2011/08/31

現地報告

下記の内容は、2011.08.28~31の現地報告です。

報告日:2011.08.31
報告者:辻井篤生

■8月28日日曜日

28日は、23日頃からピーク時で約30人弱のボランティアの受け入れ、手配等で長期ボランティアの皆様も疲れがたまっているところからオフ日となり、南三陸町や向洋高校付近の見学等をしました。私はシーツとタオルケットの洗濯、掃除をさせて頂きました。
次にボランティアの現地報告で辻井グループ分の報告をさせていただきます。ほかの動きに関しては引き続き田中現地代表から報告があると思います。

■8月29日月曜日 晴れ

教会の奥様先生、田中真人氏友人のKさん女性、早島教会Iさん女性、紫会館に餅つきボランティアで来ていた埼玉のMさん女性と私の5人で、朝9時から午後4時まで終日、以前も報告のあった唐桑公民館での写真の保存活動に行きました。作業はアルバムに収められた写真のスキャンでした。
教会の奥様は、知人の写真を見つけられ、早速に学校の先生等に連絡して安否の確認や写真の存在を伝えておられました。

■8月30日火曜日 晴れ

以前、先着順で行くことができる大島での活動に直前で漏れたこともあり、今回再度挑戦して、大島でのボランティア活動をしました。
東京学生寮のKさん男性、東京学生寮OGのSさん女性、田中真人氏の友人Kさん女性と私の4人でした。
ボランティアセンターから全員で14人で、民家の床下からの泥だし作業4人と田んぼに溜まった瓦礫の撤去や草取りの作業でした。
私たち4人は田んぼでの作業に参加しました。炎天下のなかで日陰がなく、また足元が泥水で安定が悪いなかでの作業でした。
また往きの船で病院帰りの被災されたお婆さんのお話を聞かせて頂きました。お婆さんは「水」の大切さをただただ思い知ったことを何度も仰い、たらい一杯の水を子や孫5人で使い回した体験談を聞かせて頂きました。また、何度もお心のこもったボランティアの御礼の言葉を賜りました。
現地代表によると、座礁した船が大島へ敷いている水道管を破壊してしまい、大島では相当長い間水道が止まっていたそうです。

■8月31日水曜日 曇り

本日は終日、唐桑公民館での写真の保存活動に行きました。紫会館に餅つきボランティアで来ていた埼玉のMさん女性、東京学生寮のKさん男性、東京学生寮OGのSさん女性、田中真人氏の友人Kさん女性と私の5人と午前中は田中現地代表も参加しました。
現在でも毎日ダンボール3箱から5箱分の思い出の品が届けられており、また今日中央公民館でトラック2台分の写真が発見されたとのことでした。

現地報告

下記の内容は、2011.08.27の現地報告です。

報告日:2011.08.31
報告者:田中真人

3グループに分かれて活動

1.昨日、一昨日に続き、唐桑公民館での写真(スキャンニング)「活動人数10名」

活動報告として、「人の人生を見せてもらう中で、写真の持ち主の親になったような気になりました」、「思い出の大切さに気がついた」、「写真の持ち主が、これらの写真を見たら、どう思うだろう」、「写真の人はどこにいるのだろう」と思いを口にするボランティア達。この活動も経験しないと分からない深い、深い思いになるのです。私には、この感情を説明する能力がありません。胸の中が締め付けられるような、なんとも言えない思いでいっぱいになります。


2.ホテル一景閣「活動人数5名」
お風呂場の洗浄(テーマは今から入れるお風呂)
夜のミーティングで、「無言で夢中になって清掃している自分達。外から聞こえてくる“重機の音”、その瓦礫撤去している音に励まされました。その音は、一歩、また一歩復興へ向けて進んで行く音。私達のお風呂場でゴシゴシ、きゅっ きゅっっと立てる音にも同様の事を感じました。とMさん。Sさんは、「一景閣には辛い記憶があるかもしれない。しかし、綺麗になって、人々がここに来て、嫌な事を忘れる事ができるような、そんな場所になって欲しい」と報告されました。


3.五右衛門ヶ原仮設住宅でかき氷+足湯

8月19日に続き、第二弾の活動です。
「活動人数9名」+日本財団8名の合計17名
19日の活動報告はこちら

前回と同様に、午前中に、テニスコート用地(25戸)、午後から運動場(170戸)で開催しました。 

「テニスコート仮設」
この仮設には、被災され、金光会館で生活されていたSさんの奥さんと娘さんが入居されています。
天気も良く、気温が高いこともあり、かき氷には最高な一日になりました。談話室の中で、かき氷と足湯マッサージの提供。お茶用に2台のテーブルを設置。かき氷を食べながら、お茶をしながら談笑します。すると、すぅっと年配の女性が現れ学生寮のK君に、「津波がどんな風だったか、聞いた事ある?」と話しかけてきました。そこに学生寮のFさんと、芝のSさんも座りました。年配の女性は、津波の話と、命が失われていく様子を語られていたのです。K君とFさんは、夜のミーティングで、涙を流しながらをこの事をシェアしてくれました。

私は、この仮設でキーパーソンになるであろう、Oさんと話を重ねる事ができました。そして、後日、一緒に市役所へ行くことになります。(この報告はまたあらためて) 


「運動場仮設」
大きな集会場です。駐車場から集会場へ向かうと、私の顔を見るやいなや、男の子が、全速力で自転車を漕いでやってきます。そして、仮設に何度か足を運んでいる、K君を見てもまた、同じように、一生懸命に走りまくる少年。

集会場に入ると、子供達が集まってきました。先日、紫会館でかき氷企画をしたときに、日本橋のSさん、MさんとFさんがかき氷のポスターを作成してくれていたので、仮設の入り口や、かき氷器に貼り付けます。

子供達は、はしゃぎまくり、なかなか言うことを聞いてくれません。そこで活躍したのが、芝のフォーゲルから来たIさんと、K君でした。Iさんは、テーブルに付きしっとりと優しく子供や、年配の人達と接していました。子供達に対して、「食事中は、静かにして」と話かけると、あらま、どうでしょう。ひそひそっと反省したようすで、外に出て行く彼ら。さすがフォーゲルの現役リーダーは接し方が自然で上手だなぁと関心してしまいました。またしばらくすると、「わぁ~~~」っと戻ってくるのですが(笑)そこで、子供達を一気に引き受けたのがK君、4~5名の子供達と一緒にチャンバラ?というか、叩かれたり、蹴られたりしていましたが、えらく打ち解けて遊んでいるK君。これもまた恐れ入りました。子供達との触れあいやアクティビティーに長けているフォーゲル隊員がここで役に立てる可能性を感じました。

Iさんのマッサージは大人気で、順番待ちが出来ていました。マッサージ・セラピストでもある私も、しばらく、マッサージのお手伝い。

※途中、かき氷器機を貸して下さったGet Backs(地元ボランティア団体)のWさんが容子を見にきて、嬉しそうにしていたのが嬉しく思います。

明日は、14名のボランティアが気仙沼を離れます。みなさん口々に、ここにきて沢山の事を経験し、活動し、その事に感謝にしていると語っていました。

「帰ってから、ここでの経験を、ここでの現実をみんなに伝えてください。帰ってから出来る事がたくさんあります。」そう締めくくられミーティングは終了しました。 

2011/08/30

現地報告

下記の内容は、2011.08.26の現地報告です。

報告日:2011.08.30
報告者:田中真人

3グループに分かれての活動。

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1.紫会館で、日本財団ロードプロジェクトの方々(9名)とかき氷+足湯の提供(フルタイム4名+午後2時から6名の計10名)

