2012/01/30

現地報告(1/30)

活動日:2012.1.30
報告者:宮田和弘



 本日午前中、本所のM氏と私は一景閣の3階から5階までの各部屋に掃除機をかけました。美紀子先生と清水さんは千厩町の美紀子先生のお友達の所に物資を届けに出かけました。

 午後は、清水さん、本所のM氏と私の3人で五右衛門ヶ原の野球場仮設の自治会長さんを訪問しました。というのも、昨日自治会長さんから清水さんにメールが届き、清水さん曰く、来て欲しいというヘルプのサインだ、とのことで行きました。話を聞いてみると、今一番困っているのは水道管が凍結して水が出ない部屋がかなりあるということでした。水が出ないと炊事、洗濯、風呂いずれも出来ないので非常に困っているところが多いようです。現在は凍結していない部屋から水を分けてもらっているようですが、あまり頻繁になると水道代等の問題もあるので難しいとのことでした。最近は水の相談を受けるため、自治会長さんが夜中まで集会場に待機していることもあるようです。仮設によっては防寒対策がしっかり出来ているところもあるようですが、気仙沼市の仮設は全般的に防寒対策が行き届いておらず、結露や凍結するところが多いようです。市の水道局や社会福祉協議会に相談しても一向に対策を打ってもらえないとのことで、自然に解けるのを待つしかないかなあと、あきらめ気味に話されておりました。せっかく仮設に移っても、避難所以上にいろいろと生活上の問題があり、困っておられます。

 気仙沼ではここ数日最高気温でも氷点下の日が続いており、教会の信奉者会館の水道管も凍ってしまい、トイレの水が流せないので、バケツに水を汲んでおいてそれを使っています。

以上

現地報告(1/29)

活動日:2012.1.29
報告者:宮田和弘


本日、日本橋のI氏、本所のM氏、私の3名は午前中には一景閣ホテルの3階から
6階までの全室の空気の入れ替え、午後は唐桑小学校体育館でこれまで行われて
きた写真再生プロジェクトが2月1日より元月立小学校に拠点を移すため、アル
バムなどの運搬の手伝いと、体育館の片付けをしました。体育館全面に広がって
いた遺品の数々はそのほとんどが新拠点に移され、明日明後日の2日間で残りす
べても移されます。そうした引越の最中にも、私たちがいた数時間の間に4、5家
族が遺品を探しにやって来られました。1年近く経っても亡くなった家族の遺品
を探す遺族の思いというものを改めて知らされました。
清水さんは午前から午後にかけて自治会長のCさんの依頼で、一関市までCさんと
共にトラックで荷物の運搬をされました。以上

現地報告(1/28)

活動日:2012.1.28
報告者:宮田和弘


昨日の夜行バスで東京を出発し、今朝5時50分に気仙沼に到着しました。御祈
念、朝食の後、私と本所のM氏は時間があったので陸前高田へ行ってきました。
11時に日本橋のI氏が到着、いっしょに気仙沼復興商店街で昼食をとりました。
美紀子先生と清水さんは午前中ストーブ購入とお米の配布に回りました。
午後1時間ほど美紀子先生、清水さん、Iさん、Mさん、私の5名で日本橋教会よ
り届いたお米150kgを3kgずつ袋に小分けし、その後、1月25日のレポートに書か
れている、清水さんがたまたま知り合った陸前高田市の竹駒小学校仮設住宅に
入っておられるOさん(女性)に多少の物資を届けがてら、お会いしに5名で行っ
てきました。「お茶でも飲んでいって」とのお言葉に甘えてみんなで部屋に上が
らせてもらい、お茶とお菓子をいただきながら1時間ほどいろいろとお話を聞か
せてもらいました。清水さんのレポートにも書かれてあるとおり、助かった命を
意味あって生かされた命と受け止め、今後は人様のために使いたいとし、息子の
夢でもあった医療福祉センターを立ち上げたいと、非常に前向きにかつ力強く語
られました。津波の時には自宅にいたが、津波が来ていることに直前まで全く気
づかず、たまたま地震直後自宅に預かっていた知り合いの老夫婦を、3人とも津
波にのまれる中、必死で助けたとのことでした。さまざまな形でさまざまな所と
関係がつながってきており、今後一層の支援の必要性を感じました。以上

2012/01/28

現地報告(1/27)

活動日:2012.1.27
報告者:清水幹生


今日もマイナス7℃と寒く、手袋無しだと、指先が冷たく痛い。

活動は、気仙沼教会の信者さんで、被災された方々へ、お米とみかんを奥原先生と清水で届けた。
お米は銀座教会、みかんは、芝教会の信者さんから支援して頂いたものです。
今までの供給先は、仮設住宅・気仙沼教会の信者さんとご近所の方々・信者さんの友達から紹介された方々と、広い範囲となっています。
これからも継続的な支援が必要となります。

理由としては、やはり雇用が少なく、失業保険がそろそろ切れる為、収入源が無くなる為です。皆さん、事情をご理解いただき、これからもご支援ください。

お米は、一所帯3Kgか5Kgにして、お渡ししています。
今日も活動出来たのも、皆様の暖かい、ご支援があったからこそです。
有難うございました。

2012/01/26

現地報告(1/26)

活動日:2012.1.26
報告者:田中真人



市民会館からテーブル24台と椅子を72脚をお借りしました。1月29日に五右衛門ヶ原・運動場で新年会があり、手伝って欲しいと、自治会長のN氏から依頼されたのです。現在、気仙沼教会には、私と清水氏の2人なので、他の団体に声をかけ、ルーテル教会、気仙沼復興協会から手伝いに来て頂き、7名で搬出。 復興協会さんは、時間の都合上、車に積む作業だけ手伝って頂き、運動場で入れる作業は、住民の方達と共に、行いました。 皆さんの、生き生きとした顔が印象的でした。





 先日は、テニスコートで新年会がありましたが、運動場でも自治会主催の新年会。ありがたいことです。

新年会の翌30日は、市民会館が休館日なので、31日の9時に運動場からテーブルと椅子を引き取り、市民会館に返却する形となります。(私は、今夜の夜行で気仙沼を離れ北九州へ向かいますので、この時期に気仙沼にいらっしゃる方達にお願いする事になります。どうぞ、よろしくお願い致します。現在、社協の生活指導相談員さんにお手伝いのお願いをし返答待ちです。必要な場合は、また他の団体に声かけさせてもらおうと思っています。(他団体と繋がって行く事も大切な事です)

それから、田中公園仮設へ足を運び、昨日届いたみかん(芝の藤原氏の弟さんからの提供)15箱のうち4箱をお持ちして仮設のキーパーソンO氏と共にお配りしてきました。仮設には、美紀子先生と、清水氏と一緒に伺いました。O氏は、元々南町に住んでいた方ですので、美紀子先生の事も知っています。



