2013/01/19

現地報告(1/17-19)


活動日:2013.01.17-19
報告者:清水 幹生
 
1月17日(木)
* 今日は、岩手県大船渡市三陸町越喜来泊の信者Hさん宅で、新年祈願祭が行われた。朝は、やはり路面は凍結してしていたが、天気は良く青空だった。
1130分からのお祭りだが、路面の凍結の心配もあり、気仙沼教会を930分に出発した。途中は殆ど凍結の心配もなく、1時間で泊に到着した。
お祭りの準備をしている間に、越喜来泊地区の信者さん達がお参りに来られ、お祭りが始まる頃には20名近くの信者さんで賑やかになった。
 
 

気仙沼教会の信者さんは、南三陸から釜石までと範囲が広い。越喜来泊地区は年2回、祈願祭が行われている。
今回の震災で家屋敷など全てを失った人も多い。
直接的に被災されていないが、仕事場であった海は津波で荒らされ養殖場を全て失い、収入源を絶たれた人も多い。そんな中、教会長先生は、私達ボランティアをお供に、定期的に各信者さん宅を訪問した。
収入源を絶たれた人達は、お米など生活用品は必需品だ。私達はお米等を支援し、時折お宅を訪問する事に心掛けた。
 
私は感じさせられた。
信者さんは震災で信心力が弱っていたであろうが、教会長先生が自ら各家庭を訪問されて顔を見せる事は、どんなに嬉しく元気付けられたかを。お供をした私は側で見て来た。
これぞまさしく本教の神髄(真髄)である、現場(青空)結界お取り次ぎではないでしょうか?

Hさんやこの地方の言葉は、私は初めの頃さっぱり理解出来なかった。「はあ、そうですか」と、わかったような顔をして、頷くのみでした。月日が経ってくると、英語よりも理解しがたい言葉が理解出来るようになってきた。
そうした中でHさんは、「私の家は津波の被害はないので、避難所のように支援物資の配布はなかった。だが支援物資を頂いた人が、いろいろと分けてくださった。だからそうした人達に、今度は私が何かをさせて頂きたい。こうしてお米を頂いていますが、欲しい人がたくさんいますので、余分があれば頂けませんか」と、優しい目で私を見つめながら話された。
その話を聞いた後、Hさんの所には継続的に多めなお米を支援している。

「お参りされた信者さんの中には、信心が途絶えていた人がいて、再び参拝された」と、教会長先生は嬉しいそうに話された。
お祭りも終わり、お直会が始まった。私は、ついつい美味しいお酒を頂き少々酔ってしまった。あちこちで談話が始まり、楽しげに過ごすご老人の様子を見ました。
良いお祭りだった。

* Hさん宅での祈願祭後、今度は越喜来のMさん宅の宅祭に参拝した。
Mさんの家に津波が押し寄せたが床上浸水で済み、リフォームで住めるようにされ、宅祭を今年も行う事が出来た。
ここでもお直会を頂き、完全に食べ過ぎとなり、美紀子先生が準備してくださった夕食は全然食べる事ができなかった。
美紀子先生ごめんなさい。
こうして越喜来泊の祈願祭・宅祭を無事終える事が出来ました。

1月18日(金)
* 嶋田先生はNPONGO連絡会議に出席された。
* 私は、越喜来の信者さんが入院されていた事がわかり、教会長先生を大船渡市の中央病院にお連れした。教会長先生を病院において、私は越喜来杉下仮設住宅に向かった。
28日の午後から行う銀座教会の信者Yさんの音楽コンサートの打ち合わせ、及びチラシとポスターを渡す為に訪問した。

全て予定通りに打ち合わせが出来て、午後4時から音楽コンサートを行う事になった。
大船渡市の中央病院で待っておられる奥原教会長先生を迎えに行った。帰りは4時頃となり、途中で冷え込み始めてマイナス4℃まで下がった。

今日も無事御用が出来ました。

1月19日(土)
* 午前中、美紀子先生・嶋田先生・清水の3人で明日の報徳祭・新年会の買い物をした。
* 買い物前に、田中前記念公園仮設住宅にOさんご夫婦を訪ねた。ご主人の大腸ポリープの手術が28日だと聞いていましたので、美紀子先生にお願いして一緒に訪問し元気付けたかったのです。
「心配しないで、お祈りしていますから。これをお守りと思って下さい」と、ご神米を差し出したら、ちょっと涙を拭い気持ち良く受け取って頂いた。

* 私は午後から五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へ、271030分から行う銀座教会の信者Yさんの音楽コンサートのチラシを届けた。
* 嶋田先生と清水は午後3時から、明日、南町紫市場で行うF1グランプリグルメで使う机20台を、商工会議所から南町紫市場へ運んだ。
それにしても今日の南町紫市場の人出は少ない。寒さの為なのか?

以上です。