報告者:ボランティア参加者・稲葉芳也
場 所:気仙沼市
6月16日(木)
昨夜23時、池袋駅西口を夜行バス「気仙ライナー」にて出発。
車中、乗り合わせたオバサンと話をした時の事です。
「幸い実家は、陸前高田市でも高台にあり無事だったが、親戚8人が津波で亡くなりました。中でも一番辛かったのが、姪の死だ」と仰っておられました。まだ、24歳で結納を済ませたばかりで、この6月には、結婚をする予定だったそうです。3月11日から、約3ヶ月たったので100日忌の意味を込めて、三度目の帰省だとの事でした。
今朝6時頃、無事に気仙沼駅前に到着。現地常駐スタッフの嶋田先生にお迎えいただきました。今日は教会長先生ご夫妻のご判断で午前中、夜行バス疲れのため休養をとらせていただきました。午後到着の国際センター山田先生と共に嶋田先生の案内で、被災し津波でほとんどの町並みが流された陸前高田市を視察に連れて行っていただきました。
6月17日(金)
本日はSさん、山田先生、辻井先生と私の4人でボランティアセンターに行きました。
午前中から唐桑体育館にて向かい、『写真の汚れ落とし』を行いました。仕事でカメラを扱っておりますので、縁を感じながら作業をしております。
肉体的には楽なのですが、思いが詰まっている物なので悲痛に感じます。
6月18日(土)
本日は、今朝到着の日本橋教会のIさん、Sさんと金光大阪の阿知波先生、T氏妹さん夫妻、辻井先生、金光町のMさん、私の8人がボラセンに行きました。
本日の作業は、本郷地区の民家にて、庭の清掃作業を行いました。
内容は、気仙沼市本郷の大きな民家でした。津波の被害は海の周辺だけかと思っていましたが、海から、多少離れていても川の上流に沿って被害を受けていました。
普段から、サーフィンで海に行っている自分でも知らなかった事実。
これが、現地に来て、自分の目で見た感想です。家の外壁には、地面より150cmぐらいの高さにまで達したであろう津波の後がはっきりと残っていました。
作業内容は水害にあった庭(結構広い)の表面の土を払い、石や木の根を取り除き、整備するもので、意外と肉体労働で、午前中で恐らく3リットルぐらいの汗をかいたのでは?と思います。
作業終了後、気仙沼の先端・岩井崎周辺を見に行きました。この周辺は、ほとんど手付かずの状態でした。本当に自分の目で確認して、改めて津波の恐ろしさを知りました。
6月19日(日)
本日は、Sさん、日本橋教会のIさん、金光大阪の阿知波先生、東京学生寮から参加のKさん、Hさん、そしてBさん、大崎教会のNさん、Nさん、私の9人がボラセンに行きました。
本日快晴。気仙沼に到着してから一番暑い日でした。
今日の作業内容は、南郷地区で測溝清掃。ようは道路脇の排水溝のどぶさらい作業です。
やはり、この地区も川の周辺の為、被害を受けている地域です。高いところでは、約2メートルぐらいの高さまで津波が達した後が残ってます。
油やヘドロ、角材等、色々な物が混ざっていて、又、ニオイも強烈ですがまさに、ボランティアの真骨頂的な仕事です。地域の人達にも、応援され、ハードですがやりがいのある作業でした。ただ今回は約五十人ぐらいの大人数で行いましたため作業的にはとても、スピーディーでした。ボランティアには単独で参加している人や外国人など、色々な人が参加しています。
6月20日(月)
本日快晴。朝から、かなり暑いです。
今日は一昨日到着した、学生3人が、気仙沼地域周辺の被災現場を見た事がなかった為、ボランティア活動を休みにし、陸前高田や南三陸の被災現場を見に行きました。
陸前高田市は自分が到着した日の午後に見に行ってるので、2回目になります。陸前高田市は岩手県になり、気仙沼から北上し約30分ぐらいの距離にあります。
この地域は海沿いから、約8キロ近くも川の上流に沿って被害を受けており、海の近くの集合住宅二棟、五階建ての四階部分まで、津波が達してただろう、形跡が残ってました。まさに津波の恐ろしさを物語ってる光景でした。
一方、南三陸町は気仙沼から約30キロほど南下した場所にあります。防災対策庁舎職員の女性が津波警報をギリギリまで放送し亡くなられた場所です。被災後テレビの報道の映像を見て、まさか、自分がその現場に行くとは思いもよらない出来事でした。
防災対策庁舎前には、花束が掲げられ、お線香などもあり、一般の人もお焼香が出来るようになっていました。陸前高田市よりも瓦礫の整備が遅れている状態でした。
そして、気仙沼に戻り、改めて感じた事は、津波被害にあい、火災し数船の巨大マグロ船までもが流され、陸に打ち上げられました。気仙沼市は水産業が産業の中心です。魚市場、冷凍倉庫や加工倉庫等すべて、津波によって流されてしまいました。そしてその冷凍倉庫・加工倉庫などから流されたさまざまな水産物が腐乱し、悪臭の元となり、さらにハエが大量発生までしています。
