2013/05/27

現地報告(5/25-27)

活動日:2013.5.25-27
報告者:清水 幹生

5/25(土) 
*金光会館の風通しと布団干し、部屋の掃除。

*現地レポートの作成。

*午後の3時過ぎに五右衛門ヶ原運動場仮設住宅を訪問。
Nさん宅を訪れて、お母さんの状況を聞いた。「何とか命はとりとめたけれども、何しろ100歳になるからね、自分で食事が出来ないのね。だから先ほどまで病院に行っていたの」と、云う事でした。
人生、いろいろとありますね。
6月12日の音楽イベントと、6月23日のひかりツアーの人達とのおちゃっこの会のお願いをして教会に帰った。

5/26(日)
*盛岡教会の御大祭と盛岡教会設立102年祭に参拝した。
信者のSさん・Sさん・女性のSさん・女性のOさん4名と清水が車を運転して盛岡に行きました。道中片道2時間30分掛かりましたが、信者さん同士の話も進み、時には震災当日の話も出ていました。
このような事で、気仙沼教会の 信者さん達の交流が進み、震災後の立ち直りが早く進み、復興への足掛かりなれば良いなあ!と、思いました。
お祭りには教会長先生と幹雄さんが就かれ、厳かに御大祭が行われました。








5/27(月) 
*清水は今夜夜半宇部に向かいますので、金光会館の風通しと掃除を行いました。

*美紀子先生を相談室まで送り、東新城のFさん宅を訪問し、しばらく留守するので挨拶をしながら、おちゃっこ1時間しました。

*五右衛門ヶ原仮設住宅を訪問して、6月12日のイベントのポスターを貼り終えた。
住民の方々は、宇都宮から野菜の苗を持ってきた人達と、苗を植え付けられていました。「清水さん、収穫時にはお呼びしますからね。来るのよ」と、声を掛けて下さった。会長や住民の人達に見送られて、教会に帰ってきました。

*現地レポート作成完了。
他の用事をしながら、夕方の6時40分に何とか編集が終わった。前現地代表からバトンタッチを受けて約3ヶ月、忙しい中何とか今日まで編集が出来て有りがたい。更新して下さる日本橋教会のIさんのお力を借りての事、また全国から来られるボランティアの皆さんのお蔭でした。有難う御座いました。

*全ての用事を済ませてたので帰り支度をして今夜の夜半に宇部に向かって出発します。
皆様、大変お世話になりました。
応援有難う御座いました。


以上です。

2013/05/24

現地報告(5/21-24)



活動日:2013.05.21-24
報告者:清水 幹生

5/21(月)
*横浜西教会の信者Kさんをお連れして、岩手県高田市気仙町気仙町裏仮設住宅へお米を配布した。

*お米を配布御、住民のSさん宅に上がり込みお話を聞いた。短い時間だけお邪魔しようと思っていましたら、2時間近くも語られました。
Sさんは詩吟の師範でもあり、日本舞踊の名取りでもあります。時々、教えておられるようです。しかし、あまり自宅には訪れる方も・ボランテイアも来ないのかもしれません。震災当日の話を色々と語って下さり、おそらく胸の中におさめ切れないほどの思いがあったものと思います。
いつの日かSさんを色々な仮設住宅で詩吟・日本舞踊を披露させてあげたいと思っています。被災者の方が被災者の仮設住宅で共に語り、元気付け合う事も良いかな!と感じたのです。
Sさんは跡継ぎの息子さんをこの大津波で亡くしておられ、自宅に住めないわけではないのですが、「辛くて思い出すのも嫌だからこの仮設に入ったのです」と、以前語っておられました。

*11時30分頃Sさん宅を後にして、一路、越喜来(おきらい)の嘉宝荘(かほうそう)へ向かった。Sさんを嘉宝荘の女将Kさんに会わせたかったので、嘉宝荘で昼食を取る事にしました。800円という値段にしては豪勢な昼食でした。Kさんとも短い時間でしたが、お話も出来て良かった。

*嘉宝荘を後にして、甫嶺(ほれい)仮設住宅に向かった。
6月12日のバグパイプの演奏のポスターを届けに行きました。仮設住宅のお世話をしているMさんは、嘉宝荘の女将Kさんとは顔見知りの方で、住まいも泊で、隣り合せだったと云う事でした。

