2012/12/13

現地報告(12/10-13)


活動日:2012.12.10-12.13
報告者:清水 幹生 

1210日(月) 

気仙沼教会の月例祭に参拝。

この日の活動は現地レポートの作成に集中した。

ボランティア活動ではないが、夕方から美紀子先生と信者さん3人と嶋田先生及び清水の6人でカラオケに行った。
大きな声で歌い、それぞれが色々な思いや、ストレスがあったでしょうから、爽快な気分になれたと感じた。
ふと仮設住宅や、みなし住宅の人達の顔を思い出し、「このようにみんなで歌い、少しでも爽快な気分にさせてあげたいなあ!」と、思った。

1211日(火) 

午前中、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅に行き、16日の餅つきイベントのチラシを各家庭に配布した。その後、住民の方々とお茶っこしながら、餅つきの打ち合わせをした。

また先日、私の郷里である宇部市民からのお水や、手作りのマフラーの支援のお礼を言われた。
「清水さん、宇部市の人達にお礼の手紙を送りたいので、名前と住所を教えて」と、言われたので、私の携帯で宇部の仲間を呼び出し、住民の方々と話しをさせた。これで被災地と宇部市民に絆が出来る。
心を寄せ合う事が出来、心の痛みを共有し助け合う道が開ける。有り難い事である。

その後、別の仮設住宅の自治会会長を訪ねた。
水の配布について話し合ったが、「置き場所が無いので、いらない」と、言われた。しかし昨年の12月の末から今年の3月までの寒い冬の間、一番水を欲しがって助けを求めてきたのは、この仮設住宅でした。
そこで、「それではね、必要になったら連絡下さい。いくらか私達のほうで確保しておきますから」と、話したら、「そうねその時は宜しくお願いします」と、お願いされた。一番、自治会が上手く行っていない仮設住宅である。諦めず、此からも足を運びコンタクトは取って行きます。

午後は、蔵内仮設住宅と小泉小学校仮設住宅にお水を配布した。
両方で30所帯、合計2リットル入りのペットボトル180本納めた。

お水を欲しがっているのは、水道管の凍結による水不足である。昨年の末から今年の3月に異常寒波でマイナス12℃まで下がり、痛い目にあっているからである。

1212日(水)

午前中はお米30kgを玄米のままで支援していただいたものがあったので、精米しに行った。
精米後、東新城仮設住宅にFさんを訪ねた。千厩に避難されていた頃から、親しくなったご一家である。
お茶っこしながら近況を聞いた。わざわざ私のためにと買って下さったコーヒーセットで、美味しいコーヒーをご馳走になった。
「清水さん私達はね、全てを津波で無くしたよ。でも欲しいものは何にもないの。何も無い方が良いのよ」と、語られたが私はどの様に受け止めていいのかわからなかった。
生きる希望をも無くしてしまったのか?でも語る顔は明るい。
帰る時、「清水さんの顔を見ると元気がでるのよ」と、笑顔で語られた。何か安堵感を感じたのはなぜだろう。

午後からは、美紀子先生と90kgのお米を一袋3kgにして、30袋作る作業をした。仮設住宅に持って行くためである。
月一回で、わずかな支援しかならないが物資支援が目的ではなく、物資は手土産で顔を覚えてもらい、話し相手となり、心のケアーに徹する事が大切と考えている。

1213日(木) 

午前中はcadoccoの掃除。
週一回の定期的な作業は、二人で3時間掛かった。

午後は、昨日作った30袋のお米を持って、要谷仮設住宅に配布した。


*現地スタッフの呟き
 
今年もあとわずか、気仙沼に来てもう20ヶ月になる。
だが、昨日の東新城仮設住宅のFさんの、「清水さん私達はね、全てを津波で無くしたよ。でも欲しいものは何にもないの。何も無い方が良いのよ」と語られた事は、私には大きなショックだった。
全てを失って何を悟られたのか?心の中が理解出来ない。あの明るい笑顔は何を意味してしているのか?Fさんご一家の何もかも悟られたような語りかた、私に安堵な感情を持たせてくれた。

こんな事を被災者から感じたのは初めてである。

その様に感じたのはなぜだろう!

以上です。