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15時から「気仙沼教会」で「自殺予防総合対策センター」のK氏と、S氏による勉強会が開催されました。参加者は、気仙沼復興協会のT氏と、SVAのS氏、M氏、NICCOのY氏、清水幹生氏、美紀子先生、そしてセンターの方達が連れてきた、福岡の日本赤十字のM氏(お母さんが、金光教の信奉者)と遠野で活動しているNPOふるさとの会と私を合わせた12名。



話し合われたのは;

・自殺予防の目標(その人が地域で、自尊心をもって生きていくことへの支援を行う)
・自殺念慮をもつ(孤立無縁感、非合理的判断、多重な問題)=最も支援の難しい人、あるいは難しいケースに関わる方法、システム、ハードなどの問題。
・自殺リスクへの対応(関係をつくる、アセスメントする、安全を確保する)
  ☆支援者へのトレーニング(研修、支援者支援の仕組みづくり)
・生きる為の支援(自殺手段の管理、危険因子の除去・管理、保護因子の強化)
  ☆関連する支援者、専門家、機関のネットワークの育成と維持

*(被災地の)自殺予防で重視される二つの領域
1,医療・保険領域での支援
 自殺ハイリスク者への対応/ポストベンションの理解
 自殺の背景にあるメンタルヘルスの問題
 ☆関係者の役割整理と必要な研修

2,生活支援・関係づくり
 仮設住宅での互助づくり
 就労支援、地域での仕事情報、雇用づくり(特に成人男性)
 ☆就労支援の為のネットワーク形成
 ☆互助育成の為のミィーティング


・いかに地元住民の力を引き出すか
・いずれは、気仙沼で自立していけることが目標
 (NGOがいるうちは良いが、、、、、その先、いなくなった時に倒れてしまっては、、、、地元で回るように考えていかないと。
・たくさんある情報をまとめる事ができるか、そのまとめる先は保健所となるべき
・震災前からサロン活動をしていた地区は、震災後もいち早くサロン活動や、自立的な行動を行ってきた。
・自治会長で、仮設住宅の見回りを行っている人もいる。住民の苦悩を受け止めきれずに苦しんでいるとき、保健所へ相談可能な事を知っているだろうか? (答、知らないだろう/ 知らせる必要があるかもしれない)
・自殺予防総合対策センター長は、気仙沼の保健所と、市役所からアドバイザーとして情報の一本化などについて依頼されることになった。明日は、市役所と、保健所の会合を開く。

次回は、2月下旬で予定されています。

今回の勉強会は、何かが動き出しそうな感じを受けました。

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しばし気仙沼を離れますが、清水幹生氏、現在の予定でボランティアに来られる日本橋の井上氏(28~29日)、宮田次長、本所のM氏(28日~31日)、そして大崎のN氏(31日~10日間の予定)その他の後方支援してくださる方たち、

どうぞよろしくお願い致します。


以上

現地報告(1/25)

活動日:2012.1.25
報告者:清水幹生

25日の早朝は、大雪で、教会へ通じる坂道は大変で、車が坂道を登る事が出来ません。
奥原先生と田中真人さん・清水の三人で、道路及び通学路の雪かきをしました。
やはり、東北の寒さの厳しさを感じました。

何時もの一景閣へのお参りで、ご霊前のお水の取り替えには、9時に出かけた。手足の指先は、感覚が無くなるほど、冷たくなる。
震災時の3月11日も雪が降っていた。被災者70名の方々は、暖房の無い中、よく辛抱されて生き残られた。

午後からは、陸前高田に布団を取りに行った。
紫会館の人の紹介で、10セットの布団を得る事が出来た。
提供先の家主のO氏は、大津波でご主人以外の家族全員を亡くされた。しかもご主人は、植物人間になってしまった。

凄いのは、そのような状況の中で、「私は生かされて生きていると、感じていますので、生き残られた私が、亡くなられた方々を供養するのは、当然の事です」と、語られ、私と手を取り合って泣きました。

信者さん以外の方から、「生かされて生きている」と、聞かされ事に驚かされた。
O氏の屋敷は、高田の海岸から7Kmも離れているのに、津波は押し寄せ、全てを流してしまった。O氏の屋敷の後ろは、10mぐらいの崖になっていて、この崖下に10数体のご遺体が発見され、O氏はそのご遺体の方々を弔ってておられる。
「これからも時々お会いしましょう」と言って、電話番号を交換して別れた。

頂いた布団は、小泉中学校仮設住宅・大谷中学校仮設住宅へ持って行った。
美紀子先生が主任相談師として、生活相談師の方々とお知り合いの関係で、「布団を提供して欲しい」という要望で、今回の支援活動に繋がった。
神様のお計らいを、感じて有り難く思っています。

現地報告(1/24)

活動日:2012.1.24
報告者:田中真人


3月17日に金光教としても一年祭を迎え、18日に被災地をめぐる巡礼バスのコースの確認をする為に田中元雄先生と、松本信吉先生をお連れして陸前高田を訪れました。市役所の上から見る風景に絶句されます。陸前高田の後に、五右衛門ヶ原のテニスコートと、運動場の自治会長さんにお会いしてきました。


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活動日:2012.1.24
報告者:清水幹生


24日は、田中先生と松本先生を見送りして、千厩まで行き、気仙沼から多くの方々が避難されている所を、捜しに行きました。

洞雲寺と雇用促進住宅を見つけて、事情も調査出来ました。
自治会の会長と、連絡も取れるようになりました。
これから、支援活動が出来ればと、願っています。

現地報告(1/23)

活動日:2012.1.23
報告者:田中真人



昨日、芝のS氏と田中公園の大工さんから受け取ったベンチを2台、五右衛門ヶ原・テニスコート住宅にお届けしました。それから、田中公園に戻り残りの2台を受け取りに行きました。

大工さんにお礼金を渡そうとするも、「いやいや」といった様子。「受け取って頂きたいのです、お願いします」と深く頭を下げてから差し出すと「うぅ~ん」と間を置いてから「じゃ、ありがたく」と受け取って下さいました。 

そしてダメもとで一緒にベンチを五右衛門ヶ原のテニスコートに渡しにいきませんか?と声をかけるも、いいよ、と部屋の中に戻っていきました。

仮設の裏に回ってベンチを引き取って試しに座ってみると、大工さんが現れ、「あんたが乗ったぐらいじゃ壊れないよ」と、冗談めかします。

先日のレポートで大工さんの事をW氏と書きましたが正しくは、O氏です。私の記憶違いです。ここにお詫び訂正させて頂きます。

自分「何人でお住まいですか?」
O氏「1人だよ」
自分「では、先日のお米も自分で炊かれるのですね」と少し間の抜けた質問をしてしまいました。
O氏「1人だから、しょうがいないだろう。おまえ、くるかっ?ハハハっ」っと女性であるS氏に冗談めかします。

