2011/07/25

現地報告

下記の内容は、2011.07.24の現地報告です。

報告日:2011.07.25
報告者:東セ宮田

24日の天候は快晴ながら、暑すぎず寒すぎず心地よい陽気でした。
本日の作業はボランティアセンター組と昨日同様気仙沼信徒S氏宅の二手に分かれました。当初、S氏の引越手伝いに何人か行く予定でしたが、朝の段階で引越準備が間に合わず、手伝いは必要なくなりました。ボランティアセンター組は、横須賀のK師(37)、コスタリカのM君(27)、東京学生寮のT君(22)とKo君(23)、そして土曜日の支援機構便で到着した東京学生寮のKa君(21)と成城のIさん(44)の6名で、鹿折地区の被災民家から使えなくなった家具等を外へ出す作業と荷物の片付けでした。80前後の一人暮らしのおばあさんの家だったそうで、涙ながらに感謝されたとのことでした。本日のボラセンは夏休みに入って初めての日曜日にもかかわらず、ボランティア希望者は50名ほど、ボランティアの依頼もそれほど多くなかったようです。
一方の気仙沼信徒S氏宅では、会社奥の住居1階と2階の高圧洗浄機を使っての水洗いと、泥にまみれた食器類の水洗いをしました。活動メンバーは宇部東のSさん(67)、Kさん(58・女性)、気仙沼教会の長男Mさん、気仙沼教会のSさん、土曜日の支援機構便で到着した甲府のM師(65・女性)、土曜日夜に到着した中野のNさん(66)と私の7名でした。
気仙沼信徒S氏のご家族は日中に無事引越を終え、仮設住宅に移られました。S氏も数日中に移って行かれる予定です。

2011/07/24

現地報告

下記の内容は、2011.07.23の現地報告です。

報告日:2011.07.24
報告者:東セ宮田

23日の天候は曇り、昨日よりは少し暖かく、作業するにはもってこいの日でした。23日も前日と同じく、気仙沼教会信徒Sさんの会社の周りの泥かきと隣の家の一階の泥かき及び高圧水洗浄をしました。
メンバーは宇部東のSさん(67)、Kさん(58・女性)、横須賀のK師(37)、コスタリカのM君(27)、ニューヨークのウェストン君、気仙沼教会の長男Mさん、気仙沼教会のSさん、東京学生寮のT君(22)とK君(23)、金光大阪のU先生(53)、芝のKさん(62)、大谷教会のBさん(33)、そして私の13名でした。
今日一日で泥を入れる土嚢袋を170〜180枚使いました。
気仙沼教会に震災以降避難しておられた信徒のSさん一家が、明日24日に急遽仮設住宅に引っ越すことになり、夜は送別会を兼ねて懇親会が行われました。改めて震災当日の様子を聞かせてもらい、家や家族があることの有り難さ、何も起こらないことの有り難さを再認識しました。

2011/07/23

現地報告

下記の内容は、2011.07.22の現地報告です。

報告日:2011.07.23
報告者:東セ宮田

22日は暑くもなく寒くもなくとてもいい陽気でした。
作業は、気仙沼教会信徒のSさんの会社とその隣の家の周りの泥かきをしました。宇部東のSさん(67)、Kさん(58・女性)、横須賀のK師(37)、コスタリカのM君(27)、ニューヨークのウェストン君、気仙沼教会の長男Mさんと私、そして朝夜行バスで到着した東京学生寮のT君(22)とK君(23)の9名で行いました。
この地域は気仙沼の魚市場に近く、一体がほぼ全壊で、まだまだガレキがたくさん残っていました。Sさんのお母さんが早くこの家に帰って住みたいと仰っているようですが、2階はほぼ泥を取り除いた状態とは言えまだ泥だらけ、1階にはまだ床下に泥がたまった状態で、まだまだ住める状態には見えませんでした。今日は気仙沼教会の長男さん一家が朝到着、長女Sさんも気仙沼市民復興委員会会議のため帰ってきて、賑やかな夜でした。
夕方金光大阪の教員で大津教会のU先生も到着されました。

現地報告

下記の内容は、2011.07.21の現地報告です。

報告日:2011.07.22
報告者:東セ宮田

ここ数日は7月としては気仙沼でも珍しいくらい気温が上がらず、昼でも20度過ぎと寒いくらいの気候でした。夜にはタオルケットだけでは寒くて眠られず、しまっていた毛布を出しました。
21日は、前日と同じく一景閣の2階の床を削る作業と、1階の天井の枠組を取り壊す作業でした。宇部東のSさん(67)、Kさん(58・女性)、横須賀のK師(37)、コスタリカのM君(27)、気仙沼のSさん、それとニューヨークから来たウェストン君(最近現地で一緒に活動することが多く、夕飯も一緒にとることが多い)と私の7名でした。一景閣も少しずつ片付いてはきていますが、まだしばらくかかりそうです。

