2013/05/24

現地報告(5/21-24)



活動日:2013.05.21-24
報告者:清水 幹生

5/21(月)
*横浜西教会の信者Kさんをお連れして、岩手県高田市気仙町気仙町裏仮設住宅へお米を配布した。

*お米を配布御、住民のSさん宅に上がり込みお話を聞いた。短い時間だけお邪魔しようと思っていましたら、2時間近くも語られました。
Sさんは詩吟の師範でもあり、日本舞踊の名取りでもあります。時々、教えておられるようです。しかし、あまり自宅には訪れる方も・ボランテイアも来ないのかもしれません。震災当日の話を色々と語って下さり、おそらく胸の中におさめ切れないほどの思いがあったものと思います。
いつの日かSさんを色々な仮設住宅で詩吟・日本舞踊を披露させてあげたいと思っています。被災者の方が被災者の仮設住宅で共に語り、元気付け合う事も良いかな!と感じたのです。
Sさんは跡継ぎの息子さんをこの大津波で亡くしておられ、自宅に住めないわけではないのですが、「辛くて思い出すのも嫌だからこの仮設に入ったのです」と、以前語っておられました。

*11時30分頃Sさん宅を後にして、一路、越喜来(おきらい)の嘉宝荘(かほうそう)へ向かった。Sさんを嘉宝荘の女将Kさんに会わせたかったので、嘉宝荘で昼食を取る事にしました。800円という値段にしては豪勢な昼食でした。Kさんとも短い時間でしたが、お話も出来て良かった。

*嘉宝荘を後にして、甫嶺(ほれい)仮設住宅に向かった。
6月12日のバグパイプの演奏のポスターを届けに行きました。仮設住宅のお世話をしているMさんは、嘉宝荘の女将Kさんとは顔見知りの方で、住まいも泊で、隣り合せだったと云う事でした。

*甫嶺の仮設住宅を後にして、この甫嶺に気仙沼教会の信者Sさんが住んで居られるので、奥原先生からの託った公開講演会のチラシを届けに行ったが、留守だったので、再度訪問する事にした。

*甫嶺を後にしてKさんを復興の遅れている大槌町及び釜石等をご案内した。その帰りに再度甫嶺により信者さんのSさん宅に訪れて公開講演会のチラシを手渡した。

今日も体は不調でしたが、無事活動が出来、Kさんを被災地をご案内出来て安堵しました。夕食も美味しく頂き、早めに床に就きました。

5/22(水)
*午前中からKさんは金光会館の掃除・布団干しをして頂いた。清水はボランテイアハウスの掃除・布団干しを行った。

*午後からはKさんも清水も月例祭に参拝した。月例祭後はボランテイアハウス・金光会館の掃除・布団干しの後片付けをした。

 5/23(木)
*朝8時30分に一景閣にKさんを迎えに行き教会にお連れした。23日は金光会館に泊まる事になっている。

*午前中は幹雄さんKさんと清水の三人でcadoccoの掃除に出掛けた。やはり、3人だと作業は速い。10時30分には全ての清掃作業は完了した。

*10時45分に東新城仮設住宅のFさん親子を迎えに行き、「乙女のおちゃっこの会」に教会へお連れした。既に松崎柳沢仮設住宅のTさんとお友達のOさんは来ておられ、昼食の準備をしておられた。
12時前に昼食の準備も終わり、奥原先生ご夫婦と幹雄さん、Fさん親子、Tさん、Oさんと、ボランテイアの清水と横浜西教会のKさん2名を加えて9名での食事が始まった。
話の内容は、災害復興住宅についての事があり、
「子供たちは都会に行きもう気仙沼には帰らないと云うので、自宅を建てても仕方がないし、それかと云って災害復興住宅の家賃も高く、おまけに手付金や2か月分の家賃を前払いしないといけないし、考えているのよね」とか、
仮設住宅の住民の中には、「このまま仮設住宅に居ついてやるか!」と言っている人もいるようである。
話の内容から、子供たちが帰って来ない残された老人達ばかりの地域になりつつある気仙沼であるように感じた。
いろいろな話が飛び交い、皆さん方はある程度満足されていたようである。気仙沼市民会館の横にある仮設住宅のOさんから、「今頃はイベントも来なくなったし、ボランテイアにくる人たちも少なくなった」と聞いた。
以前南町で商売されていたTさんが新しく自治会の会長になられたので、顔見知りでもあり訪ねて、お話を聞いてみて支援に行きたく思いました。



*「乙女のおちゃっこの会」が終了後、Fさん親子を東新城仮設住宅まで送った。

*夕食はKさんからの御馳走もあり、大変美味しく頂きました。やっと体調も良くなりました。

5/24(金)
*朝8時40分頃、金光会館からお水を130本車に運び込んだ。
やはり年かなあ!24kgの箱を運ぶ時、ギクとしてやや痛みを感じた。運び込んだ後もやや痛みを感じている。
  
Kさんと共に蔵内・小泉小学校・外尾の各仮設住宅へお水を配布した。
蔵内のSさん宅を訪ねたら草刈りをしておられ、「来月から家の建築が始まるのよ」と、嬉しそうに話して下さった。このような良い話もある。こんな時は本当に嬉しい。
良かった良かった!!

*蔵内・小泉小学校・外尾の各仮設住宅を後にして、Kさんを志津川町までご案内し、現状の被災地をご案内した。
その後、教会に帰り南町紫市場のフリーダムで昼食を頂き、Kさんを午後2時40分の列車で東京に帰られるので、気仙沼駅まで送った。
「じゃあ気を付けて」と、云いましたら、「はい!主人が東京駅前迎えに来てくれますから」と、云われたので、「良いですね!やさしいご主人でね」と言い返しました。
「はい!やさしい主人です」と、良いですね、仲の良いご夫婦のようです!!

*夜、夕食後、奥原先生ご夫婦と色々と話し込みました。その内、幹雄さんが来られ、「NPO、NGOの連絡会議の報告をしますよ」と、云われ新たに話し込みました。
NPO、NGOの連絡会議の報告については、幹雄さんの方から支援機構の方に報告されると思いますので、ここでは内容には触れません。
それにしても、奥原先生ご夫婦と夜9時ごろまで話し込んだのは久しぶりでした。

*現地レポートを書いていると、2件ほど仮設住宅の人から電話があった。
①運動場の仮設住宅から
「清水さん今日はマッサージが来るのですかね」とのことで、「いいえ私の所ではありませんよ」と、答えたがどうも様子がおかしいので、「何かあったの、いやに慌てておられるようですが」と云ったら、「母親が急に具合が悪くなり何とか命は助かったが、ご飯を食べさせてあげないと、自分では食べられないのよ」と、話してくれた。「後で行くから、仮設住宅の事よりは今は、お母さんの方が大事ですよ!」と、話した。
②外尾地区の人から
「清水さんお水有難う、明後日は休みだから遊びに来てね」と云う電話だった。
何でもないような電話連絡かもしれませんが、私はこのような連絡が入る事は嬉しいです。小さな本当にわずかな支援しかしていなくとも、継続して活動していると上記のように親しそうに連絡下さる。
人との繋がり助け合いはこのような関係から広がって行き、大きく助け合うようになる。 

以上です。