これも、現地に来たからこそ判る事実です。
本当に1日でも早く復興する日を祈るばかりの日でした。
6月21日(火)
朝、晴れのち薄曇り。一時雨のち晴れ、夕方激しい雨のち晴れ
天気がコロコロ変わる気仙沼は、かなり、むし暑いです。こちらの梅雨時はこの様な天気だそうです。
さて、本日のボランティア体験記です。
本日の作業内容は、前回同様、写真の清掃作業です。唐桑地区の唐桑体育館にて作業を行ってきました。ここは気仙沼災害対策ボランティアセンターから、車で約20分ぐらいのところにあります。18人のメンバーでさらに午後からは4人加わり総勢22人の大所帯でした。今回は二度目になりますので、チームのリーダーという、大役を務めさせて頂きました。リーダーとは、メンバーの体調管理や借りた資材の返却、センターとの連絡係などが任せられるものです。
その日の朝、センターから仕事を依頼され、作業内容、場所の状況、必要人数、水道、トイレの有無を説明をし、1日の活動がスタートする日雇人夫的なスタイルです。
現場までの移動は大人数の為、センターが手配してくれるマイクロバスで送ってくれます。ドライバーさんは、気仙沼の方で、やはりボランティアでした。
帰路の途中、直接センターに戻らないで、気仙沼の被災現場を回ってくれました。
ドライバーさんは、地震当日、当然仕事中で、三階建てビルの二階まで浸水した水が引かない為、避難が出来ず、翌日の2時ぐらいにゴムボートで東京消防庁の方々が、助けに来てくれたと話をしてくれました。足が不自由な人は屋上からヘリコプターで救出されたそうです。震災後は道路が1メートル近く陥没し大潮の満潮時には、いまだに道路が水に浸かり、日により、所々で通行止めになる状況です。
自分達は、何度か見てますが、やっぱりドライバーさんは、ボランティアに来ている一人でも多くのに人達に、現場を見てほしいんだなと思い、現地で津波を体験された生の声が聞けたのが、今日一番感じた出来事でした。
6月22日(水)
本日快晴。かなり暑い1日で、今年一番の暑さだそうです。
風も強かったですが夕方からは無風です。
さて本日のボランティア体験記です。
作業内容は南郷地区のKさん宅と民家の間の泥カキ作業を行いました。
幅80センチ程の隙間の瓦礫除去作業ですが、津波によって水産加工倉庫より流れてきたサンマが悪臭の元となり、強烈なニオイを発する現場でした。
そしてこの悪臭により、ハエが大量発生している始末で、しかも、ハエがかなり大型化しています(大きさはなんとカナブンくらいあります)。
ここで本日のワンポイント知恵袋
人間の知恵とは、すばらしいです。
大きめのペットボトルの中央部分に穴を開け、お酒、酢、砂糖を1対1対1の割合で入れとくと、あら不思議その中にハエが集まり、ゴキブリホイホイではなく、ハエホイホイが完成するのです。
今、気仙沼では、どの家庭でもある必需品です。ハエに困った時には是非一度試して下さい。
話しを戻して。
お昼時、作業を行ったKさんから話を聞くことができました。Kさんは一人暮らしで、震災直後から避難所生活をしていた為、二週間近く息子さん達と連絡が取れなかったそうです。、息子さん達は諦め掛けていた時に、やっと連絡が取れ「安否確認が出来た時には息子さんが、泣いて喜んでくれた。」と、涙ぐんで嬉しそうに話してくれました。
親を思う子の気持ち
子を思う親の気持ち
離れていても気持ちは一緒。まさに家族の絆です。
被災されたにも関わらず、パンや牛乳、野菜など色々な物を【おもてなし】してくださいました。
作業終了後、キレイなった現場を見て大変喜んでくれました。
是非次回は、おいしいカツオを食べに来て下さいと言ってくださいました。
お言葉に甘えて、又必ず来ようと決心した1日でした。
6月23日(木)
今日は朝から雨です。かなり勢いよく降っています。
またたった今、地震がありました。1日一回ぐらいは、身体に感じる揺れがあります。
まだまだ、こちらは余震が続いております。
本日は雨の為、ボランティア活動は中止になり、まだ行ったことのない、被災現場に行きました。気仙沼でも一番南の本吉町の小泉海岸と岩手県の大船渡に行ってまいりました。
気仙沼市本吉町は数年前に、気仙沼市に統合された町で南三陸町の手前の街になります。
小泉海岸は個人的に見てみたい場所でした。以前はサーフスポットとして有名な場所だと聞いていましたが、今日見た限りでは、冲のテトラポットは散乱し、ビーチ沿いには、堤防があっただろう形跡が見るも無惨な状況でした。本当に涙が出る思いで、立ち尽くす限りでした。
一方、岩手県大船渡市は陸前高田市の北隣にあります。気仙沼と同じように、漁業の盛んな町です。こちらの町も、かなりの被災を受けてますが、気仙沼よりは多少瓦礫の整理が進んでる感じでした。
