2014/08/25

現地報告(8/9-12)

活動日:8月9日~12日
報告者:岩本信治師(乙島教会)
 
 

乙島教会(ワンハートブラス)
「音楽ボランティア活動」



1日目(8月9日)
 1日目は、台風11号接近の影響で、新倉敷駅でひかり号の到着が遅れましたが、そのあとの乗り継ぎでお繰り合わせを頂き、岡山駅から予定通りののぞみ号に乗って出発できました。
 昼ごろ、東京駅で麻布教会の松本清治さん(俳優)と合流し、5人で東北新幹線に乗りました。車中、私の左隣が清治さんの席で、右隣には83歳のおばあさんが乗ってこられました。

 
 
 にこやかな表、上品な言葉遣いの方で、清治さんがおばあさんの荷物を頭上の棚に載せて差し上げたりしているうちに会話が弾み、3人とも直ぐに打ち解けました。
 お昼時でしたので、お互いにお弁当を広げて、話を進めました。
 伺いますと、女川のご出身で、この度の東日本大震災の被災者でした。ご主人を11年前に亡くされ、震災当日は車を運転しながら、命からがらで助かったことなど、いろんなお話を聞かせてくださいました。
 ・目の前に大津波がどす黒い色でぐるぐると回転しながら、すべての物を流した。
 ・家が浮力で持ち上がり、瞬く間に崩れながら津波に飲まれた。
 ・車や人やいろんな物がぐるぐると流された。
 ・自分の車の前後が大津波で、奇跡的に助かった。
 ・神も仏もない、とおっしゃる方もあるが、私は神仏が存在すると思う。
 ・しばらく避難所での生活、何も無くて不自由した。
 ・幸い、息子が東京に住んでいて、迷ったが移り住むことにした。
 ・東京では独り暮らし。もし災害が起きたら忘れられるのが恐いし、寂しい。
 ・女川のお墓は石巻に遷した。きょうはお盆で、そこにお参りする。
 ・某美術館に過去の津波の絵画があるが、水がきれいで、あれは現実と違う。
・・・といった具合に、震災発生時のことから、現在に至るまでの状況や心境をお話くださいました。
 私は途中から、「生神金光大神様」と心の中で唱えながら聴かせていただくようにし、新幹線の椅子に座りながらも普段の御取次の心構えにならせていただきました。
 じっくりと聴かせていただき、おばあさんの心の中の思いを感じさせていただくように意識を集中して、ご祈念をさせていただきました。
 そして、このようにもおっしゃいました。
 「水洗トイレの流れる水の様子を見ると、津波を思い出してしまい、恐いのよ。
だから見られなくなった。今でも夢に出てくるし・・・」
 ずっと被災地に常駐されてきた清水さんが、教えて下さったことと重なります。
「被災者の方々は、時間が経っても心に受けた辛さ悲しみは癒されることはありません。共に辛さ悲しみを共有して、生き抜くしかありません」と。
 さらに、おばあさんはこのようなこともおっしゃいました。
「震災直後、演歌歌手の○○さんが△△△△という持ち歌を歌っていたけど、私は聞いていてムカっときちゃった」と。
 このお話は、これから仮設住宅で一緒に歌を歌わせていただこうとする私たちにとって、大切な教訓とも言うべきことを教えていただいたように感じました。
(幸い、私たちのレパートリーには無い歌でしたが、こちらが良かれと思ってご用意している歌であっても、その方によっては不快な思い、辛い思いにさせてしまうことがある、と改めて思いました)
 