*甫嶺の仮設住宅を後にして、この甫嶺に気仙沼教会の信者Sさんが住んで居られるので、奥原先生からの託った公開講演会のチラシを届けに行ったが、留守だったので、再度訪問する事にした。

*甫嶺を後にしてKさんを復興の遅れている大槌町及び釜石等をご案内した。その帰りに再度甫嶺により信者さんのSさん宅に訪れて公開講演会のチラシを手渡した。

今日も体は不調でしたが、無事活動が出来、Kさんを被災地をご案内出来て安堵しました。夕食も美味しく頂き、早めに床に就きました。

5/22(水)
*午前中からKさんは金光会館の掃除・布団干しをして頂いた。清水はボランテイアハウスの掃除・布団干しを行った。

*午後からはKさんも清水も月例祭に参拝した。月例祭後はボランテイアハウス・金光会館の掃除・布団干しの後片付けをした。

 5/23(木)
*朝8時30分に一景閣にKさんを迎えに行き教会にお連れした。23日は金光会館に泊まる事になっている。

*午前中は幹雄さんKさんと清水の三人でcadoccoの掃除に出掛けた。やはり、3人だと作業は速い。10時30分には全ての清掃作業は完了した。

*10時45分に東新城仮設住宅のFさん親子を迎えに行き、「乙女のおちゃっこの会」に教会へお連れした。既に松崎柳沢仮設住宅のTさんとお友達のOさんは来ておられ、昼食の準備をしておられた。
12時前に昼食の準備も終わり、奥原先生ご夫婦と幹雄さん、Fさん親子、Tさん、Oさんと、ボランテイアの清水と横浜西教会のKさん2名を加えて9名での食事が始まった。
話の内容は、災害復興住宅についての事があり、
「子供たちは都会に行きもう気仙沼には帰らないと云うので、自宅を建てても仕方がないし、それかと云って災害復興住宅の家賃も高く、おまけに手付金や2か月分の家賃を前払いしないといけないし、考えているのよね」とか、
仮設住宅の住民の中には、「このまま仮設住宅に居ついてやるか!」と言っている人もいるようである。
話の内容から、子供たちが帰って来ない残された老人達ばかりの地域になりつつある気仙沼であるように感じた。
いろいろな話が飛び交い、皆さん方はある程度満足されていたようである。気仙沼市民会館の横にある仮設住宅のOさんから、「今頃はイベントも来なくなったし、ボランテイアにくる人たちも少なくなった」と聞いた。
以前南町で商売されていたTさんが新しく自治会の会長になられたので、顔見知りでもあり訪ねて、お話を聞いてみて支援に行きたく思いました。



*「乙女のおちゃっこの会」が終了後、Fさん親子を東新城仮設住宅まで送った。

*夕食はKさんからの御馳走もあり、大変美味しく頂きました。やっと体調も良くなりました。

5/24(金)
*朝8時40分頃、金光会館からお水を130本車に運び込んだ。
やはり年かなあ!24kgの箱を運ぶ時、ギクとしてやや痛みを感じた。運び込んだ後もやや痛みを感じている。
  
Kさんと共に蔵内・小泉小学校・外尾の各仮設住宅へお水を配布した。
蔵内のSさん宅を訪ねたら草刈りをしておられ、「来月から家の建築が始まるのよ」と、嬉しそうに話して下さった。このような良い話もある。こんな時は本当に嬉しい。
良かった良かった!!

*蔵内・小泉小学校・外尾の各仮設住宅を後にして、Kさんを志津川町までご案内し、現状の被災地をご案内した。
その後、教会に帰り南町紫市場のフリーダムで昼食を頂き、Kさんを午後2時40分の列車で東京に帰られるので、気仙沼駅まで送った。
「じゃあ気を付けて」と、云いましたら、「はい!主人が東京駅前迎えに来てくれますから」と、云われたので、「良いですね!やさしいご主人でね」と言い返しました。
「はい!やさしい主人です」と、良いですね、仲の良いご夫婦のようです!!

