2013/07/13

現地報告(7/8-13)

活動日:2013.7.8-13
報告者:清水幹生

1、7月8日(月)の活動状況 
*1日~7日までの現地レポートの修正
*14,15,16日のイベント:パームセラピーのチラシ作りに取り掛かった。
*五右衛門ヶ原の運動場仮設住宅へ8月12日の岩本音楽コンサートについて打合せ。8月12日10時から12時まで行う事で同意して頂いた。
*8月の活動予定で色々な方々に連絡し、イベント内容を考え日程の調整を図った。
2、7月9日(火)の活動状況 
*午前中、ボランティアの受け入れ準備のため、部屋の掃除と布団などの準備をした。 
*五右衛門ヶ原の野球場仮設住宅の要望の件で、本部・支援機構等と連絡し、半日近く時間を費やした。
*芝教会のYさんが13時41分に気仙沼に到着された。
*五右衛門ヶ原の野球場仮設住宅の要望の一つに秋に布団が挙げられていたので、志津川に居られる信者のSさんに連絡を取る事にした。
ところが美紀子先生が連絡したが連絡が取れず、「連絡が取れないのよ、留守電に教会に連絡を下さいと入れたが返事が来ないのよ、何か有ったのかしら」と、心配される。「とにかく心配なら自宅まで行きましょう」と、芝教会のYさんを教会に残して志津川に車を走らせた。
Sさんと会う事が出来た。
お元気でしたが、「気持ちの浮き沈みが激しくてとても布団屋業は出来ません、今は仕事していません」と、語られた。大津波に飲み込まれたご主人はまだ発見されていません。心が安定するには時間が掛かりますね。Sさんの心情は計り知れません。
Sさんの顔の表情が、何かしらホッとしたように見えたのです。布団の事は、布団を作る会社に問い合わせて下さるようです。Sさんに託すことにしました。
やはり、現地を預かった者は被災者の方々のところに出来るだけ多く足を運び顔を見せる事の大切さを、あらためて感じた。
*芝教会のYさんを教会に残していたので、急いで教会に帰り夕食を取りながら久しぶりの再会を楽しんだ。 
3、7月10日(水)の活動状況 
*午前中、芝教会のYさんと二人で150kgのお米を3kgに小分けして、50袋作った。丁度、昼食時間の前に作業を終える事が出来た。
*午後からは気仙沼教会の月例祭にYさんと清水は参拝した。月例祭終了後は参拝者の方々とおちゃっこした。 
*おちゃっこを終えた後、岩手県の長部仮設住宅へお米とお水の配布にYさんと清水の二人で行った。
*現地からの報告を作成して送った。
4、7月11日(木)の活動状況
*芝教会のYさんが8時41分の列車で帰られるので気仙沼駅まで送った。Yさんは、「今年はもう1回これるかなあ!」と、語られていた。金光会館の台所に行ってみたら、Yさんが模様替えをしてい下さり、台所での作業がしやすくなっていました。Yさん有難う御座いました!!
*9時前から幹雄先生と清水でcadoccoの掃除をした。幹雄先生の動きも良く最近は作業が早く終わるようになりました。幹雄先生有難う御座います!!
*14日の西八幡前仮設住宅でのパームセラピーのチラシを配付した。
5、7月12日(金)の活動状況
*ある仮設住宅の自治会の会長から電話があり、仮設住宅に駆け付けた。
「清水さん、被災者の医療・介護の負担免除を求める請願書を提出して県議会で満場一致で採択されたのですが、知事が動く気配がないので、もっと賛同者を集める事になりました。清水さんには仮設住宅の自治会会長の賛同を貰って来て頂きたいのですが、お願いしても良いですか?」と、云うようなお願いでした。
岩手県・福島県は今でも、「被災者の医療・介護の負担免除」を受けています。
お願い事は引き受けて、私が関わっている仮設住宅の賛同を7か所程度ですが頂き書類を渡しました。
*15、16日のパームセラピーのチラシを松崎・柳沢仮設住宅と田中公園仮設住宅及び五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅に配付した。
6、7月13日(土)の活動状況
*蔵内仮設住宅にお水の配布をした。
*小泉中学校グランド仮設住宅のKさんを訪れてみた。Kさんは家を新築中でしたが、どうやら完成したようで、引っ越しの準備をしておられた。
「引っ越しの時は手伝うからと云っていたのに、どうしたの?」と、聞いたら、「清水さんにお願いするつもりだったのよ、でも親戚の者が手伝うというからそちらにお願いしたの」と、云われた。
「いやいや、それが一番良い事ですよ」と、話した。
Kさんはこの小泉中学校グランド仮設住宅の支援をする時、自治会会長を紹介して下さった人で、美紀子先生のお知り合いでもあります。
このように自分で家を新築される人も多くなってきましたが、支払いが大変なようではある。
*帰りに、もと外尾仮設住宅の会長宅のOさんを訊ねたが、留守だった。
仮設住宅に居られる時、隣の男性が仮設住宅の部屋で首つり自殺をしていた事に遭遇して、かなり落ち込んでいた。それゆえ、時々手土産を持って訪れていたのです。
Oさん宅はチョット小高い所に有るのであるが、津波は20メートル超えるほどの高さがあり、Oさん宅は1階の天井まで浸かり、ご本人は2階に逃げ込んで助かったようである。Oさん宅の下は、小泉の町であったが全て大津波に流されている。
しばらく、小雨の中を大津波で廃墟となった小泉の町跡で過ごし、写真を取って歩いた。私は、こうした廃墟の町跡を辿るのは自分自身の心の中及びこの体の中に、情景を染み込ませていたいからです。
多分、御遺体が発見されていた場所もあるでしょう!!御霊様が居られて遭遇する事があるかもしれません。辛い悲しい事を子孫に語り継がれて行けるようにと歩くのです!!
<小泉の町跡近く 大津波で小山が真っ二つになった写真>







  <遠くに見える小高い所の家並みは、
  外尾地区に有るOさんの自宅のある場所です。
  手前は大津波で流された小泉の町の跡









【つぶやき】
現地レポートには書けない、いろいろと大変な事もあり、この一週間は忙しい毎日でした。幹雄先生のお蔭で私が出来ない事をちゃんとカバーして下さっている。ありがたい事です。
また、ボランティアに来られた人からお礼のメールが届く事も多々あり、その内容も心温まるものが多く、寂しがり屋の私の心を癒してくれています。
復興は大変な道のりです。難儀をしておられる人達の、安定した生活基盤が早く整う事を祈るばかりです。
以上です。