 これは後日談ですが、11日の時に歌詞ノートをお配りした際、「ふるさと」の所を開かれて、「この歌、私はしばらくまともに歌えなかった。涙が出てきちゃって。3年経って、今は歌えるけどね」とおっしゃる方があり、まさにそのことが現実となり、ドキっとしたのと、今は一緒に歌えると伺って少し安堵しました。
 それからも、仙台までの約2時間の間、いろいろなお話をお伺いし、3人で時に笑いあったり、沈黙して考え事をしたりして過ごすことができました。
 先ほど申しましたように、心の中で「生神金光大神様」と唱えながら、「このおばあさんの心が安らぎますように」と願っておりましたが、今振り返ってみますと、おばあさんのおかげで、被災者の気持ちをお伺いすることができ、また演奏奉仕をさせていただく上での大事なこと、取り違えてはいけないこと、その心構えを教えていただいたとも思います。
 その時は不思議な思いもしつつ、また「神さまはこのおばあさんを通じて、私たちに何か大切なことを教えようとなさったのでは?」という思いを頂きながら、仙台でお別れをして、私たちはそのまま盛岡へと移動を続けました。
 

 写真は、その後参拝させていただいた盛岡教会のご神前です。ちょうど、月例祭がお仕えになり、奥原幹雄先生が、私たちを待ってくださり、台風の中、無事に到着できた御礼と、演奏奉仕の成就を祈願させていただきました。
そして、レンタカーで2時間半ほどかけて移動し、田老町へ。グリーンピア三陸みやこというホテルに到着できました。
当初、唐傘松がある海岸で、海を望みながら、この度の東日本大震災で亡くなられた御霊様への祈りと、演奏をさせていただく予定でしたが、雨を頂いておりましたので、変更し、会議室をお借りして演奏の練習をさせていただきました。
その後、食事を頂いて、お風呂に入らせていただき、ゆっくり休ませていただきました。

 
2日目(8月10日)
宿泊部屋での朝のご祈念を終え、台風が接近するなか、宮古市田老町の田老サポートセンターを会場に、歌声ひろば&お茶っこを開催させていただきました。
外は雨でしたが、約60人もの方々が参加してくださり、当初予定していた演奏や体操、ビンゴゲームをとおして、被災された方々と交流を深めることができました。
 
 
初めての訪問先ではありましたが、終えてみると、一体感があり、お互いに再会を誓いました。進行の最中、住民の方々同士が譲り合ったり、応援したり、時にはいじり合ったりしていらゃしゃったのが印象的でした。
 
 
 中には、「今までのイベントで一番だった」というお褒めのお言葉を頂きました。 そして、サポートセンターのスタッフの方からは、お土産を頂きました。
こうして、田老サポートセンターでの演奏奉仕、片付け等、ごあいさつを終えて、移動しようと外に出たところ、地震がありました。
 震度3の揺れで、幸い建物にも津波にも影響がなくすみましたが、すべて終わった後で、お繰り合わせを頂いた、と感じました。また、東北ではこうした余震が続いており、不安の一つなのだと思いました。
 
 そして、たろちゃんハウスにある、仮設店舗の善助屋食堂さんで名物のどんこ丼を頂き、腹ごしらえをして、宿泊先の大船渡市越喜来へ向かいました。途中、浄土ヶ浜に立ち寄らせていただきました。
 雨の中だった為、晴天のときのような青く澄み切った海、水平線、エメラルドグリーンの海辺を眺めることはできませんでしたが、霧がかかっていて、雨が火照った体を冷やしてくれ、今までになく神秘的な雰囲気のなか、少しの休息、心の安らぎを頂きました。
 メンバーも、気持ち良かったみたいです。極楽浄土、を共に感じました。
 


 ウミネコが歓待してくれ、お菓子をパラっとまくと、ばあーっとたくさん集まってきました。自然、生き物との交流、静かに、しとしと降る雨の中、楽しめました。
 そして、午前中の田老町での演奏奉仕成就を労って、売店で買った「宮黒サイダー」なるサイダーを5人で分けっこして、乾杯しました。
 



