2012/04/27

現地報告・特別編②(4/15~17)

活動日:2012.04.15~17
報告者:ロバート・ジュリエッティ(シアトル教会)




 日曜日の朝、最初に気仙沼に着いたとき、私は実際何を期待しているのか確かではありませんでした。私は日本での半年間の教師養成研修のために、成田空港に到着したばかりでした。結果的に、気仙沼での3日間は、私の旅にとって素晴らしい滑り出しとなりました。
 始めに、毎日の御祈念を紹介されました。これは、ここでは普通に行われることのようですが、私の地元アメリカではそうではありません。私が初めて朝御祈念にお参りしたのは赤羽教会でした。気仙沼教会では、夜行バスを降りてすぐの6時に行われました。教会長の奥原志郎先生は、私たちを大変歓迎して下さり、取次をして下さいました。奥原先生は、私たち英語人にとってさえも、容易に付いて行ける、リズミカルなパターンで、しかもとても強烈な、とどろき渡るような声で御祈念を先唱されました。その後、言葉で表現できないほど、素晴らしい朝食をいただきました。食事は、驚くほど美味しかったです(あんなに美味しい食事を用意して下さりありがとうございました)。私たちは、翌日に控えた大祭の準備のお手伝いをすることになっていましたが、最低限のお手伝いしかできませんでした。
 大祭は、滞りなく仕えられ、その後も私たち全員、お祝いをするのに素晴らしい時間を過ごしました。教話の中心は、気仙沼の人たちが、一年前に街を襲った惨事から大事なことを学んだというメッセージで、本当に胸を打つものでありました。奥原先生は暗に、あの惨事は、様々な人たちに様々な方法でインパクトを与え、各々が思し召しのままに人生を引き受け、この地球上に愛する人たちと共に居られる瞬間に感謝するための、天地からの強烈なメッセージを得ることができたとおっしゃっているように思えました。
 次の日は、私たちは、五月の中旬に再オープンする地元のホテルを手伝いました。様々な階の部屋からベッド類のアイテムを運ぶ手伝いをしました。また、最上階から三階分、それぞれの部屋のエア・フィルターを掃除しました。私たちは、マスクを着用して埃と闘わねばならなりませんでした。そして、ホテルのバーにあったすべての椅子、テーブル、その他の小々した物を、ホールの向かいの宴会場まで運びました。その日は、肉体労働という長い一日となりましたが、気仙沼を元の経済的繁栄に戻すための奮闘の一助になれたことが、大変気持ちの良いことでした。
 翌日は、私たちの信頼できるガイド・清水さんとともに、被害を受けたたくさんの地域を訪問しました。
 私は、ビルの中に押し流された何台もの車や、崩壊した防波堤、陸に置き去りにされている船、建物の基礎の部分だけが残り、全ての家屋が一掃されているところなど、巨大な廃墟を見ました。私たちがボランティアをしたホテルが、可能な限り残ったことは、奇跡でした。私は、まるで小さな山のように積み重なった瓦礫や、ホテルの二階の角でハエの群れが大群をなすのを見ました。これまでの人生で見たことのないものをたくさん目撃しました。
 しかしながら、私は気仙沼の印象についてコメントしたいと思います。地震と津波の危険さえなければ、ここは地球上で、もっとも美しい地域の一つです。眺望は素晴らしく、海岸近辺は、広大なおかげそのものです。ここは、昨年から、大変重要な復旧を行ってきましたが、災害以前の状態に戻るまでには、まだまだ長い道のりが必要です。私は、いつの日か気仙沼が、生き残った人たちのたくましい社会となり、かつてないほど立派に復興することを信じています。
 気仙沼の人たちが、素晴らしい故郷の中で、今日の重労働が報われ、未来の世代へのおかげと喜びに満たされますように。私はまた、あなた方が、2011年に始まって、この社会の再建のために何をなしたかを思い出すものとして、あの大きな船の記念碑をそのままにしておくことを考えて欲しいと思います。