活動日:2013.12.1-7
報告者:清水 幹生
1、12月1日(日)の活動状況
*ボランティア活動はお休み。
*ボランティア活動に支援してくれているフォーゲル倶楽部の予備総会の二日目が無事終わりました。
2、12月2日(月)の活動状況
*ボランティア活動は無し。
3、12月3日(火)の活動状況
*現地レポート(11月27日~11月30日)の作成。
*五右衛門ヶ原の運動場及びテニスコートの仮設住宅を訪問。
5日に行う予定の尺八演奏が、演奏者の病気都合で中止になりましたので、そのお詫びの挨拶にお伺いしました。
*8日(日)の西八幡前仮設住宅での餅つきイベントのチラシを作成し印刷した。
4、12月4日(水)の活動状況
*朝食後、西八幡前仮設住宅に餅つきイベントのチラシを配付した。
チラシ配布後、集会所でおちゃっこした。
住民のAさんの子供さんが、東北大学の工学部に推薦入学が決まった話を聞いた。大震災後の大変な仮設住宅での高校生活の中で、良く勉学に励む子供さんの様子を聞かせて下さった。
*お米の小分け作業を行った。
*夕方、お米と、お水を岩手県高田市の長部(おさべ)仮設住宅へ配布した。
住民の方から、『どんこ』と、いうお魚を、お土産に頂いた。
老人の多い仮設住宅であり、夕方の暗くなる時間であったのに外に出て来られて、「何時も有難う」と、お礼を言われる。そう言われるとると嬉しくもあり、「そんなにお礼を言われるような大げさな事はしていないのに」と、チョット照れくさい。
5、12月5日(木)の活動状況
*午前中、cadoccoの清掃作業を行った。
掃除機を掛けるが、「今日はゴミが多いなあ!利用者が多かったようだ」と、汚れ状態で使用頻度が分かる。床を、濡れ雑巾を掛けるとさらに汚れが取れて、綺麗になると気持ちが良い。
外から丸見えのcadocco、知らない人から、「ご苦労様」と、声が掛かる時がある。「ご苦労様、有難う」と、いう言葉は人の心に清々しさを与える。
南町紫市場の各所の便所を利用する時に、掃除をされている方が居られた時は、「ご苦労様です、有難う」と、声を掛けるようにしている。
*午後からは、金光会館の掃除と部屋の風通しを行った。
*夕方、東新城のFさん親子宅を訪問した。
「清水さん、気仙沼駅近くに私達の狭い土地と小さな家があるの。奥まった所ですがそこでスナック(どうも食事処らしい)を開く決心をしたよ。工事は来年になるけどね」と、話して下さった。
Fさん一家、大震災前は一景閣ホテルに近い弁天町と云う所で、食事処を営業されていたのです。
気仙沼駅前のチョット奥まった所、売れそうもない土地なので私は、「前向きに考えて、せっかく美味しい料理が作れる技術が有るのだから何とかやる気を出したら」と、商売再開を勧めていた。
一景閣・嘉宝荘・バレンタインはそれぞれ営業を再開されて、今のところ順調に進んでいる。このFさんにもぜひ成功して欲しい。
6、12月6日(金)の活動状況
*午前中、餅つきイベント用の材料・景品などの買い物をした。
*午後からは、12日(木)に行うマッサージのチラシを作成して印刷した。
夕方、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅にそのチラシを配付した。
*夜、突然大きな音がしたので、ボランティアハウスの2階から外を見たら、気仙沼内湾沿いのイルミネーションが点灯され、花火が華々しく打ち上げられていた。今年の最後を飾る祭り事の始まりである。
7、12月7日(土)の活動状況
*朝、松崎柳沢仮設住宅へ13日に行うマッサージのチラシを配付した。
*11時過ぎに関東方面からIさんが到着された。
Iさんと共に南町紫市場のフリーダムで昼食を頂いた。
*昼から、Iさんと一緒に蔵内仮設住宅に行きお水を配付した。
その帰りに、以前小泉中学校グランド仮設住宅に居られて、現在は家を建てられたKさん宅を訪問し、しばらくおちゃっこした。
昨日は亡くなったご主人の3回忌だったようである。
「大震災が起こる100日前に主人が亡くなり、やっと100日経ちいろいろな用事とか片付けが終わり、気持ちが治まり掛けていたら、この大震災で家も何もかも失ってしまった。でも息子も私も命は助かり、娘の嫁ぎ先の青森に暫く御厄介になりました。
でもね、やはり気仙沼に帰りたくなり、小泉の仮設住宅に入りました。2年と7ヵ月、何とか頑張り、こうして家を建てる事が出来ました。我が家で落ち着けるようになりましたが、この3年間、あまりにも大変な事が有り過ぎて、何とか頑張って来ましたが、疲れてきて気が沈んでしまいます」と、話されました。
以前からこの様な話を聞いていましたので、「餅つきイベントに参加しませんか?」と、お誘いしていました。「そうですね、ここまで来れたのもボランティアさんのお蔭だし、お礼を込めてお手伝いしてみます」と、参加されるようになりました。
「明日は西八幡前仮設住宅で餅つきイベントをしますが、来られますか」と、話したら、
「はい行きます」と、答えてくれました。
家を建てられても、このKさんの様な方がまだまだ居られます。
心の復興はまだまだ先の事です。
ボランティアという言葉はあまり使いたくはない。何が何でもこの様な、心を痛めている人達に心を寄せて行き元気付けてあげたい。奉仕活動(ボランティア活動)ではないのです。
*食事前にIさんとお米の小分け作業を行った。
【つぶやき】
11月も終わり、いいよ今年最後の月、12月を迎えました。
11月の末から12月の初めに掛けて、色々な人とお会いし話も出来ました。
被災地を離れると、もう次元が違う世界に入ったような気がしてしまう。
東京で過ごした一日、たった一日なのに何かしら、「ほっと」する気持ちと、華やかな東京の街の中、「これが普通の生活なのか、お前は故郷の宇部に帰ってから今まで通りの生活が出来るのか?」と、我が心が問いかけて来る。
被災地が異常なのか?東京や故郷の宇部の生活が当たり前の生活なのか?今の私には判断出来ない。判断出来ないが、気仙沼(東北の地)を離れるのが怖い。
毎日、電話で家族の声を聞き宇部での生活ぶりを確かめているが、「この声が普通の生活なのか、俺はいずれその中へと帰って行くが?何かが違って来ている。何が違うのか?わからん、わからん、わからんがこの約3年間で自分を変えてきているものが有る、それは何なのだ」と、一人ぼっちになると考え込んでしまう事が多い。
以上です。