2011/07/21

現地報告

下記の内容は、2011.07.20の現地報告です。

報告日:2011.07.20
報告者:東セ宮田

20日の現地報告をいたします。
昨日は宇部東のSさん、Kさん、西近畿の8名、国セのK師と私の12名で、気仙沼教会信徒Sさんの経営するホテル一京閣で作業を行いました。

作業内容は、2階フロアの絨毯を取り除いた後の糊をヘラで丹念にそぎ落とす作業、1階壁のコンクリの凹凸を平らにする作業、1階天井のアルミの枠組を取り除く作業の3つでした。
朝9時から15時まで作業しましたが、引き続き21日も行う予定です。作業後には教会近くのホテルのお風呂に入り、ほこりまみれの体を洗ってリフレッシュしました。

夕刻、コスタリカ出身のソラノーロマゴサ・ミゲル君(27才)が一日早く到着しました。日本語での会話もほぼ問題なく、気さくな青年です。コスタリカにいたときに日本語の勉強をしたそうですが、空手や武士道の好きな日本びいきの若者です。今年2月に日本にやって来て以来、北海道の牧場でのボランティアや震災後被災地でのボランティアをしてきたそうです。夜にはさっそくみんなと打ち解けていました。

また、昨日昼前には東北センターの七尾所長が、今回支援機構の購入した車を運転してやって来て下さいました。ホンダの白のステップワゴンで、状態は大変いいように思います。これから活躍してくれそうです。
さきほど、西近畿の8名が帰って行かれました。今日は5名での活動です。

2011/07/16

現地報告

活動日:2011.07.13
報告者:田中真人


7月13日  天気:晴れ(天気予報によると22度〜30度)かなり暑い

本日は、Sさんが、H師・K氏を連れて大船渡と陸前高田へ行かれました。Sさんは、「大船渡の橋が開通した事で、時間の短縮になる」と喜ばれていました。「陸前高田は、重機が入りかなりの部分がフラットになっている、都市開発をするには、あちらの方が早くする無かもしれない」との感想でした。奥原先生は、言います、「来て活動するだけでなく、きちんと現実を見て欲しい、この町の痛みを感じて欲しい」。

私は、金光会館の掃除をさせて頂き、それから奥様先生と気仙沼中学校仮設住宅へ行き、物資の配布を行いました。夏場に必要な、寝るときに使えるタオルケット・バスタオル・子供服です。すぐ下にある、市民グラウンド仮設には、自治会が誕生しており、物資もわりと行き渡っているのですが、本日行った仮設では自治会組織は未だになく、タオルケットも無いとの事でした。「うぁ〜」っと歓喜にもにた喜びの声を聞いてきました。奥様先生も、行く前は「必要とされるかな?」といった様子でしたが、みなさんの反応に最初驚きながらも、“喜ばれる事による喜び”をかみしめているようでした。

7月14日に100日の活動を終えて、東京へ戻りますが、再度、気仙沼へ戻ってくる8月からは、支援機構としてニーズの拾い上げをしたり、ボラセンや他団体と連携を取りながら、仮設住宅支援もできたらと思います。ここでは、心のケアーといった事が中心になってくるでしょう。気がついたら、ずいぶん多くの団体と交流を持たせてもらえるようになっていました。

午後は、紫会館の方達と、しばらく一緒に時間を過ごしました。明日、私が一時東京へ帰ると言うことで、今夜は、私の為に送別会を開いて下さることになりました。「また戻ってくるから、気にしないでください」と申したのですが、「何言ってんだ、やるぞー」とありがたい言葉を頂きました。一緒に、ハエを叩きながら、一緒にいさせてもらえるありがたさを噛みしめていました。

紫会館で18時より、私が調整した、ミュージカルのボランティアがありました。青山劇場で舞台をしているMITSUKOというミュージカルをしている人の中から5名の方が来て通常3時間ほどあるものをMITSUKO ショートバージョンとして45分で披露してくださいました。私も、一緒に見に行かせてもらったのですが、引き込まれてしまいました。避難所のみなさんも大いに満喫されたようで、最後は、写真を撮ったり談笑したりと、良い雰囲気で終わりました。和やかな雰囲気で女性も、男性も一緒になって時間を過ごしました。

