2013/05/20

現地報告(5/15-20)

活動日:2015.05.15-20
報告者:清水 幹生
14所帯の東八幡仮設住宅という所に咲いていた八重桜です。この仮設に次回はバグパイプを連れて行くつもりです。



5/15(水)
*午前中、小泉町外尾仮設住宅の元自治会会長宅を訪れた。
自宅は小泉町の街並みが有った場所からやや高台の場所にあり、外尾地区と云います。元自治会会長Oさんに自宅はその丘の上にありました。近所は4所帯有り、津波の時は、「ここまで来ることは無いさ」と、思っていたらあっという間に玄関前まで津波が来たので、急いで裏山に逃げたそうです。
一階は使い物にならず、避難所の小学校にはいられたようです。やはりお水が欲しいようで近所の方々も喜んでおられるようなので、これからも支援したく思っています。

*午後からは、わわ新聞をテニスコート仮設住宅に届けた。これで200部全部の配付が終わった。

5/16(木)
*午前中、幹雄さんと二人でcadoccoの掃除を行った。
幹雄さんはやはり若い、段取りも早く掃除も早い、お蔭で10時30分には全て完了した。
*ボランティア受け入れの準備で金光会館の掃除・部屋の風通し等を行った。
*五右衛門ヶ原テニスコート花壇の手入れ及び草刈りの準備を行った。
*夜9時からはスカイプによるフォーゲル倶楽部会議を11時まで行った。
議題はひかりツアーの事で、参加申し込みが50名になりましたので締め切り、行程などについて打合せした。
五右衛門ヶ原の三ヶ所の仮設住宅にて行う予定の”おちゃっこ”を、どのようにして行うのか、これが大変な事なのですが、それぞれ3人のリーダーとサブリーダーを決めて活動する事になった。ゲームを取り入れて、東京からお土産などを景品にしてムード作りをしておちゃっこにすれば何とかなりそうではある。
ドリームキャンプについては、6月1,2日に予定されている開催地での準備会には清水は出席出来ないので、気仙沼教会の幹雄さんに出席して頂く事については、支援機構代表の田中元雄先生の承諾を貰っている事を、報告した。
フォーゲル倶楽部は品川教会のOさんを担当者に決めて、6月1,2日に出席して頂く。

5/17(金)
*朝の7時30分頃気仙沼教会の幹雄さんと清水は軽トラで石巻教会へ向かった。
石巻教会は現在の教会は津波でかなり損傷を受けていて、このたび新築することとなった。場所は現在の場所で、取り壊しを行うので引っ越しせねばなりません。
一景閣の最初のボランテイア活動をする時、石巻から大勢の方が応援に来て下さった。支援機構としても黙って見過ごす事は出来ません。人数は少ないけれども何とかお役にたつことが出来たと思う。


  



*午後3時30分までのお手伝いで、引っ越し先までの荷物の搬送でした。
久しぶりの重いものを抱えての作業、我が腰を攻めて来た。ギクとしたがたいした事も無く、無事に終える事が出来てホットした。幹雄さんの若さが羨ましく感じたのは、わが身が年を取ったと言う事なのか!!
いやいや、まだまだと思っていると、末娘が、「お父さんいい加減にしなさいよ、お父さんはりっぱなお爺ちゃんなんだよ。年寄なんだからね」と、云われたことがありますがその時は、「このやろー」と、思いショックが大きかった。

*気仙沼に帰り、亀の湯というお風呂屋さんに行き、疲れた体を癒す事が出来た。
お風呂最高!!

5/18(土)

*東京から、朝の御祈念時6時過ぎに、東京寮のT先生、学生のFさん・Hさん・Iさんと車を出して下さった大谷教会のBさん5名が到着された。

*午前9時30分に五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅に行き、住民の方2名を迎えに行った。ボランテイアの6名と鹿折のホーマックで落ち合い、花の苗と園芸用の土を購入した。

*教会に帰ったら、日本橋教会のIさんが到着されていたので、皆で千葉さんのフリーダムで昼食を取った。美紀子先生は栃木の方に御用があるので、ボランテイアの皆さんに挨拶に来られた。

*昼からは草刈機等園芸用の道具を車に詰め込み、2台の車で五右衛門ヶ原のテニスコートに向かった。既に皆さんは外でお待ちかねでした。
13時30分から15時30分まで草取り及び花壇の手入れをした。天気も良く、気持ちよく作業が出来ました。気仙沼教会の幹雄さんもご子息を連れて参加して下さり、賑やかに過ごさせて頂きました。















*亀の湯のお風呂屋さんに行き、帰りに南町紫市場に寄りました。
ビヤガーデンが開かれており、音楽コンサートもありましたので、男性4人は早速生ビールを飲み楽しませて頂いた。教会に帰るとき、Iさんは沢山なビールを買い込みましたので、「今夜は楽しくなりそうであるなあ!」と、思いました。


*夕食は6時からでしたが、既に南町紫市場で一杯飲んでいますので、話も弾みます。
奥原先生は、「チョット喉を傷めているからと」と、アルコール類には手を出されなかった。酒が入れば奥原先生の話も弾みいろいろな事が聞けましたのに残念でした。それでもIさん、Bさんと清水が酒の勢いで大声で話す中を、奥原先生は話の中に入ってこられました。早めに奥原先生は引っ込まれましたが、我々ボランテイア組は話も勢いを増して夜9時まで話し込みました。
私は日頃は一人なので、仲間が来て大いに語り合う事が出来てとても楽しく過ごさせて頂いた。Iさん、Bさんと清水は長さんのバレンタインに行きカラオケを楽しみ、私も少々歌い気持ちが良かった。皆さん有難う!!