「地域の問題」

在宅避難者、避難所避難者、仮設住民の間に微妙な亀裂が入ってしまい、戻す事は無理だとか、難しいなどと聞くことがあります。先日、かき氷+足湯を仮設住宅で開催しました。今回は、紫会館避難所で行うことにより、地域の人達の交流を促せたらと思い活動しました。違う領域で生活している人達が同じ場所で空気を吸い、時間を共有する事で、自然と混ざり合っていけるような、そんな空間になることを願って。

13時〜16時の予定でしたが、終わり近くなっても人が来るわ、来るわ、特に学校帰りの子供達が大勢来てくれ最後は17時頃まで。。。。全体を通して子供から年配の方まで多くの人達に来てもらいました。紫会館で地域の人達が合わさって行く、温かい光景でした。日本橋のMさんは、「仮設住宅とは違う感覚でした、地元の人達にとって安心できる場所ができたのでは」と報告されました。

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2.ホテル一景閣(12名) 金光大阪の5名は帰郷の為、午前中のみ。桜口のS師ファミリー5名は2時までで、その後、紫会館のかき氷イベントに合流。

一景閣では、30枚ぐらいある畳を移動し、高圧洗浄。現地を初めて見られた方は、被害が大きすぎる、もっと首都圏からもボランティアが来るべきではないかと言っておられました。この方は、阪神大震災で教会が被災された方です。

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3.唐桑公民館での写真の保存活動(8名)

昨日25日の活動報告にあった設置したスキャナーを使っての活動。心を込めて、活動に当たらせてもらう。
ミーティングで「昨日、慣れてくると雑になってくると反省していたことを生かすことができた」、「話には聞いていたけれども、写真を見つけて帰られる人を見て、本当に嬉しかった」、「写真の大切さに気がついた」、などと涙ながらの報告がありました。

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我々は、毎日、ここで何かを吸収している、そんな気がしています。

現地報告

下記の内容は、2011.08.25の現地報告です。

報告日:2011.08.30
報告者:田中真人

この日は、ふたグループに別れての活動。
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一景閣へ3名
70名が避難された場所と思うと胸が痛くなると宇部東のS氏。この日はお風呂屋根の洗浄をしてカビも落としました。ホテルの入り口付近も綺麗になって会長さんも元気になるのではとも報告されました。
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私、田中は唐桑の公民館体育館へ。
金光大阪のT先生は4名の生徒を、桜口のS師は4名のお子さんと一緒に参加されました。それから、日本橋のT氏・学生寮のK氏・日本橋のKさん、Mさん、Fさ・水戸のYさん・大崎のKさん・青山のTさんの合計19名です。

8月18日に、レポートさせて頂いた写真のスキャンニングですが、スキャンの機器があるのにも関わらず、今まで箱に入れられたままで、使われた事がありませんでした。朝は、まず使われていない新品のコンピューターとスキャナーを箱から4台ずつ出し、テーブルを移動して活動ができる環境作りから始めました。

活動の流れは、3つに分けられました。
支援機構からは
1.写真の洗浄に二人
2.アルバム表紙の写真撮影に3名。
(アルバムの表紙に、アルバムが見つかった場所、管理番号が明記されており、そして本人が特定できるであろう写真がアルバムの上に貼り付けてある。それを手作りの専用撮影台を使いデジカメで撮影)
3.洗浄されてアルバムに入れられた写真を丁寧に取り出し、スキャンしてコンピューターに取り込み、再びアルバムに戻すという単純な内容です。スキャン組は2名一組で、4台のスキャンを担当し、後は、写真をアルバムから取り出す役と、スキャンが終わった写真をアルバムに戻す役です。

夜のミーティングで、「慣れてくると、少しでも多くの写真をとスピードが上がってきて雑に扱ってしまう自分に反省しています」、「大切な写真、丁寧にゆっくりと大切に扱わなくては。流れ作業ではダメ」、「雑に扱う事で、逆にその写真をダメにしてしまう事になる、心を込めて活動にあたらねば」、「ここでの活動を帰ってから人に伝えたい、写真を見ているとその人の人生を感じる」、「この写真の人は、今、無事でいるんだろうか」、時には、声につまり、涙を堪えながら、泣きながら当日の体験談をいくつも分かち合いました。
私は、あるコメントにガツンとノックアウトされました。「自分で本当に大切な写真だったらどう扱うだろうか。写真を両手で持つことにしました」。

私は、活動中に、ゆっくりで良いから丁寧にと何度となく言っていました。そんな私の行動は、心はどうだっただろう。丁寧ではあったかもしれない、でも心がちゃんと入っていただろうか。被災者の大切な写真を扱って活動していたのかもしれません。これを自分の物として受け止めさせて頂く事。ここに心を向けて行くことが大切なんだなぁ、と思います。また近い内に活動に参加させて頂きたい。
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あるにも関わらず、開封すらされなかったスキャナー。
人手が足りていなかった。しかし、この日、偶然(必然でしょうが)にも支援機構のボランティアが19名も体育館にはいる事によって、代表のTさんは、「よし!今しかない!」と背中を押されたようでした。
始まってしまえば、それは動き出す。
この日は、誰もが初めての活動だったので、ぎこちないし、問題点も出てきましたが、それをよい方向へ向けながら走り出しました。Tさんは、目に涙を溜めて本当に嬉しそうにしていたのが印象的でした。
「過去最高の人数がボランティアで来てくれた」とTさん、そして最後に集合写真を撮りたいと言われ、体育館の舞台に移動し撮影しました。新聞の記事にもありましたが、Tさんは、いちご農家をされている方でした。そしてすべてを、津波で流されてしまいました。現在は、市の雇用枠で気仙沼復興協会のスタッフとして活動されています。本日の活動は、Tさんを元気づける事にもなったと感じています。とても穏やかに話しをする人ですが、少し早口になって言葉に力が入り、涙目ながらも笑顔、そんな彼の姿が脳裏に焼き付いています。今後も、継続的に支援させて頂き、何が大切なのかということに心を向け、そしてその先にあるものを一緒に共有できたらと思っています。

学ぶ事が多い、そんな毎日が続いています。
ここに来なければ分からない、感じない、学べない事がたくさんあるなぁ、と私は思っています。

支援機構ボランティアは、門を空けてみなさんの参加をお待ちしています。



2011/08/28

現地報告

下記の内容は、2011.08.24の現地報告です。

報告日:2011.08.28
報告者:田中真人

本日は、五右衛門ヶ原で物資の配布に行ってきました。
参加は、支援機構ボランティア14名です。

午前中は、五右衛門ヶ原 テニスコート仮設住宅(25世帯)で、
午 後は、五右衛門ヶ原 運動場仮設住宅(170世帯)での配布です。

軽トラック市形式での配布で、前回と同様にテーブルを2台持って行きました。そして前回の仮設での報告に書かせて頂いたパイプハンガーを送付してくださった方がおられましたので早速使わせて頂きました。より楽しく、お買い物を楽しむような感覚で必要な洋服を選んで頂けたと思います。ありがとうございました。




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「仮設住宅の支援」

避難所を出ると、今までに受けていた物資の配布や、食事の提供も無くなります。仮設に入ったときから、自分で生きて行かなくてはならなくなるのです。いずれは自立して歩いていかなくてはならないにしても、光熱費も支払わなくてはいけなくなります。若くて、仕事がある方達に比べ仕事がなかったり年配の方達にとって辛い環境となります。