 宮古市の海で育まれた「塩」に、黒石市の「りんご」が恋をした。と書かれています。頂いてみて分かりましたが、リンゴの味がほのかにして、程よい甘さで、喉越しよく、シャンパンのように美味しく感じました。
 リフレッシュさせていただき、直ぐに移動開始、道中にある大槌町の役場を見学、ご祈念させていただき、夕方には大船渡市越喜来にある嘉宝荘に到着し、荷物を積み込みました。
 女将さんが出迎えてくださり、リハーサルの準備をし、汗を流して少し体を休めながら、きょう到着する5人のメンバーを待ちました。
 その5人も、台風の影響で新幹線の遅延がありましたが、どうにかお繰り合わせを頂いて、予定通り到着し、合流することができました。みんな疲れてはいましたが、来る明日の演奏奉仕に向けて、全員揃って初めての練習をし、


 支援金で求めた岡山特産のピオーネを、女将さんに小・中学生から贈呈させていただき、女将さんの愛情たっぷりの料理を頂きました。

 



 天地のお働き、海の幸、漁師さんたちのご尽力、女将さんの思い、すべてが詰まったご馳走でした。
 単純に、どれも美味しくて、体と心全体が喜ぶ味でした。お恥ずかしいですが、私は終始「はあー。おいし~い」「うまっ!」と絶叫してしまいました。一泊二食付で、何万円してもおかしくないくらいの料理、量と味で、みんな大満足。
 いよいよ、翌日は演奏奉仕が二箇所。お布団に入り、寝る準備をしました。その際、田老サポートセンターの方から頂いたお土産を思い出し、一日のお礼を申しながら、見直しました。
一日を振り返りつつ、あらためてありがたく、もったいない思いで、なかなか心が落ち着きませんでした。

 写真は、夜、その頂いたお土産を見直した時の様子です。




3日目(8月11日)
 月命日の朝を迎え、ワンハートブラスの一行は嘉宝荘さんの食堂に特設のご神前を設け、朝一番にご祈念をさせていただき、神さま、御霊さまに、ここまでの御礼を申し上げ、演奏奉仕の成就を祈願いたしました。
 
 

 神さまありがとう、すべてにありがとう、の祈りのこもった、教会長直筆の「ありがとう扇子」を目当てに掲げ、200名を超える方々からのご支援で購入したピオーネと景品のお菓子を、お供えさせていただきました。
 
 その後、越喜来杉下仮設住宅に向かいました。
 岡山からのお土産のピオーネの切り分けなども終えて、準備万端。ところが、開始時間の10時が近づいても参加者がお一人も現れず、内心ドキドキしておりました。
 どうやら、すぐ近くで別のボランティア団体が映画の上映会をしているのだそうです。「映画には負けるかな・・・」と弱気になりながらも、それでも「お一人でもお越しいただければ、演奏はさせていただこう」と決意し、お待ちしました。
 ありがたいことに、そのうちにお一人、お一人・・・と次々と集会所に入って来てくださいました。この場所では過去2年、この時期にお邪魔していたため、久しぶりにお目にかかる方もチラホラいらっしゃいました。
 そして、いよいよ演奏奉仕開始。「ビリーブ」の演奏に続いてメンバー紹介を行い、「あまちゃん」の演奏に合わせてボーカルで俳優の松本清治さんが登場し、「上を向いて歩こう」、「ふるさと」といった昔懐かしい曲を、手作りの歌詞ノートをご覧いただきながら、時にはボーカルになっていただきながら、一緒に歌いました。
 
 
 
 
 
 続いて、初代・私の祖父が始めた「100まで生きる体操」と長寿の秘訣(食べ物に文句を言わない、人の悪口を言わない、体操をする)をご紹介し、一緒に長寿を願って体操をしました。
 

