2015/11/03

現地報告(11/01)

活動日:2015/11/01
報告者:宮田和弘

11/01(日)
田中師(大崎・男)、K氏(大崎・女)、宮田(本所・男)の3名で朝7時30分に
秋葉原駅前を出発。8時30分にボランティアセンター到着。
9時より受け付け開始。9時15分マッチングが終わり、個人で来ていた男性3名と合わせて6名で活動することとなり、依頼先へ車で移動。依頼者は水海道天満町のYさん。Yさん宅は床上50〜60cmの浸水。作業は、翌日から1階をリフォームするため、荷物を2階や庭へ移動すること。冷蔵庫2台、電子レンジ、食器類他を2階へ移動。作業は約1時間で終了。
ボランティアセンターに帰着、報告を終え、引き続き2件目の依頼先に移動。ここでは総計16名がボランティアに当たる。依頼者は三坂新田町のTさん。作業内容は畑及び自宅庭に流れ着いた藁(わら)や廃材の片付け、農作業小屋の解体。ここ数日間連日約20名のボランティアが入っているようだが、大量の藁の片付けを人力でするのには限界を感じる。重機が入れば1日で終わるのにと思うと複雑な気持ちになるが、依頼された仕事を黙々とこなす。ここで、農作業小屋を解体中に突然小屋が倒れるという事態が発生したが、幸いけが人は出なかった。午後3時に作業を終了し、ボランティアセンターに帰着。午後4時にボラセンを出発し帰途につく。午後5時10分に秋葉原駅に到着し解散。
今回も災害派遣等従事車両証明により往復とも高速道路は無料でした。なお、現地にいた役所の人に聞いたところ、災害派遣等従事車両証明の発行は今のところ11月4日で終了予定とのことでした。

2015/10/24

現地報告(10/15)

活動日:2015/10/15
報告者:宮田和弘

10/15(木)

大崎・田中、池袋・山口、本所・宮田の3名で朝7時に東京センターを出発。8時15分にボランティアセンター駐車場到着。8時30分まで車の中で待機し、その後ボランティアセンターへ移動。9時より受け付け開始。
9時20分マッチングが終わり、個人で来ていた男性3名と合わせて6名で活動することとなり、依頼先へ私たちの車で移動。依頼者は水海道橋本町のHさん。Hさん宅は床上160cmの浸水で、作業内容は屋内からの荷物出し。水害から一ヶ月以上経っていますが、ほとんど手つかずで浸水したときのままでした。水をたっぷり含んだ畳や布団、衣類がそのままの状態になっており、家具や家電、ピアノ、その他部屋の中の荷物を全て外に出しました。カビや様々なものの腐ったようなにおいが漂って耐えられないほどでしたが、男6人でなんとか午前中に作業を終えました。荷物を運び出した家は、今後解体する予定とのことでした。
ボランティアセンターに帰着、報告を終えて昼食を食べた後、午後のボランティアの申込みをして、午後0時45分マッチング後、引き続き6名で依頼先へ移動。依頼者は水海道森下町のNさん。被害状況は床上浸水。作業内容は床下の泥出しでした。午後3時に作業を終了し、午後3時45分ボラセンを出発し帰途につく。午後4時55分に上野駅に到着し解散。今日は午前午後とも肉体労働だったため、これまでで一番体力を消耗しました。
今回も災害派遣等従事車両証明により往復とも高速道路は無料でした。また、22日の災害派遣等従事車両証明も入手しました。

2015/10/15

現地報告(10/11)

活動日:2015/10/11
報告者:宮田和弘

10/11(日)
朝7時に東京センターを男性4人女性1人の5名で出発。8時15分にボランティアセンターの駐車場到着。今月5日よりボランティアセンターの場所が変更になり、ボラセンのすぐ近くまで車で行くことが出来るようになりました。それに伴い、希望者は自分の車でボランティア先まで行くことが出来るように方針変更。その結果、これまでよりも流れが随分スムーズになり、待ち時間が少なくなりました。
9時45分マッチングが終わり、ボランティア先へ自分たちの車で移動。依頼者は中妻町のKさん。小学生3人の子の親御さんで、5人家族。新築6年目で今回の水害に遭い、床上30cmの浸水。依頼内容は床下の断熱材の撤去。コンクリートで基礎を固めた上に建った2階建ての一戸建てで、和室は部分的に床板をはがし、断熱材を自分たちで取り除いたようですが、その他の部屋はまだ未着手とのことで、今回初めてボランティアを依頼。キッチンの床下収納の開口部から床下に入り、高さ40cmくらいのすき間を移動しながら断熱材を撤去。断熱材はまだ水をたっぷり含んでおり、作業は頭の先からつま先まで水をかぶって泥だらけになりながらの作業でした。今日一日で終えることは出来ませんでしたが、1ヶ月が経ってもこの状態ということに驚くと共に、まだまだ復興に時間がかかることを実感。
作業を2時半に終了しボランティアセンターへ移動。ボラセンではボランティア向けに差し入れのうどんやおむすび、コーヒー等が振る舞われ、思わぬサービスを受けました。また、ボランティア向けサービスとしてボラセンから車で20分ほど走った所にある「あすなろの里」という温泉入浴施設が無料で利用できるということで、泥だらけの身体を洗い、リフレッシュしました。また、「あすなろの里」は避難所を兼ねており、本日はたまたま歌手のさだまさしさんと泉谷しげるさんが慰問に来ており、歌を披露されました。
17時に「あすなろの里」を出て東京へ。途中多少の渋滞がありましたが、18時10分には上野駅に無事到着。その後東京駅を経由して帰宅しました。
今回も、災害派遣等従事車両証明により往復とも高速道路は無料でした。また、次回15日の災害派遣等従事車両証明も現地で無事入手することが出来ました。


