2011/06/19

現地報告

下記の内容は、2011.06.18の現地報告です。

報告日:2011.06.18
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

本日は、今朝到着の日本橋教会のIさん、金光大阪の阿知波先生、T氏妹さん夫妻、成城教会Iさん、金光町のMさん、Sさんと私の8人がボラセンにまいりました。
8人ですので、この場合は、T氏が軽トラでボラセンに出向し、嶋田先生送迎のS車とSさん運転の大崎教会ノア車で向かいます。
今日のボラセンでの朝礼では、最初のボランティア活動の希望人数が8人ということで、Sリーダーがすぐに手を挙げて即、決まりました。
内容は、気仙沼市本郷の大きな民家でした。海からは約3キロ離れていますが、川が近く一階の半分以上海水に浸かったそうです。
畳はこれまで入ったボランティアで全て取り去ってました。
私たちは、そのお庭に流れてきて溜まっている土砂を掘り起こし、土嚢袋にいれて捨てるという内容でした。
午後からは、アメリカシアトルからの外国人男性と熊本県民の奥様、八王子からの方が応援にこられました。
砂埃がすごく、メガネのない人はゴーグルを使用しました。臭いはさほどでもなかったのですが、防塵マスクは必要でした。それでも喉がやられることがあります。
水道が出るところはいいのですが、念のためうがい用の水も用意した方がいいかもしれません。
全員ではなくても、その日の朝のフォーラムグループの中で一人でも持っていけばいいと思います。

2011/06/18

現地報告

下記の内容は、2011.06.17の現地報告です。

報告日:2011.06.17
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

本日は、Sさん、山田先生、成城教会のIさんと私の4人でボランティアセンターに行きました。
そこで他のグルーブや個人の方々総勢20名で唐桑体育館に向かい、写真の水洗いと乾燥、アルバム整理のボランティアに携わりました。小柴先生がされたのと確か同じだと思います。
広い体育館では、全面に「思いでの品々」が並んでいました。
それでも毎日、地区別にわけられた「思いでの品々」が搬入され、まずは玄関で種わけを行ない、写真、位牌、学童用品などにわけます。その後は、写真洗い、乾燥、アルバム整理の3グループに別れ、時々ローテーションしながら、写っている方々の無事と、どうぞ、この写真が手元に戻りますようにと祈りながら作業をいたしました。
写真は現在140万枚程度集まっているそうです。
大事なことを言い忘れてましたが、お昼は教会長夫人の手作りの美味しいおにぎり、ゆで卵、野菜ジュースを毎朝持たせてくれます。
ありがたいことです。
今朝には、T氏妹さん夫婦が入り、金光町のMさんと一緒にMさんの友人が避難している志津川高校に嶋田先生の運転でお見舞いにいかれました。
夕刻には金光大阪の阿知波先生が入られました。
昨日夜には、出崎教会のABさんの祖母が亡くなられ、急遽明石に帰られました。本日の夜行バスで山田先生が帰られます。
全ての送迎は、S車で嶋田先生です。24日以降このお二人はおられません。それまでに対処方をどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

2011/06/16

現地報告

下記の内容は、2011.06.16の現地報告です。

報告日:2011.06.16
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

本日は、Sさん、ABさん、金光町のMさんと私の4人でボランティアセンターに行って活動しました。
私はボラセンは初めてです。朝8時30分嶋田先生運転のS車でボラセンへ。初めて参加の受付で氏名等を申告。ガムテープ名札とゼッケン、飲料水を頂きました。
だいたい70人くらい集まってました。9時から朝礼でスタッフから注意事項を聞き、引き続き割り振りが始まりました。スタッフから「屈強若者10人前へ」と声がかかると手を挙げて前に出る人があっという間に10人。
私たちは5人でボランティアがあり、瓦礫と土砂運びとのこと。Sさんはベテランですぐに1人連れてこられ、私たちもすぐに決まりました。資材テントでスコップ、一輪車などを調達、救護班から薬が入っているダンボールをもらい、そして配車係の車で現場まで送迎をして頂きました。新潟の時は薬箱や車の配車はなかったので、だいぶ進んでいると思いました。
現場は、室内の泥かきはすでに済んでいました。そこで、裏庭の元からあった土砂に津波で流された瓦礫が混ざり混んでおり、それをスコップで土嚢袋に詰め、一輪車で表に運び出す作業でした。
私たちに合流してくれた方は地元のOさんで、この方のお家の一階も津波でやられたそうですが、こうやってボランティアに参加されていて頭が下がりました。何と76歳とのことですが、私よりよほど戦力になってました。
作業は本当にきつく、死ぬかとおもいました。天然の干物状になった魚が出てきたり、臭いも大変でした。1時間程して東京からの屈強若者が二人応援にきてくれ、助かりました。もう3か月近く現場で作業しているSさんや他の二人の動きも素晴らしいものでした。
隣がジャス喫茶で、外まで音楽がなっており、ロックンロールを流してくれたおかげで何とか無事に作業はできました。
成城教会のIさんと午後到着の山田先生は、嶋田先生の案内で、陸前高田市などをまわられました。
今日は18時から、紫会館で落語があります。