どの被災現場を見ても思うことですが、本当の復興はこれからです。
今晩は約2ヶ月ボランティアで滞在していた、嶋田先生とSさんが明日帰られるため、ここ、南町の人達と送別会を行うことになりました。
地元の方達を交えての送別会。
居酒屋にて、隣に座られた方は、本当にボランティアの人達に助けられたと言われました。
「『今まではボランティアの人達を見ても、あーガンバっているなーぐらいにしか思わなかったが、実際に自宅の作業をお願いして、初めてボランティアの人達のありがたさを知った。』必ず復興をするので、又、来て下さい」と。
他の被災地を見に行く道中でも、旗や看板等にボランティア支援に対して感謝のメッセージが、掲げられ本当に励みになりました。
6月24日(金)
曇り。朝から、むし暑く生温かい風が吹いていました。また9時過ぎからは雨が降ってきました。夕方晴れのち曇り。そして夜は風がひんやりしています。
今日の作業は、アパートの床板剥がし&その下にたまっているヘドロ取りでした。
今日は気仙沼市災害ボランティアセンターでは有名な「チーム斎藤」の一員として、ガンバってきました。
この「チーム斎藤」は、かなり厳しい現場を受けもっています。厳しいと言うのは、危険で汚れる作業です。内容的には、ボランティアの域を超えている作業です。自分の与えられた仕事をいかに、スムーズに進めるかを考え、段取り整えているうちに悪臭も気にならなくなり、無心になって作業をしている自分に気付くことができました。
自分自身の気持ちや考え方次第で、人が嫌がる仕事でも学べることは沢山ある。そのことを、改めて感じた1日です。
明日はボランティア最終日。今日の作業終了後に、リーダーの斎藤さんに『明日もよろしくお願いします。』と言って来ました。
ボランティア体験記。いよいよクライマックスです。
6月25日(土)
朝、曇り。久々に肌寒い朝です。9時過ぎからは雨が降りましたが、夕方からは晴れました。
今日はボランティア最終日、ケガの無いよう、気合いを入れました。
本日の作業も昨日同様「チーム斎藤」にて、アパートのヘドロ&泥かき作業です。
昨日の時点で、床板剥がしが、ほぼ終わっているので、今日のメインの作業はヘドロ&泥かき作業で、総勢16人のチームです。
午前中の作業で、みんなの作業着がかなりイイ感じで汚れています。恐らくニオイも染み付いていると思います。
リーダーの斎藤さんは、現在63歳。地元の方で、本来の仕事はカツオを運ぶ大型の運転手です。
見た目はゴツいですけど、話すと、とてもイイ人で、まさに団塊世代を感じる親分肌の人物でした。
夜の食事はカツオパーティーです。今朝から、ボランティアに参加した、お二方からの差し入れです。
地元の人達と交えての交流ですが、10日間、朝夕共に食事をしているので、取り敢えず顔は覚えてもらいました。
ここ紫会館避難所、南町の地区会長に労いのお言葉を頂き、避難所生活をしているにも関わらず、本当に本当に良くしてもらい、逆に勇気と希望を頂き大変、ありがたく思いました。
この文章を書いている今現在、帰る実感がありません。
この街は必ず復興します。その時は、絶対に自分の眼で確認したいと思います。
6月26日(日)
若干小雨混じりの肌寒い朝です。
ウグイスの声が、鳴り響き、心地よい音色の朝ですが、数百メートル離れれば悲惨な状況の世界がここにはあります。
12日間のボランティア生活、本日帰京するにあたって・・・・
私は今まで、色々な所を旅して来ました。
インドネシアの島々やスリランカなど津波で被災した場所も見て来ました。
しかし、今回はいつもの旅とは目的が違う旅です。
未だ被害の生々しさが残る東日本大震災。テレビや新聞の報道を見て、いても立って居られない気持ちを抑えて縁あって、気仙沼でボランティアをする事になり、悲惨な状況をこの眼で確認しました。しかも、これが現実の世界でした。
今回のボランティア体験は、自分の人生でかけがえのない思い出になりました。
周りの人達に支えられ、応援してもらい、又協力して頂いたからこそ、実現できた体験です。間違いなく、自分一人の力では、無しえなかった経験です。
まずは会社の皆さん、家族、ヨーガ学院の計らいや、教会長先生、奥様先生、在籍教会の先生方のお祈り添え、さらには被災しているにも関わらず、家族の様に接してくれた気仙沼南町紫会館のみなさん。教会やボランティアセンターで知り合った仲間達。
この経験を一人でも多くの人に伝え、興味を持ってもらい、又、行動してもらえる様にみんなに語っていきたいと思います。
本当に本当にありがとうございました。
又、必ず戻ってまいります。
追記 夕方、無事帰京することができました。ありがとうございました。