2011/08/21

現地報告

下記の内容は、2011.08.19の現地報告です。

報告日:2011.08.21
報告者:田中真人

本日は、支援機構として初めての仮設住宅集会場でのイベントをさせて頂きました。メンバーは、私田中、お教会の奥様先生、辻井先生、宇部東のS氏、早島のI氏、成城のNさん、学生寮のK君、銀座のZ氏、鶴見のN君、大崎のM氏、中野のS氏、所沢のH君、熱田のS君の合計13名。

先日の報告でもお知らせしましたが、日本財団のロードプロジェクトをしている方達との合同での開催でした。我々は、かき氷の提供、日本財団は、足湯の提供を住民の方達にさせて頂きました。

開催した場所は、五右衛門ヶ原の仮設住宅。いくつかの場所に別れて建設されており、すべて完成すると300戸になるマンモス急の仮設エリアになります(先日400戸とお知らせしましたが、どうも300戸が正しい数のようです)。この仮設住宅は、市の中心部から車で20分も離れており、問題視されている場所。
河北新報の記事
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110819_01.htm

現在は、テニスコート用地(25戸)と、運動場(170戸)の2箇所のみが完成しています。
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午前10時〜12時はテニスコート用地の仮設集会場でかき氷を開催しました。
参加された仮設住民の方は6名で、またその方を訪ねてきた方2名の計8名の方に来て頂きました。震災にあって命からがら逃げ伸びた事や、両隣に住んでいた方が津波にさらわれてしまった話、津波から生き延びてから、今度は火災によって生命の危機にさらされ、「死を覚悟しました。あぁ〜、あの火がやってきたら命はないと思った。でも死ぬことを怖いとは思わなかった。」とお話された女性の話は胸に詰まる思いでした。次から次へと話が出てきて、止まることがありません。鹿折地区に住まわれていた方でしたが、「みんな津波が来るとは思わなかった。」とも話していました。「防潮堤ができた事だし、これで津波は来る事はないと思った。」と。来ていた男性は、「やっぱり地震がきたらまず、高台へ逃げなくてはならない。津波が来なくて、無駄だと思うやつもいるかもしれないけど、逃げないといけない。」とも語っておられました。

仮設住民の方は、市の中心部まで離れているので買い物に大変ご苦労されますし、バス代は片道270〜400円、つまり往復すると540円から800円になるそうです。料金が高いので、めったに外にでず、気がおかしくなるとも言っていました。“お買い物送迎ボランティア”といった物も必要な場所だと思いました。(ワゴン車などで、仮設住民をスーパー等にお連れするボランティア活動で、買い物をすると言うことはもとより、外に出ることで新鮮な空気を吸う、リフレッシュできるといった効果があります)。我々で出来たら良いのですが、、、

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午後は、運動場の仮設住宅でかき氷提供+足湯を提供させて頂きました。来られた方に、お名前を書いて頂きました。リスト上では50名ですが、子供の数や、記入していない人の数をいれるともう少し多くなります。

仮設集会場は玄関を入って左手にトイレや、お風呂があり、右手に巨大集会場スペースがあります。こちらのスペースに入って、左手前に、教会から持って行ったテーブルを置き、その上にかき氷を作る機械を設置。部屋の奥に足湯のスペースをもうけ、一度に3名まで足湯を楽しむことができます。足湯といっても、ただ足を桶に入れているのではなく、ボランティアからハンド・マッサージを受ける事が出来ます。そして部屋の中央に、テーブルを4つ置き、お茶のスペースをもうけ、そこで足湯を待ちながら談笑する人、かき氷を食べてもらったり、お茶したりするスペースをもうけました。(つまり部屋に入って手前がかき氷スペース、中央がお茶のみくつろぎスペース、一番奥が、足湯スペースです)
子供も、10名程でしょうか、大勢集まって、、ストラックアウト(的抜き)や、風船で遊んだりと子供達も楽しい時間を過ごしているようでした。途中から気仙沼復興協会のTさんも来られ今後はもっと、情報を共有できたら良いと話し合いました。しかし、開催中に地震があり、揺れも長かったので、その間張り詰めて空気が流れました。「揺れが止まってから、小学生低学年の子供が自転車に飛び乗り、津波注意報のサイレンの音が聞こえる方に、全力で走っていきました。そして戻ってくると、「悲しいなぁ〜」と言っていた。」と夜のミーティングで聞きました。この震災が子供達に与える影響は計り知れないと感じています。

今後も、継続的に仮設住宅に足を運ばせて頂きたいと思っています。

夜のミーティングで、仮設住宅の話があがった時に中野のSさんが涙をこらえていたのがとても印象的でした。