そして、すぐ隣にあった木の上を指差し、「波は、この木の高さぐらいのが来たんだ。化けもんが来たんだと思って諦めるしかないな・・・・」

しばらく言葉を飲んでから、、、 「2人流されたけど、3日前に1人見つかったんだ。DNA鑑定でね、難しいよ、あれ」 

しばらく話を聞いてから、話題を変え質問してみます「先日、KRAのお茶会がありましたが、行ってみましたか?」

O氏「お茶会なんか、いかねぇよ、俺なんか行ったらみんな逃げちゃうよ。年寄りばっかだしな」


1人、見つかった事によってか、本職の大工仕事をして心に少しでも働きかけるものがあったのか、お陰を頂きました。言葉が、先日お会いした時よりもスムーズに出てきます。時折目も合わせてくれました。

O氏は少しの間、震災時の話をされ、「じゃ、気をつけて」と言葉をくれました。

お礼を受け取って欲しい、そして少しでも元気になっていて欲しい、前を向いていて欲しいと心から願い、お取り次ぎを頂いていた私は、お礼の気持ちでいっぱいです。しかし、O氏はもう1人見つかるまでは先の事は考えら得ないと言います。これからも、O氏の事を祈らせて頂きたい、そう強く感じたのでした。

昨日も書きましたが、今後、定期的に足を運び関わらせて頂きたいと思います。


*ありがたい気持ちを胸にテニスコート住宅にベンチを運びました。
これでついにテニスコート住宅にベンチが4台入りました。

 写真は、テニスコート自治会長と。


今度、カビ防止用の塗料を塗らせて頂きたいと思います。


以上

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活動日:2012.1.23
報告者:清水幹生



今日の朝は、田中元雄先生と共に一景閣に行き、最階上の部屋から、亡くなられ方々の助かりを祈り、御祈念を上げた。

その後、掃除をする為に再度訪れた。
また、元雄先生とは、3月以後のボランティア活動にたいして、私の思いを話した。

夕方からは、いつもの通り、紫会館の千葉さんと夕食の食材の買い出しに行った。
その時、「千葉さん、音楽とか、色々なイベントは、確かに一時的にせよ、被災者の方々の心を癒やす事になりますよね」とおたずねしたら、「確かにその通りです。出来るだけ定期的に行って頂ければ、だんだん心が和んで来ます」と、話して下さった。
色々と聞き難い事も、最近は聞く事もありますが、快く話して下さるようになりました。


以上

現地報告(1/22)

活動日:2012.1.22
報告者:田中真人



本日は、気仙沼教会で報徳祭が仕えられました。

五右衛門ヶ原・テニスコート住宅で新年会におよばれし芝のS氏と参加させて頂きました。住民の方は21名集まりました。

豪華な弁当と一緒に、酒や、ビール、卵酒も用意されていました。運転する私の事も気遣ってノンアルコールビールまで。。。自治会長の挨拶から始まり、副会長、そして、私にも何か一言とマイクを渡されました。




 お茶会などのイベントを開催してもらう方から、自分達で開催する方へ、、、これがついに形となり、本日の日を迎える事となったのです。

金光教ボランティアとして自治会の発足する前から、時間を共有し、ここまで来れた事を大変嬉しく思い、又、関わって下さった大勢のボランティアの皆様に大変感謝しています。

新年会では、借りてきたカラオケセットが大活躍。最初は、誰もマイクを取らず遠慮していましたが、1人、また1人と歌いだし、拒み続けてた女性陣も歌い出します。最後は、みんなで合唱。

11時からスタートし2時頃にお開き。

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以前、テニスコート住宅に配布され使われない衣類を運動場仮設にお持ちしていたのですが、必要な分は全て渡したというので新年会の後に、残りの衣類を引き取り、野球場仮設にお入れしました。

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・田中公園仮設住宅に足を運びました
20世帯でまだ自治会が存在していない仮設住宅になります。銀座教会から頂いた米を全世帯にお渡しする為に、足を運びました。社会福祉協議会に電話してS氏にキーパーソンの名前を聞きO氏と判明。まずはその方を訪ねました。 何者であるか柔らかく紹介をして一緒に、米を配布してくれるようお願いすると心よく引き受けて下さり全世帯を一緒に訪問しました。この方は中心的な人物になるには十分なオーラのような物を感じました。

ボランティアが全てやってしまってはいけない。顔を見せ信頼関係を構築するように努めるも、その中心的な人物は地元の方であることが理想であると言われています。

金光教のボランティアである事を話すと、「あらっ、元は、南町に住んでいて、床屋を経営している(気仙沼教会信徒総代)O氏の2番弟子だったのよ」と話をしてくれました。また、繋がりができました。

この方を他の住民と繋いで、ここでの信頼関係を築き、自治会発足の糸口とできたらなと思います。まずは、丁寧に足を運ぶ必要があるでしょう。

大工さんに作ってもらっていたベンチが4台完成したと、市民会館の館長さんから電話があったので、お礼として、いくらが妥当かと訪ねると大工の日当からすると1万5千円~2万円では?」との話でした。明日、お渡ししたいのですが、どうか受け取ってくれますように。 お米を渡してから、ベンチ2台を受け取り残り2台は明日受け取る事になりました。



「田中公園仮設で見つけた事」
・高齢者が多い
・部屋の中にいて、大きな声で呼びかけても聞こえないようだ
・部屋にいるのかいないのか分からない
・お茶会などをしても人が出てこない
・紫会館に非難していたH氏が入居している
・キーパーソンのO氏はかなり明るく積極的

2012/01/24

現地報告(1/21)

活動日:2012.1.21
報告者:田中真人


事情があり、東京へ戻りました。気仙沼に戻るときに、銀座教会からのお米180kgを車に載せました。

気仙沼で品薄になっている結露予防用の窓に張り付ける、エアーパッキンのようなものと、窓の下に張り付けて垂れてきた水を吸い取る吸水シートを島忠ホームセンターでたくさん購入。

呼び鈴21個を購入する為に、千厩のホームセンター「Sunday」に寄りました。店にあった3つを購入し、残り18個は取り寄せてもらうこととなりました。柳沢仮設と、本八幡仮設にお入れする事になります。


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*気仙沼の仮設住宅では、現在結露の問題がひどく、中には、天井が風呂場のようになり、水が滴り落ちてくる所もあります。そしてカビの問題も深刻化してきているという話も聞きます。結露は、窓だけではなく、壁や、天井にも及ぶ仮設もあります。 

・先日18日に、ホームセンターに買い物に行ったときに、レジの女性と、話をしました。そのレジの女性の家は流されました。現在は仮設ではなくアパートに住んでいるのですが、結露がひどく、対策として動物用の尿取りシートをカットして張り付けて水を吸わせているというのです。

