活動日:2012.04.15~17
報告者:スコット・ウォン(バンクーバー教会)
報告者:スコット・ウォン(バンクーバー教会)
KICでの御用の最後の2週間の間に、気仙沼教会春の御大祭参拝と津波被害のあった地域でのボランティア活動を、なんとか押し込みました。後の祭りですが、もっと気仙沼でのボランティアに時間を取れれば良かったと思います。
アメリカでは、2011年3月11日の震災が起きてから何週間かで、地震と津波の主な報道の流れは終わりました。その後、You Tubeの映像が次々にアップされ、地震のパワーと津波や火事の被害を映し出しました。これらの映像を見るのはつらく、私は距離を置き、深く考えないようにしていることに気付きました。いろいろな方法で、映像はインターネット上にあるので、日本で起きた恐ろしい出来事を見るのは、ハリウッドのSF映画を見ているようでした。
ボランティアをしてみると、大惨事のリアリティが身にしみました。またあるボランティアが私を変えました。それは、ある家族の取り壊される予定の家から、身の回りのものを運び出すお手伝いをすることでした。この作業は、津波被害にあった地域の人々の苦しみの大きさを痛切に感じさせました。大惨事は、あっという間に、何の警告もなく起こりました。津波の被害は、いたるところに広がり入り込みました。You Tubeの映像では、押し寄せる波と猛烈な炎は映し出しましたが、人々の生活に与えた衝撃は映し出しませんでした。この家族の家には、一階には何も残っておらず、二階には泥が何層にも重なっていました。幸運なことに、宝物がいくつか、津波よりも高い位置にあった棚の中にあり、被害を避けることができました。しかしながら、ほぼ全ての所持品が泥をかぶっていました。この家族の人生に起きた衝撃を思い返すと、悲しみで身が震えます。何千人もの人々の人生に起きた衝撃を考えると、耐え難い悲しみを感じます。
もう一つのボランティアは私に希望を与えました。私たちは、5月に再オープンする予定のホテルの掃除をお手伝いしました。このホテルは水際に建っており、1階と2階は津波の大きな被害を受け苦しみました。気仙沼と被災地のために、私に希望を与えたものは、このホテルは、荒れ地の真ん中に再オープンするために動いているということです。この地域の主な建物は解体され、ホテルの周りには何もありません。さらに、この地域は約2フィート水に沈んだため、道路は町の他の通りと共に高く建設されます。洪水の可能性があるため、政府は未だこの地域の再建方針を決めていません。大きな不安の中、もう一度仕事を再開するという強い信仰に感嘆しています。この明るい光を多くの人が見ることを期待しています。この信仰が広まること、ホテルに人が泊まりに来ること、他の海辺の仕事が再開されること、漁業が回復すること、宮城県の被災地がよみがえることを、打ち砕かれたいのちが癒されることをご祈念しています。