仮設住宅には、いろいろな地区からの人達が集まり生活をされている所で誰も知り合いがおらず、誰とも話す事なく一日を終える、そんな方達が大勢います。阪神大震災の時のように孤独死の問題にどう働きかけていくか考え、行動する必要があります。


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「物資の配布の狙いと理由は大きく分けて、下記の理由があると思っています」

1.住民の方が足りない物資を手に入れる事ができる
津波で流されてしまって何ももっていない人達がたくさんいるのです。

2.外に出る
・物資の配布により、何もする事なく家に閉じこもっていた方達が部屋から出て外の空気を吸う。
・人が集まる事によって他の住民と接点ができ、知り合いが出来る。それにより問題点を話し合うようになったり、愚痴を言ったりし、自分達で何とかしようエネルギーが生まれてくる。(集会場を使ってのイベントと同じですがその中から自治会発足を促す)孤独死の防止に繋げる。
・我々ボランティアとの関わり合いから、誰にも言えなかった事を表に出す機会ができる。(津波での体験等を話される方もいらっしゃいます。辛いことを少しでも吸い取らせて頂くことができると信じたい。)

3.物資を提供する人達
・被災地におらずとも何かをしたいという人達が大勢います。遠くにいてもそれをさせてもらえる事が喜びへと繋がっていくでしょう。
・忘れてはならない
物資の配布で一歩目を踏み出し被災地と関わり合うことによって2歩目が出てくる事もある。次第に忘れ去れていくかもしれないと言われる東北。しかし、少しでも多くの方に関わってもらう事によって、被災地と心が繋がり続けていくのではないでしょうか。

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自治会発足に繋がるかもしれないような出来事もありました。
こちらは、また後日報告させて頂きます。

現地報告

下記の内容は、2011.08.22の現地報告です。

報告日:2011.08.28
報告者:田中真人

一景閣の活動へ宇部東のSさん、早島のIさん、気仙沼のTさん3名が行きお風呂などの洗浄を行ないました。

それ以外のボランティアは、唐桑の公民館体育館へ行き、写真の洗浄とアルバムの表紙を作成する活動のお手伝いさせて頂きました。夜のミーティングで、活動者より、「取りに来て写真を見つけて帰って行く方を見かけて、心から嬉しかった」、「写真って、大切な物だと心から思う、めったに見ないけど帰ったら自分のアルバムを見たい」、「家族が成長していく様子が分かる、この写真達が持ち主に届いて欲しい」と目に涙を浮かべながらの報告がありました。

最近の写真は、コーティングがしっかりされていて水につけても落ちにくいのですが、昔の古い物は、写真のコーティングの部分に馬の油を使っているそうで(私の聞いた記憶が正しければ)、海水に浸かったことでバクテリアが繁殖して泥を落とそうとすると、画像自体がぬるっと落ちて消えてしまうことがあると担当者の方が教えてくれました。場合によっては、自分の指で写真を消してしまうこともあるそうです。ボランティアは、その辛さも口にしていました。

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熱田のKさんから次のような話を相談されました。写真で模様のようになってしまい、何が映っていたのか分からない物は、供養という形で燃やします。そしてアーティストを目指している彼は、その写真を使って個展をしたい。なぜなら、「死んでしまう、この写真達に違う形で命を吹き込み生かしたい。そして、より多くの人に東北での事を知って欲しい。」なんとかならない物かと。

この話を後日、気仙沼復興協会の方にお話した所、非常に乗り気でありました。本部の方達と話し会われてから、お返事を下さる事になっています。

現地報告

下記の内容は、2011.08.21の現地報告です。

報告日:2011.08.28
報告者:田中真人
天 候:曇りのち雨

本日は、「気仙沼はまらいんや祭り」の運営をお手伝いするボランティア活動に参加させて頂きました。会場は、お教会の坂の上にある気仙沼小学校です。支援機構からは16名でお手伝いで参加させて頂きました。 

※昨日(20日)は、17時から気仙沼小学校で25張りのテント設営のお手伝いをしました。広い小学校の校庭の中央に舞台が設置されており、それをぐるっと囲むように4面にテントを設置し巨大なイベントスペースが出来上がりました。人数は40名程いたと思うのですが、2時間以上かかりました。

21日のお祭り当日朝7時前から、お教会の奥様先生と、早島のI氏、銀座のZさん(最初の200個迄)、東京のHさん(400個迄は参加)、東セ・西山先生(前半と後半の計400個に参加)は、合計600個のおにぎり作りのお手伝い。
私は、学生寮のK氏、そして南町青年会のSさんと、Oさんのお二人と一緒に岡本製氷に行き、高さ1mの氷柱を20本トラックに積み、そして小学校のテントの前に下ろして行きました。(暑さ対策と雰囲気作り)はさみと呼ばれる氷を挟む工具を貸してもらいましたが、なんせ重量がありますから、苦労しました。一個目の氷を下ろしたときは、みんなで「おぉ〜〜〜!っという歓声と拍手がおこりました。

このお祭りの主催は、気仙沼南町柏崎商店、弁天連、気楽会、仲町商店街、活性集団「絆」、頑張れ宮城実行隊/Good Medicine Japan(GMJ)です。

祭りの目的は
1,気仙沼の子供たち、被災者を元気にする
2,気仙沼商店街、地場産業の復興を支援する。
3,東京からの若者を被災地へ連れていき、今後の支援活動への意気高揚につなげる

会場にはコロッケの移動販売車や、もつ煮、おにぎり、巻き寿司、フランクフルト、流しそうめんその他、大勢の屋台が出ました。南町から出店されたお店については、無料でお配りするのですが、出た分の料金をカウントして、その金額をGMJから、その店舗に提供する形式が取られていました。
GMJの呼びかけで、東京からのボランティアは125名。(貸し切りのバスで朝6時に気仙沼へ到着し、夕方4時には東京へ出発)彼らは、このお祭りの企画運営に大きく関わっているグループです。

当日は、インカムを使って、会場のコントロールをしていました。そして、遊び場の提供をし、水風船、ヨーヨー、凧作成、絵画、射的、写真(プロのカメラマンが撮影し、その場でお渡し)コーナーが設置されました。
子供達の笑顔がまぶしかった。しかし、それと同じぐらい大人達の笑顔がありました。私達、金光教ボランティアは、南町のテントに入り、紫会館のCさんから配られたはっぴを着せて頂きました。

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お祭りのイベント詳細
1,はまらいんや踊り
(毎年、気仙沼みなと祭りでは定番の踊り。例年は、各団体、企業チームが事前から練習して参加。今回は、祭りのメインとクライマックスで。)
2,弁天連神輿
(気仙沼小学校から出発して、商店街、被災地を練り歩き、再び小学校に戻る)
3,八幡太鼓
(神輿の前に、演奏を開始。その後も、小学校校庭で演奏を継続)
4,その他、(歌手による歌や、ギター演奏など、、、、、)
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設営準備と撤収では大いに力を発揮させて頂いたと思うのですが、お祭りの最中は、割と自由に動く事ができて、南町のみなさんと一緒に行動させて頂きました。はまらいんや踊りを校庭に円を作ってみなさんと踊った事、そして紫会館避難所のリーダーCさんの勧めでかつがせて頂いた神輿の重さ、迫力も忘れる事ができない記憶となるでしょう。

お祭りもクライマックス近くなってきた時に再びはまらいんや踊り、涼しい気候でしたが、しっかりと汗をかきながら踊っていました、すると避難所リーダーのCさんが自分達を手招きして呼んでいます。紫会館の方達と、われわれ金光教で一緒に記念撮影を撮ろうと言うのです。プロのカメラマンに撮影して頂きました。出来上がりを見るのが楽しみです。

