活動日:2011.07.13
報告者:田中真人
7月13日 天気:晴れ(天気予報によると22度〜30度)かなり暑い
本日は、Sさんが、H師・K氏を連れて大船渡と陸前高田へ行かれました。Sさんは、「大船渡の橋が開通した事で、時間の短縮になる」と喜ばれていました。「陸前高田は、重機が入りかなりの部分がフラットになっている、都市開発をするには、あちらの方が早くする無かもしれない」との感想でした。奥原先生は、言います、「来て活動するだけでなく、きちんと現実を見て欲しい、この町の痛みを感じて欲しい」。
私は、金光会館の掃除をさせて頂き、それから奥様先生と気仙沼中学校仮設住宅へ行き、物資の配布を行いました。夏場に必要な、寝るときに使えるタオルケット・バスタオル・子供服です。すぐ下にある、市民グラウンド仮設には、自治会が誕生しており、物資もわりと行き渡っているのですが、本日行った仮設では自治会組織は未だになく、タオルケットも無いとの事でした。「うぁ〜」っと歓喜にもにた喜びの声を聞いてきました。奥様先生も、行く前は「必要とされるかな?」といった様子でしたが、みなさんの反応に最初驚きながらも、“喜ばれる事による喜び”をかみしめているようでした。
7月14日に100日の活動を終えて、東京へ戻りますが、再度、気仙沼へ戻ってくる8月からは、支援機構としてニーズの拾い上げをしたり、ボラセンや他団体と連携を取りながら、仮設住宅支援もできたらと思います。ここでは、心のケアーといった事が中心になってくるでしょう。気がついたら、ずいぶん多くの団体と交流を持たせてもらえるようになっていました。
午後は、紫会館の方達と、しばらく一緒に時間を過ごしました。明日、私が一時東京へ帰ると言うことで、今夜は、私の為に送別会を開いて下さることになりました。「また戻ってくるから、気にしないでください」と申したのですが、「何言ってんだ、やるぞー」とありがたい言葉を頂きました。一緒に、ハエを叩きながら、一緒にいさせてもらえるありがたさを噛みしめていました。
紫会館で18時より、私が調整した、ミュージカルのボランティアがありました。青山劇場で舞台をしているMITSUKOというミュージカルをしている人の中から5名の方が来て通常3時間ほどあるものをMITSUKO ショートバージョンとして45分で披露してくださいました。私も、一緒に見に行かせてもらったのですが、引き込まれてしまいました。避難所のみなさんも大いに満喫されたようで、最後は、写真を撮ったり談笑したりと、良い雰囲気で終わりました。和やかな雰囲気で女性も、男性も一緒になって時間を過ごしました。
最後は、避難所のリーダーCさんのコメントで終わりましたが、ボランティアの方達が感動しているのが伝わってきました。ボランティアとは、してあげると言うことだけでは無く、する事によって何かを学ばせてもらうものと言われたりします。彼らもきっと何かを学んでいったように感じました。
その後に、紫会館の方が私の送別会をして下さいました。8月に戻ってくるにも関わらず、会館の方が12名(内、自治会長3名含む)、教会から6名の総勢18名でありがたい時間を共有させて頂きました。
ボランティアをする事により、大きく成長させてもらえる、私自身、それを感じる一日でした。「おまえ、帰ってくるんだよな?」、「帰ってこいよ」、「田中君は、ここの住民だからね」、「ありがとう」等々、たくさんの言葉を頂きました。
気仙沼での滞在は、この活動を信仰としてどう受け止め実践していくか、考え深い時間でした。
ありがたい、ありがたい一日でした。
この滞在で、地区の自治会長、仮設の自治会長、市役所の方や、民生員さん等、多くの方達と友好的な関係を築かせて頂きました。この経験を皆さんと分かち合い、次の活動に繋げさせて頂きたいと思います。このような機会を下さった、神様、支援機構のみなさまに大変感謝しております。