現地報告

下記の内容は、2011.06.15の現地報告です。

報告日:2011.06.15
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市、南三陸町、野蒜、松島

15日は、Sさん、ABさん、下谷教会車で入った金光町のMさん(女性)の人が、引き続きAさん宅へ入った。
2階の一つだけ残っていた畳が床を突き破り、1階から見えている状態で、降ろすのは無理と思われましたが、Sさんが入って、全て降ろされたそうです。その後、高圧洗浄作業、食器洗いを行いました。洗浄跳ね返りの水を顔に浴びて苦労されたようです。
嶋田先生と私は、パレス松洲で行われる東北教区教会長教師懇談会に参加される教会長先生の送迎を兼ねて、南三陸町、野蒜、松島等の被災状況を見て回りました。
お魚センターで昼食をとっていると、そこにご本部から出向の総務部長、教会部長、福場先生、大山の阿部先生が入ってこられ、ご挨拶申し上げました。
出発してすぐに、毎日気仙沼ボランティアセンターに出向しているT氏が、市民会館の玄関で物資の搬入のために指示を出している姿を見ました。頼もしい限りでした。
途中通行止めの迂回路では、往きに機動隊車が溝に落ちて立ち往生していました。暗くなってしまった帰りは、丁度自衛隊の車列の後ろなり、先導してもらう形となり助かりました。
到着は、夜9時を回ってしまいました。
今日は先程6時に成城教会のIさんが夜行バスで到着、計5人でボランティアセンターに入ります。

2011/06/14

現地報告

下記の内容は、2011.06.14の現地報告です。

報告日:2011.06.14
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

本日は、Sさんと地元の方お2人で依頼のあったお宅へ、出張高圧洗浄作業をしました。
ABさんとTさんのご友人Mさん、気仙沼教会長ご長男、私と昨日に引き続き、Aさん宅の家財道具の整理、分類、食器洗いと廃棄物の整理と2階のめくれ上がった畳を降ろしました。海水を多量に吸っており、1人では持てず、もう、藁みたいになっているのもありました。
午後からは、教会長ご長男と真人さんのご友人Mさんが仕事で帰りました。ギリギリまで作業をされ、素晴らしい方たちでした。
その後、AさんとABさんと私の三人で屋上からビールケースを降ろしたり、引き続いて食器洗いを行いました。
夕刻には、下谷教会の菱田先生父子がマグロ、ブリ、鯛を紫会館避難所に差し入れました。鉢植えのお花も持ってきて頂き、自由にお取り下さいと教会の玄関前におかれてました。
今日もAさんのお話を承りました。海から2~300メートルくらいのところにお家がありますが、やはり最初は大したことがないとなめてかかっていたということです。
一旦は避難したお年寄りが、探し物で降りてきて、その方と一緒に逃げて間一髪だったようです。
ただ同級生の友人は、一旦は逃げていたにもかかわらず、家族の安否を心配して山をおり、亡くなられたそうです。
今は避難所に5分程度で行くことができるが地震当初は瓦礫で道が塞がり相当時間がかかっていたそうです。その頃は心も荒み、落ち込んでいる人も多かったが、教会の掲示板の「何とかなる」に勇気づけられたと仰ってました。私はこの話は聞いていましたが、直接聞いて大変嬉しかったです。
また、この次に掲げられた掲示板は「一歩から二歩目の間に辛抱がいる」というお言葉で、これも被災されたHさんがこの言葉に感動し、自分の名刺に入れてもいいかと聞かれたそうです。
まだたった4日目ですが、出会いと別れに涙しています。