「効果ありますか?」なんて会話をしていると、女性は、ごみ箱の中から、サンプルとして、シートを2枚くれました。「試してみて」という彼女。 ありがたく使わせてもらう事にしました。

 翌19日に、美紀子先生と、柳沢仮設で結露に苦しんでおられる自治会長さんのお宅に行き、試験的にシートを張らせてもらいました。 このお宅では、仮設の壁から天井伝いにパイプのようなものが入っており、触ってみると冷たい。そして、結露しているのです。 シートをこの鉄の部分に貼らせてもらいました。

(ストーブの上でやかんを炊いていたり、換気をしていない、結露で濡れた部分を抜いていないという事が分かったので、自分でできる結露予防については、していきたいですねとお話させて頂きました)





 結露予防の予防についてお知らせしたり、結露予防シートを貼ったりするお手伝いをする活動をすれば、結露予防の手伝いもできるし、住民の方と触れあい、話を聞かせていただくきっかけになるのではと思います。

それには、ボランティアが必要です。みなさまの力が必要です。支援機構へのボランティア参加のご連絡をお待ちしています。


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清水幹生氏の報告です ↓

20日に、一景閣のオーナーに電話で、工事に関する状況をお伺いしたら、「何とか話し合いが出来て、本格的な工事は2月1日から入るようになりました。まずはエレベーターの工事をします」という、返事を頂きました。
ただ、「完全に契約がまとまった訳ではなく、国からの助成金が降りるかどうかが、まだはっきりしない」と、心配しておられた。

全国の皆さん、これからも、祈りぞえ宜しくお願いします。

今日21日は、千厩に避難されている方の所に行きました。美紀子先生と信者さんのOさん、そして清水で行きました。
お伺いした方々は、Fさん親子でしたが、気仙沼の港町に住んで居られたWさんが来られたので、6人で談話が始まりました。Wさんは、「家等・物は全て無くなったけれど、家族全員が無事だった事が、一番有り難い。そして、お金・物・家が大切ではなく、一番大切なものは何か?という事が、分かったことが嬉しい」と、語ってくれた。さらに、「今度は、自分達が人を助けられる働きをしたい」と、語ってくれた時、「神様の働きかけというか、計らい事はすごい」と、思いました。

このWさんは、千厩雇用促進センターに住んで居られます。雇用促進センターは五階建てのアパートで四棟あり、93所帯で200名の方が住んで居られます。つい最近まで自治会が無く、物資等届いて無かったようです。Wさんの働きで、自治会が出来て、Wさんをが会長になられた。
欲しい物資としては、以下の通りです。
1、消耗品
2、食料品
3、下着・靴下

さらには、「心を癒やしてくれる音楽等のイベントを定期的に行って欲しい」と、言っておられました。

また、「今日の6人のような談話もこれからも持ちたい」と、言っていました。

美紀子先生のお知り合いの方達なのて、連絡を取りながら、定期的に活動して行くつもりです。

全国の皆さん、御支援宜しくお願いします。

現地報告(1/20)

活動日:2012.1.20
報告者:田中真人



気仙沼教会の信者さんS氏を講師として五右衛門ヶ原・テニスコート住宅で編みもの教室が開催されました。


・何故、講師がS氏? 
 南町かどっこがオープンした日に編み物教室が開催されました。これは道具を使わない、自分の指で帽子や、マフラーを編む教室です。S氏は、生徒として参加しました。道具を使ってやる物に比べてシンプルに編めるようで、家に帰ってから、S氏のお母さんに教えたら、楽しくて、たくさん作っていると聞いたのです。S氏は、五右衛門ヶ原のある新月地区で民生員さんをされています。 そこで、S氏に講師のお願いをしたところ、心よく引き受けてくださいました。

*先日、五右衛門ヶ原の支援者ミーティングで金光教の活動報告をし20日に編み物教室を開催する事をお知らせすると、新月地区の「コスモスの会」の方が、「私も、参加してみたい」というので、お誘いし、来て頂く事となりました。

後に、清水氏よりこの方は、S氏のおばさんに当たる方だと聞きました。ここで、また繋がりが。。。 神様のお計らいを感じずにはおれません。



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清水幹生氏からの報告です ↓


今日は五右衛門ヶ原・テニスコート仮設住宅にて、指による編み物教室が開催された。



講師:気仙沼教会の信者のSさん
ボランティア:美紀子先生、清水
参加者:仮設住宅住民9名
他:1名

気仙沼教会の信者さんが先生となり、このような教室が開かれた事に、大きな意義があります。
大変喜ばれて、2月1日に再度行う事になりました。被災者の顔に笑みが出始めて、心が癒されて来つつあるように感じられた。
人が人を助ける活動が、少しづつではあるが、成果が出て来るように感じる。

感謝感謝です。

夕方は、紫会館の千葉さんと、夕食の食材の買い出し及び、美紀子先生と報徳祭の準備の為に、必要な物の買い出しをした。


以上

2012/01/20

現地報告(1/18)

活動日:2012.1.18
報告者:清水幹生



今日は、奥原教会長先生のお供をして、起喜来(おきらい)地区の信者及びご近所の方達へ、お米を届けに行きました。
昨日の餅つきの時、数が少なくて、全員にお渡し出来なかったので、今日、不足分と信者さんのお友達に渡す分を持って、行きました。
起喜来は、養殖で生計を立てておられた家庭が殆どだった。
ところが、この大津波で全てが流されて、収入源が無くなった。
養殖は再開されたが、生産は3年後となり、収入源は乏しい。
まだまだ、支援は必要です。

食品等ばかりでなく、心のケアーも大切な支援活動となります。
何故かと言えば、この起喜来地区でも、40名ぐらいの人が亡くなっていますので、悲しみ・辛さは心の奥深くのこされていると思います。
少しでも元気のでるイベントが、定期的に来て下されば、喜ばれると思います。
つかの間の明るい被災者の笑顔を、何度かみてきました。
早く、本当の笑顔を見てみたい。

2012/01/19

現地報告(1/17)

活動日:2012.1.17
報告者:田中真人



岩手県大船渡市起喜来にお住まいの信奉者H氏宅で地区集会。奥原先生によって仕えられました。

お祭りの前に餅をつきました。


              なぜでしょう、餅つきをするといつも笑顔が溢れます



                       80代とは思えません!