*夜、夕食後、奥原先生ご夫婦と色々と話し込みました。その内、幹雄さんが来られ、「NPO、NGOの連絡会議の報告をしますよ」と、云われ新たに話し込みました。
NPO、NGOの連絡会議の報告については、幹雄さんの方から支援機構の方に報告されると思いますので、ここでは内容には触れません。
それにしても、奥原先生ご夫婦と夜9時ごろまで話し込んだのは久しぶりでした。

*現地レポートを書いていると、2件ほど仮設住宅の人から電話があった。
①運動場の仮設住宅から
「清水さん今日はマッサージが来るのですかね」とのことで、「いいえ私の所ではありませんよ」と、答えたがどうも様子がおかしいので、「何かあったの、いやに慌てておられるようですが」と云ったら、「母親が急に具合が悪くなり何とか命は助かったが、ご飯を食べさせてあげないと、自分では食べられないのよ」と、話してくれた。「後で行くから、仮設住宅の事よりは今は、お母さんの方が大事ですよ!」と、話した。
②外尾地区の人から
「清水さんお水有難う、明後日は休みだから遊びに来てね」と云う電話だった。
何でもないような電話連絡かもしれませんが、私はこのような連絡が入る事は嬉しいです。小さな本当にわずかな支援しかしていなくとも、継続して活動していると上記のように親しそうに連絡下さる。
人との繋がり助け合いはこのような関係から広がって行き、大きく助け合うようになる。 

以上です。

2013/05/20

現地報告(5/15-20)

活動日:2015.05.15-20
報告者:清水 幹生
14所帯の東八幡仮設住宅という所に咲いていた八重桜です。この仮設に次回はバグパイプを連れて行くつもりです。



5/15(水)
*午前中、小泉町外尾仮設住宅の元自治会会長宅を訪れた。
自宅は小泉町の街並みが有った場所からやや高台の場所にあり、外尾地区と云います。元自治会会長Oさんに自宅はその丘の上にありました。近所は4所帯有り、津波の時は、「ここまで来ることは無いさ」と、思っていたらあっという間に玄関前まで津波が来たので、急いで裏山に逃げたそうです。
一階は使い物にならず、避難所の小学校にはいられたようです。やはりお水が欲しいようで近所の方々も喜んでおられるようなので、これからも支援したく思っています。

*午後からは、わわ新聞をテニスコート仮設住宅に届けた。これで200部全部の配付が終わった。

5/16(木)
*午前中、幹雄さんと二人でcadoccoの掃除を行った。
幹雄さんはやはり若い、段取りも早く掃除も早い、お蔭で10時30分には全て完了した。
*ボランティア受け入れの準備で金光会館の掃除・部屋の風通し等を行った。
*五右衛門ヶ原テニスコート花壇の手入れ及び草刈りの準備を行った。
*夜9時からはスカイプによるフォーゲル倶楽部会議を11時まで行った。
議題はひかりツアーの事で、参加申し込みが50名になりましたので締め切り、行程などについて打合せした。
五右衛門ヶ原の三ヶ所の仮設住宅にて行う予定の”おちゃっこ”を、どのようにして行うのか、これが大変な事なのですが、それぞれ3人のリーダーとサブリーダーを決めて活動する事になった。ゲームを取り入れて、東京からお土産などを景品にしてムード作りをしておちゃっこにすれば何とかなりそうではある。
ドリームキャンプについては、6月1,2日に予定されている開催地での準備会には清水は出席出来ないので、気仙沼教会の幹雄さんに出席して頂く事については、支援機構代表の田中元雄先生の承諾を貰っている事を、報告した。
フォーゲル倶楽部は品川教会のOさんを担当者に決めて、6月1,2日に出席して頂く。

5/17(金)
*朝の7時30分頃気仙沼教会の幹雄さんと清水は軽トラで石巻教会へ向かった。
石巻教会は現在の教会は津波でかなり損傷を受けていて、このたび新築することとなった。場所は現在の場所で、取り壊しを行うので引っ越しせねばなりません。
一景閣の最初のボランテイア活動をする時、石巻から大勢の方が応援に来て下さった。支援機構としても黙って見過ごす事は出来ません。人数は少ないけれども何とかお役にたつことが出来たと思う。


  



