2014/04/02

活動報告(3/25₋31)

活動日:2014.3.25-31
報告者:清水幹生
 
 
 
『お礼と最近の仮設住宅の方達や被災者の状況』
 
 
 3月もとうとう31日を迎えて、災害ボランティア活動も3年間、皆様のご支援で無事終えることが出来ました。有難う御座いました。
 先日、岩手県宮古市田老町の田老サポートセンターで餅つきイベントをさせて頂きました。その時、気仙沼の仮設住宅の3名の方達が「私達も何かお手伝いさせて下さい」と、参加されて田老町の仮設住宅の方々と交流も出来ました。お互いが励まし合い、自立への道を歩もうとしています。
 3年間活動してきて「本当にお役に立っているのであろうか?」と思っていましたが、「これで良かったのだ」と感謝しています。東新城仮設住宅からは「清水さん、自治会の総会があるので餅つきをして頂けませんか?準備とかビンゴゲームの景品などはこちらで準備しますから」と、自分達で何かしたいという動きがあります。私達はお手伝いだけで済む事となります。このような自治会も、数はまだ少ないが少しづつ出始めています。
 大震災後、いよいよ4年目に入りますが災害復興住宅に入れるまでにはもう2、3年掛かります。働く場所も少ないし、職場が有っても賃金は低い状況の中、生活費も段々乏しくなってきており、厳しい状況になってきています。僅か3kgのお米でも「有難う、これで一週間は食べられます」と、喜んで頂いている。
 これからも生活用品を主 体とした景品付きのビンゴゲーム・ジャンケンゲームは、いろいろなイベントに合わせて継続していくつもりです。物資の支援については色々とご意見は有るでしょうが、被災者の方達の現状をどうかご理解頂き、ご支援頂けますようによろしくお願いいたします。


 
『3月25日(火)から3月31日(月)までの活動状況』
 
 
 
1、3月25日(火)の活動状況
 
 
*3月28日の岩手県宮古市田老町田老サポートセンターでの餅つきイベントの参加者が7名になったので、餅つきイベントの材料・資材を事前に現地まで運んだ。     
*夜、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅での吉見音楽コンサートのチラシを作成し、印刷した。
 
 
 
2、3月26日(水)の活動状況
 
 
*31日(月)の五右衛門ヶ原運動場仮設住宅での吉見音楽コンサートのチラシを配布。
*午後から金光会館のリフォームの工事が4月から始まるので、ボランティア支援機構関係などの荷物をボランティア ハウスへ移動した。
 
 
 
3、3月27日(木)の活動状況
 
 
*午前中はcadoccoの清掃作業日であったが、前日にcadoccoを使用した団体がカギを持って帰ってしまい、部屋に入れず清掃作業は断念した。その後、11時から始まる乙女の会の参加者で津谷に住んで居られるKさんを迎えに行った。
*Kさんを教会で降ろして、五右衛門ヶ原テニスコートのMさんを迎えに行った。
*11時には6名の被災者の方が全員集まり、それぞれが料理されて来られた御馳走を頂きながらおしゃべりが始まった。教会長先生ご夫婦の手作り餃子が出て、それを頂いた皆さん方の美味しそうな顔つきが印象的でした。参加者は教会長先生ご夫婦と信者さんのOさん及び清水を加えて10名でした。11時からおしゃべりが終わったのは15時でした。
 「津波のお陰で皆さんとも会えて、他の仮設住宅のイベントにも出掛けられるようになり、お世話になるばかりではなく、お礼を込める意味でもイベントのお手伝いが出来る事がどんなに有りがたい事か!!」と話されていた。心がよい方向に向かわれるようになり、本当に有りがたい事です。
 

 
 
*夕方、東京からバグパイプの演奏者である加藤健次郎さんが到着した。明日の岩手県宮古市田老町田老サポートセンターでの餅つきイベントに参加されるために来られた。
 
 
 