 
 そして、お土産のピオーネをお一人ずつにお配りしました。
皆さまから「美味しい!」「食べやすい」といった好評を頂きました。
 



 少しお腹を満たして、水分も摂っていただいたところで、ことしも「方言クイズ」を行いました。
 岡山弁を幾つかご紹介し、その意味を当てた方に景品を差し上げる、という企画です。「てーてーてーてー」、「おえりゃあ へんがあ」(写真)といった言葉を声と文字で確認してもらったのですが、意外と?なかなか解る方は現れず、盛り上がりました。
 さらには、岡山弁で書いた文章を岩手弁、越喜来の言葉に直してもらうことも行い、お互いの言葉を知り合って、交流を深めることができました。



 
 お互いに打ち解けつつあるところで、「ジャンケン大会&あっち向けホイ!」を行い、景品をかけてジャンケンとあっち向けホイをして、会場中に笑いが沸き起こりました。
 

 
 最後に、震災後に新沼謙二さんが作られた曲、「ふるさとは今も変わらず」をみんなで合唱し、お土産をお渡ししながら、お別れすることになりました。
 
 
 
 演奏後は、また嘉宝荘で食事を頂きました。なんと、ホタテ貝柱の煮付け&カレーライスです。厚さ4センチはありそうな、ぶ厚いホタテ。初めてみました。
手作りの優しいお味のカレーとの愛称が抜群で、あっという間にみんな頂きました。
 
 
 
 

 
 ありがとうございます。美味しく頂きました。ご馳走様でした。
 そして一同、女将さんに御礼申し上げ、お別れをして、気仙沼へ向かいました。
 途中、陸前高田に立ち寄り、大規模な土地のかさ上げ工事の様子を見学し、いよいよ五右衛門ヶ原に到着しました。
 

五右衛門ヶ原 運動場の仮設集会所は、越喜来杉下の仮設と同様、三回目の演奏奉仕となります。
 ありがたいことに、こちらでも昨年ご参加くださった方々がお越しくださいました。しかも、ことしは子どもたちが4、5人参加してくれて、演奏後も数人が遊びに来てくれました。
 震災直後に仮設住まいで産まれた赤ちゃん、昨年は3歳で、おばあちゃんにダッコされた状態でしたが、ことしは4歳になり、一人で歩き回って、周りの大人たち、おじいちゃん、おばあちゃんたちの人気者になっている様子が印象的でした。
 

 
 そして、越喜来杉下の仮設と同様のプログラムで、住民の方々と一緒に歌って、笑って、体を動かし、頭を動かして、楽しむことができました。
 
 
 
 
 特に、「港町ブルース」では、代表の方にボーカルになっていただき、「~宮古、港、釜石、気仙沼~♪」の「気仙沼」のところは、全員で大きな声で、願いや祈りを込めて合唱することができました。
 皆さまの熱い思いがズドーンと伝わってきました。
 そして、こちらでも、ピオーネは大好評で、みなさんに「美味しい!」と喜んでいただけました。
 続いて、方言クイズでお互いの言葉を紹介し合って交流を深め、ジャンケン大会&あっち向けホイ!で大盛り上がり。


 
 参加してくれていた子どもさんも勝利して、お菓子のプレゼントを見事に勝ち取りました。
 
 
 
 こうして、ことしの演奏奉仕は全てのことにおいてお繰り合わせを頂いて、当初予定していたプログラムを進めさせていただきました。


















 おかげさまで、願いとしていたこと、「思い出とつながり、みんなの気持ちがつながり、未来へつながること」の一助となることを少なからず叶えてくださったように感じています。
 夜は、気仙沼教会に隣接している改装したばかりの金光会館に宿泊させていただき、「再会のジンクス」のある先生方手作りの餃子やお料理(まるっと玉ねぎ)をたくさん頂いて、ゆっくりと休ませていただきました。
疲れた体にパワーを与えてくださって、美味しく頂きました。ご馳走さまでした。