5/19(日)
*昨夜あれだけ飲んだのに、朝の御祈念に皆就いていた。

*奥原先生は我々が朝食をしている時に、「今から仙台まで行きます。仙台南教会の御大祭に参拝しますので」と、わざわざ挨拶されて出発された。
*われわれボランテイア7名は朝9時15分に教会を出発して、五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅に向かった。
住民の方々は、「今か今か」と、待ち構えておられて、「清水さん今日は時間通りどんぴしゃりでしたね」と、云われました。
早速、花壇に園芸用の土を入れて花を植え付けた。











  
*会長のMさんとご婦人たちが、「清水さん今日はね男性が多いのよね。何故かというと若い女の子が居るからよ」と、話しかけて来られた。「男はそうしたものですよ」と、云うと、「ホントねそうようね!!」と、「清水さんもそうなの」と、云わんばかりに私の顔を覗きこんでおられました。






解散後
 *作業も早めに終わったのでジュースを頂いて五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を後にして、東京に帰る人達全員を連れて高田市の気仙町と奇跡の一本松を案内した。

高台の神社から陸前高田を見る



地元の方とお話し
田植えの風景


一本松まで歩いていきます
*高田市を後にして、一路、越喜来の嘉宝荘に向かった。
皆さん方は、嘉宝荘が立ち直り再開してから訪れた事が無いというので、昼食を兼ねて訪れた。皆さん昼食には満足されたようでしたが、民宿は泊り客が多く女将のお話が聞けなったのが残念でした。


*嘉宝荘を後にして、碁石海岸を案内して気仙沼の新月駐車場まで帰り、ここでお別れした。








「もう帰ってしまうのか」と、思いつつ車が見えなくなるまで手を振った。車からも私が見えなくなるまで、車の窓から手を振り返してくれた。
私が見えなくなるまで手を振るのは、今の家内が私の所に嫁いで来てから子供を頂き大きくなって、何処かに行く時、学校に行く時、必ず見えなくなるまで見送っていた。お客さんが来ても、帰る時には必ず見えなくなるまで手を振っている。
それを見て、「人を送り出す時は必ずそうしよう」と、思ったからです。
気仙沼での事は、それに加え別れの寂しさもあるでしょうね!!
気仙沼に来て本当に寂しがり屋になり、涙もろくなりました。

*見えなくなるまで見送った後から、急に寒気がして来て体調の悪さに気が付きました。今から帰って現地レポートを仕上げる積りでしたが、到底無理な事に気付いたのです。
急いで教会へ帰りました。

*奥原先生を夕方の5時47分に仙台から帰られるので、気仙沼駅まで迎えに行った。教会に帰ると、幹雄さんが夕食の準備を終えられて待っていて下さった。
有難う御座います!!

*夕食後先生が玄関前に居られ、「横浜西のKさんが到着されて直接一景閣に行かれたよ」と、電話連絡があった事を伝えて下さった。
「そうか、明日からKさんを案内せねばならなかったのだ」と、思った。
「良かったなあ、昨日写真洗浄のコンタクト取れていて」と、改めて神様のお計らいに感謝した。
  
*夕食後、部屋に帰りパソコンを開きましたが、何となく何もやる気がしないので、椅子に座りぼんやりしていました。
美紀子先生が夜の9時15分に帰られると聞いていましたので、9時になるので急いで教会に行ったら、幹雄さんが、「私が迎えに行きますから良いですよ、ゆっくりして下さい」と、云う言葉に甘えて部屋に帰り、早々と床に就きました。

5/20(月) 
*夜中に数回目が覚めましたが、どうもいつもの体調と違う体に、「どうしたんだろう!」と、思った。
何時もの通り5時過ぎに目覚めて教会に参拝したが、熱ぽい体に気付いた。声に張りが無く、ご祈念の声も何時ものと違う、それでも朝起きて来られたことに感謝してお礼のお届けと体調の悪さをお届けして、「今日も元気でお役に立たせて下さい」と、願った。

*朝の8時過ぎには一景閣から横浜西のKさんが来られた。Kさんをお連れして今日の御用の場所、元新月小学校まで案内して写真洗浄に就いた。




*お昼まで作業して教会まで帰り、昼食をKさんと共に千葉さんのフリーダムで頂いた。

*午後1時過ぎにKさんをお連れして、再び元新月小学校に行った。Kさんは写真洗浄に就かれたが、私は部屋に帰り2時間近く休ませて貰った。
夕方の4時過ぎにKさんを迎えに行ったら、Kさんは写真洗浄の担当者と色々なお話が出来たようでした。担当者の方々は地元の方達です。
担当者の方からは。「金光教はどのような宗教ですか、どうして金光教にお参りしているのですか?」と、質問が出たそうです。宗教色を出さない方針ですが、話し手の被災地の方々から出た質問ですから、「こちらから宗教の話はしない方が良いが、そのような事なら一向に構いませんから話して下さい」と、Kさんに云いました。
体の調子が悪いのを理由にする訳ではありませんが、今一つ気が回りません。Kさんに失礼な事を言ったかもしれません。Kさん御免なさい。

*夕食後、現地レポートに向かい、作成に取り掛かった。何とか今日中に完成せねば、明日はどうなるかわからない。
夜9時前です。何とか完成となります。見苦しい点はお許しください。明日に備えて早めに寝る事にします。
皆さんもお体に気を付けて明日も元気に目覚めるお蔭を頂きましょう!!
おやすみなさい!! 

以上です。