最後は、避難所のリーダーCさんのコメントで終わりましたが、ボランティアの方達が感動しているのが伝わってきました。ボランティアとは、してあげると言うことだけでは無く、する事によって何かを学ばせてもらうものと言われたりします。彼らもきっと何かを学んでいったように感じました。

その後に、紫会館の方が私の送別会をして下さいました。8月に戻ってくるにも関わらず、会館の方が12名(内、自治会長3名含む)、教会から6名の総勢18名でありがたい時間を共有させて頂きました。

ボランティアをする事により、大きく成長させてもらえる、私自身、それを感じる一日でした。「おまえ、帰ってくるんだよな?」、「帰ってこいよ」、「田中君は、ここの住民だからね」、「ありがとう」等々、たくさんの言葉を頂きました。

気仙沼での滞在は、この活動を信仰としてどう受け止め実践していくか、考え深い時間でした。

ありがたい、ありがたい一日でした。

この滞在で、地区の自治会長、仮設の自治会長、市役所の方や、民生員さん等、多くの方達と友好的な関係を築かせて頂きました。この経験を皆さんと分かち合い、次の活動に繋げさせて頂きたいと思います。このような機会を下さった、神様、支援機構のみなさまに大変感謝しております。

2011/07/13

現地報告

下記の内容は、2011.07.12の現地報告です。


報告日:2011.07.12
報告者:田中真人
場 所:気仙沼市

天気:晴れ(最高気温30度/かなり暑い)

本日は、フォーラムより、わたし、Sさん・H師・K氏・気仙沼教会のO氏・Sさん姉妹の二人と、アメリカ人W氏の総勢8名で階上地区へ出向き、紫会館に避難されているご夫婦の娘さん夫婦の家で活動させて頂きました。こちらが片づいて準備され次第、会館のご夫婦は、避難所からそちらへ引っ越されるようです。

活動内容は、家の周りに流されてきたガレキの撤去と、津波で折れ曲がって家に倒れかかっている竹を含む木々をノコギリで切って、移動する事。お宅から海までは、百メートルぐらいはあったと思うのですが、ほぼ全てが流されてしまい、かなり遠くから流されてきた壊れた家が、周辺にあったりします。海を見ると、その方角にあった民家は、完全に流されており、どうもその土地には、家が建てられる事が無いのでは?と話されているらしくそうなると我が家が一番海へ近い事になると、苦笑いをしていました。

活動終了後、かなりの木々を切った事に気がつきました。家のご主人は、綺麗になった家の周りを見て、大変喜んでおられました。家の周りが綺麗になった事によってポジティプな気持ちになり前に進む気にさせられると語っておりました。

家や、その周りが綺麗になるという直接的な事だけではなく、心が救われていく活動なんだなぁと感じました。以上

2011/07/11

現地報告

下記の内容は、.7月10と11の現地報告です。


報告日:2011.07.10及び11
報告者:田中真人
場 所:気仙沼市


7/10
天気:晴れ(かなり暑い)

昨日(10日)は、私にとって、ボランティアセンターでの活動は最終日となりました。午前中に、市民グラウンド仮設住宅集会場で「ふれあい喫茶」を開催しました。生協さんと協力しながらの開催で、仮設住民の方達に交流の輪を広げてもらう良いきっかけとなり、目頭熱くなる素敵な会になりました。活動を終えて、ボランティアセンターを去る時に、皆さんから拍手で送り出してもらいました、本当にありがたいです。ここではたくさんの事を学ばせて頂きました。感謝しても、しきれません。ありがとうございました。ここでの経験は、これから多くの方と分かち合っていきたいです。

※田中真人氏は、4月から気仙沼ボランティアセンタースタッフとして長期に渡り活動をされておられる方です。この日をもって、ボランティアセンターでの活動を終了されました。ありがとうございます。

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7/11
今朝は、Sさんが、宇部東から見えたK氏を駅まで迎えにいき、朝の御記念中に到着されました。本日の活動は、ホテル一京閣で支援機構からは、Sさん、H師、H氏、私 田中。気仙沼教会からは、在籍信徒のS氏。それから、私が以前から、児童館などのワークショップで仲良くさせて頂いているアメリカ人ボランティアグループの一人、W氏とSのボランティア仲間の二人も参加し総勢7名でホテル1階の壁壊し作業と、2階の作業(じゅうたんを剥がした後についている接着剤のような物を刃のするどいヘラのような物で剥がす)をしました。 H氏は午前中のみの活動で、Sさんがお教会へ送った後、15時頃の電車で気仙沼を離れました。14時46分には、ホテルの窓から海の方角へ向き、全員で黙祷。本日到着したK氏は、お教会のお手伝いをしておられました。