4日目(8月12日)
熟睡させていただき、最終日の朝を迎えました。
 気仙沼教会の朝6時のご祈念に参拝させていただき、一同、この度の4日間の奉仕活動が成就したことを御礼申し上げ、亡くなられた御霊様に思いを寄せて、ご安心と立ち行き、そして復旧復興を祈願させていただきました。
 教会で気仙沼のお恵みたっぷりの朝食(新鮮でふっくらとしたサンマの塩焼き)を頂いて、出発までの間、身支度や掃除、それぞれに自由時間を頂きました。
 

 若い女性3人は、安波山(あんばさん)に登り、気仙沼の港を一望できたようです。(相当ハードだったようですが・・・)
 
 市街地を見学したメンバーもいました。
 その後、全員揃って、気仙沼の港から、海に向かって合唱させていただきました。
「ふるさとは今も変わらず」という震災後に新沼謙治さんが作られた曲です。
 4日間の御礼と、亡くなられた御霊様のことを想像しながら、祈りを込めて歌わせていただきました。



 
 そして、ご祈念をさせていただき、港にお別れを申し上げて、帰路に発ちました。

 以上、おかげさまで、支援活動に参加させていただき、演奏奉仕も無事に、盛況に終えさせていただき、神さま御霊さまに御礼を申し上げることができました。
 ありがとうございました。

2014/08/12

現地報告(8/7)

活動日:2014.8.7
報告者:奥原幹雄 
 
 
 
87日(木)現地報告
 
 
広島から来られたK師と一緒に、来週の811日(月)午前中に大船渡市三陸町越喜来の杉下仮設住宅、そして午後には気仙沼市五右衛門ヶ原運動場仮設住宅で予定されている恒例のワン・ハートブラス(乙島教会)による音楽イベントに向けて、チラシ配りをさせていただいた。
 
はじめに越喜来の杉下仮設に向かったが、その途中の長部(おさべ)という所にある仮設住宅にお米とお水を届けに行った。ここは7世帯ほどの小さな仮設住宅である。これまでも継続的に支援をさせていただいているが、先月訪問した時は水を切らしていたのでお米だけ届けたのだが、やはり水が欲しいという要望を頂いて急遽準備した。どうやら水事情が悪いらしい。水道水は不味くて飲むことが出来ない。水を買いたくても、お年寄りには買い物も容易ではない。この猛暑の中、水道水が飲めないというのは切実な問題である。改めて、継続的な支援の必要性を感じた。
 
長部を後にして、陸前高田に向かった。陸前高田はここ数カ月で急激に変化していた。その状況を報告していなかったので、今回は陸前高田の今を報告させて頂こうと思う。
 
K師は1年ぶりの気仙沼訪問であるが、これまで4~5回ボランティアに来ていて、陸前高田の様子も、震災直後の状態から瓦礫が片づけられ、何もない雑草だけが生い茂る状態と、経過を見てこられていた。そのK師は、今の陸前高田の様子を見て驚いていた。
 
今、陸前高田では「希望のかけ橋」と呼ばれる巨大な吊り橋が、張り巡らされている。旧市街地と高台移転先を結び、高台造成にともない山を削る過程で出た土砂を運んでいるのである
 
 
遠くから見ると、瀬戸大橋かレインボーブリッジにでも見えるこの吊り橋だが、実は土砂を運ぶためのベルトコンベアである。この巨大なベルトコンベアがあることで、通常10年はかかる作業が2年ほどに短縮できるのだそうだ。ベルトコンベアの先端から土砂が流れ落ちて、山を作っていく。ある程度土砂の山が積みあがると、その先端部分が移動して、またその隣に土砂の山を作る。そうして、次々に土砂の山が出来る。そして、その土砂をブルドーザーなどが押し固めながら、嵩上げした土地を整地していく。その土砂の量は半端なものではない。当然、広大な土地をすべて、ある高さまで嵩上げをするのだから、山の一つや二つは消えて無くなってもおかしくはない。その土砂をタンプカーで一台一台運んでいたのでは、気の遠くなる年月がかかるのも予想できる。それにしても、人間の知恵と行動力は凄いものがあると感心させられる。効率を求めた結果がベルトコンベアだったのだと納得ができる。
 