紫会館を始め、南町の方達と、どんどん距離が近くなっていく。それをはっきりと感じました。避難所、仮設住宅に住まわれている方、在宅で生活されている方達の間で溝があると言われますが、本日はその方達が時を共有できた一日となったように思います。今後も、こういった出会いを大切にしていきたいと思います。

※自治会長のSさんから伺った話です。「金光さんは、ボランティアをよくやってるなぁって思ってたけど、まさかここまでとは思わなかった。」会長さんは、笑顔でしたが少し興奮したような話しぶりで何度か繰り返しお話されていました。

2011/08/21

現地報告

下記の内容は、2011.08.19の現地報告です。

報告日:2011.08.21
報告者:田中真人

本日は、支援機構として初めての仮設住宅集会場でのイベントをさせて頂きました。メンバーは、私田中、お教会の奥様先生、辻井先生、宇部東のS氏、早島のI氏、成城のNさん、学生寮のK君、銀座のZ氏、鶴見のN君、大崎のM氏、中野のS氏、所沢のH君、熱田のS君の合計13名。

先日の報告でもお知らせしましたが、日本財団のロードプロジェクトをしている方達との合同での開催でした。我々は、かき氷の提供、日本財団は、足湯の提供を住民の方達にさせて頂きました。

開催した場所は、五右衛門ヶ原の仮設住宅。いくつかの場所に別れて建設されており、すべて完成すると300戸になるマンモス急の仮設エリアになります(先日400戸とお知らせしましたが、どうも300戸が正しい数のようです)。この仮設住宅は、市の中心部から車で20分も離れており、問題視されている場所。
河北新報の記事
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110819_01.htm

現在は、テニスコート用地(25戸)と、運動場(170戸)の2箇所のみが完成しています。
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午前10時〜12時はテニスコート用地の仮設集会場でかき氷を開催しました。
参加された仮設住民の方は6名で、またその方を訪ねてきた方2名の計8名の方に来て頂きました。震災にあって命からがら逃げ伸びた事や、両隣に住んでいた方が津波にさらわれてしまった話、津波から生き延びてから、今度は火災によって生命の危機にさらされ、「死を覚悟しました。あぁ〜、あの火がやってきたら命はないと思った。でも死ぬことを怖いとは思わなかった。」とお話された女性の話は胸に詰まる思いでした。次から次へと話が出てきて、止まることがありません。鹿折地区に住まわれていた方でしたが、「みんな津波が来るとは思わなかった。」とも話していました。「防潮堤ができた事だし、これで津波は来る事はないと思った。」と。来ていた男性は、「やっぱり地震がきたらまず、高台へ逃げなくてはならない。津波が来なくて、無駄だと思うやつもいるかもしれないけど、逃げないといけない。」とも語っておられました。

仮設住民の方は、市の中心部まで離れているので買い物に大変ご苦労されますし、バス代は片道270〜400円、つまり往復すると540円から800円になるそうです。料金が高いので、めったに外にでず、気がおかしくなるとも言っていました。“お買い物送迎ボランティア”といった物も必要な場所だと思いました。(ワゴン車などで、仮設住民をスーパー等にお連れするボランティア活動で、買い物をすると言うことはもとより、外に出ることで新鮮な空気を吸う、リフレッシュできるといった効果があります)。我々で出来たら良いのですが、、、

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午後は、運動場の仮設住宅でかき氷提供+足湯を提供させて頂きました。来られた方に、お名前を書いて頂きました。リスト上では50名ですが、子供の数や、記入していない人の数をいれるともう少し多くなります。

仮設集会場は玄関を入って左手にトイレや、お風呂があり、右手に巨大集会場スペースがあります。こちらのスペースに入って、左手前に、教会から持って行ったテーブルを置き、その上にかき氷を作る機械を設置。部屋の奥に足湯のスペースをもうけ、一度に3名まで足湯を楽しむことができます。足湯といっても、ただ足を桶に入れているのではなく、ボランティアからハンド・マッサージを受ける事が出来ます。そして部屋の中央に、テーブルを4つ置き、お茶のスペースをもうけ、そこで足湯を待ちながら談笑する人、かき氷を食べてもらったり、お茶したりするスペースをもうけました。(つまり部屋に入って手前がかき氷スペース、中央がお茶のみくつろぎスペース、一番奥が、足湯スペースです)
子供も、10名程でしょうか、大勢集まって、、ストラックアウト(的抜き)や、風船で遊んだりと子供達も楽しい時間を過ごしているようでした。途中から気仙沼復興協会のTさんも来られ今後はもっと、情報を共有できたら良いと話し合いました。しかし、開催中に地震があり、揺れも長かったので、その間張り詰めて空気が流れました。「揺れが止まってから、小学生低学年の子供が自転車に飛び乗り、津波注意報のサイレンの音が聞こえる方に、全力で走っていきました。そして戻ってくると、「悲しいなぁ〜」と言っていた。」と夜のミーティングで聞きました。この震災が子供達に与える影響は計り知れないと感じています。

今後も、継続的に仮設住宅に足を運ばせて頂きたいと思っています。

夜のミーティングで、仮設住宅の話があがった時に中野のSさんが涙をこらえていたのがとても印象的でした。

2011/08/19

現地報告

下記の内容は、2011.08.18の現地報告です。

報告日:2011.08.18
報告者:田中真人
天 候:雲のち雨  少し肌寒い

本日は、ボランティアセンターと一景閣、の2グループに別れて活動させて頂きました。

ボランティアセンターへは、私の友人のM氏、中野のS氏、所沢のH氏、熱田のS氏の計4名が行きました。民家に派遣され床板剥がしをし、中に溜まった泥カキをしたとの事ですが、泥は堅くなっていたようでありました。行かれた方達は、休憩の時に民家の方達といろいろと話ができ、その交流を大変喜んでいました。

一景閣グループは、辻井先生、宇部東のSさん、学生寮のKさん、銀座のZ氏、鶴見のN氏と私の6名で活動。洗浄機を使い、床の洗浄や、3階、4階のお部屋の清掃。

宇部東のS氏がホテルの会長と話された内容ですと、電気が入るのは、1ヶ月後である為、信徒部が来る今月末の宿泊は難しいかもしれない(後日、交渉する)、ホテルは食事のサービスを行わないビジネスホテルになるかもしれないそうです。

私は、一景閣で洗浄機を使った活動を昼までさせて頂き、お昼のおにぎりを頂いてから唐桑公民館・体育館に行きました。昨日、一景閣で見つかった遺灰と写真をお持ちしました。この体育館では、個人宅やその他さまざまな場所で見つかった写真や、遺灰を洗浄、保管している所なのです。当支援機構としても、何度も活動させて頂いている場所です。

かつて体育館には、床に写真や見つかった物達が、ずらぁ〜〜〜〜っとならんでいましたが、現在は、写真をおくスペースに工夫を凝らしてあり、見つかった地域ごとに保管スペースをわけていたり、ラックに貼り付けてあったりと、とても見やすくなっています。