2015/10/05

現地報告(10/04)

平成27年9月関東・東北豪雨ボランティア報告

活動日:2015/10/04
報告者:阪本正雄(中野教会)

10/04(日)
北関東豪雨災害ボランティア活動に、東京から常盤台教会の三宅道人先生、常盤台教会・Kさん(女性)、Mさん(男性)と阪本が、また現地で松戸教会の鈴木宏政先生、Sさん(中1)と落ち合い、計6名で参加させて頂いた。6:52に池袋(高松入口)を出発し、首都高、中央環状、常磐道を経由し、7:50に常総市のボラセンに到着。松戸教会の鈴木先生親子を待って、マッチング待機。ちょうど6人の活動要請があり、10時半ごろ常総市の南、十花町のお宅で活動させて頂いた。
74歳のお爺ちゃんを筆頭に家族総出で片付けをされている。ここのお宅の土地は鬼怒川の水面より低く、(敷地より2m嵩上げしている住宅の)床上1.48mもの浸水があったため、1階の家財は水に浸かり殆どが使えないという。改修工事に備え、1階の床板はすでに剥がされていた。
活動内容は、笹薮内のゴミ拾い、庭掃除、レコードジャケットや美術書の水拭き、荷物運び、左官鏝(家主が左官業を営む)のサビ落とし等であった。まだまだ先が見えない状況であるが、少しでも生活再建のお手伝いが出来ただろうか。被災者の方と活動の合間に会話をしたことで、元気が出てきたと仰って頂いた。昼食をはさんで午後の活動を15:15までさせて頂き、ボラセンに戻る。
送迎車で戻る途中、道路の脇の黄金色の田んぼが見えるが、水を被った稲は全滅という。早く稲刈りをしたところも、倉庫が水に浸かり倉庫内のお米も全滅、大きな被害である。JAの倉庫の前には、おそらくダメになったお米であろうか、トンパックが積まれていた。窓を開けるとお米の腐った匂いが鼻をつく。
ボラセンに戻り、鈴木先生と三宅先生は活動の報告を行う。ボラセンの一角にボランティアのために焼きたてのメロンパンと枝豆のサービスがあり美味しく頂いた。ボランティアのための後方支援の心遣いが有難かった。
16:10にボラセンを後にし帰途につくが、中央環状が渋滞のため、外環経由で都心に戻り、18:00に池袋に到着、解散した。
なお、茨城県のボラセンは10/1より常総市のボラセンに統合され、常総市のボラセンも10/6に移転されるので、要注意。

レコードジャケットや美術書の水拭きの様子


2015/09/28

現地報告(09/26,27)

平成27年9月関東・東北豪雨ボランティア報告

活動日:2015/09/26,27
報告者:宮田和弘

09/26(土)

予定通り朝7時に東京センターを男性6名女性1名の合計の7名で出発。8時半に茨城県災害ボランティアセンターに到着。マッチングの後、10時よりAさん宅にてボランティア開始。Aさん宅の被害状況は床上30cmの浸水。ボランティア内容は床下の泥だし及び一部床板はがし。なお、この日は男性2名も同じく茨城県災害ボランティアセンターから別の民家に派遣され、ボランティア活動を実施。15時にボランティア活動を終了し、ボランティアセンターへ移動。宿泊場所の結城教会への道中でお風呂に入り、18時頃結城教会到着。教会挙げての歓待を受け、夕食をおいしく頂きながら楽しく歓談。

Aさん宅での作業風景

09/27(日)

教会で朝食を頂いた後、7時半教会出発。8時半常総市災害ボランティアセンターの駐車場到着。男性3名女性1名の計4名と合流し、マイクロバスにてボランティアセンターへ移動。受付の後、ボランティアセンター中継地点に移動、マッチング。10時半過ぎよりOさん宅にてボランティア開始。Oさん宅は約2mの浸水。ボランティア内容は、床板はがし、石灰まき、ゴミ出し、拭き掃除。15時にボランティアを終了し、ボランティアセンターへ移動。16時半に駐車場を出て帰途につく。18時に上野駅前到着。私を含め一部メンバーはここにて解散。