4、3月28日(金)の活動状況
 
 
*朝のご祈念後、津谷のKさんを迎えに行った。今日の岩手県宮古市田老町田老サポートセンターでの餅つきイベントに参加するKさんをお迎えに行ったのである。
*ステップワゴン車に荷物を詰め込み、参加者の皆さんを乗せて朝の8時に気仙沼教会を出発した。参加者は、東新城仮設住宅のFさん親子、気仙沼公園仮設住宅のOさん、津谷にお住いのKさん、美紀子先生、バグパイプの加藤健次郎さん、そして清水の合計7名でした。
*朝の8時に気仙沼教会を出発して現地の田老町には11時15分頃到着した。直ぐ餅つきの準備に入り、もち米を蒸し始めてのが11時30分。田老サポートセンターには既に十数人の住民の方が集まって来ていた。
*12時にもち米も蒸しあがったので餅つき開始である。バグパイプの演奏は11時50分頃から始めたが、とうとう100名を超す住民が集まった。臼の周りには手合わせの女性数人と、餅つきの男性が数人が取り囲み餅つきを待っていた。地元の人達は、餅つきを楽しみにしておられた様で意気込みが違う。私の出る番は無かった。女性の手合わせは非常に上手い!!男性の餅つきの姿は素晴らしく、出来上がった餅は本当に粒がなく綺麗であった。
*バグパイプの加藤健次郎さん、餅つきに合わせて演奏してくれて大変盛り上がった。最後の4臼に入った時、バグパイプの加藤健次郎さんはサポートセンター内に入り、中におられる方々にバグパイプの演奏をしてくれて、待っている人達のもてなしが出来た。
 






 
*午後1時過ぎには餅つきも終わり、いよいよビンゴゲームとジャンケンゲームの始まりとなった。景品を並べて室内を見渡すと、多くの方々が「早く早く」というようなムードが漂っていた。子供も数人いた。ビンゴゲームで一番早くなくなるのはお米でした。気仙沼ではお水の方が早く無くなった。地域地域で早くなくなる物の違いが出ているのは、やはり原発の放射能に関係しているのであろうか?こうして楽しく賑やかに過ごすことが出来た。最後に気仙沼から来た被災者の方達を紹介したら、拍手して下さった。全てが終わったのが午後1時50分ぐらいでした。荷物を車に詰め込んでサポートセンター内に入ったら、気仙沼の被災者の方達は田老町の被災者の方達と談話されていた。
 



 
遠く離れた被災者同士、意見の交換が出来て良かった。30~40分程度の談話(意見交換)を済ませた後、一路気仙沼へと向かった。
*気仙沼の被災者の方達を、田老町の代表的な観光地である山王岩と宮古の代表的な観光地である浄土ヶ浜を案内した。その後、バグパイプの加藤健次郎さんを宮古駅まで送り、ここでお別れした。我々は気仙沼に向かい、夕食時間になったので高田市の小友地区に美味しいレストランがあるので、そこに立ち寄り夕食を頂いた。被災者方達とこうして外食をするのも良い交流が出来るし、仮設住宅や一人ぼっちで部屋に篭りがちな方々の心の中に、ゆとりが出てくると思うのです。 
 




 
 
*それにしても車内は乙女の方たちばかり、気仙沼を出発し気仙沼に帰るまでおしゃべりは絶える事は無く、時には大笑いをしながら、時には大震災の時の話があったり、いい感じで旅が出来ました。気仙沼教会で皆さんとお別れして、私は津谷のKさんを送った。
*Kさんを送って気仙沼に帰り、4月1日(火)に松崎柳沢仮設住宅で行う吉見音楽コンサートのチラシを作成し印刷した。


5、3月29日(土)の活動状況
 
 
*朝の8時30分頃、松崎柳沢仮設住宅に行き、4月1日に行う吉見音楽コンサートのチラシを配布した。
*イベント用の品物が不足していたので、買い物をした。その後、11時47分吉見音楽コンサートの吉見さんご夫婦が到着されるので、気仙沼駅まで出迎えに行った。
*昼食後、吉見さんご夫婦・美紀子先生と清水は岩手県高田市気仙町上長部の仮設住宅へと向かった。集会所に着き、吉見音楽コンサートの準備をしていたら10人ぐらいの方達が集まって来た。吉見さんの音楽コンサートは、上長部での演奏は初めてである。まるまる2時間も演奏して皆で歌った。私も良く歌ったが、歌うのは良いですね!!大きな声で歌うと何かしらいい気持ちになる。
*2時間後はビンゴゲームとジャンケンゲームで締めくくりましたが、盛り上がりは凄かった。こうして久しぶりの上長部でのイベントを終える事が出来ました。
 