それから、変わったことは、以前は、なくした物を探しにきた方は、勝手に探していたのですが、今は、ボランティアスタッフが付き、会話をしながら一緒に探しています。

これは、先日、集会場に伺ったときの話ですが、ご紹介させて頂きます。

無くした物を探しにくるには、集約されるこの場所に来なくてはならず、遠方で足を運べない方も大勢します。


今、新しい流れがあります。かつては、支所が担当した活動でしたが、今は、唐桑で活躍しているKRA(気仙沼復興協会)が中心となって活動しています。洗浄した写真をスキャニング、遺灰などを撮影してコンピューターの中に保管するのです。そしてネットワークを繋いで配信し、それを探す事ができるようになります。コンピューターを避難所や、仮設住宅に提供し、そこで探す事ができる。それも、勝手にコンピューターを使って検索してもらうのでは無く、一緒に検索する要員を置きたいと担当者の方は、話されていました。一緒に、探していく内にコミュニケーションも生まれてくるという、心の支援を考えておられる事に感動致しました。この新しい活動によってより多くの方達が無くしたものを見つける事ができるようになるかもしれない。

しかし、見つからない事の方が多いかもしれない、でも、きっとその活動を通して何かを見つけていかれる人達も多いことでしょう

私達は、気がついてきたように思います。どんな活動もそれは心の支援に繋がっていくのだと。そうなのではないかと。作業的に物を渡したり、行動したりするのでは、なく、その先には、常に人がいる。胸を痛め苦しんでおられる方達が大勢いる。私達は、何ができるだろうか。お互いに、常に考え続けて行く必要があるのではないでしょうか。

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それから唐桑小学校仮設の自治会長さんにお会いし、冬の暖房についてお話を伺ってきました。他の自治会長さんや、住民の方にお話を伺ってから情報を共有できたらと思います。

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最後に、明日のかき氷企画で使う、シロップや、スプーンストロー、カップなどを購入しました。明日は、支援機構としては初の仮設集会場を使っての活動「氷企画」、どんな一日になるでしょうか。どうか住民の方達と心を通い合わせる事ができますように。

2011/08/18

現地報告


下記の内容は、2011.08.17の現地報告です。

報告日:2011.08.18
報告者:田中真人
天 候:晴 まだまだ暑い

私は、基本的にみなさんとは別行動の一日となりました。

一景閣へドライバーとして3名の送り届け。それから市役所に行き“五右衛門が原”の仮設住宅の集会場の鍵を借りれるよう交渉してきました。明日(19日)、集会所を開けて、かき氷の提供を企画していたのですが、実行出来る事になりました。地元の方から、電動のかき氷機をお借り出来る事になったのです。

そこで、日本財団の気仙沼アーカイブ(ロード・プロジェクト)の企画をしている方達が足湯を定期的に開催しているので、合同でやらないかと話を持ちかけましたところ、快く了解してくださいました。明日は、仮設住民の方達にかき氷+足湯でみなさんに寛いだ空間を提供できたらと思います。尚、気仙沼復興協会(KRA)が仮設集会場のイベントを始めたとの情報を耳にしましたので、福祉部の方に連絡し、よければ顔を出してみて欲しいとお声かけしています。今後、一緒に情報を共有しながら活動させてもらえたらと思います。

※かき氷を作る機械を提供して欲しいという件ですが、こちらでお借り出来る事になりました。皆様のご協力に大変感謝しています。ありがとうございました。

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夕方15時30分より地元NPOのネットワークオレンジで代表の方+事務局の方、SVAのSさんと、岡山の社会福祉法人Tさんに会って話を聞いてきました。いろいろな方の話を聞かせて頂くことができて本当に勉強になります。

夜のミーティングでは、最初から最後まで、いつくかの議題があがり、真剣に議論をしあう事もありました。その中で、支援物資再開についての議題もあり、奥原先生を始めSさん、辻井先生その他、全員が支援物資再開に賛成でありました。

それは、ここしばらく支援物資の配布に伺った時の、仮設住宅の反応、我々ボランティアの反応、それをダイレクトに感じているからだと思います。前に、来られた、亀有のS師の言葉が思い出されます。「今までで、一番心が躍動した」。学生寮の方達も「いままでに聞いた事無いような話を聞かせて頂いた」、「みんなの心を解放させて頂くことができる場所である」、「こんなに支援物資配布で喜んで頂けるとは思わなかった」など、さまざまな話を聞いてきました。

仮設住宅建設は、まだまだ続きます。五右衛門が原の地区でも、170軒+30軒程(直ぐ近くですが別の場所に建設)の仮設は完成していますが、さらに200軒が建設中です。支援の必要性はまだまだ続くでしょう。皆さんは、支援物資再開についてどうお考えでしょうか?現地からの必要だという声を受け止めて頂けたら幸いです。

現地報告


下記の内容は、2011.08.17の現地報告です。

報告日:2011.08.18
報告者:辻井篤生
天 候:曇り時々雨

17日は、機構ボランティアも休みということでしたが、短期間で17日夜に帰る方もあり、日本橋教会H氏男性、中野教会S氏男性、田中真人氏の友人M氏の3人は、終日ホテル一景閣の清掃作業を行いました。

私と宇部東教会S氏男性、銀座教会Z氏女性、早島教会I氏女性、所沢教会H氏男性、熱田教会S氏男性、鶴見教会N氏男性、東京学生寮K氏男性の8名は、釜石市防潮堤付近、大船渡市中心街、陸前高田市一本松付近、北側防波堤付近等を見学しました。気仙沼市も決して進んでいるとはいえませんが、やはり北へ行くほど進んでない印象でした。特に釜石市防潮堤付近は凄惨な風景がそのまま残っていました。

現地報告


下記の内容は、2011.08.16の現地報告です。

報告日:2011.08.17
報告者:田中真人
天 候:曇りのち晴れ、一時雨

昨日は、2グループに分かれ、一景閣と気仙沼小学校での活動でした。

一景閣グループは、宇部東のSさん、学生寮のKさん、鶴見のNさん、所沢のHさんの4名での活動でした。トイレや、1階も綺麗になって、その活動内容から充実感を得ているようでありました。

気仙沼小学校グループは、ドリームティーチャー・プロジェクト第一弾の警備と会場の運営のお手伝いをしました。(楽しみながらやってくださいとの事でしたので、イベントも見せて頂く事もできました)講師として、SMAPの香取慎吾がよばれていました。未来を担う子供達に伝えたい、学んで欲しいことがあるというコンセプトで開催されたもので、地元の気楽会が主催でした。この様子は、三陸新放や、Mスタで放映されたようです。夢は諦めなければ絶対に叶うというメッセージが発信されていました。お手伝いとして、栃木ボランティア、RQと金光教ボランティアが参加させて頂きました。参加は、私を含め、気仙沼教会のご長男Mさん、銀座のZさん、大崎のMさん、中野のSさん、日本橋のHさん、熱田のSさんの計7名でした。 地元主導でこういった企画が実行されるようになった事を心から嬉しく思います。私達は、その横でそっとサポートできたらと思います。

2011/08/16

現地報告

下記の内容は、2011.08.15の現地報告です。

報告日:2011.08.16
報告者:田中真人
天 候:晴れ  暑(夕方から少し雨)

気仙沼中学校仮設での物資配布と、一京閣での清掃活動との2グループに別れて活動。
どちらのグループも汗だくです。

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一京閣グループは、6名(宇部東のSさん、日本橋のIさん、常盤台のNさん、学生寮のK君、鶴見教会のN君、大崎のMさん)での活動、洗浄器や、ブラシを使って2階キッチンの洗浄とトイレの清掃をされました。(私達も午後から合流しました)休憩を取っているとホテルのオーナーと奥様が見えました。奥様は、ホテルの中を見て、「まぁ~、綺麗になりましたねぇ」と明るい表情をされました。震災があってからこのホテルに足を運ぶのも苦痛に感じる、そんな日々が続いていたようでしたが、あの明るい表情から、このホテルでの活動が心にも響いている支援である事も感じました。完全にやる気をなくしていた会長さんがまた再びやる気になった事も嬉しいかぎりです。

