2012/11/30

現地報告(番外編11/25-30)


活動日:2012.11.25-30
 
報告者:清水 幹生
1125日(日)
山口県岩国市広瀬の広瀬教会のご大祭に招待され、講話の御用をさせて頂きました。
65才以上の方々ばかりで、若い信者さんの参拝者がありませんでした。気仙沼の状況をDVDを見せながら、気仙沼での体験を話しました。
1時間の講話となりましたが、「どうか、皆さん方の生きて来られた人生の中で、大切なものは必ず子孫に伝えて下さい」と、気仙沼での体験談を話しながら、子孫へ伝える事の大切さを話してみました。
大祭後、宇部に帰り私を育ててくれた大先輩のお宅を訪れた。
この大先輩は私が気仙沼に来て居る間に亡くなられた。
葬儀にも参列出来ず、何の恩返しも出来なかった。
「なあ清水よ、恩を受けた人にはなかなか恩返しは出来ないなあ、恩返ししようと思った時は、もうその人は亡くなっている、それゆえ恩返しは別なかたちとなるだよ」と、
大先輩の語っていた言葉を思い出した。
「今回のボランティア活動が大先輩への恩返しになるのかなあ」と思いつつ、大先輩の奥さんと長く語り合った。
その奥さんが、私が大先輩のご仏前のロウソクに火を付けたとき、
「へー、火がついたの!清水さんきっと主人が喜んでいるのよ。私が外から家に帰って来てロウソクに火を付けても、小さな火で付いているかどうかわからないのよ。
『お父さんお父さん何処に居るの帰って来たよー』と声を掛けると、
ロウソクの火が大きく延びるのよ、不思議でしょ~」と、
語ってくれた。
私が座っている後ろのご仏前を振り返ると、ロウソクの火は大きく延びて燃えていた。ロウソクの隣にある大先輩の写真に向かって、「先輩!」と、声を掛けたらニコニコとした顔になったのは、気のせいだったのであろうか!
こうしてお礼参りがやっと出来ました。
26日(月)
私の仲良し仲間と会い、食事しながら気仙沼の話を聞いてもらった。
私が気仙沼に長期間滞在出来るのは、この仲間の励まし、支援があるからこそである。
27日(火)
長女が4人目の出産が間近と聞き、山口市の長女の自宅に急いで駆けつけた。
4回目の出産だから何時生まれてもおかしくないから病院に行け」と、入院させた。
入院3時間後の1128037分に男の子が生まれた。私にとっては5人目の孫である。
私の今日までの人生は、悲しい事・辛い事・苦しい事が大部分であったが、三代目の孫を5人も頂き、子孫繁栄を願い続けている私には最高の喜びである。
28日(水)
孫達と過ごした後、自宅に帰って羽田太鼓のリーダーに連絡した。
129日(日)の越喜来の餅つきイベントが気にかかっていた。羽田太鼓の演奏をお願いしていたが、返事がなかったので心配していたが、やっと連絡が取れ、OKをもらいホットした。
29日(木)
 
宇部市の地方新聞社宇部日報に、気仙沼の事について原稿を送っていたもの記事となり、宇部市民の方々が支援して下さっている事がわかり、関係者にお礼の訪問をした。
これで、すべての用事が終わり、気仙沼に帰る事が出来る状況になった。
今回は新幹線を利用したが、危うく指定席を取り損なうところだった。
30日(金)は、朝520分から宇部東教会の修業の日なので、お参りしてお礼のご祈念が出来た。
8過ぎの新幹線に乗り、東京に寄り大崎教会にお参りし、田中元雄先生に支援機構の来年をどうするかの様子を聞き、気仙沼に2130分に帰り着きました。
今回は自分の行動を報告するかたちになりましたが、次回をお楽しみにして下さい。
以上で終わります。

2012/11/24

現地報告番外編(気仙沼を離れて)

活動日:2012.11.23-24
報告者:清水 幹生

23日(祝)
 東京センターで、気仙沼ボランティア交流会の会合に出席しました。35名の方が出席されて、気仙沼を懐かしみました。
35名と云う出席人数は、気仙沼に来たボランティアの最高参加人数38名に近いものでした。こうした心優しい人達のお陰で、支援機構は支えられながら20ヶ月も活動が出来ましたことは、本当に喜ばしい。
 