お祭りの後、先生のお話で、「おかげとは、どこからか飛んで来るものではなく、常日頃から頂いているのである。それに、気がつき感謝することが大切である。そうすれば、もっとおかげを頂けるようになる。不平不満を言い出せばきりがないが、幸せな事を探していけば、案外そこら中にあるものだ。どんな状況でも気持ち1つで幸せにも不幸にもなる。おかげは我が心にある。神様の働きとは、人に助かって欲しいというものである」

「人一人助ければ一人の神になると言いますが、今、気仙沼に来ているボランティアは、人に助かって欲しいという思い出来て下さっている。これが、神心の現れの1つであり、信心の実践をしているのである」といった事を中心に話されました。

直会でついた餅を頂きました。


集会が終わってから、他の信者さんの家に移動し宅祭が仕えられました。
このお宅は、海抜17mですが、水が入り床上浸水したそうです。 


                  ここまで水が来たとは、、、、絶句です、、、、


在宅避難されて居る方達の情報が掴みきれないのですが、まだ布団などが必要な家があると聞ききました。 地区でどれぐらい必要か調べる事が可能かと訪ねると、「調べておきます」と、ありがたい返事を頂きました。



以上

2012/01/18

現地報告(1/16)

活動日:2012.1.16
報告者:田中真人




清水幹生氏と、田中公園(仮設)住宅に足を運んだ。ここは完成前に訪れた事があり、小さい仮設住宅だと記憶していた。

現地に到着し20世帯であると確認。まずは、自治会長を探すべく辺りを見渡すも外には、、、、誰もいない。  申し訳ないが、あるお宅をノックしてみると、反応があった。 出てきた人を見てびっくり! 先日、市民会館で会った大工さんではないか! 決して、先日のベンチの催促にきたわけではないので、少しだけ話をしてから、その場を離れた。しかし、この偶然! 神様…….(また、近いうちに足を運んでみたい)

次に、どのお宅を訪ねるか迷っていると、窓越しに90歳代と思われるお婆さんと目があって、お辞儀を何度かすると、こちらへやってきて窓を開けてくれた。(玄関口では無く、反対側)挨拶をしてから、みなさんのお役に立ちたくて仮設住宅を訪れている事を話すと、「ありがとうね」と小さく会釈した。話をしていると、震災当日の話を始める。少しづつ声のトーンが上がっていき何か力を振り絞るようだ。一生懸命私達に伝えたい、というように感じられた。窓際に立って話を続けるお婆さん。長時間だと疲れさせてしまって悪いなと思い、話が途切れたところで、「また来ますね」と言うと、少し体が斜めの状態で話をしていたお婆さんは、両手で窓の枠を掴み、こちらに体の正面を向けて話を続けます。まだ、話を続けたいのだと気づかされ、しばらく話を聞いてから仮設住宅を去りました。

聞いても自治会長は分からないと言うので、まだいないのかもしれません。後日、調べてみたい。あまりボランティアが来ないという話でしたので、まずはお茶会など、何かのイベントで関われたらなと思います。


以上

2012/01/17

現地報告(1/15)

活動日:2012.1.15
報告者:清水幹生


昨日の紫神社、風が強くどんど焼は中止となった。

「どんど焼」とは小正月の行事で、正月の松飾り・注連縄・書き初めなどを家々から持ち寄り、一カ所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。

「どんど焼」が風が強く、消防署から、火をつけて燃やす事に、中止命令が出た為、行事は中止となった。その為、集まった正月の松飾り・書き初め・注連縄・等、2トンの物を、軽トラで6往復して、北野神社に運んだ。

朝10時から午後3時まで掛かった。紫会館の一名と清水の二人での作業でした。

その後、千葉会長と、夕食の食材の買い出しに、行きました。

上記のような作業が、災害復興支援活動になるのかどうか、判断は難しい。皆さん方は、どう思いますか?私は、全てを受け入れて、無理な場合は、断るようにしています。

被災者と一緒に生活していますので、共に頼み頼み合いが出来て行ければ、良い関係が生まれて来ると、思っています。一見、支援活動と思えなくても、それは先に繋がる大切な活動と思います。
でも今日は良い汗を、かきました

2012/01/16

活動報告(1/14)

活動日:2012.1.14
報告者:田中真人



五右衛門ヶ原・運動場と、反松公園住宅で音楽ライブが開催されました。
来てくださったのは、気仙沼は3度目の藤戸さん達をはじめとする下記の方々です。仮設住宅等の生活支援として継続的支援をしてくださいます。


「音楽ライブ」

ライブは、Abe-Kobaを中心に結成されたジプシー・ジャズ・ユニットのジャンゴリズムからと歌手の「みけ」さんを合わせた5名で構成され、カメラ担当の女性一名の合計6名で来て下さいました。


・ジャンゴリズム


mique(みけ)



■五右衛門ヶ原の運動場 / 14時~15

 今日も、寒さがこたえます。寒さを通りこえて痛い。仮設住宅では、部屋に閉じこもってしまう事が問題とされていますが、この寒さではなおさらです。そんな中、音楽ライブを聞きに50名ほどの方達が集まってくれました。


                               
               「ジャンゴリズム」 美しくも軽快な音が心に響きます




みけさん登場


■反松公園住宅 / 18時~19

年配の男性が一番乗りで会場に現れました。ほわっとした空気の持ち主で優しげです。しばらく話をしていると、内ポケットから小さなアルバムを取り出し見せてくれます。和服を着て傘をさしている綺麗な女性を見せてくれました、娘さんだと言うのです。「ええ!娘さんですか!と清水氏と一緒に声を上げてしまいました。それぐらい綺麗でした。男性は話を続けます。「幸町でやられてしまってね」さらさらっと話を続けます。 私達は、声を出すことができませんでした。ただ首をゆっくりと縦にふりながら話を聞きます。話を聞いていると、妊娠して4ヶ月検診に行った帰りに津波の被害にあい、戻らぬ人となってしまったのだという事が分かりました。他の写真も亡くなった身内の写真。。。  目を濡らしてしまった私に優しそうに、話を続ける男性。  話を聞いて欲しい、写真を見せたい、大切な家族が生きていた事を感じて欲しい、分かち合いたい。そんな気持ちを伝えたいのだと感じました。ただそこにいて、話をじっと聞き気持ちや時間を共有する。そんな事も大切なのだと思います。 


ライブには35名ほどの方達が集まりました。初めてくる音楽のインベントを大いに楽しんでいるようでした。小学生からボーカルのみけさんに花束贈呈!  

Abe-Kobaのオリジナルで「美の巨人たち」のエンディングテーマ曲として使われた情熱は、心を躍動させ、住民の方達からの拍手喝采がすごかった。

                小学生からボーカルのみけさんに花束贈呈!


