2014/04/28

活動報告(4/15₋22)

活動日:2014.4.28
報告者:清水幹生
 
 
 
4月15日(火)から4月22日(火)までの活動状況
 
 
 
1、4月15日(火)の活動状況

*東京からT教会の信者Dさんが、同じ東京在住の尺八演奏者のクリストファー遙盟(ようめい)さんと奥様の木村美加さん(声楽)が12時前に到着された。クリストファー遙盟(ようめい)さんは1年ぶりの再会で、奥様の木村美加さんは初めての気仙沼である。
*皆さんを南町紫市場までご案内して昼食を済ませ、気仙沼教会に参拝した。午後1時30分に教会を後にして、被災地の鹿折地区と安波山をご案内して、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へ向かった。集会所では4月から新自治会長のFさんと副会長のOさんが出迎えて下さった。集会所で、「竹の声、人の笛~おちゃっこ音楽会」の準備をしていたら、12名の住民の方が集まって来られた。
*『竹の声、人の笛』は、クリストファー遙盟さん(尺八演奏者)+木村美加さんの『声楽』による、尺八&声のデュオ・コンサートです。14時から2時間近く演奏が行われましたが、極楽浄土と良く言われますが尺八の音色は人の心の中に染み込んで行く。そして、木村美加さんの声楽は痛んだ心を癒してくれるのです。尺八に合わせての声楽は体全体を使い、また顔の表情や目の表情も人の心の中に入って行き、心を癒してくれる。参加者した住民の方々の聞き終わった後の表情がすごく良かった。木村美加さんの ​身体全体を使い、また顔の表情・目の表情で人に訴えかけるような仕草で歌う姿、「 被災者に心を寄せて行く」と、云う事の神髄を見せて頂いた。
*「竹の声、人の笛、声楽」の演奏を終わり、最後はビンゴゲーム・ジャンケンゲームで締めくくったが、4月から新体制の役員で始まった五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅の運営にお役に立てたであろうか!?災害復興住宅に入れるまで、住民の皆さん仲良く楽しく過ごして頂きたい。
*クリストファー遙盟さんと木村美加さんを宿泊予定の一景閣まで送り、そのままT教会の信者Dさんを宿泊予定の気仙沼駅前のホテルまで送った。そして、午後5時45分に皆さんを迎えに行き、教会で夕食を頂いた。気仙沼教会長先生ご夫婦を交えて午後8時ごろまで懇談も出来た。



 
 
 
 
2、4月16日(水)の活動状況
 
 
*T教会の信者Dさん、朝6時からのご祈念に気仙沼駅前のホテルから歩いてお参りされた。Dさんと教会で朝食を頂き、美紀子先生を加えて8時30分に一景閣まで行きクリストファー遙盟さんと、木村美加さんを迎えに行き、岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)杉下仮設住宅に向かった。陸前高田市の「奇跡の一本松」辺りを通り過ごす時、クリストファー遙盟は一年前との情景変化にびっくりされていた。杉下仮設住宅に到着したら、既に多くの住民の方が待って居られた。
*集会所に入り椅子等を並べて準備をしていたら、いつの間にか住民の方達が35名集まって来られた。 住民の方たちとは一年ぶりの再会であるが、皆さん方クリストファー遙盟さんを良く覚えておられた。演奏は10時から12時まででしたが、この仮設住宅は大震災前に住んで居られた地域が同じであったという事もあり、非常にまとまりが良い。演奏が始まると何時ものおばさんが、手振り身振りで踊りが始まり、住民の人達大喜びであった。「竹の声、人の笛、声楽」の演奏は今まで来た音楽コンサートとは違っていたのか、あるいは、木村美加さんの身体全体で訴えかけるような仕草や顔と目の表情に圧倒されのか、住民の方達は何時もの聞き方が違う。ひとつひとつ演奏が終わると拍手喝采であった。
*ここも締めくくりはビンゴゲーム・ジャンケンゲームで、何時ものにぎやかで大声で騒ぐ住民の顔に帰った。12時過ぎにすべてを終えて、昼食を気仙沼教会信者さんの経営する民宿の嘉宝荘で頂いた。一年前もここで昼食を頂いているので、魚料理の美味しさをクリストファー遙盟は良く知っておられた。
 








