2013/02/02

現地報告(2/1-2)


活動日:2013.02.01-02
報告者:清水 幹生
 
2月1日(金)
* 朝、田中前記念公園仮設住宅に自治会会長のOさんを訪ねたが、今回も留守だった。
何も連絡が無いのは、ご主人の手術は大丈夫だったのでしょう。
インフルエンザが流行っていなければ、病院に見舞いに行けるのだが!

* 早めの昼食を済ませて、東京教会のDさん一行を気仙沼駅まで迎えに行った。
1210分頃Dさんのお連れ三人を、お迎え出来ました。
お連れ三人は信者さんではなく、Dさんの中学生の同級生で、その後熟女になった今日まで、友情が続いている素晴らしい仲間のようです。
西八幡仮設住宅でのおちゃっこ時間が迫っているので、南町紫市場まで案内し、昼食を済ませて頂いた。
清水は気仙沼教会の月例祭が130分から始まるので、お届けを済ませて皆さんを南町紫市場まで迎えに行った。
* 西八幡仮設住宅にお連れして、副会長のKさんにDさん達を紹介して、あとの事はDさんにお任せして、清水は教会に引き返した。
* 130分からの月例祭に参拝した。お祭りが終わり教会長先生の教話を途中でご無礼し、西八幡仮設住宅に向かった。
集会所の中に入ったらKさんが、「清水さんが来た来た、コーヒーで良い?」と、言って早速コーヒーを準備して下さった。


おちゃっこは、2名の男性を含めて7名の方が参加されていて、賑やかに楽しく談話が進んでいた。
ご婦人方の中には、ボランティアに来たDさん達と同年輩という方もおられ、打ち解けるのは早かったようである。

 
 
 
信者さんでないDさんのお友達三人も、談話が出来て初めて被災者の方達と接し、それぞれ感じ方は違うでしょうが、目的は達成されたと思う。おちゃっこの雰囲気がすごく良かったので、私はその様に感じたのでしょう。
最後に全員で写真を撮り、お別れした。1時から3時過ぎまでのおちゃっこでした。

 
震災時の話は出なかったようですが、復興住宅や復興町作りの話は出ていた。やはり今は、自分達の近い将来を一番心配されているようである。そのような話が出てきて、それを聞いてあげられる事が出来たのは、お役に立つ事が出来た、ボランティア活動であったと思う。

* 西八幡仮設住宅を後にして、こんどは被災地巡りをした。
海岸線を南に下り、志津川町までを案内した。
「テレビで見たり聞くのと、実際に見て感じるのは、こんなにも違うのか」と、Dさんのお友達が呟いていた。
「そうか、そんな風に感じてくれたのか」と、とても嬉しく思いました。

* 志津川町から教会に着いたのが630分となりましたが、嶋田先生は夕食を待っていて下さった。久し振りに女性の多い夕食(いつもより4人も多い)は、楽しく美味しかった。
教会長ご夫婦を含めての談話は、今日1日の感想を含めての話で、楽しく聞かせて頂いた。
* 9時すぎまで談話し、楽しい一時もあっという間に終わった。

* 夜の11過ぎに以前、小泉中学校グランド仮設住宅での餅つきイベントの時に歌ってくれた歌手のすわじゅんこさんから電話があり、
「私ではないけれど、気仙沼に行きたい歌手がいますが、清水さん達のグループを紹介しますので、お願いしても良いですか?私も別の機会に行きますので宜しくお願いします」
という事でプロの歌手(有名人ではありませんが)とコンタクト出来、活動に幅が出来るのは嬉しい。

* 金光会館に泊まられたDさん一行は談話が終わった後も部屋で夜遅くまで話が弾んだようである。
どんな話だったのかな?

2月2日(土)
* 540分、奥原教会長先生を気仙沼駅まで送った。先生は盛岡教会の月例祭を仕えに行かれた。
* 朝食後、Dさん一行を今度は気仙沼から北の被災地を案内した。
陸前高田・大船渡までの海岸線(小友・門ヶ浜・碁石海岸)・越喜来・釜石・大槌町までの約7時間の旅だった。

 
 
 
 
 
 
Dさん一行は越喜来の道の駅や南町紫市場で沢山買い物され、お金を落として行かれた。これも立派なボランティア活動である。
Dさん一行は338分の列車で、気仙沼を後にした。列車に乗られるまで手を振り別れを惜しんだ。
これでまた、寂しくなる。

[つぶやき]
* 日揮の友達からメールが来た。私が一緒に仕事をした仲間は、今回のアルジェリアの事件には誰もいなかった。
ただ亡くなった元副社長には、横浜の日揮本社で会ったように思う。
メールをくれた友達は最後にこんな事を書いていた。

「気仙沼は変わってきましたか?こちらではほとんど報道されません。原発の話すらなくなりました。これで大丈夫なんでしょうか?」と。
すでに風化が始まっているのでしょう。
東京でこんな状態ですから、遠く離れた西日本はもっと風化しているでしょう。

本教の中でも同じ事で、福島県の5教会への支援はどうなっているのでしょうか?
津波被害の大きな石巻教会と信者さんや、多くの信者さんが被害を受けた気仙沼教会への支援は、これから先どうなるのであろうか?
教祖130年のお年柄を迎えた今年、記念祭が行われるのは構わないが、その行事の中で原発や震災で被災された人々へ、心を寄り添う具体的な行動を起こして欲しい。
人が人を助けなければ誰が助ける。
人を助ける活動に金光教が旗を振らなければ、教祖130年の行事は色あせたものになる。教祖は泣いておられるのではありませんか!
東京教会のDさん、未信奉者を連れて来てくれてありがとう。
彼女達のような具体的な行動が必要です。
小さな事で良いのです。

以上です。