明日は、紫会館に避難されているご夫婦のお宅で活動する事になっています。
以上

2011/07/09

現地報告

下記の内容は、2011.07.04~08の現地報告です。


報告日:2011.07.09
報告者:東セ西山
場 所:気仙沼市



7月
4日(月)・・・この日は曇り。湿度が高いのを除けば比較的快適な陽気。
ボランティアの方々は紫会館避難所からの要請で、地元・南町商店街の店舗の清掃作業に従事。当方は教会研修室の清掃他。今朝から参加のOさん(O教会保証の未信奉者)は朝の到着時から御祈念に参加。この日に御祈念に出ていない参加者は皆無。皆朝から熱心に教会長先生のお話に耳を傾けていた。私が滞在の期間中ボランティア参加者は誰も欠参されなかった。

5日(火)・・・この日の天気も曇り。のち所により雨。ボランティアの方々はボラセン依頼のの作業に従事。現地スタッフ(ボランティアのコーディネート担当)となっている安部さんはこの日、休養兼気仙沼教会御用に従事。
当方は御祈念のさなかに教会を出発して駅前6時40分発のバスにて仙台へ。その後仙台港に到着のE師と合流の後、午前11時半頃仙台教会に参拝。その後、高速道路を移動して石巻教会に午後2時半頃参拝。石巻教会長生からは震災当日のことやここまで4ヶ月の間のことなどお話を伺った。また参拝お届け帳代わりとなった襖にE師と共に記帳。ここで少年少女会連合本部派遣の甘木教会・Y師とお会いしご挨拶。石巻では隣接家屋を借りて食堂兼休憩所に。また隣接の病院(既に廃業して10年を経過)を借りて、ボランティアの寝室代わりに活用されているとのこと。その後教会長先生からお聞きして石巻市「日和山公園」から石巻市内に向かい御祈念。その後南三陸町(防災庁舎前で慰霊御祈念)を経由して18時過ぎ教会帰着。

6日(水)・・・この日の天気は曇りのち晴れ。
この日気仙沼教会長からのご要望により、支援機構のボランティア、教師等3名の方々と共にホテル「一景閣」での1階石膏ボードはがし、2階床の糊・ヘドロ落としの作業を実施。午前9時より午後3時頃迄行う。帰り際、ホテルのオーナーさんがご挨拶に見えた。このオーナーさんは気仙沼教会の役員をされておられる。また地元の気仙沼観光協会の会長であり、さらには市の商工会議所副会頭もされている。このホテルが早期に復興再開されれば地域の復興にもつながるのではないかと教会長先生は話された。
それからボランティア参加者2名(OさんとSさん)が気仙沼教会長の案内(運転はE師)により陸前高田市・大船渡市・南三陸町を視察。
なおこの日の昼頃、4月23〜6月23迄長期ボランティア参加されたSさん(ボランティアのコーディネートもしてくださっていた方)が教会に到着された。心強い。
一方ボランティアのコーディネートを担ってきた安部さん(6/1に現地入)は10日に帰途につかれる(おつかれさまでした)。また4日朝より現地入りしていたOさんが夜行バスにて帰京。

7日(木)・・・この日の天気は晴れのち曇り。夜から雨。
ボランティア参加者は南町一帯への防虫剤散布に参加。
当方は説明・案内役を兼ねて、約10名の参加者と共に慰霊巡拝。
①鹿折唐桑駅(慰霊御祈念)
②陸前高田市役所(慰霊御祈念)
③キャピタルホテル1000(千昌夫さん経営のホテル)及び高田の松原の様子(数千本の松が津波により流され、1本しか残っていない)
④大船渡市役所(参加者の一人が「土葬された被災者があれば、その土葬されたところで御祈念をしたい」との意向で市役所の方に聞くと「大船渡市では全員火葬した」との返事)
⑤大船渡市陸前赤崎駅(慰霊御祈念)
⑥陸前高田市の5階建てアパート前(ここは4階まで津波の被害を受けていた。5階はほぼ無事だった模様。後ろの5階建てアパートは4階まで津波が押し寄せたが、前の建物のおかげでベランダの手すりはほとんど残っていた)を経て、南に70キロ離れた
⑦南三陸町の防災庁舎前にて(慰霊御祈念。ここは最後まで住民に「逃げてください」と放送した女性職員が居たところ。周辺の建物は土台を残しほとんど流失)、その後、気仙沼市内に戻り
⑧気仙沼港・魚市場(慰霊御祈念。ここは先日復旧して市場を再開したところ)を経て、18時前に教会へ帰着。
この日は教会長先生ご夫妻、ご信徒の方々による「餃子」や様々な料理が振る舞われた。おいしかった。