次回は3月に来てくださる予定です。



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本日、紫会館にきていた37名の学生ボランティアは、町の掃除をしたりと大活躍。仮設住宅の訪問に行ったチームもありました。週に一回ではありますが、今後も継続して学生ボランティアの受け入れを継続するという紫会館の方達。市の避難所指定は外されても、ボランティアを受け入れ、復興へ導く拠点としてありつづけるのだと言います。ボランティアが減り続けている今日ですが、ここのパワー、凄いです。



(本日、紫会館で開催予定だった「どんと祭」は強風の為中止になりました)

現地報告(1/13)

活動日:2012.1.13
報告者:田中真人



NPO・NGO(ボランティア)の連絡会が気仙沼教会で開催され、市役所、社協、保健所、NPOやボランティア団体から30数名の方達が集まりました。気仙沼教会で開催されるのは2度目になります。





各団体の一週間の活動報告が行われてから、以下の様な報告があったり話し合われたりしました。

■唐桑地域からは、ボランティアが減って動きが取れないと報告がありました。これは唐桑地域の事だけではありません。

■小泉地区では毎週一回、子供達の勉強を支援するボランティアがスタート。

■生活不活発病が深刻。仮設住宅分科会に講師を招いて勉強会を開催してはどうか。

■ここ数日、寒い日が続いている。水道の配管が凍結し破裂する仮設住宅がでてきた。水抜きをしてもダメなところ多し。水を出し続ける事が必要か(水道代が心配)。構造上に問題有りだが、一般家庭でも凍ってしまった所がある。(下水の凍結が心配だ)19日に仮設分科会があるので、それまでにデーターを揃える。

■インフルエンザが宮城県で流行っている。仮設住宅は、部屋がきちんと仕切られていないので、同居人がかかってしまったとき(特に)妊婦やお年寄りの事が心配だ。本吉地区の仮設では、非常に融通が利いて、空きが出て誰も住んでいない部屋に一時的に各地した。こういった事を気仙沼地区でもできるような体制を整えていく必要がある。

■現在、アンケートを取っており、この結果で高台移転の住宅件数が決まる。

■復興には長い時間がかかる、復興に関わる人材育成をしていこう。

*2月 4日 災害ボランティアシンポジウム開催
*2月12日 「社会を生き抜くネットワーク」セミナー開催
*2月18日 「伝えるコツ」セミナー開催

■大学がネットワークを作るのではなく、ネットワークで大学のようなものを作ろうという動きがある。

■次週の予定
18日 五右衛門ヶ原支援者ミーティング
19日 仮設住宅分科会
20日 ボランティア連絡会



以上

2012/01/13

現地報告(1/12)

活動日:2012.1.12
報告者:田中真人



14日の14時から五右衛門ヶ原の運動場で、18時から反松公園仮設で音楽のイベントを調整。五右衛門ヶ原の3箇所にチラシを配布。反松公園仮設については、自治会でチラシを作成し、すでに配っているというので、感心してしまいました。

14日の18時~20時に紫会館で「どんと祭」を開催。昨年、毎週土に40名ほど来ていた学生ボランティアが活動を再開しどんと祭のお手伝いをします。私と清水氏は反松公園仮設と、紫会館と別れての活動となるでしょう。

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本日は、市民会館に足を運び、館長さんが呼んで下さった大工さんと話をさせて頂きました。

(なぜなら)
年始の挨拶に五右衛門ヶ原のテニスコート住宅へ行き、自治会長や書記の方と2時間近く話をしてきました。その中で、集会場の周りにベンチがあると良いという話を聞きました。

「ベンチが欲しい」
理由1,デイサービスの利用者が多く、迎えの車を外で立って待っているお年寄りが多い。

2,現在は寒い季節だが、温かくなってくればベンチの周りに人が集まりやすい。
(今の季節でも日中太陽が出れば意外と温かいので?人が足を止め談笑をするきっかけになる)

3,行政に連絡をしてもまったく聞き入れてもらえない。


ぜひ、支援させて頂きたい。

市民公園住宅にベンチが大量にあるので、どうやって入手したのかを副会長さんに伺うと、市民会館から提供してもらったというのです。私は、ボランティアセンターで活動していた時に何度も、館長さんとお会いしており、面識があったので、直接足を運んで話を伺うと、ベンチはボランティア団体によって寄付された物で今は無いとのことでした。しかし、話をしていると、知り合いに(市民会館で避難生活されていた方)被災した大工さんがおり、紹介してもらえる事になったのです。、

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本日は、その大工のE氏とお会いしてきました。大工さんの目はうつろでどこか遠くを見ています。自己紹介してから、ベンチの話になります。

E氏「何台ぐらい必要ですか?」
自分「最低でも2台、できれば4台ほど、、」
E氏「あー、3~4台ならやってもいいかなぁ。」
自分「おいくらぐらいになりますか?」
E氏「それはいいよ」そっぽをむくE氏
自分「いえいえ、きちんとお支払いしたいのです」。お金の話になると、よそを向いてしまうE氏。近くいた館長が、「私にも棚を作ってよ」と言いますが、E氏は反応しません。話を続けていきます。
E氏「全部流されちゃってな、なんもないんだよ、工場も流されたよ。この坂の
下では、ずいぶん多くの人が流されたんだ。消防車もバスもみんな流されてきてな、遺体も、かなり上がったんだよ」

震災当時の話を続けるE氏、無言で話を聞く自分。聞き通して沈黙が訪れた時に、話題を変えて質問します。

自分「さっきの、館長さんみたいに棚を作って欲しいとか、そういった話はありますか?そういった話はありそうに思うのですが、お仕事に繋げられるといいですよね?」
E氏「そんな気にはならない、考えられねぇよ。そんな事はどうでもいいんだ、二人流されてね、まだ見つからないんだ。葬式も上げてないんだよ。」

遠くを見つめるE氏。そして無言が続きます。


突然E氏は口を開いて「でも、代わりに何人も救ったんだ」「3~4台だったらなんとかなるよ。ずいぶんと世話になったしなぁ」

承諾してくれたのは、金とか、仕事とかでは無く、避難している時に世話になった館長からの話(お願い)だからで、まったくもって自分のビジネスの話といった事では無いのだと感じます。そしてそのベンチも同じく仮設住宅に入っている人の為のもの。

料金については、なんとか、無理の無いように受け取って下さると良いのですが。後日館長さんを含めて相談したいと思います。

彼は、まだ復興とか、そんな言葉は耳に入らない。スタートのラインに立っている感覚なく自分の将来や、仕事など考えられない。まるで亡霊のようにそこにいる。そんな印象を持ってしまった私。苦しいです。

彼の立ちゆきを祈らずにはおれません。

きっかけはなんであれ、彼の本職である、大工仕事をする事によって、彼の魂に何かが響いてくれることを強く願い、祈ります。ベンチが出来上がったら連絡が来ることになっています。その時に彼の姿が今よりも前を向けていますように。。。。神様に祈ります。

震災から10ヶ月が経過した今もこうして苦しんでおられる方達がいるのです。

「祈るしかない」という言葉に対して「祈る事ができる」といった事も耳にします。私も、同感であります。しかし、「祈らずにはおれない!」これが本当です。

その祈りから来る「行動」を続けさせて頂きたいと思います。


(記憶をたどって書きました。方言などはまったく書けていないので、ご了承下さいませ)