なお、往復とも災害派遣等従事車両証明が間に合い、高速道路は無料でした。

2015/09/20

現地報告(09/19)

金光教首都圏災害ボランティア機構 関東東北豪雨ボランティア 第0次報告

活動日:2015/09/19
報告者:三宅道人

場所: 茨城県常総市平内町102-1
    I氏宅(茨城県災害ボランティアセンターより派遣)
参加者:鈴木宏政(松戸教会)・三宅道人(常盤台教会)

ボランティア活動(県災害ボランティアセンター)

ボランティア当日07:10、外郭環状道路 三郷南IC出口付近で集合を予定していたが、事故渋滞により08:00の出発となる。18日出発直前に茨城県より「被災地支援等のための高速道路無料措置」を知り、早速申請をした。県担当の迅速な処理により、FAXにて申請書をもらい使用した。
常磐道は順調に渋滞もなく進んで、谷田部IC経由で一般道を通る。前回先遣隊時には谷和原IC出口が非常に渋滞していたが、今回は渋滞していなかった。しかし、無料措置許可書で通行しているため、谷田部ICでおりなければいけなかった。

高速道路無料措置許可書で高速を利用する際の手順

首都高速:入り口「一般」で提出。利用証明書または領収書を受け取る。(これは途中で降りても再度使えるらしい)

外環道:車両証明書と受付印を押印した申請書を入り口「一般」で提出。

常磐道:入り口では「一般」で通行券を受け取る。出口「一般」で車両証明書と受付印を押印した申請書を提出。

※ETC・ETC専用出入り口は利用不可。車両番号(特にレンタカーは注意)、利用ICが違うと受け付けてくれない。

一般道は随分通行止めが解除されていた。茨城県災害ボランティアセンター(以下ボラセン)に09:00に到着。すぐに受付登録してマッチングの順番待ちに入る。団体が大型バスなどで参加する人が目立つ。常総市のボラセンと比べると圧倒的に参加者が少ないように感じる。
ボラセン運営には、複数の団体(SVA等)が入って仕切っている。マッチングは、ニーズの人数に対して立候補制でチームを作り、作業指示書と地図書類を受け取る。点呼・作業内容確認・費用道具の準備・リーダーの選出・最終点呼確認(名札シールの配布)・移動車両の確認を経て車両前に集合・出発。
高圧洗浄機は潤沢にあるようだ。その他道具も数は相当数あるが、シルバーウィーク中なので、人数分の確保できない制限がかけられていた。ゴム手袋・ゴム長は、(16日の情報によると)オカモト理研が30万セット寄贈があったらしく、この日はゴム手袋は制限なく持っていけた。
移動車両(往きは観光バス)で現地から歩いて5分ほどの場所で降車した。何組か同乗するので、現着に時間を要する。また、荷物室に道具を他の組と一緒に入れているので、降車時に自分たちの道具を持って行かれることがあったので注意が必要。
今回の作業は、主に敷地内の泥かき。土嚢袋約300袋を使って、その日には1/3強の泥をかき出せた。連続してボランティア要請を出しているが、ニーズに対応できていないようである。
徒歩圏内にコンビニなど営業している場合があるが、基本的には水・昼食等の個人装備は万全の準備が必要である。

作業終了後は、終了報告用電話に連絡。迎えの車両の指示を受ける。必ずしも降車場所には迎えに来ず、近くのランドマークでの乗車になるとのこと。

ボラセンに戻り、洗浄機で道具の清掃・帰着報告・点呼を済ませて解散。
作業終了   15:40
ボラセン解散 16:20

2015/09/12

お願いハガキ発送準備の一コマ
支援金依頼ハガキの発送作業の1ショットです。

2015/03/31

現地報告(告知)

報告者:奥原 幹雄


第4回ドリームキャンプ開催

~スタッフ・リーダー募集中~


今年もドリームキャンプを一緒に盛り上げてくださるスタッフ・リーダーを募集いたします。これまで参加して下さった方はぜひ!はじめて参加したいという方も大歓迎です。奮ってご参加ください。被災地のこども達の笑顔と、イキイキしたこどもらしい姿に出逢えます。皆さまからのご連絡をお待ちしております。


【開催の願い】

被災地のこども達は、今でも仮設住宅での不自由な暮らしを強いられています。
隣の家の声が聞こえてしまうほど狭い環境の中で、親から周囲に迷惑をかけないようにと言われ、子供らしさを充分発揮できないままの生活をしております。
そのような子供たちに、せめて3日間だけでも大自然の中でのびのびと走り回り、
大声で歌い叫び、日ごろのストレスを発散させてあげたいとの願いから、
過去3回のドリームキャンプを開催して参りました。