8日(金)・・・この日の天気は曇り。
早朝5時教会を出発し、気仙沼教会長のご提案により、気仙沼市内を一望できる安波山山頂近くの展望台より慰霊御祈念。5日より参加していた10名の教師集団は3台の車に分乗し朝8時頃より順次教会を離れ帰途についた(私と2日からボランティア入りしていたSさんも帰京)。

期間中を通じて、東京ほどの暑さはなく過ごすことができた。でもここからは夏本番。
奥様先生に伺うと8月中旬以降からだんだん涼しくなるとのこと。
なお8月11〜13日には地元の「気仙沼みなとまつり」の代替えで慰霊と復興を願うイベント(気仙沼魚市場のカツオを食べるイベントや花火大会等)が予定されている。

以上

2011/07/06

現地報告

下記の内容は、2011.07.03の現地報告です。

報告日:2011.07.03
報告者:東セ西山
場 所:気仙沼市

前日夜、新宿駅を出発、一路仙台に向かう。3日朝、6時頃仙台駅前に到着。その後、県庁前に移動して宮交バスの気仙沼行き臨時高速バスに乗車。気仙沼駅に9時40分頃到着。その後タクシーにて教会へ。10時10分頃教会に到着し、玄関に美紀子先生がお出迎え。その後、副教会長先先生唱のもと御祈念が仕えられ、参拝のおかげを頂く。今日は教会長先生は盛岡教会月例祭ご出仕。
美紀子先生から5月以降の約2ヶ月のことについてお話を伺った。ボランティア派遣表には記載されていないが、ご子息やご息女、そしてご息女の友人等も仕事合間を縫ってかなりの頻度でボランティア活動されているとの事だった。

4/23〜6/23の長期滞在をされたSさんの後を受けて、西近畿派遣の安部さんがボランティアのコーディネートを行い、まさに現地スタッフ的な役割も担っていた。また参加費管理もTさんが徴収し、その管理をお教会の方でなさっていた。
現在、ここで求められるのは嶋田先生が長期滞在時に担われていた役どころであり、ボランティアの方々のケア(怪我を負ったときのケアや送迎等)はもちろんのこと、支援機構によって方向性を定められた形に添って、過たず取り進めていくことなのだと思う。ボランティア活動のコーディネート自体はむしろ支援機構の現地スタッフというよりは、ボランティアのチーフマネジャー的なものとして地元やボラセンとのつながりができた人達に任せた方がうまく機能していくものと考えられる。

夜7時からは恒例の懇親会。
今日はボラセン派遣による教会から近いところにある家屋のドロ掻きと清掃作業に従事。ボラセンの依頼でO師、N師、N氏、N氏夫人、K氏、安部さん、S師。
以上

2011/07/03

現地報告

この現地レポートは、ボランティア募集に申し込みいただいた稲葉芳也様からいただいたものです。稲葉様からの公開の許可をいただきましたので、ここに公開いたします。

報告者:ボランティア参加者・稲葉芳也
場 所:気仙沼市

6月16日(木)
昨夜23時、池袋駅西口を夜行バス「気仙ライナー」にて出発。
車中、乗り合わせたオバサンと話をした時の事です。
「幸い実家は、陸前高田市でも高台にあり無事だったが、親戚8人が津波で亡くなりました。中でも一番辛かったのが、姪の死だ」と仰っておられました。まだ、24歳で結納を済ませたばかりで、この6月には、結婚をする予定だったそうです。3月11日から、約3ヶ月たったので100日忌の意味を込めて、三度目の帰省だとの事でした。

今朝6時頃、無事に気仙沼駅前に到着。現地常駐スタッフの嶋田先生にお迎えいただきました。今日は教会長先生ご夫妻のご判断で午前中、夜行バス疲れのため休養をとらせていただきました。午後到着の国際センター山田先生と共に嶋田先生の案内で、被災し津波でほとんどの町並みが流された陸前高田市を視察に連れて行っていただきました。

6月17日(金)
本日はSさん、山田先生、辻井先生と私の4人でボランティアセンターに行きました。
午前中から唐桑体育館にて向かい、『写真の汚れ落とし』を行いました。仕事でカメラを扱っておりますので、縁を感じながら作業をしております。
肉体的には楽なのですが、思いが詰まっている物なので悲痛に感じます。