活動が終わってから、陸前高田へ5名お連れしたのですが、帰りがけに通過した鹿折地区で副市長を連れているあるNPOの代表を見つけ、車を降りて話をしていると、一京閣の話になり、「やる気をなくしていたホテルの会長さんが、なぜか、急にやる気をだしちゃってね、そーか、そーいう事だったのか」(※金光教の支援機構が活動している事を話させて頂き、この活動が心の支援でもある事を話させて頂いた為)。何度もありがとうねぇ、そうなんだよねぇ、と、嬉しそうな顔で言って下さいました。

昨日は、市長さんから、会長さんへ電話が入り、ライフラインが整っていないホテルの地区に手を入れていくとおっしゃっていたそうです。今後の展開が楽しみです。

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*物資の配布グループは(気仙沼教会のご長男Mさん、早島のIさん、常盤台のYさんに私との4名で行ってきました。トラック市形式の物資配布でしたが、今回は、テーブルを2つ持って行き、そちらにも衣類関係を並べました。前夜のMeetingで提案があったのです。これは、大正解であり、次回の配布時もテーブルを持って行くことにしました。
それから、もしあれば、洋服を掛ける折りたたみ式のパイプがあると、なお、いいと思います。もっと楽しみながら衣類を選んで頂けるでしょう。どなたか、提供して下さる方があると嬉しいです。 持っていった8箱(24本入り)のペットボトルの水は、15分もしないうちに無くなりました。行列ができこれには、驚きました。私が、初めてこの仮設に訪れたのは、7月13日でしたが、その時にお会いした方が私を覚えて下さっていて、陽気に話しかけてくれてありがたかったです。この方に、池田さんがマッサージをする事になりました。ここの仮設住宅には、敷地内に集会場はありません。すぐ下にある別の仮設住宅の集会場を使用する事ができるようになっています。しかし、他の場所にある集会場を使う事に気が引ける、敷地内に欲しいと言う声を聞きました。

昨日は、男性用の衣類とお米、介護用のパンツが欲しいとニーズを聞いてきました。

配布は、午前中で終わりましたので、午後からは、Mさん、Iさん、私とお昼に気仙沼へ到着された、中野のSさんと、日本橋のHさんの計5名で一京閣へ合流し活動してきました。内容としては、3階にあるお部屋のお掃除です。ハエの死骸で部屋は埋め尽くされていましたが、綺麗にお掃除させて頂きました。3階より上は、海水が入っていないので、清掃すれば、泊まれるようになるのではないでしょうか。現実的に可能かどうかは、まだ分かりませんが8月末に見える信徒部の方達の宿泊先とできるのではないかと話会われました。

2011/08/15

現地報告

下記の内容は、2011.08.14の現地報告です。

報告日:2011.08.15
報告者:田中真人

8月14日 活動報告2

辻井先生から報告がありましたように2グループにわけての活動でした。一昨日の夜、ひょんな事から、24本入りの箱(ミネラルウォーターと、スポーツドリンク)30箱ほど頂きましたので、こちらを月立地区にある仮設住宅に他の物資と共にお持ちし10名で、軽トラック市形式の配布をしてきました。

バケツ2つに氷と、水をいれ、冷やしたペットボトルをお渡ししてきました。住民の方の反応は、非常に大きく。この場所では、4度目の開催になります。「あぁ〜、また来てくれたの!」とか、「また来てね!」と嬉しい言葉をたくさん頂きました。何度も足を運ぶ事によって生まれる人間関係を感じます。いつも軽トラック市を開催しているので、「また、あの軽トラックだ」と、安心感とでもいうのでしょうか、そんな事を感じてもらえていると嬉しいです。初めて、この仮設に行った時に言われた「どうせ、もう、来ないんでしょ」などと言われる事は無くなりました。少しづつ仮設の雰囲気が変わってきているのを感じることがあります。

まだ、入居がはじまって3週間ほどの仮設ですが、今後、仮設集会場を使ったお茶会や、コミュニティー支援の企画を考えており、こちらの会が自治会の発足のきっかけになればなと思います。一度のイベントでは無く、継続的に関わらせて頂く必要があるでしょう。

暑い毎日が続きます。昨日、“かき氷の提供”という案が上がりまして、かき氷を作る機械を貸して頂けないか、奥様先生がご近所の方に聞いて下さる事になりました。

2011/08/14

現地報告

下記の内容は、2011.08.14の現地報告です。

報告日:2011.08.14
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ

14日は、2つのグルーブに分かれての活動でした。宇部東教会Sグルーブは、私と常盤台教会Y氏男性、所沢教会H氏男性、大崎教会N氏男性、鶴見教会N氏男性、気仙沼教会O氏男性、東京学生寮K氏男性の8名で、ホテル一景閣二階厨房の高圧洗浄、清掃、一階の電気配線コードの切断破棄等の作業を行いました。

現地報告

下記の内容は、2011.08.13の現地報告です。

報告日:2011.08.14
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ

13日、宇部東教会Sグルーブは、成城教会I氏男性、東京学生寮のI氏と3人で、ホテル一景閣に水道が一部復旧したことにより、清掃のための排水が可能かどうかの確認を行いました。結果排水は可能とのことでした。午後からは、田中真人グルーブに加わりました。
田中真人氏グループは、私と千住教会O氏夫妻、中野教会H氏男性、大崎教会N氏男性、M氏男性、N氏男性、国際センターK氏男性、学生寮K氏男性、小野教会A氏男性、鶴見教会N氏男性、午後からのを併せて総勢14名が、昨日に引き続き、気仙沼小学校校庭で行われる復活祭の警備のボランティアに携わりました。
途中、田中真人氏は、今後の仮設住宅支援の在り方について、シャンティボランティア会スタッフとの懇談を紫会館で行いました。

2011/08/13

現地報告

下記の内容は、2011.08.12の現地報告です。

報告日:2011.08.13
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ

12日もおおよそ3グループに分かれての活動でした。
辻井グループは、教会ご家族友人3人(男性2、女性1)、大崎教会W大崎教会W氏女性、O氏女性、U氏男性、H氏男性、国際センターK氏男性、学生寮K氏男性、I氏男性の8名女性、O氏女性、U氏男性、H氏男性、N氏男性、成城教会I氏男性、小野教会A氏男性、鶴見教会N氏男性、本日朝到着の大崎教会N氏男性、M氏男性、国際センターK氏男性、学生寮K氏男性、I氏男、総勢18名が、気仙沼小学校校庭で行われる復活祭の警備のボランティア活動をおこないました。
小学校外周の巡回パトロール、通行止めによる車の誘導等の交通整理を終日行いました。
本日も、ボランティアの人数が増え、ミーティング(活動報告、反省、翌日の活動内容確認、振分け)の場所がお教会では入りきらず、昨日に続いて、8時から南町の方や町会へのお客さんも加わり、紫会館で行いました。昨日よりさらに人数が増え、40人近くの大懇親会となりました。

現地報告

下記の内容は、2011.08.11の現地報告です。

報告日:2011.08.13
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ

11日もおおよそ3グループに分かれての活動でした。
辻井グループは、大崎教会W氏女性、O氏女性、U氏男性、H氏男性、国際センターK氏男性、学生寮K氏男性、I氏男性の8名は、午前中「ネットワークオレンジ」でのイベントの手伝い、午後からは陸前高田市、大船渡市三陸町をまわりました。
夜は、教会ご家族友人らを含め、ボランティアの人数が20名をこえたこともあり、8時から紫会館で南町の避難者の皆様と共に35人ほどが集まり、懇親を深めました。

