2013/10/28

現地報告(10/22-28)

活動日:2013.10.22-28
報告者:清水 幹生

1、10月22日(火)の活動状況
*岩手県高田市小友のFさん宅を訪問し1時間おちゃっこした。
Fさんどうやら、災害復興住宅への入居は断念されて、このままプレハブのお店に住まれる事に決められた。災害復興住宅が建つ場所は高台で、「年寄が買い物をしたり、病院に行くのにはとても住める場所ではないし、何時入居出来るかどうかわからない。そんな所、あてには出来ない」と、話されていた。
とにかく、このFさんマイナス思考ではなくプラス思考で前向きに生きておられる。私が訪問すると、とにかよくしゃべられる。初めごろは東北なまりの言葉にはついていけない事が有りましたが、2年以上も経つと理解できなかった言葉が何となく分かるようになるのですね。
年齢も私より一つ若いだけで、同じような年齢で話が合うのかもしれません。
*宇部から布団が届いたので、欲しがっておられた東新城仮設住宅のFさん宅へ届けた。
*宇部から届いた布団を五右衛門ヶ原運動場仮設住宅のOさんへ届けた。
*支援した布団は古い布団ですが、お客様用として使っておられたものを送って下さった。
以前から布団の支援を頼まれていたので、宇部に連絡を取り、「綺麗な布団が有れば送ってほしい」と、お願いしていました。
「いまさら何故布団が欲しいの」と、思われるかもわかりませんが、震災後行政等からの支援された物は、非常に薄く寒さの厳しい東北では耐えられるような品物ではない。別ルートから支援された布団と重ね合わせて使用されている。
東北の寒さは本当に厳しいです。
現在私が使用している布団は支援機構からのものと思います。そんなに薄い物ではありませんが、古いのは確かで、真冬は何枚か重ね合わせないととても寒くて耐えられません。
ボランティアハウスは古い建物で、隙間風は入って来るし、夏は昆虫が入って来ます。色々な昆虫と同居していますよ。
余談になりましたが、支援された布団の替え時に来ていて、必要な方もおられるということなのです。
要望されて支援を望まれる方が出て来たら、改めて皆さんにお願いする事もあるかと思います。その時は宜しくお願いいたします。
*腰の痛みは続いていますが、気に掛かっていた方々に会えることが出来ました。
無事に今日も何とか動く事が出来ました。感謝感謝です。

2、10月23日(水)の活動状況
*腰の痛みがひどく今日は部屋に籠る事が多かったが、お米の購入と来月からのイベントの打合せを電話・メールでさせて貰った。

3、10月24日(木)の活動状況
*腰の痛みは変わらないが、何とか動けるので、午前中はcadoccoの掃除をした。
*午後は部屋で休憩しながら、イベントの打合せ・連絡などをした。

4、10月25日(金)の活動状況
*27日の天ヶ沢仮設住宅での餅つきイベントに羽田太鼓保存会にお願いして了承して貰っていたが、「おたふく風邪がはやり、かなりの人達がかかり太鼓演奏が出来ません」と、連絡が入った。
ボランテイアの人も誰も来ないし、気仙沼教会の方も都合が悪くなり、結局2名の者で餅つきイベントを行わなければならなくなった。
台風の影響で大雨となっており、「もう中止にしようかなあ」と、腰の痛みも治まらないし、ふと弱気になってしまいました。
そんな時、天ヶ沢仮設住宅の自治会会長から、「清水さん、土曜日(26日)の昼から晴れるようですよ」と、餅つきイベントを期待されている様子だった。
「これはいかん、お願いが足りないな!腰の事は神様に任せたはず、何とかなる」と、思いを切り替え、イベント用の買い物に出掛けました。
*雨が止まないので、他の仮設住宅への訪問は中止し、腰の療養に専念する為に昼からは休養した。

5、10月26日(金)の活動状況
*朝、目が覚めてから服を着替える時に腰が、「ギク」とした。もう一度布団に入り眠ったら、朝参りの時間になっていた。
じゃっかん腰の痛みも和らいだようで、「これなら何とか餅つきイベント出来るなあ」と、思った。
でも、なかなか雨は止まない。
昼食後、イベント用のお米を美紀子先生と一緒に小分けした。
*イベント用の材料等を買い足し、もち米を洗いバケツに移し水で浸した。
*気仙沼公園仮設住宅の自治会会長が用事で教会に来られたので、しばらくおちゃっこした。
その席上で来年の1月26日(日)に餅つきをするように決まった。
*午後7時過ぎ雨も止み、星空が見えた。「やったね。これで餅つきイベントは出来る」と、思ったら腰の痛みが和らいるのに気が付いた。
寝る前に金光会館に行きお風呂を沸かして腰を温めながら、マッサージ師の広島のIさんから教わった治療方法で、お風呂の中で太腿をさすり、股関節を揉み解した。
「よしよしこれで明日は大丈夫だろう!!」と、思った。