6月18日(土)
本日は、今朝到着の日本橋教会のIさん、Sさんと金光大阪の阿知波先生、T氏妹さん夫妻、辻井先生、金光町のMさん、私の8人がボラセンに行きました。
本日の作業は、本郷地区の民家にて、庭の清掃作業を行いました。
内容は、気仙沼市本郷の大きな民家でした。津波の被害は海の周辺だけかと思っていましたが、海から、多少離れていても川の上流に沿って被害を受けていました。
普段から、サーフィンで海に行っている自分でも知らなかった事実。
これが、現地に来て、自分の目で見た感想です。家の外壁には、地面より150cmぐらいの高さにまで達したであろう津波の後がはっきりと残っていました。
作業内容は水害にあった庭(結構広い)の表面の土を払い、石や木の根を取り除き、整備するもので、意外と肉体労働で、午前中で恐らく3リットルぐらいの汗をかいたのでは?と思います。
作業終了後、気仙沼の先端・岩井崎周辺を見に行きました。この周辺は、ほとんど手付かずの状態でした。本当に自分の目で確認して、改めて津波の恐ろしさを知りました。

6月19日(日)
本日は、Sさん、日本橋教会のIさん、金光大阪の阿知波先生、東京学生寮から参加のKさん、Hさん、そしてBさん、大崎教会のNさん、Nさん、私の9人がボラセンに行きました。
本日快晴。気仙沼に到着してから一番暑い日でした。
今日の作業内容は、南郷地区で測溝清掃。ようは道路脇の排水溝のどぶさらい作業です。
やはり、この地区も川の周辺の為、被害を受けている地域です。高いところでは、約2メートルぐらいの高さまで津波が達した後が残ってます。
油やヘドロ、角材等、色々な物が混ざっていて、又、ニオイも強烈ですがまさに、ボランティアの真骨頂的な仕事です。地域の人達にも、応援され、ハードですがやりがいのある作業でした。ただ今回は約五十人ぐらいの大人数で行いましたため作業的にはとても、スピーディーでした。ボランティアには単独で参加している人や外国人など、色々な人が参加しています。

6月20日(月)
本日快晴。朝から、かなり暑いです。
今日は一昨日到着した、学生3人が、気仙沼地域周辺の被災現場を見た事がなかった為、ボランティア活動を休みにし、陸前高田や南三陸の被災現場を見に行きました。
陸前高田市は自分が到着した日の午後に見に行ってるので、2回目になります。陸前高田市は岩手県になり、気仙沼から北上し約30分ぐらいの距離にあります。
この地域は海沿いから、約8キロ近くも川の上流に沿って被害を受けており、海の近くの集合住宅二棟、五階建ての四階部分まで、津波が達してただろう、形跡が残ってました。まさに津波の恐ろしさを物語ってる光景でした。
一方、南三陸町は気仙沼から約30キロほど南下した場所にあります。防災対策庁舎職員の女性が津波警報をギリギリまで放送し亡くなられた場所です。被災後テレビの報道の映像を見て、まさか、自分がその現場に行くとは思いもよらない出来事でした。

防災対策庁舎前には、花束が掲げられ、お線香などもあり、一般の人もお焼香が出来るようになっていました。陸前高田市よりも瓦礫の整備が遅れている状態でした。
そして、気仙沼に戻り、改めて感じた事は、津波被害にあい、火災し数船の巨大マグロ船までもが流され、陸に打ち上げられました。気仙沼市は水産業が産業の中心です。魚市場、冷凍倉庫や加工倉庫等すべて、津波によって流されてしまいました。そしてその冷凍倉庫・加工倉庫などから流されたさまざまな水産物が腐乱し、悪臭の元となり、さらにハエが大量発生までしています。
これも、現地に来たからこそ判る事実です。
本当に1日でも早く復興する日を祈るばかりの日でした。

