアキャンプで使用するレンタカーの予約の変更等の諸手続きを行いました。
* 午前中、バグパイプの加藤さんとイベントの日程についてメールにて打ち合わせ。
2月23,24日及び3月30,31日気仙沼にて演奏するので演奏場所の確認。
* 東新城仮設住宅のFさんを訪ねて、一人で留守番電話しているお母さんの様子を見に行った。左手が痛むようで辛そう、病院がすぐ近くにあるので連れていこうとしたら、「自分で歩いていく」と、言われたので、ちょっとだけ談話して帰った。

* 午後、岩手県陸前高田市広田町字天王前にある広田診療所を訪ねた。
ここには、私の郷里である宇部の山口県医大にいたOさんという医者が派遣されて奮闘中であると聞いたので、取材を兼ねて訪ねてみた。
ところが、ナビに示されていた場所には診療所はなく、捜して歩いた。
どうやら、診療所は津波で流されてしまったようである。
ちょっと高台の所にプレハブで診療所は建てられていた。
O
さんは往診中でおられなかった。
名刺と伝言を頼み、この地域を探索してみた。
やはり堤防は破壊されて、家々は流されていた。湾は大野湾という。
広田半島はこの大野湾と広田湾に面し、津波の被害は大きい。
 
 
 

6日(木) 
朝から降り始めた雪の中、清水氏と二人で、教師3名(N教会T師、T教会Y師、N教会K師)を迎えに石巻教会まで行きました。
大雪だったため、JR石巻駅で迎え、石巻教会に参拝しました。
その後、石巻市立大川小学校、南三陸町志津川の防災センターへ立ち寄り、気仙沼教会へお連れしました。積雪でスリップしたり途中で津波警報が出たりしましたが、無事到着しました。
夕食後、奥原先生から1時間の講話をいただき、その後懇親会で遅くまで盛り上がりました。
 
 
 
 
 
 
 

7日(金)
清水氏は、いくつかの仮設に出向かれ、3月のイベントの調整やお見舞い、また様子伺いに回られました。
私と3名の先生は、午前中に旧月立小学校へ場所を変えて継続されている写真救済プロジェクトへ参加しました。4月以降、このプロジェクトが継続されるかどうかは、まだ分からないとのことでした。
午後は、鹿折地区や陸前高田市の被災地へ案内し、夕刻先生方はJRにて仙台へ向かわれました。
* 午前中、昨日行った東新城仮設住宅のFさんのお母さんが病院に行ったかどうかを確認しに訪ねてみた。
病院には行ったようで電気治療をされたようである。
でも、なかなか痛みは治らず辛そうであった。今日も電気治療に行かれるようである。
しばらく話し込んだが、私が予想していたようにF家は、めぐりが
深そうである。このような人こそ、教祖の信心が必要であると感じた。
今は無理だが、時間を掛けて教会へ足を運ばれるように尽力したい。
* 午後は、バグパイプの演奏場所を依頼するために、天ヶ沢仮設住宅・松崎松沢仮設住宅を訪ねた。
天ヶ沢仮設住宅の会長は留守だったが、奥様と話が出来、詳細は後日お伺いするということで、繋がりは出来た。

以上です

2013/02/04

現地報告(2/3-4)


活動日:2013.02.03-04
報告者:嶋田 洋
 
晴れ間が覗く間に、次のボランティアを受け入れる準備作業をのんびりと行いました。
ただ3日は強風で何度か干していた布団を飛ばされたので、残りは4日午前中だけの晴れ間でしたが、何とか干せました。
気仙沼滞在も残り一ヶ月となり、一年間お世話になったお礼の気持ちで、掃除や洗濯、洗車などさせてもらっています。
雪道を走るため数日と空けず洗車しますが、車への感謝はもとより、金光さんの車は「いつもキレイ」か「汚れてる」の分かれ目の一日になると思うと、水は冷たくてもやらざるを得ません。
大した働きができないながらも皆さんに支えられ、お役を全うさせてもらっている以上、ボランティアに来られた方々には気持ちよく過ごしてもらおうと努力しているつもりです。

また、今日の午後は、美紀子先生の帰宅を待って、長部地区の仮設住宅へ「米」「水」を、三人で届けました。

最後になってしまいましたが、清水氏が昨夕、田中公園住宅仮設の自治会長O氏を訪ねられ、退院されたとのこと。
また今日の午前中に東新城仮設のF氏宅を訪ねられ、術後順調に回復されているということです。

2013/02/02

現地報告(2/1-2)


活動日:2013.02.01-02
報告者:清水 幹生
 
2月1日(金)
* 朝、田中前記念公園仮設住宅に自治会会長のOさんを訪ねたが、今回も留守だった。
何も連絡が無いのは、ご主人の手術は大丈夫だったのでしょう。
インフルエンザが流行っていなければ、病院に見舞いに行けるのだが!