*車の運転はT教会の信者Dさんが運転されて、気仙沼駅に向かった。三陸自動車道は三陸町から陸前高田まで距離が伸びて、所要時間も短くなりました。Dさんは女性ながら運転技術は相当なもので、私はいつの間にか居眠りしていました。美紀子先生を南町で降ろし、気仙沼駅へと向かった。Dさんは14時27分の列車で東京へ帰られた。ご苦労様でした。Dさんのお陰でクリストファー遙盟さん・木村美加さん ご夫婦と知り合い、ボランティア活動に参加して下さるようになった。Dさん有難う御座いました。
*Dさんを気仙沼駅で降ろした後、クリストファー遙盟さん・きむら みかさんと清水3人は五右衛門ヶ原運動場仮設住宅へ向かった。集会所前で4月から新しく自治会会長になられたYさんが出迎えて下さった。クリストファー遙盟さん・木村美加さん ご夫婦はこの仮設住宅は初めてである。
*集会所内にビンゴゲーム・ジャンケンや音楽会の荷物を降ろしている間に、多くの方達が集まり始めた。多くの人は顔見知りであるが、今度の自治会会長とは初めて会ったが気仙沼教会の教会長先生とは顔見知りのようであった。自治会の様子は 以前とは違うような雰囲気でしたが、皆さんで椅子等の準備も仲良く手伝い合いながらしておられたし、呼びかけにも出かけられていた。心配は無さそうである。良かった良かった。
*『竹の声、人の笛』の演奏が始まる頃には50名近くの人達が集まって来た。木村美加さんは歌う前に息の仕方を身体全体を使い、皆さんに教えていた。歌うには息の仕方があるようで、皆さん真剣な表情で聞き、それぞれの方達は木村美加さんの姿を見ながら真似をされて、息の仕方を学んでいた。クリストファー遙盟さんは、尺八4本を持ってきておられたが、それぞれ寸法が違い長くなると低い音程となる。それぞれの尺八を吹いて、皆さんに違いを説明しておられた。
木村美加さんの声楽とクリストファー遙盟さんの尺八、見事な演奏で住民を魅了されていた。2時間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。
*ここも最後はビンゴゲーム・ジャンケンで締めくった。自治会の役員の多くが車が見えなくなり迄見送って下さった。「有難う、また来ますから」と、行って手を振り振りお別れした。
*お二人を一景閣まで送り、荷物をホテルに降ろされて南町紫市場まで送り、そこで夕食をされて被災地を見ながら一景閣に帰られたようである。








 
3、4月17日(木)の活動状況
 
 
*朝の9時30分に一景閣まで迎えに行き、気仙沼公園仮設住宅に向かった。クリストファー遙盟さんはアメリカ、テキサス生まれ。1972年に来日。竹盟社宗家・人間国宝故 山口五郎師に師事しつつ、82年に東京芸術大学大学院を修了、国内・中国・東南アジア・ 旧ソ連・ヨーロッパ・カナダ・アメリカ・インド等で演奏された。ここの仮設住宅には、昔尺八の修行をされていた住民の方が居られて、クリストファー遙盟さんの師匠の人間国宝故 山口五郎師のお父さんに師事されていたようである。クリストファー遙盟さん、このような所でご自分の師匠のお父さんのお弟子さんに会えて感激されていた。素晴らしい出会いであった。
+一方、木村美加さんは歌手(日本語の歌)。講師。翻訳家。1970年代前半、演劇に進みかけていた高校生時代終盤に、現代ニホンゴの発声法、言語形声法への漠然とした不安/疑問から「声」の勉強を始め、進路を急変。東京芸術大学音楽学部声楽科に入学/卒業1976-1980)同校在学中は、声楽を三池三郎、R.リッチ、N. ルッチ等(いずれも敬称略)に師事、ルネサンスから20世紀半ばまでのイタリアの芸術歌曲を専攻する傍ら、野口体操(野口 三千三)、三木生命形態学(三木 成夫)に出逢い、身体性と声の関わり、人の歌唱行為の意味について学ぶ。また、 同世代日本の作曲家たちの日本語声楽作品を試演奏する活動も始めるが、それをきっかけに、初めの疑問(現代日本語の発声/言語形成法)に立ち戻り、日本の古典歌曲(能の謡、長唄)の歌唱法の勉強を始める。

 

*師匠のお父さんのお弟子さんに 会えた感激がそうさせたのか、クリストファー遙盟さんの尺八の音色が一段と冴えたような気がした。「 荒城の月、出船、浜千鳥、風」、そして木村美加さんの、「うぐひす」素晴らしい演奏を聴き心が癒されました。参加された住民の方は30名でしたが、平日と云う事もあり若い方は御勤めが有りお年寄りが多かった。
*朝10時から12時までの演奏、なんだか短いような気がした。ここも最後はビンゴゲーム・ジャンケンで締めくくりましたが、クリストファー遙盟さん・木村美加さんは住民の側により添い共にビンゴゲーム・ジャンケンを楽しんで下さった。
気仙沼公園仮設住宅を後にして、南町紫市場のフリーダム(千葉さん)で昼食を済ませた。そこでクリストファー遙盟さんは、私の顔見知りの方と談話され楽しんで居られた。昼食後、気仙沼教会に戻り教会長先生達とお別れの挨拶後、被災地を案内した。「岩井岬に行きたい」といわれたのでご案内した。あの大津波の時、「全員全力疾走で逃げろ」といって高校のグランドにいた生徒に指示を出した。生徒は2km先の小高い所まで全力疾走で逃げて助かった。そのような適確的な指示を出した、野球部の監督が向洋高校に立ち寄ってみた。