6月21日(火)
朝、晴れのち薄曇り。一時雨のち晴れ、夕方激しい雨のち晴れ
天気がコロコロ変わる気仙沼は、かなり、むし暑いです。こちらの梅雨時はこの様な天気だそうです。
さて、本日のボランティア体験記です。
本日の作業内容は、前回同様、写真の清掃作業です。唐桑地区の唐桑体育館にて作業を行ってきました。ここは気仙沼災害対策ボランティアセンターから、車で約20分ぐらいのところにあります。18人のメンバーでさらに午後からは4人加わり総勢22人の大所帯でした。今回は二度目になりますので、チームのリーダーという、大役を務めさせて頂きました。リーダーとは、メンバーの体調管理や借りた資材の返却、センターとの連絡係などが任せられるものです。
その日の朝、センターから仕事を依頼され、作業内容、場所の状況、必要人数、水道、トイレの有無を説明をし、1日の活動がスタートする日雇人夫的なスタイルです。
現場までの移動は大人数の為、センターが手配してくれるマイクロバスで送ってくれます。ドライバーさんは、気仙沼の方で、やはりボランティアでした。
帰路の途中、直接センターに戻らないで、気仙沼の被災現場を回ってくれました。
ドライバーさんは、地震当日、当然仕事中で、三階建てビルの二階まで浸水した水が引かない為、避難が出来ず、翌日の2時ぐらいにゴムボートで東京消防庁の方々が、助けに来てくれたと話をしてくれました。足が不自由な人は屋上からヘリコプターで救出されたそうです。震災後は道路が1メートル近く陥没し大潮の満潮時には、いまだに道路が水に浸かり、日により、所々で通行止めになる状況です。
自分達は、何度か見てますが、やっぱりドライバーさんは、ボランティアに来ている一人でも多くのに人達に、現場を見てほしいんだなと思い、現地で津波を体験された生の声が聞けたのが、今日一番感じた出来事でした。

6月22日(水)
本日快晴。かなり暑い1日で、今年一番の暑さだそうです。
風も強かったですが夕方からは無風です。
さて本日のボランティア体験記です。
作業内容は南郷地区のKさん宅と民家の間の泥カキ作業を行いました。
幅80センチ程の隙間の瓦礫除去作業ですが、津波によって水産加工倉庫より流れてきたサンマが悪臭の元となり、強烈なニオイを発する現場でした。
そしてこの悪臭により、ハエが大量発生している始末で、しかも、ハエがかなり大型化しています(大きさはなんとカナブンくらいあります)。

ここで本日のワンポイント知恵袋
人間の知恵とは、すばらしいです。
大きめのペットボトルの中央部分に穴を開け、お酒、酢、砂糖を1対1対1の割合で入れとくと、あら不思議その中にハエが集まり、ゴキブリホイホイではなく、ハエホイホイが完成するのです。
今、気仙沼では、どの家庭でもある必需品です。ハエに困った時には是非一度試して下さい。

話しを戻して。
お昼時、作業を行ったKさんから話を聞くことができました。Kさんは一人暮らしで、震災直後から避難所生活をしていた為、二週間近く息子さん達と連絡が取れなかったそうです。、息子さん達は諦め掛けていた時に、やっと連絡が取れ「安否確認が出来た時には息子さんが、泣いて喜んでくれた。」と、涙ぐんで嬉しそうに話してくれました。
親を思う子の気持ち
子を思う親の気持ち
離れていても気持ちは一緒。まさに家族の絆です。

被災されたにも関わらず、パンや牛乳、野菜など色々な物を【おもてなし】してくださいました。
作業終了後、キレイなった現場を見て大変喜んでくれました。
是非次回は、おいしいカツオを食べに来て下さいと言ってくださいました。
お言葉に甘えて、又必ず来ようと決心した1日でした。

6月23日(木)
今日は朝から雨です。かなり勢いよく降っています。
またたった今、地震がありました。1日一回ぐらいは、身体に感じる揺れがあります。
まだまだ、こちらは余震が続いております。
本日は雨の為、ボランティア活動は中止になり、まだ行ったことのない、被災現場に行きました。気仙沼でも一番南の本吉町の小泉海岸と岩手県の大船渡に行ってまいりました。
気仙沼市本吉町は数年前に、気仙沼市に統合された町で南三陸町の手前の街になります。
小泉海岸は個人的に見てみたい場所でした。以前はサーフスポットとして有名な場所だと聞いていましたが、今日見た限りでは、冲のテトラポットは散乱し、ビーチ沿いには、堤防があっただろう形跡が見るも無惨な状況でした。本当に涙が出る思いで、立ち尽くす限りでした。
一方、岩手県大船渡市は陸前高田市の北隣にあります。気仙沼と同じように、漁業の盛んな町です。こちらの町も、かなりの被災を受けてますが、気仙沼よりは多少瓦礫の整理が進んでる感じでした。
どの被災現場を見ても思うことですが、本当の復興はこれからです。
今晩は約2ヶ月ボランティアで滞在していた、嶋田先生とSさんが明日帰られるため、ここ、南町の人達と送別会を行うことになりました。
地元の方達を交えての送別会。
居酒屋にて、隣に座られた方は、本当にボランティアの人達に助けられたと言われました。
「『今まではボランティアの人達を見ても、あーガンバっているなーぐらいにしか思わなかったが、実際に自宅の作業をお願いして、初めてボランティアの人達のありがたさを知った。』必ず復興をするので、又、来て下さい」と。
他の被災地を見に行く道中でも、旗や看板等にボランティア支援に対して感謝のメッセージが、掲げられ本当に励みになりました。