 
 
 
 6、3月30日(日)の活動状況
 
 
*朝食後、岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)杉下仮設住宅で行う吉見音楽コンサートの準備をして、8時30分に気仙沼教会を出発した。高田市の嵩上げ用の土を山を削り、その土をベルトコンベヤーで運ぶ装置を建設中の様子を、吉見さんご夫婦に説明しながら越喜来(おきらい)へ向かった。
*杉下仮設住宅の集会所に到着したら、集会所では朝の体操を行うところであった。その体操が終わるのを待って、室内に音楽コンサート道具やビンゴゲームの景品を運び込んだ。
*10時になると30人の人達が集まって来たので、吉見音楽コンサートを開始した。いつも場を盛り上げて下さる人が、今日もやって来られて皆を笑わせて場を明るくして下さった。しかし、「ふるさと」という歌を歌いだしたら大粒の涙を流されていたが、大津波の事を思い出されたものと思う。当初、悲しさを思い出させるような歌は演奏しないようにしていた。大震災3年後の今は、「ふるさと」のような歌を皆で歌うのであるが、悲しくなってくるのは確かな事である。大震災の前のご自分の「ふるさと」を思い出すのは辛いでしょうが、故郷への思いを抱かせた懐かしさの涙と感じた。歌を大きな声で歌うと心の中が洗われてくるような気がして、気持ちが良いのです。
*ここも2時間歌い続けましたが、皆さんの顔の表情は明るい。この後のビンゴゲーム・ジャンケンゲームは総括となり皆さんは本当に喜び楽しんでくれた。
 


 
*全てを終えて、昼食を嘉宝荘(かほうそう)で頂いたが、量も多く安くて、「こんな美味しい料理でこんなに安く頂いて良いのだろうか?」と、吉見さん夫婦と清水は大満足の昼食であった。
嘉宝荘のKさんは、働き過ぎで寝不足が続いているので「寝不足だけはダメですよ。ちゃんと睡眠をとって下さいよ」と、声をいつも掛けている。玄関に入る時、ちょうど娘さんが来ておられて、Kさんのご主人がお孫さんを抱いて出て来られた。「おう、よお!」と、短い言葉であるが、それで私とご主人とは気持ちが分かり合えている。3年は長いようであるが、自宅の建設がそろそろ始まる。大工であるご主人は既に木材の刻みは全て終えられて、建築許可を待っていた。ようやく許可も下り、いよいよ建築が始まるのです。大震災で全てを失ったお二人であるが、まもなく安心して休める住居が出来る。
 
 
 
7、3月31日(月)の活動状況
 
 
*午前中、現地レポートの作成に取り掛かった。
*午後2時からは、五右衛門ヶ原野球場で吉見音楽コンサートを予定通り行った。吉見さんご夫婦と美紀子先生と清水で出掛けましたが、途中から幹雄先生が子供さんを連れて来られて参加された。
*この運動場仮設住宅の自治会長を3年間勤めて来られたNさん、この3月31日が最後となり4月1日からは新しい自治会長となります。Nさんのご苦労さん会を兼ねて(自分だけの思い)、楽しく賑やかにさせて頂きました。参加者は50名を超えていました。歌も皆さん大きな声で歌われて、楽しんでくれました。ビンゴゲーム・ジャンケンゲームも色々と工夫しました。最高に喜んで頂き、楽しんで頂きました。3年目の現地代表としての最後の日を無事終えることが出来ました。自治会長のNさんの最後のお役目に花が添えられたかなあ!?と、3年間お付き合いが懐かしく思い出されました。Nさん有難う御座いました。ご苦労様でした。
 






 


 

*夕食時、吉見さんご夫婦、気仙沼教会教会長ご夫婦と色々と懇談させて頂きました。年齢的にもほとんど同じで、違うのは私の側には家内が居ないだけでした。2組のご夫婦の仲の良い所を見せて頂き、「やはり歳をとるとケンカしながらも夫婦が一番」と、思いました。
 
以上です。
 
 
 
清水さん、3年目となるこの1年間、本当にご苦労さまでした。
また、4年目となる今年度も、どうぞよろしくお願い致します。
 
奥原 幹雄(スタッフを代表して)