24日(土)
 山口県岩国市広瀬の広瀬教会のご大祭に招かれ、講話の御用をさせて頂きました。気仙沼での事を踏まえて、「子孫に人生の先輩として大切な事は必ず伝えて下さい」と、話さして頂きました。
 広瀬教会の教会長ご夫婦は、青年時代からのお付き合いです。ご夫婦は過疎地の広瀬での布教にご尽力されてきましたが、教会長先生は数年前脳梗塞で体が不自由になりました。そのような体でも人を助ける働きは強く、寝る前の祈念力は凄い気迫を感じました。私はお広前をそっと覗いて様子をみていました。
 「人を助ける活動には、まずはこの先生のような神様に向かう一心な祈念力が必要だなあ」と、改めて感じました。
以上です。

 

2012/11/18

現地報告(11/16-18)

活動日:2012.11.16-18
報告者:嶋田 洋
 
16日(金)
 奥原教会長と清水氏、私の三人で、先般田中元雄先生が訪問されなかった気仙沼市内から釜石市までにお住まいの信者さん宅24軒を、支援物資の米を持って訪問しました。

17日(土)
 南町紫市場の電飾(年末に向けての飾りつけ)は、こちらのボランティアが揃わなかったこともあり、16名でボランティアに来た東大生にお任せしました。
 また早稲田大学のアカペラサークルが、仮設住宅でイベントを組みたいということで協力要請がありましたが、仮設住宅や自治会長の現状を話し、仮設住宅でイベントを組むことは今の時期は厳しいとお断りしました。ただ今後も月一で気仙沼に来るそうなので、また南町の坂本氏が間に入っていることもあり、状況を見ながら対応することになると思います。

18日(日)
 昨夏、紫会館で行ったイベントで作ったタイル(陶器)を野焼きするということで、S氏(気仙沼教会)と友人1名が昨日到着され、また作品を作られた五右衛門ヶ原野球場の自治会長K氏を拾って、大谷海岸の先の野焼き現場へ行きました。
 
 
 
 写真の通り準備していましたが、強風と雨のため中止になりました。雨が降り出し、作品を濡らすまいと鉄板をかぶせたところ、鉄板が強風にあおられ人を直撃し、数名が軽傷ではありますが負傷しました。
 何が起こるか分からないので、やはりボランティア保険は加入しておく必要があります。
以上です。

2012/11/15

現地報告(11/14-15)

活動日:2012.11.14-15
報告者:嶋田 洋

14日(水)
 午前中に松崎柳沢仮設住宅(面瀬地区)へ、午後に外尾(そでお)仮設住宅、小泉小学校仮設住宅、蔵内地区仮設住宅(以上、本吉地域)へ、支援物資の水を届けました。
 13日と同じく午後は大潮で、好天にもかかわらず気仙沼市のあちこちで冠水がひどく、回り道をしながら帰宅しました。

15日(木)
 cadoccoの清掃を行いました。
以上

2012/11/13

現地報告(11/13)


活動日:2012.11.13
報告者:清水 幹生
 
1113日(火)現地活動状況

 嶋田先生は朝6時過ぎに帰って来られた。
 
 今日は大潮だった。
「震災後も地盤沈下があるらしく、魚町・鹿折地区が大変だよ」と、情報が入ったので現地に行ってみた。魚町の湾岸は道路側まで海水が溢れていた。鹿折もやはり、水浸しだった。下水道の早期改修がのぞまれる。

 
 
 

 岩手県高田市小友町新田地区にお米を手土産に訪問した。
 小友町新田地区は、高田の松原があった所から海岸線を大船渡市方面に行くと広田半島に出る。丁度、広田半島の首根っこの位置となり、広田湾と門之浜湾に挟まれた場所である。広田湾と門之浜の両方から津波が押し寄せ、小友町新田地区でぶつかり合った。その衝撃で津波は小友町新田地区を襲い、家屋を押し流し、大きな被害をこうむり、30名近い人々が犠牲になっている。

 
 

