2013/10/21

現地報告(10/15-21)

活動日:2013.10.15-21
報告者:清水 幹生

1、10月15日(火)の活動状況
*西日本の松永教会の若先生のA先生が、各教会の子弟5名を連れて朝6時ごろ気仙沼教会に到着された。夜通し車を運転されて来て下さったので、午前中は睡眠を取って頂いた。
*清水は、気仙沼教会の信者Sさんの会社の荷物整理を手伝った。
*午後からは松永教会の若先生A先生・柳井教会の子弟Kさん・松岡教会の子弟Kさん(女性)・出石教会の子弟Oさん・宮崎教会の子弟Mさん安浦教会の子弟Yさん6名でお米の小分けをした。

2、10月16日(水)の活動状況
*午前中、台風の影響でボランティア活動を控えて、松永教会のA先生一行6名の方には奥原教会長先生に震災時の様子をご講義して頂いた。
皆さん熱心に聞かれて、メモを取られていた。
*松永教会A先生一行6名の方を、午後から雨も小降りになり風も収まりましたので、南三陸を南下して石巻の大川小学校までの被災地を案内した。 



3、10月17日(木)の活動状況
*朝8時に松永教会A先生一行6名の方を連れて岩手県宮古市田老町も田老サポートセンターへ向かった。途中、大槌町の被災地を見学し、さらに田老町の世界一強固な防潮堤と云われた防潮堤を見学し、田老町の観光地「三王岩」を見学した後、田老サポートセンターへ向かった。








 *田老サポートセンターに到着した時はお昼を過ぎていたので、たろうちゃんハウスで昼食を済ませた。たろうちゃんハウス2周年記念感謝祭の時、お世話になったたろうちゃんハウス協同組合の事務長とお会いして親交を深める事も出来た。
*午後1時過ぎたが、予定通り田老サポートセンターでおちゃっこをビンゴゲーム・ジャンケンゲームをしながら開催した。
我々が到着した時、すでに仮設住宅から数人の方が来ていた。参加者は職員を含めると約40名でした。




*松永教会A先生一行6名の方達は全員20代で大学生が多かった。
その若さを利用して、ビンゴゲームでビンゴになった人達をエスコートして貰い、景品を取りに来させるようにした。
女性一人を含む6名のエスコート役の中から、好きな人にエスコートして貰い景品を取りに来られた老人の顔は、笑顔一杯で嬉しそうでした。
景品を取りに来る間は手を組んで、皆で歌を歌いながら手拍子を加えて喜びあいました。午後2時30分までの1時間30分はあっという間に終わりました。  


*この田老仮設住宅は、当初は470所帯ありましたが、2年7ヶ月過ぎた現在は370所帯になりました。多少、ご自分で家を建てた方も居れれますが、大半は職を求めて都会へ流出されたようです。
これから先も都会へ出稼ぎに行かれる事が多くなるでしょう!!
私の高校生の頃を思い出します。東北の若い人達が集団就職をする光景をテレビで映していましたが、それと同じような現象が起こりつつあるように思います。取り残されたご老人はどうなるのでしょうか?
田老を後にする前に、ご老人達数名と懇談しましたが、その寂しそうな目・希望の無さそうな雰囲気、忘れる事は出来ません。
帰る時、手を握られて、「また来てね」と、云われ、「はい又来ますからね」と、答えましたが、「こんな事でこの人達の真の助かりになるのであろうか!!」と、自問自答した。
*若い松永教会A先生一行6名の方達のお蔭で田老町のご老人達、「元気貰ったよ」と喜びの声を聞きました。6名の若い方達、本当に有難う御座いました。
*若い松永教会A先生一行6名の方達のご苦労さんに対して、田老を後にした後、「折角東北に来たのだから、太平洋側の断崖絶壁の男性美が見られる場所がこの近くに有るからご案内しますよ」と、岩泉町にある、「熊の鼻」という国立公園を案内した。
気仙沼教会に帰り着いたのは午後7時過ぎでした。 



*若い松永教会A先生一行6名の方達は夕食を済ませ休憩後、午後9時過ぎに車で富山を経由して岡山へと帰られた。
ご苦労様でした!!