以上

2012/01/12

現地報告(1/11)

活動日:2012.1.11
報告者:田中真人



清水幹生氏からの報告です。



朝の御祈念後、一景閣へ行った(お参り)。
震災後10ヶ月になる。
一景閣の最階上には、この津波で亡くなられた、従業員の方が祀られている。そこで毎朝、御祈念していますが、最上階から見る風景は、がれきは片付いて来たけれども、悲惨な風景に変わりはない。

御祈念を始めると、大津波が押し寄せて来る様子と、波にさらわれて流されていく人々の、「たすけてくれ」と、泣き叫ぶ声の状況が、つぶっているまぶたに浮かんでくる。とめどもなく涙が出てくる。くるしくて、辛くて、正直なところ、自分の精神が耐えられなくなり、体調を崩した事もあります。それでも支援活動を休む事なかった。神様のお計らいのお陰と思います。

話しが横道にそれましたが、今日は54部屋すべて、窓を開き、通気させました。
三階は、電気が開通しましたので、掃除機を使い、掃除を済ませました。

夕方は、紫会館の千葉会長と、我々の食事の食材の買い出しに行きました。
千葉さんとは、あの交通事故以来、お互いに何のわだかまりも無く、頼み頼みあいが、一段と出来るようになりました。命の共有によるものが、良き関係を生んだのでしょうか?神様の計り事は、凡人の私には想像出来ない。


以上

2012/01/11

現地報告(1/10)

活動日:2012.1.10
報告者:田中真人

できますゼッケン


社会福祉協議会に顔を出しました。できますゼッケンをお届けするためです。気仙沼教会の真子さんがデザインしたスペシャルバージョンで震災後、社協に提供し使って頂いておりました。社協から追加で欲しいのだと相談されていました。前回同様に、真子さんの友人が4,000部を印刷し提供してくださいました。



社協に入ると、まず座ってと促され、生活相談員のS氏と30分ほど、お話させて頂きました。S氏は私が担当していた北地区のチーフを引き継いで活動している地元の方です。仮設でのイベントを開催していたりしたが、人出が足りず今月はまったくできないというお話でした。仮設住宅の支援は、困難を極めそろそろ失業保険が切れ、自殺のリスクが増える事が考えられ対策を講じなくてはと頭を抱え落ち込んでいます。今月は、仮設住宅のお宅訪問を徹底的に行うのだといいますが、毎日の活動に追われどこへ向かっているのか、頭が混乱するほどだと言います。話ができて少し気持ちが軽くなったと言ってくださり、帰る時は、他の職員とともに席を立ち、見送られました。あまりの手厚い対応に驚きました。 私達でお役に立てる事は精一杯させて頂きたいと思います。

*現在は、私と、清水氏で長期ボランティア活動をさせてもらっていますが、他に長期滞在者がいて下さると、助かります。「人を助けるのが、人間である。人を助けて我が身が助かる。」休学制度を使って、海外へいく大学生も多いと思いますが、海外へ行くのでは無く、被災地で長期的にボランティア活動をするのは、その人にとって大切な時間となるでしょう。また定年退職された方等、人の役に立つことによって、自分が助かっていく、そんな道がここにはあります。

皆さまからの応募を心よりお待ち致しています。

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清水氏からの報告です↓


宇部東の清水幹生です。
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、大変お世話になりました。今年も宜しくお願いいたします。

1、1月10日の活動は、午前中、東京教会のDさんを送り出してそのまま、階上(はしかみ)地区へ布団を届けに行った。
この階上には、紫会館に避難されていた方の親戚のお宅を、片付けに行った事のある場所で、海岸の近い場所は、全滅で全ての家は流されていた。
布団は紫会館の坂本さんお世話で、陸前高田まで行き頂いてきた。届け先は、美紀子先生のお友達からの情報で、「家を流されて布団を欲しがっているが、何とかならないか」という事で、お世話させて頂きました。
美紀子先生と清水で搬送しました。まだまだ、私達が知らない、人の助けが必要な個所は沢山あると思われる。ボランティア活動は、まだまだ必要です。
皆さん、ぜひ現地に来てください。

2、被災地では、なかなか雇用先がなく、もうじき1年になり、失業保険も打ち切られ、収入源が無くなってしまう。お米等、食料品・日用品等の支援が必要になって来ると、思われる。その様な事情もあり、お米を一所帯あたり3Kg支給というつもりで、20袋準備した。

3、午後は、気仙沼教会の月例祭に参拝後、17日に予定されている起喜来(おきらい)での餅つきについて、気仙沼教会の信者さん4人と打ち合わせした。起喜来の信者さん達と、ご近所の方達の融和が目的で、餅つきはあくまで起爆剤です。

餅つきの量は、5升と決まった。きなこ餅・あんこ餅・雑煮が予定されています。地元の信者さん達が動き始め、人が人を助ける働きが進んで来る勢いが、出て来たように思います。有り難い事です。

以上

現地報告(1/9)

活動日:2012.1.9
報告者:田中真人


本日も炊きだし。



「なでしこサッカー教室 in 気仙沼」が気仙沼小学校で開催されました。出演者は、大野忍選手(なでしこジャパン/INAC神戸)、南山千明選手(INAC神戸)、中島依美選手(INAC神戸)とキャプテン翼の作者である漫画家、高橋陽一氏の4名です。子供達を対象としたサッカー教室で、気仙沼の子供たちを元気づけることが目的です。



気仙沼のサッカー教室からは、「気仙沼シャークスFC・約40名(小学校1~6年生/男女混合」、「鹿折FC・約40名(小学校1~4年生男子)」、気仙沼西高校・登米高校 女子サッカー部合同チーム 約30名(高校1~3年生)が参加し、もちろん希望者は誰でも参加できると言うことで合計130名程の子供たちがサッカーを楽しんでいました。子供達の笑顔が眩しい。それを見る大人達からも笑顔がいっぱです。

私達(元IVUSAの2名、清水氏、東京教会のD氏と私の5名)は、体育館のすぐ脇で炊き出しをさせて頂き、イベントに参加している選手、子供たちとそのご両親に京都風の白味噌汁(約150食分)を提供。NPOのNICCOはカレーを提供。

体育館で配食中


本日も、薪で火をおこしての炊きだし。3日連続なので、火の扱いも慣れたものです。近くを通りすぎていく人達が、「寒いのに、ごくろうさまです」「おつかれさまです」「ありがとうねぇ」など感謝の言葉を残して過ぎていきます。温かい気持ちになりましたし、嬉しい気持ちでいっぱいです。感謝の言葉を相手に伝えると言うのはとても大切な事だなぁ、とあらためて感じる事となりました。寒い中、ボランティアで頑張っているからと自然と出てきた言葉なのかもしれません。これが、ボランティアで無くとも、普段の生活で表せるようになると、もっとみんなか幸せになるのでは、そんな事を思いました。