今年も仮設住宅で暮らす親・子供たちから開催して欲しいとの要望もあり、
被災地のこども達への継続的な支援が必要とされている現実を踏まえて、
被災地の子供たちに輝く笑顔が見られ、仮設住宅で暮らす親たちからも喜んでもらえるような素晴らしい「ドリームキャンプ」を開催したいと願っております。 

私たちは「人が人を助けるのが人間である」「人が助かりさえすればそれでよい」との教祖様のみ教えの実践として、被災地のこども達の笑顔のために、多くの方と手を携えて「ドリームキャンプ」を実践していきたいと願います。
垣根を越えて、一つの願いのもとに集う人たちが、協力して被災者支援に取り組むことにより、新たな道が開かれることを願いとしています。


【開催日程】

7月24日(金)~26日(日) 2泊3日

【会   場】

衣川ふるさと自然塾(岩手県奥州市)
※第2回ドリームキャンプを開催したキャンプ場です。

【お問い合わせ・ご連絡先】

ドリームキャンプ実行委員長:奥原幹雄 宛
電 話:090-7426-3413
Email:
mikiox1975@gmail.com

http://konko-volunteer.jimdo.com/活動内容/ドリームキャンプ/



「金光ボランティア会」 設立のお知らせ

今後は、金光ボランティア会のホームページおよびfacebookページにて、現地活動報告や、被災地の報告をお届けいたします。どうぞ、宜しくお願い致します

http://konko-volunteer.jimdo.com/
ロゴマーク


【設立の願い】

私たち金光ボランティア会は、東日本大震災による被災者や被災地域の皆さまに対しての
復興支援に関する活動を行うことにより、被災者ひとりひとりの一日も早い復興と、
被災地域の住民と支援者をつなぐことを目的として、ボランティア活動を行なっています。
皆さまからのご支援、ボランティア活動への参加をお待ちしております。

【団体概要】

団体名称  :金光ボランティア会 Konko Volunteer Association (略称:KVA) 
設  立  :平成27年4月1日
代  者  :奥原 志郎

主な活動  :(1) 被災者支援(見守り、餅つき、お茶っこ、音楽イベント、マッサージ、他)
       (2) ボランティアの受入れ・派遣 
       (3) ドリームキャンプへの支援

事務所所在地:〒988-0017 宮城県気仙沼市南町1丁目2-15 金光教気仙沼教会内
問い合わせ :Tel/Fax 0226-22-2535/事務局 090-7426-3413(担当:奥原 幹雄)
       ※ボランティアへの参加・問い合わせは下記ホームページの問い合わせフォームからも行えます。
       

【ホームページ】

http://konko-volunteer.jimdo.com/

【facebook】

https://www.facebook.com/konkovolunteerassociation


現地報告(3/27)

活動日:3月27日
報告者:奥原幹雄


いよいよ今日で3月も終わりです。

金光教首都圏災害ボランティア支援機構による気仙沼でのボランティア活動は、いよいよ終了となりました。
震災直後から多くの皆さまによる多大なるご支援とご協力をいただきながらここまで被災者支援の活動を続けてくることが出来ました。
長かったような、あっという間だったようなこの4年間でありますが、この現地レポートを読み返してみますと、そこにはたくさんの活動の記録があり、活動のひとつひとつにボランティアの方々の関わりが記録されております。
この4年間で4千人あまり(延べ人数)の方が、気仙沼でのボランティア活動に参加して下さっているそうです。
それと同時に、多くの方の真心のご支援の基に活動がなされて来たのだと改めて思わされております。
誠にありがたく尊いことであったと痛感いたしております。

本日をもって気仙沼における支援機構としての活動は一旦区切りをつけることになりますが、被災地ではまだまだ支援を必要としている被災者の方がたくさんおります。
また被災地の復興に向けた歩みやその過程、、或は被災者の頑張っている姿などをこれからも皆さまにお伝えすることも、現地にいる私たちの役割だと思っております。

今後は支援機構がになって来ましたボランティア活動の後を受けて、金光ボランティア会が被災者に寄り添う活動を継続させていきたいと思います。
これからもご支援・ご協力・お祈り添えを賜わりますよう、宜しくお願い申し上げます。

支援機構での最後の活動報告となります。



【現地報告】


3月27日(金) 田老サポートセンター(岩手県宮古市)餅つきイベント


昨年に引き続き、岩手県宮古市田老町の「グリーンピア三陸みやこ」敷地内にある
仮設住宅の田老サポートセンターにて餅つきをさせて頂きました。

宮古市田老町は気仙沼からおよそ146kmの距離にあり、片道3時間のところです。
昨年もちょうど3月下旬に田老サポートセンターで餅つきをさせていただき、住民の方々、サポートセンターの方々に大変好評をいただいており、その後もお手紙をいただくなどで交流が続いておりました。

