2013/08/15

現地報告(8/9-15)

活動日:2013.08.09-15
報告者:清水 幹生

1、8月9日の活動状況
*8月1日~8月8日までの現地レポートの仕上げ。
*ボランテイアハウス及び金光会館用の殺虫剤などの買い物をした。
*23名のボランテイアの受け入れの準備で、布団干し・シーツの洗濯をした。

2、8月10日(土)の活動状況
*23名のボランテイアの受け入れの準備で、布団干し・シーツの洗濯をした。2日掛けてやっとボランテイア受け入れの準備を終える事が出来た。
*夕方からやや涼しくなって来たので、ボランテイアハウス及び金光会館から教会の裏手周りの草刈りを行った。雑草の成長は早い。また、秋には草刈りが必要となる。
*ボランテイアハウスの一部屋は畳も古く、汚い感じだったのでイグサで作ったゴザ(六畳分)を購入し、敷いてみた。イグサの香りが何とも言えずいい気分になった。
「これなら女性達も受け入れてくれるだろう?」と、思いましたがトイレが無いのでその分、不便さを与えてしまう。金光会館及び教会のトイレ使用となるが致し方ない。

3、8月11日(日)の活動状況
*早朝、ボランテイアハウスと金光会館の最後の各部屋の掃除をした。
*9時30分西日本から岩本音楽コンサートチーム(ワンハートプラス)の一行が到着した。
中型のバスで22名の一行でしたが、若い人が多く、青年教師も多く何かしら西日本地区の意気込みを感じた。バスは紫会館に駐車した。
*イベント開催地に行くまで時間が有るので、男性が15名と女性7名の為、今回は男性を金光会館に宿泊してもらうために、部屋決めをして荷物を各部屋に運んでもらった。
*10時30分に教会を出発して岩手県大船渡市南三陸町越喜来(おきらい)に向かった。
泊(とまり)の嘉宝荘で昼食を頂いたが、特別サービスでこの地区で採れた生ウニを御馳走してくれた。女将の心憎いおもてなしの心の表れである。

*12時30分頃、嘉宝荘を出発して越喜来(おきらい)杉下仮設住宅へ向かった。
13時前に着いたが、誰も居なかったので担当者のKさん宅を訪れて挨拶をし、イベントの準備に入った。楽器の音合わせをするうちに、住民の方達がぼつぼつ集まり始めた。13時15分頃からスピーカーで呼び込みを開始したら多くの人達が、集会所に集まり始めた。13時30分になったので、音楽コンサートを開始した。住民は35名、演奏者とお手伝いを合わせて約60名の賑やかなイベントとなった。












老人ホームからも数人の方が看護師と一緒に来れれていたが、その中の一人の婦人の顔の表情が良く、にこやかな笑顔が素敵でした。音楽の合間の健康体操が皆様に受けて、本当に良い連帯感が生まれました。
<杉下仮設住宅での様子:老人ホームの人達、黄色のシャツ:看護師>









乙島教会の若先生の方言クイズも、住民の皆さんの心を捕らえたように思いました。
このワンハートプラスは昨年よりも、被災者への心の寄せ方が良かったように思う。そうでないと、これだけの盛り上がりと連帯感は生まれない。このような活動がさらに西へと拡がりつつある事は、本当に嬉しく有りがたい事である。
*14時46分にはこの大震災で亡くなられた方々の御霊様のご冥福を祈り、黙とうを全員で捧げました。
*最後に集会所前で記念写真を撮り、杉下仮設住宅を後にして、気仙沼に向かうが皆さんお風呂に入りたいようなので、黒崎仙峡温泉(高田市の広田半島の一角に有る)にお連れした。陸中海岸国立公園内で、とても綺麗で豪快な海岸線がお風呂からも見える。

*清水は皆さんよりも早めに黒崎仙峡温泉を後にして、東京学生寮から来るFさんを迎えに行くために車を走らせた。17時41分にぎりぎり間に合った。見覚えのある懐かしい顔を見てホットした。
途中、ガソリンを入れて、東新城の仮設住宅のFさん宅に東京寮から来たFさんをお連れした。
大津波で自宅・お店・財産全てを失い、東京寮から来たFさんと同じ子供さんを抱えて苦労している様子を、東京寮から来たFさんに見せて何かを感じて欲しっかった。
東京寮から来たFさんは来年は大学4年生、今は大事な時期、そんな時なのにようもまあ被災地に来られました。それだけに、彼女には合わせておきたい人が二人います。その一人がこの東新城のFさんで、もう一人は高田市小友に居られるFさんです。
*夕食は24名となり久しぶりに20名以上のボランティアとなり、大いにはしゃぎました。気仙沼教会長先生が盛岡教会から帰られて、さらに賑やかな懇談となりました。一人一人の自己紹介もあり、とても直ぐにはお名前が覚えられませんが楽しく過ごすことが出来ました。









 <港まつりの花火を南町紫市場から眺める>




4、8月12日(月)の活動状況
*朝の御祈念はボランテイアの人で一杯で、活気のある朝の御祈念でした。
*教会の前で記念写真を撮り、8時40分バスに乗り込み岩本音楽コンサートチーム(ワンハートプラス)はイベント地の五右衛門ヶ原運動場仮設住宅に向かった。
美紀子先生・清水・東京寮のFさんの3名はステップワゴン車で五右衛門ヶ原運動場仮設住宅へ向かった。幹雄先生は、用事を済ませて後から参加された。
実は、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅でのイベントはお盆でもあるので中止していたのであるが、乙島教会の若先生の希望もあり、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の会長に相談したら、「お盆であるし、人数は少ないと思うがそれでも良いのなら宜しくお願いいたします」と、了承を得て開催されるようになった。
*集会所に楽器を降し、イベントの会場作りしている時、数人の住民が来られた。スピーカーで呼びかけて集会所に帰って来てから、ぞくぞくと住民が集まって来た。最終的には約50人の参加者であった。