* 早めの昼食を済ませて、東京教会のDさん一行を気仙沼駅まで迎えに行った。
1210分頃Dさんのお連れ三人を、お迎え出来ました。
お連れ三人は信者さんではなく、Dさんの中学生の同級生で、その後熟女になった今日まで、友情が続いている素晴らしい仲間のようです。
西八幡仮設住宅でのおちゃっこ時間が迫っているので、南町紫市場まで案内し、昼食を済ませて頂いた。
清水は気仙沼教会の月例祭が130分から始まるので、お届けを済ませて皆さんを南町紫市場まで迎えに行った。
* 西八幡仮設住宅にお連れして、副会長のKさんにDさん達を紹介して、あとの事はDさんにお任せして、清水は教会に引き返した。
* 130分からの月例祭に参拝した。お祭りが終わり教会長先生の教話を途中でご無礼し、西八幡仮設住宅に向かった。
集会所の中に入ったらKさんが、「清水さんが来た来た、コーヒーで良い?」と、言って早速コーヒーを準備して下さった。


おちゃっこは、2名の男性を含めて7名の方が参加されていて、賑やかに楽しく談話が進んでいた。
ご婦人方の中には、ボランティアに来たDさん達と同年輩という方もおられ、打ち解けるのは早かったようである。

 
 
 
信者さんでないDさんのお友達三人も、談話が出来て初めて被災者の方達と接し、それぞれ感じ方は違うでしょうが、目的は達成されたと思う。おちゃっこの雰囲気がすごく良かったので、私はその様に感じたのでしょう。
最後に全員で写真を撮り、お別れした。1時から3時過ぎまでのおちゃっこでした。

 
震災時の話は出なかったようですが、復興住宅や復興町作りの話は出ていた。やはり今は、自分達の近い将来を一番心配されているようである。そのような話が出てきて、それを聞いてあげられる事が出来たのは、お役に立つ事が出来た、ボランティア活動であったと思う。

* 西八幡仮設住宅を後にして、こんどは被災地巡りをした。
海岸線を南に下り、志津川町までを案内した。
「テレビで見たり聞くのと、実際に見て感じるのは、こんなにも違うのか」と、Dさんのお友達が呟いていた。
「そうか、そんな風に感じてくれたのか」と、とても嬉しく思いました。

* 志津川町から教会に着いたのが630分となりましたが、嶋田先生は夕食を待っていて下さった。久し振りに女性の多い夕食(いつもより4人も多い)は、楽しく美味しかった。
教会長ご夫婦を含めての談話は、今日1日の感想を含めての話で、楽しく聞かせて頂いた。
* 9時すぎまで談話し、楽しい一時もあっという間に終わった。

* 夜の11過ぎに以前、小泉中学校グランド仮設住宅での餅つきイベントの時に歌ってくれた歌手のすわじゅんこさんから電話があり、
「私ではないけれど、気仙沼に行きたい歌手がいますが、清水さん達のグループを紹介しますので、お願いしても良いですか?私も別の機会に行きますので宜しくお願いします」
という事でプロの歌手(有名人ではありませんが)とコンタクト出来、活動に幅が出来るのは嬉しい。

* 金光会館に泊まられたDさん一行は談話が終わった後も部屋で夜遅くまで話が弾んだようである。
どんな話だったのかな?

2月2日(土)
* 540分、奥原教会長先生を気仙沼駅まで送った。先生は盛岡教会の月例祭を仕えに行かれた。
* 朝食後、Dさん一行を今度は気仙沼から北の被災地を案内した。
陸前高田・大船渡までの海岸線(小友・門ヶ浜・碁石海岸)・越喜来・釜石・大槌町までの約7時間の旅だった。

 
 
 
 
 
 
Dさん一行は越喜来の道の駅や南町紫市場で沢山買い物され、お金を落として行かれた。これも立派なボランティア活動である。
Dさん一行は338分の列車で、気仙沼を後にした。列車に乗られるまで手を振り別れを惜しんだ。
これでまた、寂しくなる。

[つぶやき]
* 日揮の友達からメールが来た。私が一緒に仕事をした仲間は、今回のアルジェリアの事件には誰もいなかった。
ただ亡くなった元副社長には、横浜の日揮本社で会ったように思う。
メールをくれた友達は最後にこんな事を書いていた。

「気仙沼は変わってきましたか?こちらではほとんど報道されません。原発の話すらなくなりました。これで大丈夫なんでしょうか?」と。
すでに風化が始まっているのでしょう。
東京でこんな状態ですから、遠く離れた西日本はもっと風化しているでしょう。

本教の中でも同じ事で、福島県の5教会への支援はどうなっているのでしょうか?
津波被害の大きな石巻教会と信者さんや、多くの信者さんが被害を受けた気仙沼教会への支援は、これから先どうなるのであろうか?
教祖130年のお年柄を迎えた今年、記念祭が行われるのは構わないが、その行事の中で原発や震災で被災された人々へ、心を寄り添う具体的な行動を起こして欲しい。
人が人を助けなければ誰が助ける。
人を助ける活動に金光教が旗を振らなければ、教祖130年の行事は色あせたものになる。教祖は泣いておられるのではありませんか!
東京教会のDさん、未信奉者を連れて来てくれてありがとう。
彼女達のような具体的な行動が必要です。
小さな事で良いのです。

以上です。