   散髪屋さんのFさんに連れられて、新田地区の会長Wさん宅を訪問した。Wさんの弟さんは、私の故郷である宇部で働いていた事がわかり、急速に親しくなった気分になった。また、Cさんは、「次に来た時は、ゆっくりとお茶を飲みながら話しましょうよ」と、言って下さった。10軒のお宅を訪問する事が出来て、繋がりが出来た。
   Fさんの次男一家は高田の市街地に住んでいたが、全員津波に流され、子供二人も次男夫婦も別々な場所でご遺体が発見された。
 Fさんは、「高田だからしかたなかっぺ」と、涙も出さず私の顔を見ながら語った。悲しく辛いはずだが  今日は明るく話した。「よしまた来よう、そして色々な話をしよう」と思った。
   そして、夕暮れの中を小友町新田地区を後にした。

*写真は気仙沼の鹿折と高田の小友町新田地区のものです。

以上

2012/11/12

現地報告(11/10-12)

活動日:2012.11.10-12
報告者:清水 幹生
 
1110日(土)
 気仙沼教会の月例祭に参拝した。
一景閣のオーナーもお参りされておられ、「第二期工事がなかなか進まない」と、嘆いていた。
やはり下水工事が進まないと、全てに影響が出てくる。
 月例祭後、五右衛門ヶ原野球場でバブパイプと二人の歌手による音楽コンサートに行った。
開催案内のチラシを、事前にポスティングしていたが、12名と参加者が少なかった。仮設住宅が開設した最初からではあるが、部屋に閉じこもる人が多い。それでも参加者は熱心で約2時間のコンサートとなった。
 
 
 
 

1111日(日)
 午前中は、ある教会の信徒会からバザー品を頼まれたていたので、三カ所の店に行き注文して、宅急便で送る手配をした。少しでもお役に立てばと云う事で、全国の教会から注文がある。
 午後からは、越喜来のKさんの店に行った。
ボランティアに来た人から、「Kさんに渡してくれ」と、頼まれたので行ってみると、越喜来杉下仮設住宅のKさんが来ていた。おかげで129日に行う餅つきの話し合いが出来た。神様は無駄ごとはされない。

1112日(月) 
 午前中は大雨であった。
奥原先生はご本部に、東北大震災支援総括会議へ出席されるので、駅まで送った。
 朝から大雨だったので、南町周りが気にかかりパトロールした。道路は大丈夫だが、バレンタインの周りは水浸しだった。バレンタインのKさんに電話して、店の中に入ってみるとまだ水は入っていなかった。Kさんの淹れてくれたコーヒーが美味かった。 
 
 
 
 
 夕方雨が上がったので、高田の散髪屋を開いているFさんのところに、お米を手土産に訪ねた。しばらくぶりなので心配していたが、元気だった。
 Fさんの散髪屋の周りには10数件被災者が居るので、「お米はよろこばれますか?ご迷惑ではありませんかね」と、聞いてみると、「みんなお米を作っていた人ばかりで、この大津波で田は海水でダメになり、もうしばらくお米は作れないから、買って食べているから喜ぶよ」と、答えてくれた。
 「この次から持って来るから紹介して下さいよ」と言って、了解してもらった。これで、陸前高田市小友町と繋がり出来た。

以上で、現地代表代行は終わります。明日からは嶋田先生です。 

*写真は音楽コンサートとバレンタイン周りのものです。

2012/11/09

現地報告(特別編)

活動日:2012.11.06-09
報告者:田中 元雄

気仙沼に11月6日(火)から9日(金)まで行ってまいりました。大変濃密な時を過ごしてまいりました。嶋田現地代表とは最初の1日だけでしたが、一緒にSVAの現地統括責任者と懇談しました。現地の総体的な状況がよく分かりました。金光教の立ち位置もわかり、大変参考になりました。

 残り3日は、清水さんにほとんど張りついてもらい、寝てる時間以外はほとんど一緒に行動し、仮設住宅、仮設商店街などで、じっくりと話を聞かせてもらいました。現状がよく分かりました。
 どういうわけか、改めて被災直後の壮絶な話をあちこちで聴かせてもらいました。清水さんが「ああいう話は普段なされないんですけどね。でも、先方からお話し始めたことですから、時にはこういうことで胸のつかえを下ろすことになるのかもしれませんね」と語っていました。本当にものすごい話でした。

