下記の内容は、2011.08.27の現地報告です。
報告日:2011.08.31
報告者:田中真人
3グループに分かれて活動
1.昨日、一昨日に続き、唐桑公民館での写真(スキャンニング)「活動人数10名」
活動報告として、「人の人生を見せてもらう中で、写真の持ち主の親になったような気になりました」、「思い出の大切さに気がついた」、「写真の持ち主が、これらの写真を見たら、どう思うだろう」、「写真の人はどこにいるのだろう」と思いを口にするボランティア達。この活動も経験しないと分からない深い、深い思いになるのです。私には、この感情を説明する能力がありません。胸の中が締め付けられるような、なんとも言えない思いでいっぱいになります。
2.ホテル一景閣「活動人数5名」
お風呂場の洗浄(テーマは今から入れるお風呂)
夜のミーティングで、「無言で夢中になって清掃している自分達。外から聞こえてくる“重機の音”、その瓦礫撤去している音に励まされました。その音は、一歩、また一歩復興へ向けて進んで行く音。私達のお風呂場でゴシゴシ、きゅっ きゅっっと立てる音にも同様の事を感じました。とMさん。Sさんは、「一景閣には辛い記憶があるかもしれない。しかし、綺麗になって、人々がここに来て、嫌な事を忘れる事ができるような、そんな場所になって欲しい」と報告されました。
3.五右衛門ヶ原仮設住宅でかき氷+足湯
8月19日に続き、第二弾の活動です。
「活動人数9名」+日本財団8名の合計17名
19日の活動報告はこちら
前回と同様に、午前中に、テニスコート用地(25戸)、午後から運動場(170戸)で開催しました。
「テニスコート仮設」
この仮設には、被災され、金光会館で生活されていたSさんの奥さんと娘さんが入居されています。
天気も良く、気温が高いこともあり、かき氷には最高な一日になりました。談話室の中で、かき氷と足湯マッサージの提供。お茶用に2台のテーブルを設置。かき氷を食べながら、お茶をしながら談笑します。すると、すぅっと年配の女性が現れ学生寮のK君に、「津波がどんな風だったか、聞いた事ある?」と話しかけてきました。そこに学生寮のFさんと、芝のSさんも座りました。年配の女性は、津波の話と、命が失われていく様子を語られていたのです。K君とFさんは、夜のミーティングで、涙を流しながらをこの事をシェアしてくれました。
私は、この仮設でキーパーソンになるであろう、Oさんと話を重ねる事ができました。そして、後日、一緒に市役所へ行くことになります。(この報告はまたあらためて)
「運動場仮設」
大きな集会場です。駐車場から集会場へ向かうと、私の顔を見るやいなや、男の子が、全速力で自転車を漕いでやってきます。そして、仮設に何度か足を運んでいる、K君を見てもまた、同じように、一生懸命に走りまくる少年。
集会場に入ると、子供達が集まってきました。先日、紫会館でかき氷企画をしたときに、日本橋のSさん、MさんとFさんがかき氷のポスターを作成してくれていたので、仮設の入り口や、かき氷器に貼り付けます。
子供達は、はしゃぎまくり、なかなか言うことを聞いてくれません。そこで活躍したのが、芝のフォーゲルから来たIさんと、K君でした。Iさんは、テーブルに付きしっとりと優しく子供や、年配の人達と接していました。子供達に対して、「食事中は、静かにして」と話かけると、あらま、どうでしょう。ひそひそっと反省したようすで、外に出て行く彼ら。さすがフォーゲルの現役リーダーは接し方が自然で上手だなぁと関心してしまいました。またしばらくすると、「わぁ~~~」っと戻ってくるのですが(笑)そこで、子供達を一気に引き受けたのがK君、4~5名の子供達と一緒にチャンバラ?というか、叩かれたり、蹴られたりしていましたが、えらく打ち解けて遊んでいるK君。これもまた恐れ入りました。子供達との触れあいやアクティビティーに長けているフォーゲル隊員がここで役に立てる可能性を感じました。
Iさんのマッサージは大人気で、順番待ちが出来ていました。マッサージ・セラピストでもある私も、しばらく、マッサージのお手伝い。
※途中、かき氷器機を貸して下さったGet Backs(地元ボランティア団体)のWさんが容子を見にきて、嬉しそうにしていたのが嬉しく思います。
明日は、14名のボランティアが気仙沼を離れます。みなさん口々に、ここにきて沢山の事を経験し、活動し、その事に感謝にしていると語っていました。
「帰ってから、ここでの経験を、ここでの現実をみんなに伝えてください。帰ってから出来る事がたくさんあります。」そう締めくくられミーティングは終了しました。