店で物やサービスを提供する方は、お金をもらって「ありがとう」と気持ちを表す事があっても、逆に買ったり、サービスを受ける方が、お金を払ったのだからと、あたり前のような態度を取ることがあるかもしれません。

お金を払っているから当たり前だというのではなく「ありがとう!」の気持ちを伝える事ができるともっと多くの人が幸せになる。「笑顔と、ありがとう」のパワー、そんな事を感じました。心をこめた「ありがとう」をもっと伝えれるようになりたいと思います。


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熱田教会のS氏より、送っていただいた絵本を気仙沼中学校住宅の集会場にお届けしました。この仮設住宅には本棚はあるのですが、本があまり入っていなかったので喜ばれる事となりました。小さなお子さんが多いので活用してもらえたら嬉しく思います。




以上

2012/01/09

現地報告(1/8)

活動日:2012.1.8
報告者:田中真人


本日は、「みんなの誕生会」というイベントが五右衛門ヶ原の運動場集会場で開催されました。昨年、運動場集会場で「みんなの歌」という集まりをしてくださった方達が中心になって開催されました。

私たち、(奥原教会長の奥様先生、東京教会のD氏と私)は、昨日活躍してくれた青年2名と、このイベントにスープの提供及び参加といった形で足を運ばせて頂きました。

小学生も火の番のお手伝い


団体のリーダーの方は、誕生会というのは、いま、私達がここに生かされていると言うことを祝おうといった意味が込められているといいます。ですから、今日は、ここにいる全員の誕生を祝いましょうと。歌の歌詞や読み聞かせで、内容的に少しディープ過ぎないか心配する面もありましたが、最後には輪を作り全員で「今日の日はさようなら」を合唱。




ボランティアは一人一品、食事を持ってくるようになっており、歌の後に食事を頂きました。炊き出しで提供させてもらったスープは大好評。住民の方達と談笑していると、突然、携帯電話に保存してある写真を私に見せたいと言うのです。「ん?今日の写真?」と副会長さん。写真は、被災した自分の家の写真でした。「3階まで波が来たんですよ!」と近くの高台から撮影したすさまじい津波の写真でした。そして次に、「これが波が過ぎ去ったあと」と見せてくれました。普通の会話をしていたのに、突然、写真を見せたいと言う女性。「分かってほしい、感じてほしい」という思いをはっきりと感じました。炊き出しや、歌のボランティアでも、こういった所でみなさんと接点をもち、思いを分かち合う事ができるのです。

このような方達が大勢いる、この被災地。この地へ来て少しでもこの方達の思いを感じてくださる人達が増える事を祈っています。どうか、無関心でいないでほしい、忘れないでいてほしい、この痛みを感じてほしい。人は、喜びを分かち合うと倍になり、悲しみを分かち合うと半分になるといいます。

怖がらなくていい、来るだけでもいい。ここでは人の絆、人間の素晴らしさを感じる体験をする事になります。どうぞ、ふるって支援機構のボランティアに参加してください。

(ボランティアニュース8号を読みました。金光大阪が仮設住宅で吹奏楽の演奏とお茶会をしたあのイベント、来る前は怖がっていた彼ら。その時の事を書いているのです。「行ってよかった」という感動の思いがつづられていました。近いうちに、Webで見れるようになるので、アップされましたら紹介させて頂きたいと思います)


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紫会館のS氏のネットワークで布団が頂ける事になり、お昼過ぎに清水氏、D氏と奥様先生で、陸前高田に取りにいきました。布団が無くて困っている地域を見つけたのです。
途中、被災した市役所を訪れ、その被害を目の当たりにしたD氏は、被災した人達へ思いと祈りが強くなっていくと語っておられました。


以上

2012/01/08

現地報告(1/7)

活動日:2012.1.7
報告者:田中真人
天 候 :晴れ 時々雪



本日は、赤岩地区にある、牧沢にある、テニスコート(仮設)住宅に足を運びました。テニスコートといっても、いつも足を運んでいる五右衛門ヶ原の事ではありません。紫会館のS氏のお知り合いの情報で、支援の行き届いていない仮設住宅がある事が分かったのです。それは、高台の上にあり、56世帯のうち40世帯が独居老人の住む場所。近くに商店は無く、人が住むような場所では無いと言います。

一昨日から紫会館にきている青年・ボランティア(IVUSAのOB/20代前半)2名が炊き出しをしたいということから、繋がってきた情報です。この二人は、復興商店街で炊きだしをする予定でいましたが、仮設住宅の開催に変更することになります。

この青年の一人は京都で農業をしており、自分たちで育てた九条ネギや大根を使っておいしいスープを飲んで欲しいと熱い思いを語ってくれました。そのお友達は高知から夜行バスで京都に向かい、友人の車で気仙沼まで来たのです。

炊き出しは、彼らの提供するスープ、紫会館から提供して頂いたアルファ米(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E5%8C%96%E7%B1%B3)とキャベツ、そして大崎教会信徒部よりお預かりした支援金で、復興商店街に入っている店からコロッケを購入し、提供させて頂きました。 現地へいったのは、奥原教会長の奥様先生、清水幹生氏、紫会館のO氏(通称、社長)、IVUSA・OBの二人と私の6名です。 

現地に、S氏のお知り合いの方もお見えになっていました。災害で仕事をなくし、それからは、個人でボランティアをしている方です。かなり多くの仮設住宅を回っており、今後、支援の足りない仮設住宅の情報を共有しながらお役に立たせて頂きたいです。




足を運んだ仮設は、「炊き出しだと声をかけても人が出てこない」と聞かされていました。ノックしても出てこないお宅も多いといいます。とにかく、実際にスピーカーでお知らせしようと、声をかけるも、出てきたのは10名にも満たなかった。生活支援では、炊き出しや、イベントを通して部屋から外に出てもらうきっかけを作ろうと意識していますが、ここでは、もっとも人の出てくる率の高い炊き出しでさえ、出てこない。。。
自治会長さんのお話ですと、みなさん殻に閉じこもっているとの事。 出てこられない方達の分は、お宅へお届けする事に。自治会長や、副会長、そして女性の方達が積極的にお手伝いしてくださり食事のお届けに関しては全て自分たちで動いてくださったことが救いでした。

ひょんな事から、はじまった炊き出し企画でしたが、私たちの力でないものを大きく感じる事となりました。ありがとうございます。

私達は、定期的に足を運び信頼関係を構築し丁寧に事を進めていく必要があるでしょう。


追伸:紫会館のO氏と一緒に仮設住宅で御用させて頂けた事を大変ありがたく思っています。