昨年は、8月に乙島教会のワンハートブラスのみなさんが田老サポートセンターで「歌声ひろば&お茶っこ」の活動をされており、今年もぜひ餅つきをやって欲しいというお話しをいただいておりました。
気仙沼の乙女の会のメンバーも昨年も参加しており、また今年も田老に行くのを楽しみにしていました。
清水さんも数日前から気仙沼入りして、いろいろ買い出しや荷物の準備などを行なって下さいました。
今回の参加者は、乙女の会からMさん、Oさん、Fさん、気仙沼教会在籍信徒のOさん、
そして清水さん、母、長男、次男、私の合計9名での餅つきチームとなりました。

いつものステップワゴンでは定員オーバーであり、臼や杵、ビンゴゲームの景品といった荷物もあるので信者さんで自動車整備工場を営まれている方にご協力をいただいてハイエースをお借りしました。
朝8時に出発。清水さんはハイエースで市内の仮設に住んでいる乙女の会の方々のところをまわって車に乗せ、田老に向かいました。私たちはステップワゴンで母と息子たちの計4人で田老町に向かいました。

現地には11:30頃に到着。
荷物を降し、田老サポートセンターの方々と一緒に早速餅つきの準備をされました。
私の方は、こども達をしばし公園で遊ばせて長旅の疲れを癒し、餅つきに備えました。






 

今回は4臼(2.8㎏×4回)のお餅をつきました。
サポートセンターのスタッフの方々がしっかりとお手伝いして下さるので、
お餅をちぎる作業や、集まった住民さんにお餅を配る配膳など大変助かりました。

餅つきというのは、どこにでも得意な方がいらっしゃいますね。
今回の田老でも得意な方がいらっしゃいまして、積極的に餅つきをして下さいました。
また、こども達に餅つきを指導するシーンなども見られ、良い交流の場となりました。







一通り、住民の方がお餅を食べ終わった頃合いで、ビンゴゲームを始める前に
清水さんから一言ご挨拶がありました。






4年年間のボランティア活動の集大成となる今回の餅つきイベントであり、
また昨年はご自身の大病があり、それを経験したからこそ、
以前よりも被災された方のこころに寄り添えることが出来るようになったと、
お話しされておりました。

最後は、みんなでビンゴゲームとじゃんけんゲームで大盛り上がりとなり、
細やかな景品ではありましたが、皆さんに喜んで頂くことが出来たのではないかと思います。これで支援機構による最後の活動を無事に終えることが出来ました。


帰りは、宮古市の三王岩~浄土ヶ浜を見学して、帰路につきました。



2015/03/13

現地報告(3/10ー11)

活動日:2015/3/10、11
報告者:奥原幹雄



3月10日(火) 気仙沼教会 東日本大震災4年祭



 10日の月例祭とあわせて、気仙沼教会では東日本大震災4年祭をお仕えいたしました。
 祭典後に、3名の被災信徒による体験発表が行われました。


 藤野 省吾さん

市内で藤喜商店というガス機器や灯油機器をはじめ燃料を扱うご商売をされており、
 震災以前は、鹿折唐桑駅の近くにお店を構えており、震災による津波と火災で店舗も自宅も一切を失くされました。 幸いだったのはご家族全員が無事だったこと。従業員ではお一人の方がご家族を亡くされた方がいたそうですが、 震災後すぐに商売を再開され、ここまで4年間なんとか頑張って来られました。 印象的だったのは、最後に「私たちには信じる神様、お願いできる神様、おすがりできる神様がいて本当に良かった。そして、祈られている事に助けられている」というお話しがあったことが、有り難いことであると感じました。




 斎藤 恵一さん

斎藤さんのお話は、震災の日の夜、長女がお世話になっていた東京学生寮でのエピソードをお話しされました。 震災の日、長女のRさんは寮のテレビで震災の映像を見ていてどうすることもできず狼狽えておりましたが、 当時の寮長に励ましのことばを掛けられ、やり場のない、どうすることもできない気持ちが救われたというお話しをされました。つい前日も、東京で行なわれた次女のMさんが企画したチャリティーコンサートに、寮の方々がたくさん来てくれたこと。 震災のなか娘たちは、寮の仲間達に支えたれ、ひと回りもふた回りも大きく成長させて頂いたことへの感謝の発表でした。



 小野寺 一雄さん

小野寺 一雄さんは、現在は紫市場で床屋さんをしており、以前は自宅の1階の店舗で床屋さんをしておられました。 震災後の教会での避難生活、またボランティアに来てくださる皆さんとの出会いや関わり合いなど、感謝に溢れた発表でした。そして、いま取り組まれている本設の紫市場商店街建設に向けて、南町を震災以前よりも素晴らしい街にしたいという熱い想いに溢れていました。 更にドリームキャンプの活動への評価は、地域の一員として大きく評価してくだっさっており、 今後も継続していただきたいという言葉も頂きました。