6、10月27日(日)の活動状況
*朝起きてみたら、空は青空が見える。やったね!!
朝食を済ませて、車に餅つきイベント用の材料・用具などの詰め込みをした。奥原教会長先生と幹雄先生が、荷物運びを手伝ってくださりすべて準備は整え終わった。
*午前9時20分に気仙沼教会の信者のSさん(女性)が来られた。
頼もしい助っ人であるSさん、でもちょっと具合が悪いようであったが、「何とか御用をさせて貰おう」と、思い馳せ参じて下さった。
今日の餅つきイベントのボランティアは私とこのSさんと二人である。
*天ヶ沢仮設住宅に到着したら、住民の方達は既に数人の方達で会場作りをされていた。
手伝うボランティアが少ないので、中止さえしようと思ったのに、今日は住民の方達が準備をしていて下さるではありませんか!!
神様のお計らいにまた、「まいったまいった」です。
小高い所に有る天ヶ沢仮設住宅、50所帯であるが最近はボランティアに来る方達も少ないと聞いている。ボランティアが少なくなって来て自立心が高まって来たのでしょうか!!
*材料や用具を車から降ろしてみたら、肝心なもち米蒸かし器を忘れて来ているのに気付いた。慌てて教会に取に帰った。
これがかえっていい結果をもたらし、Sさんは住民の人達と語り合う事が出来、餅つきについて説明も十分出来たようである。
集会所の中でご婦人たちが餅つきなどの準備をされている間、外では男衆が北海道から伝わって来たという、「ちゃんちゃん焼き」という料理を作っていた。また、数人のご夫人たちは豚汁を作っておられた。

その内、さんまが焼きはじめられた。その焼き方(炭焼き)が非常に上手であった。焼きたてのさんま、美味しかった!!

*11時30分餅つき開始である。
子供が二人、「私にもやらせて!」と、Sさんの側を離れない。男衆も参加されて、餅つきをして下さった。私の出る間はあまり無く、本当に住民の皆さん方が協力して下さった。
前のイベントの時は15名ぐらいで男性は非常に少なかったが、今日は全体で約40名、男性が十数人と多かった。
住民の、「自分たちでやらなくては!」と、云う思いが出て来たのであろうか?
Sさんは、「清水さん、今回初めてですよ、こんなに住民の人達が自分たちで料理を作り、ボランティアの人達に振舞うのは!やはり、『自分たちでやらなくては』と、いう気持ちが出て来たのでしょうね」と、話して下さった。













*最後はビンゴゲーム・じゃんけんゲームで楽しく賑やかに過ごす事が出来ました。
帰る時には、さんま・こんぶ・わかめ・お花等のお土産まで頂いた。
感謝感謝の一日でした。有難う御座いました!!
*教会で後片づけを終えて部屋に帰り、現地レポートの作成に取り掛かった。

7、10月28日(月)の活動状況
*11月4日(月 祭日)は小泉中学校グラウンド仮設住宅で餅つきイベントを予定しているので、チラシを印刷して配布した。
*帰りに気仙沼鉄道の小泉駅周りの写真を撮ってみたが、まだまだ震災後の後片付けは終わっていない。


*千葉さんのフリーダムで昼食をしたが、千葉さんが「清水さん、やっと市がまち作りの青写真を出してくれましたよ。まだまだ最終的な事にはなりませんがね」と、話して下さった。店には顔なじみのお客が来ておられましたが、震災当日の話が出て来ていて、「うちもみんな流されたよ」と、話し声が聞こえた。
もう2年と7ヵ月も経ちますが、復興への道のりが長いせいか、この様な震災当時の様子を話される事を聞く事が多い。
*昼食後、部屋に帰り現地レポートの作成に取り掛かった。
昨日から作成中でしたが、写真の取り込みをするのにミスがあり、お店に行きカメラの取り扱い方を教わって来て、やっと何とかなりました。午後2時過ぎに終える事が出来ました。
*五右衛門ヶ原運動場の自治会会長のNさんから電話が有り、「午後5時過ぎにお願いしたいことが有るので来て頂けませんか?」と、連絡が有りました。現地レポートが書き終えているので良かった。

*写真は、気仙沼被災地の復興工事の様子2枚。

何だか家の土台撤去の作業が早まったような気がします。
先日、プラザホテルのサウナで顔見知りの土建業者同士が話していましたが、「11月一杯で今の作業は完了させろ」と、指令が出たようである。
とても終わりになるような状態ではないが、「来年から東京オリンピックの工事が始まる可能性が高いが、まさかそのせいではあるまいか」と、変に勘ぐってしまう。
被災地の復興工事を遅らせないで、何とか被災者の生活基盤を早く確保して頂きたいものです。
以上です。