 五右衛門ヶ原の3つの仮設住宅(運動場、野球場、テニスコート)での話です。それぞれの自治会長や住人さんたちが異口同音に、「金光さんは最初から最後まで寄り添ってくれた」と言いました。「最後まで?」と聞き返すと、「そう、最後まで」。わけを聞くと、「この辺鄙な場所にある仮設を見つけて最初に駆けつけてくれたのが金光さんだった。自治会を起ち上げる手伝いをしてくれて、困ったことを親身になって聞いてくれて…。1年前はいろんな団体が来てくれたよ。毎週毎週いろんなのが来て、うんざりするほどいろいろやってくれた。でも、今はみーんな居なくなって、来てくれるのは金光さんだけ。だから、最後まで…」

 気仙沼に限りませんが、今年の冬は仮設住宅にお住まいの被災者の方々にとって、かなり厳しいものになりそうです。そして来年の冬、つまり来年末には正月を迎えられるかどうか、という非常に厳しい状況も想定される、ということでした。
 今回はボランティアの人がいなかったので、食事の時と引き続いての懇談の時に、今後のことについて、奥原先生ご夫妻と清水さんとかなり突っ込んだ話し合いができました。

 現地代表はいつまで置くことができるか。いつの時点で地元中心の体制にできるか。それらについても見通しを立てるべき時がきています。次の支援機構会議では、それらのことも話し合うことになります。
 8日は朝早くから日が暮れるまで奥原先生と清水さんと共に、岩手県方面の信奉者のもとを中心に訪ねました。貴重な話も聞かせてもらいました。
 釜石、大槌町、山田町、田老町の防潮堤も見て回りました。宮城県は、気仙沼市に6mの防潮堤を造ることを決めているそうです。しかし、どこにどういう形状で、どんな街作りを想定して造るか、ということがまったく決まっていないのだそうです。行政と地元とでは意見が正面から衝突しており、街作りの全体構想がまったく見えない、ということで憤懣の声をあちこちで聞きました。そんなことを考える上で、各地の破壊された防潮堤を見て、大いに考えさせられました。
 どんな強大な防潮堤を造っても、そのハードだけではダメだということは、万里の長城のような強大な防潮堤を二重に築き、8年前に「津波防災都市宣言」と大きな字で巨大な塔を建てた田老町が壊滅的な被害をこうむったことでも分かります。以前は、地震が来たら避難、ということが徹底していたのに、いまはもう津波は大丈夫と安心してしまっていたというのです。
 「逃げる」という対応、ソフト面がハード面と同時にセットされていなければならない、ということが今回の教訓だったはずです。(ひとまず終わり)

現地報告(11/7-9)

活動日:2012.11.7-9
報告者:清水 幹生

117(水)、8(木)、9(金)の現地の活動状況
 
この3日間は田中元雄先生を、「出来るだけ現地の被災者の生の声を聞いて頂きたい」と思い、五右衛門ヶ原の三カ所の仮設住宅と個人的に知り合った東新城仮設住宅にお住まいのFさん宅にご案内した。
また気仙沼教会の中で被災され方々を訪問しつつ、釜石・大槌町・田老町の被災地をご案内した。
さらに、南町紫市場のフリーダムで千葉さんの料理を頂きながら、なかなか進まない街作りの事等を聞いて頂いた。
内容については、田中元雄先生の報告書をご参照下さい。

117日(水)
 午前中は、五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅を訪問。昼までの長い時間、被災当時の生々しい事や、要望等を話して下さった。
 午後は東新城仮設住宅のFさん宅を訪問。お年寄りのお母さんしか居られませんでしたが、一景閣に近い弁天町が震災時のお住まいだった。
 家族全員無事だったが、気仙沼中央公民館に逃げ込んだが、津波は三階立ての三階まで押し寄せ、「もはやこれまで」と、覚悟されたが何とか、屋上まで上がり助かった。次は海の方から油に火がつき波とともに火が公民館に近づき、「もうダメだ」と、二度目の覚悟をされた。それでも助かったのです。この話を以前聞かされていましたが、辛い悲しい経験をされている。

 その後、五右衛門ヶ原の運動場と野球場の仮設住宅を訪問した。
運動場の自治会会長は、体調を崩され入院されていて、退院されたばかりだった。原因はよくわからないようだったが、長い間の自治会会長として頑張っていた疲れが出たものと思われる。
 