 最後に教会長からの挨拶があり、4年祭を締めくくりましたが、 大変な被災状況から4年という月日を経て、その間いろんな思いをされて来ていると思いますが、どの方の発表にも感謝の想いが溢れていることが感じ取られ、本当にありがたいことであると思いました。


※3名の発表のレビューは、別の機会に掲載させて頂きたいと思います。




 

 3月11日(水) カフェデモンク(石巻市 開成13団地)に参加


この日をどのように過ごさせて頂こうかと、少し前から考えておりました。
 私たちは、これからも被災者と共にありたい、被災者のこころに寄り添う活動をさせて頂きたいという願いのもと、 金光ボランティア会(http://konko-volunteer.jimdo.com/)を立ち上げました。そして、会のホームページのトップには、「一人ひとりの復興のために」と書かせて頂きました。
 復興といっても20年も経過すれば、東北の被災地も神戸の街並みのようにきれいに整備され、
 震災があったことが嘘のように思えるようになるのかもしれません(そうであって欲しいと願います)。
しかし、被災者の傷ついたこころや記憶は、決して無くなるわけではないと思います。こころの傷跡が、癒えて残るか、癒えずに残ってしまうかは、被災者一人ひとりが震災とどのように向き合っていくかという事にかかっています。
それには、決して一人で乗り越えられるものではなく、誰かの支えが必要ですし、助けが必要であると感じています。
 特に、この3.11は被災者にとって特別な日であるのは言うまでもありません。 記念日反応ということばがあります。この日を迎えると、当時の体験が蘇り、フラッシュバックや気分が悪くなったり、 落ち込んだり、涙もろくなったり、体調を崩したりすることがあります。逆に気分が高揚したり、わけもなくイライラする人もいるそうです。
こうした反応が出ることはごく自然なことで、人によって症状はさまざまだそうですが、一人でいては不安なのではないかと思います。 今回のカフェデモンクは、自治会長さんからの願いがあり、仮設住民には追悼式典などにも出席できない方が多いので、 集会所で追悼の祈りの集会を開いてくれないかとのご要望を頂いたそうです。そこでカフェの主催者からのご連絡を頂きまして、私も参加させて頂きました。



12:30からカフェがオープンとなりますが、はじめから多くの住民さんが集まっていて、我々が入る隙間もないほど、集会所の中は混雑していました。3.11であり、追悼集会という事もあって、多くの住民が集まっていたようです。それにしても、みなさんどこか落ち着かない様子で、元気もなく、普段の笑い声などは一切聞こえて来ませんでした。 14:46が近づくに連れて、誰もがそわそわしている感じがありました。
 追悼儀礼は、14:46のサイレンにあわせて黙祷を行ない、 続いて、曹洞宗、金光教、浄土真宗の順番で儀礼を行ないました。 儀礼が終わると、御焼香が回されて、住民の方々それぞれに祈りを込められていました。


 



 私は、いつものカフェのつもりで参加していましたので、私服のままでしたが、まず自己紹介と金光教式の一拝四拍手一拝を説明させていただいてから、 「東日本大震災御霊追悼の祈り」を奉唱させて頂きました。
 住民の方々からの眼差しと、場の雰囲気に圧倒されて声が震えていましたが、 何とか最後まで唱えさせて頂くことができました。その後、挨拶を求められましたので、少しお話しもさせて頂きました。
 通常カフェデモンクでは、宗教儀礼や特定の宗教的なお話しはしないのですが、 今回は住民さんからの要望があっての集会でもありますので、 各宗の方々も被災者の助かりを願い、それぞれにお話しをされておりました。


 

 今回の集会は、自治会長さんの計らいによって実現したものですが、自治会長さんの思いがとても尊いものであると感じました。この3.11どのように過ごすかということは、被災者である住民にとっては大きな問題だと思います。 特に遺族であればなおのことですが、足を運ぶことができない人達が多くいるのも現実です。この日この時間をみんなで一緒に過ごし、犠牲者への祈りを共にし、共に乗り越えていこうという自治会長さんの願いに感動いたしました。

 震災から4年が経過し、災害公営住宅の建設がようやくはじまりましたが、スピードはなかなか上がりません。その一方で東京では、国立競技場の取り壊しがはじまり、オリンピックに向けた都市開発も進んでいるようです。 被災地の復興への影響がもろにではじめています。
 災害公営住宅に入居できたとしても、そこでの孤独死が相次いでいますし、 落ち着きを見せるどころか、長引けばそれだけ問題が出てくるという感じがあります。
まだまだ先は長く、被災者への支援も必要なことは間違いないようです。

現地報告(3/4ー5)

活動日:2015/3/4、5
報告者:奥原幹雄



3月4日(水) 大正琴による「歌の会」


 鎌倉教会在籍のMさんご夫妻がボランティア活動に来られました。
ご主人は今回が2回目の被災地訪問で、2年前に気仙沼に来られているそうです。
 奥様の方は、今回がはじめての訪問であり、今回は大正琴を携えて、
 被災地の方々と一緒に歌をうたい、元気になって欲しいとの願いのもと、
 鎌倉からお越しになられました。