*午後3時30分までのお手伝いで、引っ越し先までの荷物の搬送でした。
久しぶりの重いものを抱えての作業、我が腰を攻めて来た。ギクとしたがたいした事も無く、無事に終える事が出来てホットした。幹雄さんの若さが羨ましく感じたのは、わが身が年を取ったと言う事なのか!!
いやいや、まだまだと思っていると、末娘が、「お父さんいい加減にしなさいよ、お父さんはりっぱなお爺ちゃんなんだよ。年寄なんだからね」と、云われたことがありますがその時は、「このやろー」と、思いショックが大きかった。

*気仙沼に帰り、亀の湯というお風呂屋さんに行き、疲れた体を癒す事が出来た。
お風呂最高!!

5/18(土)

*東京から、朝の御祈念時6時過ぎに、東京寮のT先生、学生のFさん・Hさん・Iさんと車を出して下さった大谷教会のBさん5名が到着された。

*午前9時30分に五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅に行き、住民の方2名を迎えに行った。ボランテイアの6名と鹿折のホーマックで落ち合い、花の苗と園芸用の土を購入した。

*教会に帰ったら、日本橋教会のIさんが到着されていたので、皆で千葉さんのフリーダムで昼食を取った。美紀子先生は栃木の方に御用があるので、ボランテイアの皆さんに挨拶に来られた。

*昼からは草刈機等園芸用の道具を車に詰め込み、2台の車で五右衛門ヶ原のテニスコートに向かった。既に皆さんは外でお待ちかねでした。
13時30分から15時30分まで草取り及び花壇の手入れをした。天気も良く、気持ちよく作業が出来ました。気仙沼教会の幹雄さんもご子息を連れて参加して下さり、賑やかに過ごさせて頂きました。















*亀の湯のお風呂屋さんに行き、帰りに南町紫市場に寄りました。
ビヤガーデンが開かれており、音楽コンサートもありましたので、男性4人は早速生ビールを飲み楽しませて頂いた。教会に帰るとき、Iさんは沢山なビールを買い込みましたので、「今夜は楽しくなりそうであるなあ!」と、思いました。


*夕食は6時からでしたが、既に南町紫市場で一杯飲んでいますので、話も弾みます。
奥原先生は、「チョット喉を傷めているからと」と、アルコール類には手を出されなかった。酒が入れば奥原先生の話も弾みいろいろな事が聞けましたのに残念でした。それでもIさん、Bさんと清水が酒の勢いで大声で話す中を、奥原先生は話の中に入ってこられました。早めに奥原先生は引っ込まれましたが、我々ボランテイア組は話も勢いを増して夜9時まで話し込みました。
私は日頃は一人なので、仲間が来て大いに語り合う事が出来てとても楽しく過ごさせて頂いた。Iさん、Bさんと清水は長さんのバレンタインに行きカラオケを楽しみ、私も少々歌い気持ちが良かった。皆さん有難う!!

5/19(日)
*昨夜あれだけ飲んだのに、朝の御祈念に皆就いていた。

*奥原先生は我々が朝食をしている時に、「今から仙台まで行きます。仙台南教会の御大祭に参拝しますので」と、わざわざ挨拶されて出発された。
*われわれボランテイア7名は朝9時15分に教会を出発して、五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅に向かった。
住民の方々は、「今か今か」と、待ち構えておられて、「清水さん今日は時間通りどんぴしゃりでしたね」と、云われました。
早速、花壇に園芸用の土を入れて花を植え付けた。











  
*会長のMさんとご婦人たちが、「清水さん今日はね男性が多いのよね。何故かというと若い女の子が居るからよ」と、話しかけて来られた。「男はそうしたものですよ」と、云うと、「ホントねそうようね!!」と、「清水さんもそうなの」と、云わんばかりに私の顔を覗きこんでおられました。






解散後
 *作業も早めに終わったのでジュースを頂いて五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を後にして、東京に帰る人達全員を連れて高田市の気仙町と奇跡の一本松を案内した。

高台の神社から陸前高田を見る



地元の方とお話し
田植えの風景


一本松まで歩いていきます
*高田市を後にして、一路、越喜来の嘉宝荘に向かった。
皆さん方は、嘉宝荘が立ち直り再開してから訪れた事が無いというので、昼食を兼ねて訪れた。皆さん昼食には満足されたようでしたが、民宿は泊り客が多く女将のお話が聞けなったのが残念でした。