 上記の三カ所の仮設住宅は最初からお付き合いしていて、馴染みが深い。

118日(木)
この日は奥原先生、田中元雄先生をお連れして気仙沼教会の被災された信者さん宅を訪ねながら、大槌町・田老町までご案内した。

119日(金)
 田中元雄先生を鹿折の被災地と上鹿折にあった土葬されていた場所へご案内した。
土葬された場所は現在はさら地になっている。改めて土葬されていたご遺体を掘り起こし、火葬した時の様子を思い起こされた。御霊様のご冥福を祈り、次の場所に向かった。
 鹿折から一景閣辺りをご案内しつつ、弁天町を抜け岩井崎に向かった。震災時、この岩井崎の近くに向洋高校があり地震直後、「全員全力疾走で逃げろ」と言う、野球部監督の指示で向洋高校の野球部員は、本当に小高い方までの2kmを全力疾走で逃げ切り助かった。監督はグランドから生徒が逃げるのを確認したが、本人は津波が目の前、屋上の高い鉄の棒に掴まり助かったという。
 今、校舎はそのままだが、グランドにはゴミ処理工場が建設中だった。


 


 岩井崎をご案内後南町紫市場のフリーダムで昼食後、田中元雄先生はお帰りになった。
 私は午後からイベントのチラシ貼りに五右衛門ヶ原に行った。
 その後、ひかり新聞に載せる原稿書きに没頭した。

以上です。

2012/11/06

現地報告(11/5-6)


活動日:2012.11.05-06
報告者:清水 幹生
 
番外編以来の現地レポートです。
嶋田先生が東京へ帰られていますので、清水が代行して報告します。

*気仙沼の海岸線を見てまわりましたが、海岸線の修復工事や下水工事が始まっていました。
 
工事は始まったものの、今日(11/6)も震度3の地震があり、震度4前後の地震が震災後に頻繁に発生していたためか、さらに地盤沈下が進み40センチから70センチも沈下している様子。排水溝を通じて海水が逆流して来る頻度が多くなって来た。

 
 
 

街作りもなかなか前に進まず、復興はほど遠い。

住民の苛立ちは日増しに強くなり、「清水さん俺たちもう疲れてきたよ」と、南町紫市場のフリーダムの千葉さんの口から洩れた。

115日(月) 

配布する水の購入する資金がないので、私の宇部のボランティア仲間に連絡を取り、「宇部市民に呼びかけて、被災地の事を忘れさせない為にも、水の提供を呼びかけて欲しい」と、以前お願いしていた。
やっと返事がきて、「12リットルのペットボトル3,000本以上支援出来そうだ」と、連絡があった。
そこで嶋田先生に相談してストックする場所を探して頂いた。
仙台教会がOKして下さった。
仙台ならば、福島県に配布する時がくれば好都合な場所になる。
これで、ストック先の心配は無くなった。
上記のように支援物資の手配で5日は忙しく活動した。

116日(火)
*五右衛門ヶ原の3箇所の仮設住宅の自治会会長宅を訪問した。
イベントの打ち合わせや田中元雄先生が来られ訪問するので、その了解を得る為に訪問した。

以上でした。

2012/11/04

現地報告(11/1-4)

活動日:2012.11.01-04
報告者:嶋田 洋

1日(木)
 午前中cadoccoの清掃、午後霊神祭参拝

2日(金)
 五右衛門ヶ原運動場仮設住宅において、東京から苗木や球根、種を持参したボランティア団体スタッフ3名、仮設住宅の住民と一緒に植樹及び花壇づくりを行いました。
 

植樹(五右衛門ヶ原運動場仮設)

花壇づくり(五右衛門ヶ原運動場仮設)
 

3日(土)
 午前中、芝教会から来られた4名のボランティアと一緒に、南町の坂本氏の依頼を受け、気仙沼市立津谷中学校で開催されたAMDA東日本大震災復興支援スポーツ交流プログラムの設営他の手伝いに行きました。午後は、清水氏の案内で、芝教会の4名と、長部地区、要谷地区の仮設住宅に支援物資の米と水を配布しながら、越喜来まで被災地の視察に行かれました。
 
スポーツ交流(気仙沼市立津谷中学校にて)

4日(日)
 午前中、芝教会の4名と一緒に五右衛門ヶ原テニスコートを訪問し、お茶っこで交流しました。昼食後、4名は帰路につかれました。
以上