2011/08/11

現地報告

下記の内容は、2011.08.10の現地報告です。

報告日:2011.08.11
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ(暑い)


本日は、S氏と田中真人氏と、それぞれ活動されました。そちらのほうは、真人氏の方からまた報告があると思います。ただ、11日から始まる復活祭もあり、大勢のボランティアの受け入れ、手配、案内、紫自治会との諸関係等で超多忙のために、まとめての報告となるようです。

さて、私と早島教会Iさん、鶴見教会Nさん、国際センターのKさん、学生寮のKさん、Iさんの6名は、9日にも入った五右衛門ヶ原仮設住宅に行きました。
早島教会Iさんはマッサージの資格を持ち、昨日ある方と約束されたとのことで、9時から3時頃まで、4軒5人の方のマッサージをしながら交流を深められました。
その他5名は、教会にある支援物資や避難所の物資をできるだけ軽トラに積みこみ、今日もトラック市をしました。
軽トラの荷台に衣服を並べ、ダンボールを机として文房具や食器を並べ始めると、近くの方が寄ってこられ、「昨日も来たお兄ちゃんだね、暑いのにありがたいね」とすぐに出てこられました。各部屋にお声がけを始めると、大勢の方にお集まり頂きました。皆さん思い思いに必要なものを選ばれ、両手に抱えて満面の笑みで「ありがとう」と本当に感謝しているという表情、態度を目一杯現され、それぞれお部屋に帰られました。こちらも嬉しい気持ちで一杯になりました。「何か足りないものはありませんか」と情報収集にも努めました。
12時15分くらいから昼食、その後「ネットワークオレンジ」のイベントの準備を午後5時まで行いました。内容は、笹への飾り付け、ようようの制作、風船膨らまし、配布物の袋詰め、会場の設営等でありました。

2011/08/09

現地報告

下記の内容は、2011.08.09の現地報告です。

報告日:2011.08.09
報告者:田中真人
天 候:晴れ(天気予報によると最高気温は33度)


辻井先生が報告されたように本日は、3班に分かれて活動させて頂きました。
私は、炎天下の中、昼前まで、Nさん(男性/ 鶴見)・Iさん(女性/早島)と新月地区にある仮設住宅で支援物資の配布をさせて頂きました。前回と同じ、軽トラック市形式で行いました。今回は、山のような量のタオルと、衣類が多かったのですが、住民の方達に喜ばれながらもらわれていきました。

ある男性と、しばらくお話させて頂きました。彼は、こう話し始めました「みんな、流されてしまった、家も、女房も、娘もみんな波に流されてしまって、、、、一人になってしまった、、、、、」。私は、ただ、聞くことしかできませんでした。

その後に以前、会ったことのある、中学生の女の子に話しかけられました。鹿折地区にある仮設住宅で“花の寄せ植えボランティア”に来ていた女の子でした。母親と知り合いの方を訪ねて来ていたそうですが、彼女の笑顔に心が救われました。

Iさんは、住民の方との会話から、明日、マッサージに行くことになり思いがけない形で、支援の輪が広がりました。住民の方から、冷たい飲み物の差し入れや、アイス、スイカなどを頂いてしまいましたが、和やかな雰囲気で交流させて頂いてとてもありがたく思いました。

午後は、お教会の奥様先生も混ざり、地元NOのネットワーク・オレンジで11日から始まる復活祭イベントのお手伝いをさせて頂きました。(テーブルや、椅子の搬入と拭き掃除・イベント当日に配るお菓子の袋詰め)

みなさんの心に灯がともされるような復活祭になる事を祈りながら活動させて頂いています。

現地報告

下記の内容は、2011.08.09の現地報告です。

報告日:2011.08.09
報告者:辻井篤生
天 候:晴れ

本日もSさんと辻井グループと田中グループに分かれて作業しました。
田中グループの方は、真人氏から報告があります。
Sさんは、ボランティアハウスのお掃除や布団、シーツ、タオル干しをされました。
辻井グループは、国際センターK氏と学生寮のK君とI君の4名で、大島でのボランティアを目指し、早めにボラセンに向かいましたが、ギリギリのところで締め切られました。大島でのボランティアは、先着14名だそうです。
その後通常の受付を済ませ、今日は港町の酒屋さんでのボランティアでした。午前中は地下に溜まっていたへどろ出しやお酒やケースを運び出しました。
午後からは二階の高圧洗浄作業を行いました。高圧洗浄は、K君が酒屋のご主人と一緒になったグループのリーダーに進言して、ボランティア機構の洗浄器で行い、大変喜ばれました。

2011/08/08

現地報告

下記の内容は、2011.08.08の現地報告です。

報告日:2011.08.08
報告者:辻井篤生

本日も、二グループに別れての作業となりました。
まず、今日でお帰りになる東京教会のWさんを御祈念後、田中真人氏が鹿折を案内しました。
朝食後、S氏と学生寮のK君、I君の三名は、昨日のボラセンを通して入ったお家の高圧洗浄作業を行いました。
私と田中真人氏と東京教会のWさん、国際センターK君.鶴見教会Nさんの5名は、本日のボランティア開始時間まで時間があるので、真人氏運転で陸前高田市まで行きました。
田中真人氏は、その後ボラセンでの「気仙沼市とその支援団体との懇談会 第一回 分科会 仮設住宅団地支援」の会議に出席しました。主に仮設住宅の現状や支援事業、支援体制の整備が議題とのことでありました。
私と東京教会のWさん、国際センターK君.鶴見教会N氏と早島教会のIさんの5名は.気仙沼市役所の通りにある地元NPO法人「ネットワークオレンジ」が11日から13日までの気仙沼復活祭時に開催する「気仙沼マルシェ」というイベントの準備を手伝いました。このイベントには南町の5店舗が出店します。
お手伝いの作業内容は、飾り付用の七夕飾りの作成や、当日配布するお菓子や、団体の簡単な説明、キャラクターが入ったチラシの袋詰めを当法人が支援している10名ほどの障害者の子どもたちと一緒に作業をさせて頂きました。

2011/08/07

現地報告

下記の内容は、2011.08.07の現地報告です。

報告日:2011.08.07
報告者:田中真人

8月7日(日)  天候/ 晴れ  暑い

本日も二チームに分かれて活動。

辻井先生、I氏、K氏(国際センター)と私の4名は、紫会館避難所で“浴衣、甚平、帯、下駄や、草履、うちわ、巾着、シュシュ、アクセサリー“の配布させて頂きました。これは、宇部東のI氏が集めて現地から送付された物で、会館にテーブルを広げてフリーマーケットスタイルで行いました。浴衣だけでも150着を越えます。仮設住宅から、在宅避難されている方と大勢の方が見えました。子供さん達も見えて、その子供達との交流も非常にありがたい気持ちになりました。

私は、昼の間に、ボランティアセンターへ抜けて、昼食を食べながらの意見交換会に参加させて頂きました。枝野官房長官や、辻元清美総理大臣補佐官等の政府関係者を始め、多くの方が参加されました。政府関係者一行様は、泥だしの現場、仮設住宅、魚市場、廃棄物処理場など多くの場所を訪れています。意見交換官は、40分程と決して長いものではありませんでしたが、今後の活動にとって各団体とコミュニケーションを取るために良いきっかけになったように思います。