*嘉宝荘を後にして、碁石海岸を案内して気仙沼の新月駐車場まで帰り、ここでお別れした。








「もう帰ってしまうのか」と、思いつつ車が見えなくなるまで手を振った。車からも私が見えなくなるまで、車の窓から手を振り返してくれた。
私が見えなくなるまで手を振るのは、今の家内が私の所に嫁いで来てから子供を頂き大きくなって、何処かに行く時、学校に行く時、必ず見えなくなるまで見送っていた。お客さんが来ても、帰る時には必ず見えなくなるまで手を振っている。
それを見て、「人を送り出す時は必ずそうしよう」と、思ったからです。
気仙沼での事は、それに加え別れの寂しさもあるでしょうね!!
気仙沼に来て本当に寂しがり屋になり、涙もろくなりました。

*見えなくなるまで見送った後から、急に寒気がして来て体調の悪さに気が付きました。今から帰って現地レポートを仕上げる積りでしたが、到底無理な事に気付いたのです。
急いで教会へ帰りました。

*奥原先生を夕方の5時47分に仙台から帰られるので、気仙沼駅まで迎えに行った。教会に帰ると、幹雄さんが夕食の準備を終えられて待っていて下さった。
有難う御座います!!

*夕食後先生が玄関前に居られ、「横浜西のKさんが到着されて直接一景閣に行かれたよ」と、電話連絡があった事を伝えて下さった。
「そうか、明日からKさんを案内せねばならなかったのだ」と、思った。
「良かったなあ、昨日写真洗浄のコンタクト取れていて」と、改めて神様のお計らいに感謝した。
  
*夕食後、部屋に帰りパソコンを開きましたが、何となく何もやる気がしないので、椅子に座りぼんやりしていました。
美紀子先生が夜の9時15分に帰られると聞いていましたので、9時になるので急いで教会に行ったら、幹雄さんが、「私が迎えに行きますから良いですよ、ゆっくりして下さい」と、云う言葉に甘えて部屋に帰り、早々と床に就きました。

5/20(月) 
*夜中に数回目が覚めましたが、どうもいつもの体調と違う体に、「どうしたんだろう!」と、思った。
何時もの通り5時過ぎに目覚めて教会に参拝したが、熱ぽい体に気付いた。声に張りが無く、ご祈念の声も何時ものと違う、それでも朝起きて来られたことに感謝してお礼のお届けと体調の悪さをお届けして、「今日も元気でお役に立たせて下さい」と、願った。

*朝の8時過ぎには一景閣から横浜西のKさんが来られた。Kさんをお連れして今日の御用の場所、元新月小学校まで案内して写真洗浄に就いた。




*お昼まで作業して教会まで帰り、昼食をKさんと共に千葉さんのフリーダムで頂いた。

*午後1時過ぎにKさんをお連れして、再び元新月小学校に行った。Kさんは写真洗浄に就かれたが、私は部屋に帰り2時間近く休ませて貰った。
夕方の4時過ぎにKさんを迎えに行ったら、Kさんは写真洗浄の担当者と色々なお話が出来たようでした。担当者の方々は地元の方達です。
担当者の方からは。「金光教はどのような宗教ですか、どうして金光教にお参りしているのですか?」と、質問が出たそうです。宗教色を出さない方針ですが、話し手の被災地の方々から出た質問ですから、「こちらから宗教の話はしない方が良いが、そのような事なら一向に構いませんから話して下さい」と、Kさんに云いました。
体の調子が悪いのを理由にする訳ではありませんが、今一つ気が回りません。Kさんに失礼な事を言ったかもしれません。Kさん御免なさい。

*夕食後、現地レポートに向かい、作成に取り掛かった。何とか今日中に完成せねば、明日はどうなるかわからない。
夜9時前です。何とか完成となります。見苦しい点はお許しください。明日に備えて早めに寝る事にします。
皆さんもお体に気を付けて明日も元気に目覚めるお蔭を頂きましょう!!
おやすみなさい!! 

以上です。