 
 
しかし、一方では山を崩して、人が住めるように造成する。そして、出た土砂を平地に積み上げて、嵩上げをする。そしてまた平地にも徐々に人が住むようになるだろう。陸前高田では今後12ⅿの防潮堤が出来るらしい。その防潮堤の前には松林と人口の砂浜が再生され、防潮堤の手前側には防災公園が出来るらしい。それでも、今回と同じ規模の津波が来れば防ぐことは出来ないらしい。
 
暮らしの復興が急がれている状況はその通りであり、一日も早い復興が望まれている。しかし、天地自然の山を幾つも崩し、削り、土地を造成して人が住む。削って出た大量の土砂を平地に積み重ねて嵩上げして、高さ12ⅿもの防潮堤で海岸線を覆い津波から人々の暮らしを守ろうとしている。全ては人の手によるもの。本当にそれでよいのだろうか?と不安を感じる光景だった。


陸前高田を通過して、越喜来の杉下仮設住宅に到着。サポートセンターの方にチラシを届けた。
ここでは、サポートセンターのスタッフがしっかりと住民のお世話をしているので、イベントのチラシなどもスタッフの方が配っていただけるということで、お願いさせていただいた。
予定よりも早く用事が済み、昼食まで少し時間があったので、近くの波板海水浴場に立ち寄った。
津波の影響で、砂浜が狭くなっているようだが、海の水は透明度が高く、透き通っていた。
静かな浜辺で、護岸工事のため海中で作業している潜水作業員の呼吸する音が、
船のスピーカーから聞こえるだけで、心地よし静けさがさっき見た陸前高田の光景とは全くの別世界で、
こころが癒された気がした。
 



 
以上。


8月の予定

8日(金)、 気仙沼教会を会場にして、ボランティア連絡会を開催。金光ボランティアの団体紹介もおこなう。
9日(土)、ワンハートブラス(乙島教会)一行が、盛岡入り。盛岡教会参拝後、田老へ移動。宿泊。
10日(日)AM、田老サポートセンターで音楽イベント。越喜来へ移動、宿泊。
11日(月)AM、越喜来杉下仮設にて音楽イベント、PM気仙沼五右衛門ヶ原運動場仮設にて音楽イベント、気仙沼教会へ移動、宿泊。

21日~24日 フォーゲル・ソワリングキャンプ開催
23日(土)NPO東京自由大学(鎌田東二氏主催)来教

 
以上、追って順次現地報告をお送りいたします。

2014/08/09

現地報告(7/25-27)その3

活動日:2014.7.25-7.27
報告者:奥原幹雄 
 
「第3回東北ドリームキャンプ」(3日目)最終日
 
 
早朝から雨が降った。おかげで起床時間の前からこども達が外で遊ぶということはなかった。前夜の懸念も雨のおかげで対応せずに済んだ。
朝の集いは、移動が大変なので、隊ごとに行った。ネスト隊は、近くに屋根のある場所でおこなったが、朝の集いが終わる頃には、雨もあがった。  

 
 
 
7:00 朝食(ホッドドック)
 
最終日の朝は、恒例となっているホッとドッグづくり。各自持参した牛乳パックにアルミホイルで包まれたホッドドッグを詰めて、火をつけて焼いて食べる。ちょっとした工夫で、美味しいホットドッグが出来る。こども達に大人気なホッドドッグづくりである。
 







 
 
8:00 クリーンタイム・感想文
 
お世話になったキャンプサイトやキャビンの清掃を行なった。
お掃除が終わった班から感想文にとりかかった。
 


 
10:00 合同プログラム
 
 
11:00 各隊閉会式(終了証授与)

各隊ごとに閉会式をおこない、終了証を授与した。3年連続でドリームキャンプに参加している隊員には、特別の終了証が手渡され、誇らしげな表情で終了証を受け取っていた。
 
       【エッグ隊】
 
 