ここのグランドは瓦礫処理プラントが設置されていたが、瓦礫処理も済み今はグランドは整備されて綺麗になっていた。ところが校舎はそのままで、校舎内も大津波で受けた被害の状態そのままであった。第一校舎と代に校舎の間には瓦礫はそのままで、車が真っ逆さまになったままになっている。クリストファー遙盟さんご夫婦はそんな様子をカメラに納められてたが、何を感じどのように受け止められたのであろうか!?
岩井崎をご案内した後、唐桑半島に向かった。太平洋側に有る巨釜・折石・八幡岩を案内して、唐桑半島ビジターセンター・津波体験館で津波体験をして貰った。その後、一ノ関まで送り、御二人は16時57分の新幹線で東京へ帰られた。3日間有難う御座いました。




 







 
4、4月18日(金)の活動状況


東新城で19日(土)に行う餅つきの準備を行った。
3臼搗くので3個のバケツに3kgずつもち米を入れて、東新城に行き集会所台所でもち米を洗い水に浸した。



5、4月19日(土)の活動状況

 
*朝の10時30分に気仙沼教会の信者Oさんと、気仙沼公園仮設住宅のOさんが教会に来られたので御二人を連れて東新城仮設住宅に向かった。東新城仮設住宅では午後から自治会(40所帯)の総会が有り、「なかなか人が集まりにくい し、以前して頂いた餅つきイベントが好評で人が寄ってくれる。ぜひ餅つきイベントして下さい」と、20日が総会だったのですが20日は気仙沼教会のご大祭がありダメなので、総会を19日に変更して餅つきイベントを行うことになったのです忙しい毎日ですが、このようにお役に立てることならばと思い実行することにしました。御二人のご婦人がお手伝いに来てくださったので 助かりました。
集会所には既に多くの方が集まって来ていた。臼など餅つきイベントの準備も住民の方々が助け合い、11時にはもち米を蒸す準備も出来た。気仙沼公園仮設住宅のOさん、住民の中に加わり、あんこ・すり大根・きな粉などの準備を手伝っていた。気仙沼教会の信者Oさんはもち米を蒸かす準備をしていて、それぞれがそれぞれの役割の中でお役に立っている。有りがたい事です。
11時30分、意外に早くもち米が蒸しあがった。住民のFさんのご主人がニコニコしながら餅つきをして下さった。蒸しあがり方が良かったのか、こねるだけで粘りが出てきて餅が出来上がるのが早かった。こうして住民の協力があり3臼搗き終わったのが12時30分で、後かたずけも早く終わる事が出来た。
やはり、最後の盛り上がりはビンゴゲーム・ジャンケンゲームでした。気仙沼教会の信者Oさん・気仙沼公園仮設住宅のOさんも加わり、賑やかに大笑いもしながら過ごすことが出来ました。この後、総会をされたようですが、「大拍手のもと、速やかに笑顔の中で無事終えたよ」と、Fさんから報告が有りました。
教会に帰りましたら、東京のN教会の信者Iさんが到着されていた。信者のOさんは明日のご大祭後のお直会の準備をお手伝いされていたが、気仙沼公園仮設住宅のOさんは信者さんではないのに台所に立ってお直会の準備をお手伝いされていた。気仙沼公園仮設住宅のOさんは乙女の会に参加されていますが、このような形で教会に慣れていろいろな問題をぶっつけて来るようになるのではないでしょうか?一人の難儀な氏子が助かりさえすればそれで良い、そのお役に立てる事が嬉しいですね。
東京のN教会の信者Iさんは臼や色々な物をボランティアハウスの土間のある部屋まで運んで頂いた。金光会館は工事中なので、金光会館に有ったボランティア活動用品をボランティアハウスに移動させなければいけない物が残っていましたので、Iさんが来られたので本当に助かりました。Iさんご苦労様でした。
*夜8時30分から10時30までフォーゲル倶楽部のスカイプ会議でした。議題は第3回ドリームキャンプの事である。







6、4月20日(日)の活動状況


*午前中、御大祭の準備のお手伝い。
11時30分からのご大祭に参拝。ご大祭後の教話は幹雄先生がされた。
お直会を済ませあと片付けを済ませて、東京のIさんは16時17分の列車で東京に帰られた。

 

7、4月21日(月)の活動状況

 
*ボランティアハウス周りの草抜き、シーツ等をコインランドリーで洗濯。現在は金光会館が使えないので、洗濯はコインランドリーで行っている。



8、4月22日(火)の活動状況


*東新城のFさん宅を訪問し、おちゃっこした。身体の具合の悪かったFさんのお母さん、顔色が良くなってきた。歩く姿も機敏になって来た。乙女の会に参加されるようになり、教会に来るとお広前で教会長先生とお話されるようになり、心が神様に向いてきた。身体の具合が悪かったのが良い方向に向かって来たのは、心が神様に向かい始めてからである。このFさん宅訪問は、今の私には憩いの場になっているかもね!?お茶を頂きながら商売再開の話、一番お二人の笑顔が良くなるのがたった一人の娘さん(お母さんからはお孫さん)の話が出る時である。そんな様子を見ていると、こちらまで楽しくなる。ほとんどテレビを見ることは無いが、このFさん宅ではテレビを見ながらのおちゃっこで、私がテレビを見る唯一の場所である。

以上です。