2011/06/13

現地報告

下記の内容は、2011.06.13の現地報告です。

報告日:2011.06.13
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

皆様には、それぞれの御用、誠にありがたいことに存じます。皆様方の御祈念、お祈り添えを賜り、東京学生寮寮生7名は今朝3時に無事に帰寮しました。ありがとうございました。
昨日は、夜のミーティング中、停電になり、皆様地震直後のことを思い出しておりました。
さて、今日はSさんと地元の方は、Hさん方の室内高圧洗浄を1日かけて行いました。私と気仙沼教会長ご長男、出崎教会安部君、Tさんのご友人4名は、Hさん方の二軒隣りのAさん方の片付けを手伝いました。Aさんの母屋は残念ながら流されてしまいましたが、はなれが一階の炊事場、お風呂、二階は物置になっており、そこの食器、家財道具、衣類等をご主人と一緒に運び出しました。
午前中は、1階の食器を運び出し、床に溜まったへドロを掬い土嚢袋に詰め、一輪車で運びました。Tさんのご友人は、へドロのついた食器を洗いました。
午後からは、嶋田先生も加わり、二階の物を運び出しましたが、海水にやられているので、非常に重たく、苦労しました。母屋のあった敷地一面に並ぶほどの物が出てきました。
そして最後4つの衣装ケースを出そうとすると動きません。中に海水が溜まっており、開けた瞬間、もう腐ったような硫黄の臭いが強烈で、部屋の中にいることができず、みんな外に避難しました。
これをそのまま出すのは無理と判断し、ご主人と相談して海水を下に流しました。一階に流れ落ちましたが、その臭いが四方にひろがり、ご主人もこんな強烈なのははじめてと仰ってました。
この臭いを伝えられないのが残念ですが、写真の撮影と金光教関係の出版物への掲載の許可は頂いています。
休憩時間に、Aさんから色々とお話を聞き、非常に充実したボランティア活動になりました。ありがとうございました。

2011/06/12

現地報告

下記の内容は、2011.06.12の現地報告です。

報告日:2011.06.12
報告者:辻井篤生
場 所:気仙沼市

「壁紙剥がし」という作業の表現が、なぜ一日中かかるのか、なかなか想像できないようで失礼しました。「剥がし」と言うよりも「壁壊し」との表現が当たっていると思います。壁をハンマーやバールでたたきわり、壁土を剥ぎ取り、中の断熱材を取り除く作業です。泥かき同様最近は多い作業だそうです。
途中寮生が釘を踏み抜きましたが、セーフティインソールを苦労して購入したおかげで、事なきを得ました。長靴とこのセーフティインソールは絶対に必要ですね。
あと気温が上がると臭いが凄いので、活性炭フィルター入りマスクがいいと思います。それか防塵マスクと普通のマスクを二重にすることをおすすめします。作業にもよりますがゴーグルもやはり必要です。ホームセンターには作業用の安いのが売ってます。
さて、今日は朝7時15分から、紫会館で指笛の演奏会があり、避難所の方々は大喜びでした。その会館奥には、浦和教会ガールスカウトの寄せ書きがかかってました。
その後、Sさん、Aさん、地元の方等は昨日の「壁壊し」の続きと内装の高圧洗浄、側溝の清掃作業に当たりました。
私たち寮生とT氏の友人は、他の学生や知人にもこの惨状を伝えてほしいと嶋田先生のご案内で、陸前高田市、気仙沼鹿折地区、気仙沼港から気仙沼南まで色々と説明を受けながら回りました。
昼過ぎからは、Sさんグループに合流し,側溝に引っかかった流し台タイルを4.5人がかりで引っ張りあげ、その後泥かき、清掃を行いました。T氏の友人は女性ですが、かかんにスコップを持って泥救いを行ってました。
それでは、もうすぐ7時30分頃に寮生たちは帰ります。どうぞ無事に到着させて頂きますよう無事安全、交通安全のお祈り添えをよろしくお願い申し上げます。