S氏(宇部東)・W氏(東京)・Nさん(鶴見)・学生寮のIさんと、Kさんの5名は、ボランティアセンターで活動。波路上の被災者のお宅で、床下の泥だし・瓦礫撤去の作業をさせて頂きました。今回初めて泥だしの作業をされたNさんは、作業中に腕時計・靴・写真などを見つけ、被災者の生活観を感じとりながら被災者の痛みをわかち合えるように作業に取り組まれたとの事です。また、作業の途中で枝野官房長官と辻本氏が視察に訪れました。明日は引き続き家主の方から依頼を受け、高圧洗浄をさせて頂く予定です。

現地報告

下記の内容は、2011.08.06の現地報告です。

報告日:2011.08.07
報告者:田中真人

8月6日(土)  天候:晴/暑 (日差し強)さらに日に焼ける

昨日は、学生寮のKさん、亀有教会のS師はボランティアセンターから民家での清掃活動。
6月末にこちらで活動経験のあるS師は、「あの時と比べ活動内容が、泥カキの肉体作業から、生活支援や、ヘルパー的な要素のある物に変わってきているのを感じます」と言っておられました。

私と、学生寮のHさん・Hさん・鶴見教会のNさんの計4名は、午前中に唐桑地区の仮設住宅を2箇所と、公民館体育館を周り、午後は、気仙沼の仮設でごく少量ですが、物資の配布をさせ頂きました。学生寮のお二人は、今朝出発の支援機構便にて東京へ発たれました。お二人は、次のように言っていました。「学生会に出席される為に帰らなくてはいけないが、学生会が無ければ、もっとこちらにいたかった」。お二人には、ここでの経験を多くの方達と共有してくださる事を願います。 

夜、偶然に、被災されたあるBarのご主人と会いました。以前は、紫会館に避難されていたのですが、今は、被災したBarの2階と、3階に戻られました。道路の前は、潮が満ちてくると冠水し、今の状態ではオープンする事ができません。こちらのBarはこれまでに支援機構のボランティアが何度も活動させて頂いている場所です。お店の音楽機材は、全て水でやられてしまいました。途方にくれているご主人。宇部東のSさんは、ご主人の気分が上がったり、下がったりするのを感じ長い事心配されていました。ご主人は、「やっと電気が通った、アンプ、ウーハーその他の機材を購入したので、今夜辺り、こいやっ」っと言われるので、大崎教会からドライバーで来ていた二人と一緒に行くことにしまいた。ドライバーのS氏は、ゴールデンウィークに1週間ボランティアに来ており、このBarで活動したのです。N氏は、これで3度目のボランティア(ドライバー2回、前回滞在2週間)。ご主人のご自慢されていた通り、そこから流れてくる音は、胸を弾ませ、心を躍動させる、もの凄いものでした。目をつむっていて涙が流れてくる。ずぅ〜〜っとこのサウンドを聞いていたくなる、そんな空間になっていました。今朝、ご主人とお会いしたら、アンプは、調子が少し悪いようで、たまに音のパワーが小さくなってしまうので、「修理しないと・・・」と少し下を向いておられました。(ご主人のお店は、仮設店舗に入る予定になっているのですが、Barでは無く、カフェとして入る事になるようで、音の関係もありアンプシステムを使う事ができないのです。ですから、彼は、なんとかこの場所でお店を開けるようにしたい!と胸の内をあけて下さいました。) ご主人の立ちゆきを心から祈らせて頂きたい、そんな夜でした。

現地報告

下記の内容は、2011.08.06の現地報告です。

報告日:2011.08.07
報告者:田中真人

天候/晴れ 暑い(太陽の日差しが強い)

S氏(宇部東)は奥原教会長を大船渡と釜石の中間にある千才の信者さん宅にお連れし、集まられた信者さんと御祈念をされました。

私は、学生寮のHさん・Hさん・Kさん、Nさん、S師(亀有教会)の6名で、午前中と、午後で一箇所づつ仮設住宅を訪ね、物資の配布をしてきました。物資は、軽トラックの荷台に新聞紙を広げ、その上に物資を広げたトラック市形式で行いました。
軽トラックとステップワゴンに乗せていった山のようにあった物資は、小さいお子様用の下着などがごく少量残っただけでした。午前中に行った仮設住宅は、気仙沼教会へ避難されていたSさんが引っ越された仮設です。住民の方同士は、挨拶もせず通り過ぎて行く人や、挨拶程度しかしないような状態であるとお話を伺ったりしました。そんな方達がトラック市の前で足を止める事によって、偶然とお知り合いの方を発見され「あれっ、ここにいたの!」などといった展開もありました。
そして、我々ボランティアにも話しかけてきて被災された時の話や、現状を話して下さる方もいました。一緒に行った学生寮の方達とS師も、感じる事が強烈にあったようでした。後に、「お役に立たせて頂く活動の中、今までで一番心が躍動した」、「今までに聞いた事無い話を聞かせて頂いた」、「欲しい物の話になったときに、ダイレクトに“話し相手”」と言われた。その他、たくさんの事を感じ、思いを共有させて頂きました。共通して言えたのは、物資をお渡しすると言うことも大切ですが、その活動を通して、住民の方々同士のコミュニケーションが生まれたり、間接的な働き、そういった事が大切なんだと気づかせて頂いたことのように思います。

私は、活動後に、気仙沼のNPO法人オレンジネットワークでの会合に出席させて頂きました。SVAを始め、社協やその他、大勢のNPO/NGO・ボランティア代表者が出席されていました。今後、孤独死の問題や多くの事が表にでてくる事が懸念されています。8日にあらためて、町づくり推進化主催で会合があります。組織としてどのような事に心を配らなくてはいけないかなど、具体的に話し合われる事になっています。

2011/08/06

現地報告

下記の内容は、2011.08.04の現地報告です。

報告日:2011.08.05
報告者:田中真人

8月4日(木)「活動報告」 午前中は、小雨、昼前から晴

昨日は、オーバーフォーティーの5名と私も加わり総勢12名で紫会館避難所、紫神社及び、その周りを清掃させて頂きました。女性は、清掃、男性は、草刈りの活動からスタートさせて頂きました。途中から掃除の終わった女性陣も草刈りに参加されました。広範囲にわたっての活動で、紫神社の辺り一帯を綺麗にさせて頂き、刈り取った草は、紫さんの宮司さんが兼務されている北野神社の裏山に軽トラックで運ばせて頂きました。(宮司さんに許可を頂いております。)
軽トラックの荷台は、刈り取った草でいっぱいになり、2往復する量となりました。

以前、紫会館に避難された方が訪問されてその時に、「わぁ〜〜、綺麗になったねぇ〜〜っ」っと、嬉しそうにしておりました。暑さの中、汗だくだくになっての活動でしたが、その活動は、喜びの中に溢れていたと感じます。

草刈りをしていると、紫会館敷地内に設置されてあるテントにぞろぞろと、子供やら、大人やらがやってきました。(20名程)すると、避難所のリーダーCさんが、被災した時の状況や、避難所の方々が取った行動等をお話されていました。時間的には、1時間弱でした。後で、お話を伺ってみると、親子連れのボランティアで、2泊3日のの最終日で紫会館避難所でお話を聞くといったスケジュール。お子さんにとっても、またご両親にとっても貴重な体験となったようです。
ボランティアをするしないは別にしても、被災地に来て、被災者の話を聞くという事は、貴重な人生経験となるのではないでしょうか。支援機構でも、このような事をしても良いのではと思いました。