会場が広い事もあってか、前日の越喜来杉下仮設住宅以上の盛り上がりで有ったように思う。
岡山からのお土産”ぶどう”は住民の方は大変喜んで美味しいそうに食べていた。イベントとかおちゃっこする時には、それぞれの地域のお土産は非常に喜ばれる。
*12時にはイベントも終わりましたが、乙島教会長先生の、「皆さん喜んで頂けましたか?来年も来たいのですが、来ても良いですか?」と、云う質問に大拍手と共に、「はい、ぜひ来てください、お願いいたします」と、大歓迎のお言葉を頂きました。
岩本音楽コンサートチーム(ワンハートプラス)の被災者への心遣い思いやりが、被災者の心を捕らえたのでしょう。
岩本音楽コンサートチーム(ワンハートプラス)の皆さん有難う御座いました。
<教会前での集合写真>

*岩本音楽コンサートチーム(ワンハートプラス)の一行は一ノ関経由で東京に向かわれて今日は東京泊まりのようである。
*清水と東京寮のFさんは南町紫市場で昼食後、岩手県高田市小友のFさん宅を訪れた。お留守だったので、Fさんを黒崎仙峡の陸中海岸国立公園を案内し、その後、黒崎温泉でお風呂に入り疲れた体を癒した。黒崎温泉を後にして、広田の被災した海岸線を案内しながら小友のFさん宅を訪れた。
今度は居られて1時間談話した。東京寮のFさん何かを感じたかなあ?Fさんの言葉はかなりな方言で、理解するには時間が必要であるが何とか楽しくお喋りが出来た。いつもの私の様な年寄ではなく、若い東京寮のFさんとの会話は刺激になったでしょう。
黒崎仙峡の陸中海岸国立公園



*小友のFさん宅を後にして、小友の高台に有るレストランで夕食をした。海の見えるなかなか良い場所で、料理も美味しいかった。教会には8時過ぎには到着した。
現地レポートの作成に取り掛かろうと思ったが、さすがに集中力が無いので部屋で9月のイベントの打合せを、プロ歌手の和 由紀子さんと電話で打ち合わせた。
岩手県宮古市田老町の災害サポートで行う予定の、バグパイプを含んだ音楽コンサートの日程調節をした9月22日にほぼ決定となった。あとは和さんのラジオ放送との兼ね合いだけである。

5、8月13日(火)の活動状況
*23名分のシーツの一部を選択して干して、東京寮のFさんを連れて私の車で45号線を南下して小泉町・志津川の被災地を案内して大川小学校に向かった。
*この大川小学校に来ると何時も涙が出て来る。我が孫達の事を思うからなのか!! 
Fさんには此処だけは何としても見せておきたかった場所である。近い将来、社会人となり色々な場面に出会うようになるでしょう。通常では体験できない事を若い内に経験しておけば、きっと彼女の人生に役立つと思える。



*大川小学校を後にして、松島見物に出向いた。
美味しい昼食を頂いて、松島観光連絡船に乗り美しい松島の島めぐりをした。50分間はあっという間に過ぎ去り、私の休養を含んだ被災地旅行は終わった。










*Fさんを松島海岸駅まで送り、Fさんは仙台経由で東京へ帰られた。
*Fさんを送り出した後、前々から行きたいと思っていた東松島に出向いた。松島は多くの島のお蔭で津波は2メートル程度のもので済み、おまけに床上浸水したが津波に勢いはなく静かで家は流されなくて済んだ。多くのボランテイアのお蔭で震災後3ヶ月後には立ち上がる事が出来たそうである。この話は、観光連絡船の中で女性案内人が話してくれた。
東松島は障害物は何もなく太平洋から直接津波が押し寄せて来たようである。2時間あまりの現地めぐりでは、確かなものは分からないが、東松原市月浜仮設住宅団地を見つけて、涼んで居られた老婦人お二人とお話が出来て良かった。
余裕が有ればここの仮設住宅にもイベントを行いたい。32所帯のようである。
*東松原を後にして気仙沼に帰ったのは8時30分過ぎだった。









 6、8月14日(水)の活動状況
*朝からシーツとタオルケットの洗濯と洗濯物干しに取り掛かったが、何しろ枚数が多い。宇部では家事の手伝いはあまりしなかったので、こんな自分を見たら家内は何と思うだろうか?
とにかく大勢のボランテイアを迎える場合、準備に忙しくなるのは当たり前で、良い修業です。
*洗濯の合間にイトオテルミー療術イベントの作成に取り掛かった。18日(日)の五右衛門ヶ原の仮設住宅のチラシは夕方には出来上がったので配布した。
*洗濯物は半分程度終わった。美紀子先生にお手伝い頂き助かりました。

7、8月15日(木)の活動状況
*のこりの洗濯に取り掛かりましたが、結構気温が上昇して汗びっしょりとなった。
*cadoccoの掃除日であったが、中には絵が沢山並べてあり、何かのイベントの様なので中止した。
*洗濯の合間に19,20日のイトテルミーのイベントのチラシを作成して夕方配布した。
気仙沼公園仮設住宅で配布が終わった後、集会所で松岩に住んで居られたSさんと再会したので、「餅つきイベントの時、松岩太鼓をお願いしたいのですが、スタッフの方と顔つなぎをしたいのでスタッフをご紹介下さい」と、お願いしましたら了承して頂きました。
これでまた、地元の太鼓保存会とつながりが出来る。色々なイベントの時にお役に立たさせて頂く事が可能となる。
*夕方遅く全ての洗濯ものは終わり、イトオテルミー受け入れ準備もほぼ終わった。
以上です。