 4日(水)は、先日の餅つきに引き続き五右衛門ヶ原運動場仮設住宅で大正琴による「歌の会」を開かせて頂きました。
ちょうどこの日は水曜日で毎週水曜日は、住民さんが集会所に集まって体操する日でした。
この日も体操するために皆さん集まっておられ、その後に歌の会を開かせて頂きました。
 Mさんは地元の鎌倉では週に数回、介護施設などで歌のボランティア活動をされているそうです。
はじめは仮設住宅での歌の会に多少の不安もあったようですが、いざ始まってみれば全く問題なく
皆さんをリードして、リクエストもいくつか頂いて、楽しい時間を過ごすことができました。





また、ご主人も歌の合間で事前に仕込んで来られた「なぞかけ」をご披露くださり、
 笑いに溢れた歌の会となり、その後住民の方々とMさんご夫妻を交えて、お茶っこを楽しみました。


 

 大正琴に興味を示す人もいて、弾き方を教わるシーンなども見られ、良い交流の場となりました。






 3月5日(木) 乙女の会


 Mさんご夫妻の歌の会を「乙女の会」でもやって頂きました。
 「乙女の会」とは、ボランティア活動を通じて各地の仮設住宅で知り合いになった人や、
いろんなつながりで知り合った方など、特に女性が中心ですが、教会の談話室に集まって、
 昼食をいただきながらおしゃべりをするという会です。いまどきに言えば女子会です。
 継続的に毎月1回のペースで行なっており、皆さん楽しみにされています。
 午前10時頃から集まって、台所で昼食の準備がはじまります。
 1品料理や手作りスイーツを持参される方もいらっしゃいますし、自由でアットホームな雰囲気の会です。
 今回は、Mさんの大正琴による「歌の会」を乙女の会にあわせてやって頂くことにしました。
 料理の準備などに少し時間もかかるので、それまでの間でMさんご夫妻を陸前高田市の奇跡の一本松にご案内しました。
 以前も現地レポートでお伝えしていますが、陸前高田市の復興に向けた土地の嵩上げ事業は凄まじく、
 市街地だったことろ一帯を20メートル近く嵩上げするという大事業が進められています。、
 山を崩し、土砂をベルトコンベアで平地に送り、吐き出され、うず高く積まれた土砂を重機で平らにならし、盛り土を造る。
そんな作業が延々と繰り返されています。そのスケールの大きさは、現地に立ってみないと感じられないものがあります。
 Mさんにも、せっかくお越し頂いたので、少しでも見て頂きたいと思いお連れいたしました。
 私が想像していた以上に、Mさんご夫婦はそのスケールの大きさ、凄まじさに圧倒されていたようでした。
 写真を撮り忘れて、お見せすることが出来ないのが残念ですが、またの機会に報告させて頂きます。
 見学を含めて、1時間半のドライブから帰り、早速「乙女の会」で「歌の会」がはじまりました。
 今回は参加者も多く、みんなで懐かしい歌をうたい、またみんなで昼食をいただいて、楽しい時間を過ごしました。

 


2015/03/03

現地報告(2/26、28)

活動日:2015/2/26、28
報告者:奥原幹雄



 2月26日(木)被災者宅を訪問

 大きな仮設住宅にはいろんなボランティア団体が支援に訪れて、物資を配ったり、炊き出しがあったり、 歌や音楽などのイベントを催したりと多くの支援が届きます。
その一方で、小さな仮設住宅や、みなし仮設には支援の手が届きにくいというのが現実です。
 清水さんは、以前から支援が届きにくいような仮設住宅やみなし仮設にも訪問して、お水などの支援をおこない被災者の話し相手となって、寄り添う活動を続けいます。
しばらく、清水さんもこうした方々の訪問ができておらず、お互いに元気でいるか心配でもありますので、 今回は私と母で、陸前高田市気仙町の詩吟の先生、陸前高田市小友町の床屋さん、気仙沼市本吉町蔵内の方々を訪問して、お水とお米をお届けしてながら、元気でいるか様子を見にいって来ました。