4、10月18日(金)の活動状況
ボランティアが全員帰られたので、午前中から、金光会館の掃除とシーツ・枕カバーの洗濯と布団干しを行った。この作業はいつも一日がかりである。
*布団干しの合間に27日(日)に天ヶ沢仮設住宅で行う餅つきイベントのチラシを印刷した。
*31日(木)に教会で行う、「乙女の会のおちゃっこ」の案内を、五右衛門ヶ原テニスコート・東新城の仮設住宅に居られるメンバーにした。

5、10月19日の活動状況
*20日が気仙沼教会の教祖130年記念大祭の為、19、20日はボランテイア活動はお休みにしている。
*ボランテイア活動はお休みにしているが、27日に行う天ヶ沢仮設住宅での餅つきイベントのチラシと、11月4日に行われる小泉中学校グランド仮設住宅の餅つきイベントのポスターを配付しに行った。
*小泉中学校グランド仮設住宅の帰りに、以前、小泉中学校グランド仮設住宅で暮らしておられ、その後家を建てられたKさん宅を訪問した。
Kさんの事は以前から気に掛かっていたのですが、ちょっと時間が空いてしまいました。
Kさんは震災前に御主人を亡くされて、子供さん一人(成人)を連れての生活である。女一人で生活費を稼ぎ暮らしている時に、大震災で大津波に会い住む家も流されてしまった。大震災前からコツコツとお金を貯めていたからこそ家も建てる事が出来た。
それなのに、周りからのやっかみ(妬みとか、うらやましさ等)が酷く、心を痛めて居られ、外を歩く事さえも控えて居られた。私も小さい時親を亡くし周りのいろいろな”やっかみ”に出会ってきた。その度に、「くそーお前らに負けてたまるか?バカヤロー」と、自分にカツを入れて来た。
それゆえKさんには、「そんなやっみを気にしないで切り捨てて、ご自分の人生と跡取りの息子さんの為に、マイナス思考にならずにプラス思考で生きさせて頂きましょう」と、進言した。
信心が有る私が、このKさんなような人になんて言ってあげたらいいのでしょうか?
 「お詫びとこのように家を建てられた事や今までの事に感謝をして」というような、きれい事な言葉は言えない。
自分が経験して来た事をもとにして、信心している現在の私の信心力で助言してあげるしかないのです。

5、10月20日(日)の活動状況
*ボランテイア活動は気仙沼教会の教祖130年祭記念大祭の為に、お休みです。

6、10月21日(月)の活動状況
*18日から体調が悪く、19日の夕方から急に腰が痛くなり、御大祭後は部屋で休息していました。21日も腰の痛みは直らず、床に伏していましたが時折起きて、現地レポートの作成に取り掛かりました。
原因は恐らく神様からのお知らせと思っています。
それは18日(金)に東新城のFさん宅を訪問した時ですが、Fさんのお母さん(83歳)は大震災後体中が痛み始めて、未だ良くなっていません。「お母さんまだ痛みは治まりませんか」と、聞きましたら、「全然良くなりません、金光様、金光様と云いながら痛む手のひらをさすりながらお願いはしていますがね」と、云われる。
このお母さんは信者さんではありませんが、「神様にどのようにしてお祈りすればいいなかねえ」と、神様に心が向き始めています。
しかし、私は痛がられるこのお母さんの様子に対して、今一つ心が籠っていなかったと思うのです。「清水さん長い間来なかったね。元気だった」と、いつもの口癖で云われる。10日間は空けないようにして訪問しており、痛さからの寂しさがそうさせていると思うのですが、「そうそういつも来られないよ」と、心の中で思ってしまった。
こうしてFさん宅を後にする時、「今度はいつ来るの」と、声が掛かる。「間を空けないように来ますよ」と、答えて車の乗って帰る時から、体が重くなって来た。「変だなあ。どうしたのであろうか?と、思いつつ教会に帰った。
19日の夕方から体が段々重くなりましたが、腰はまだ痛みませんでした。20日の御大祭当日服装を整え、靴下をはき終えて体を起こした時から急に腰が痛くなり始めました。教会まで何とか歩いて行けましたが、御大祭後、お直会を頂き後片付けする頃から痛みが激しくなりましたので、部屋に帰り床に就きました。
「夕食ですよ」と、美紀子先生から連絡が有りましたが、教会まで行くのが難しく夕食は断りました。夜になると雨が激しくなりました。トイレは隣の家の物を利用していますが、雨の中を傘をさして行くのが腰が痛くて辛かった。
このような痛みで毎日を暮しておられるFさんのお母さんの辛さが、チョットわかるようになりました。次回の訪問からは、私の態度も良い方に変わると思います。
やはり神様は全てを御存じなのですね!!恐れ入りました。
こうして午後10時過ぎに現地レポートを書き終える事が出来ました。文書は乱れていると思いますが、ご勘弁ください。