6月24日(金)
曇り。朝から、むし暑く生温かい風が吹いていました。また9時過ぎからは雨が降ってきました。夕方晴れのち曇り。そして夜は風がひんやりしています。
今日の作業は、アパートの床板剥がし&その下にたまっているヘドロ取りでした。
今日は気仙沼市災害ボランティアセンターでは有名な「チーム斎藤」の一員として、ガンバってきました。
この「チーム斎藤」は、かなり厳しい現場を受けもっています。厳しいと言うのは、危険で汚れる作業です。内容的には、ボランティアの域を超えている作業です。自分の与えられた仕事をいかに、スムーズに進めるかを考え、段取り整えているうちに悪臭も気にならなくなり、無心になって作業をしている自分に気付くことができました。
自分自身の気持ちや考え方次第で、人が嫌がる仕事でも学べることは沢山ある。そのことを、改めて感じた1日です。

明日はボランティア最終日。今日の作業終了後に、リーダーの斎藤さんに『明日もよろしくお願いします。』と言って来ました。

ボランティア体験記。いよいよクライマックスです。

6月25日(土)
朝、曇り。久々に肌寒い朝です。9時過ぎからは雨が降りましたが、夕方からは晴れました。
今日はボランティア最終日、ケガの無いよう、気合いを入れました。
本日の作業も昨日同様「チーム斎藤」にて、アパートのヘドロ&泥かき作業です。
昨日の時点で、床板剥がしが、ほぼ終わっているので、今日のメインの作業はヘドロ&泥かき作業で、総勢16人のチームです。
午前中の作業で、みんなの作業着がかなりイイ感じで汚れています。恐らくニオイも染み付いていると思います。
リーダーの斎藤さんは、現在63歳。地元の方で、本来の仕事はカツオを運ぶ大型の運転手です。
見た目はゴツいですけど、話すと、とてもイイ人で、まさに団塊世代を感じる親分肌の人物でした。
夜の食事はカツオパーティーです。今朝から、ボランティアに参加した、お二方からの差し入れです。
地元の人達と交えての交流ですが、10日間、朝夕共に食事をしているので、取り敢えず顔は覚えてもらいました。
ここ紫会館避難所、南町の地区会長に労いのお言葉を頂き、避難所生活をしているにも関わらず、本当に本当に良くしてもらい、逆に勇気と希望を頂き大変、ありがたく思いました。

この文章を書いている今現在、帰る実感がありません。
この街は必ず復興します。その時は、絶対に自分の眼で確認したいと思います。


6月26日(日)
若干小雨混じりの肌寒い朝です。
ウグイスの声が、鳴り響き、心地よい音色の朝ですが、数百メートル離れれば悲惨な状況の世界がここにはあります。

12日間のボランティア生活、本日帰京するにあたって・・・・

私は今まで、色々な所を旅して来ました。
インドネシアの島々やスリランカなど津波で被災した場所も見て来ました。
しかし、今回はいつもの旅とは目的が違う旅です。
未だ被害の生々しさが残る東日本大震災。テレビや新聞の報道を見て、いても立って居られない気持ちを抑えて縁あって、気仙沼でボランティアをする事になり、悲惨な状況をこの眼で確認しました。しかも、これが現実の世界でした。
今回のボランティア体験は、自分の人生でかけがえのない思い出になりました。
周りの人達に支えられ、応援してもらい、又協力して頂いたからこそ、実現できた体験です。間違いなく、自分一人の力では、無しえなかった経験です。
まずは会社の皆さん、家族、ヨーガ学院の計らいや、教会長先生、奥様先生、在籍教会の先生方のお祈り添え、さらには被災しているにも関わらず、家族の様に接してくれた気仙沼南町紫会館のみなさん。教会やボランティアセンターで知り合った仲間達。
この経験を一人でも多くの人に伝え、興味を持ってもらい、又、行動してもらえる様にみんなに語っていきたいと思います。
本当に本当にありがとうございました。

又、必ず戻ってまいります。

追記 夕方、無事帰京することができました。ありがとうございました。