 
 
 
       【ネスト隊】
 






     【ジュニア隊】



 
 
 
11:30 全体閉会式
お天気雨がパラパラと降るなかでの全体閉会式となった。はじめは敬礼も分からなかった隊員達だが、閉会式では全員がきれいに揃って敬礼が出来ていた。
 








 


 
 
12:00 解散
 
最後に全員で集合写真を撮影し、解散。第3回ドリームキャンプ全てのプログラムを無事に終えることが出来た。
やり遂げた達成感と、無事に終えることが出来た安堵感で、しばし放心状態に・・・(+_+)。
 
 
 
・・・しかし、まだ大事な仕事は残っていた。こども達を気仙沼まで連れて帰らなければならない。
 
 
12:30 昼食(お弁当)
 
13:00 キャンプ場を出発
 
予定より30分遅れて、キャンプ場を後にした。残っていてくれたスタッフやリーダー達が見送るなか、バスは気仙沼へと帰っていった。名残惜しい瞬間であった。リーダー達も、いつまでもいつまでも手を振って見送ってくれていた
 





 
 
帰りのバスは、意外とこども達は元気だった。疲れが見えたのは、自分を含めたリーダー達でした。3日間のキャンプが無事に終えることが出来たこと。熱を出したり、手首を痛めてしまうこどももいたが、大事に至らずに済んだこと。全員元気に気仙沼に向けて帰っていることなど、たくさんの感謝の思いでいっぱいでした。そして、今回新しく参加してくれた多くのこども達、そして新しく参加してくれたリーダーやスタッフがいて、また来年も参加したいという声がたくさん聞こえて来た。早くも来年の第4回ドリームキャンプ実現に向けての構想を思い描いていた車中であった。
 




 
 
 
16:00 気仙沼 紫市場到着
 
保護者や商店街の人達が待ち構えているなか、バスが商店街に入っていった。こども達も体を乗り出して、迎えの人達や親達を捜していた。たった3日間であったが、ひとまわり成長したこども達を見て、涙ぐんでいる親も目に入った。
 最後に、紫市場のひろばにこども達全員を集めて、ひとこと「3日間の経験を、ご家族にいっぱいお話して下さいね。また来年もドリームキャンプで逢いましょう。解散!」と解散の号令。
こども達は、それぞれ家路について行った。
 



 
 
 
 
今回も、多くの皆さまからのご支援、ご協力、ご理解をいただいての、第3回ドリームキャンプでした。おかげさまで無事に終えることが出来たことを感謝申し上げます。参加したこども達にも、親達にも満足いただけるキャンプとなり、大成功であったと思います。ある参加者のお母さんに街で会った時に、「お世話になりました」とお礼を言われ、「内気だった娘が来年も行きたいと自分から言っているんです」と嬉しい報告を受けました。たった2泊3日ですが、確実にこども達は成長しているという事が感じられました。心より御礼申し上げます。
 
また8月2日の三陸新報(気仙沼の地方紙)では、ドリームキャンプの記事が掲載され、コラムでもドリームキャンプを取り上げてくれました。コラムの最後には、「こども達が自然に親しみ、多くの経験をして欲しいと願う」と締め括られており、徐々にではあるがドリームキャンプの願いが、地域の人達に浸透し始めていることを感じました。


 

 
 第3回のドリームキャンプは終わったばかりですが、今日から来年の第4回ドリームキャンプ実現に向けて、願いを立てて取り組んで参りたいと思います。どうぞ、宜しくお願い致します。
 
みなさま、本当にありがとうございました。



最後に、ドリームキャンプを陰日向となって支えて下さった本部隊の皆様、真にありがとうございました。美味しいご飯の提供ありがとうございました。資材・設備の準備、マネージメントなどなど多岐にわたり、ご苦労が多かったと思います。これに懲りず、来年も宜しくお願い致します。










                                        以上