 1.陸前高田市気仙町の仮設住宅にお住いの詩吟の先生

はじめに、気仙町の仮設住宅にお住いの詩吟の先生を訪ねました。 住所をもとに仮設住宅を捜して辿りついてみると、そこには仮設はあるものの人が誰も住んでいる様子が全くなく、 周辺の崖や山が崩されて土地の造成工事が始まっていました。すでに住民の方々はどこかへ転居された後だったようです。
 早速、詩吟の先生にお電話をしてみると、新しくできた災害公営住宅に引っ越されたばかりで、 前日に引っ越しを終えて、夜遅くまで荷物の片づけてしておられたようでした。
 早速、その災害公営住宅を訪問いたしました。
 完成したばかりの公営住宅で、全40戸ほどの4階建てのマンションタイプの公営住宅でした。
エレベーターが完備し、いろんな所に手すりが備えてあり、段差が少なく、高齢者への配慮がされています。
お部屋にお邪魔して、1時間ほどお話しを聞かせて頂きました。 引っ越しの際は、娘家族が手伝ってくれたり、ボランティアの方々が手伝ってくれたり、いろんな方が支援して行なわれているようでした。それにしても、お年寄りの引っ越しはとても大変です。梱包から搬出・搬入、そして新居での荷物の整理。 1人暮らしのお年寄りには酷な作業だと思いました。
それでも、やはり仮設ではなく、自分の家に住むことができると言うのは、被災者にとっても大きな喜びです。 仮設住宅では考えもしなかったような、カーテンやカーペットの色を考えたり、台所用品を揃えたり、電化製品を買い求めたり、
 出費はかかりますが、生活に張りも出ますし、より一層元気をだして行って欲しいと思いました。


 2.陸前高田市小友町の床屋さん

 この小友町の床屋さんをしているFさんには、早い時期からボランティアで関わっていおり、訪れた方もいると思います。この方はご主人と二人暮らしで、訪問した時はご主人はディーサービスで外出中でした。ここでも1時間ほどお話しを聞かせて貰いました。Fさんは津波で息子さんを亡くしました。ちょうど私と同じ年代の昭和49年生まれで、助かっていれば今年41歳。
 小学生の子ども(Fさんにとっては孫)がいて、震災前は共働きだった息子夫婦の代わりに、よく子どもの面倒と見ていたそうです。 今はお嫁さんが子どもと自分の両親と住んでいるので、なかなか孫に会う機会もないと、寂しそうでした。Fさんは私に対して息子に話すように、「仕事なんてどうにでもなるから、津波が来たら逃げなさいよ」と話してくれました。
ボランティアに来る若い人や、Fさんは現在自宅を再建中ですが、そこで仕事をしている大工さんにも、 上司や棟梁が大丈夫だと言っても、自分の判断で逃げなさいと伝えていると話してくれました。
Fさんの息子さんは、仕事がら自分の判断だけで、すぐに逃げることができなかった。
その為に津波に飲み込まれてしまったようでした。
そのことが悔やまれて、同じ目にあわないように、若い人には直ぐに逃げるようにと伝えていると言っておられ、Fさん悔しさ、悲しみが伝わって来ました。


 3.気仙沼市本吉町蔵内の方々

 今度は、気仙沼市の南側にある本吉町蔵内に行き、2件のお宅にお水とお米を届けました。
この地域は水道事情が悪く、飲み水に困っているそうです。 2件目に訪れたOさんの家は、少し高台のところに建っている一軒家ですが、津波に一階は浸水しました。 訪問した時は不在でしたが、Oさん宅のおじいさんは津波が押し寄せてくる様子を家の窓から見ていたそうで、その事が今でもトラウマとなって、窓に背を向けて座っているそうです。お会いすることは出来ませんでしたが、玄関先に出て来てくれたお嫁さんが言うには、みなさん元気でいらっしゃるとのことでした。
 今回も、地域の方にお配り頂くように、お水を8ケースお届けさせて頂きました。




 2月28日(土) 五右衛門ヶ原運動場仮設住宅 餅つきイベント


自治会から要望をいただき、今年も五右衛門ヶ原運動場仮設住宅での餅つきイベントが実現いたしました。 20日(金)には、チラシとポスターをお届けしてあり、自治会の方々も住民の方々もとても楽しみにして下さっていました。

 今回の餅つきイベントに参加したスタッフは、東京からBさん、Iさん、Oさん、Mさん、Fさんの5名。
それに乙女の会からFさん、Mさん、Kさん、気仙沼教会信者のOさん、それに私と母を加え、総勢11名での活動となりました。
 多くの方が参加してくださり、本当にありがたいことです。もちろん、仮設の自治会の方や住民の方も作業に加わり、みんなで参加する餅つき大会です。
 天候に恵まれ、前夜は雨や風で荒れ模様でしたが、多少風は残っているもののすっきりと晴れ上がり、 陽射しもあって、餅つきには絶好の天気となりました。
 今回は、人出も多く予想されることから4臼(2.8㎏×4回)のお餅をつきました。 餅つきには、男性も参加して下さいました。 集会所には40人以上の住民の方が集まってお餅を食べてお茶っこをしました。
お餅を食べたあとは、Mさんによるじゃんけんゲームの準備体操があり、 続いて景品をかけたじゃんけん大会でみんなで盛り上がりました。
 今回つよく感じたことは、仮設住宅の皆さんは、私たちの「餅つき」を楽しみに待っていて下さっている。ということをひしひしと感じました。
 本当に有り難いことであり、可能な限り継続させて頂きたいと思いました。