2013/11/26

現地報告(11/20-26)

活動日:2013.11.20-26
報告者:清水 幹生

1、1120日(水)の活動状況
*報告が遅れましたが、数日前に関東方面のある教会からお米300kgが届き、イベントや必要な所に支援させて頂いています。
1113日(水)~1119日(火)までの現地レポート作成を完了した。
*午後からステップワゴン車のタイヤを新品の冬タイヤに取り替えに行った。ガソリンスタンドで取り替えたが、2時間待つことになった。

2、1121日(木)の活動状況
*午前中、cadoccoの清掃作業を行った。
*午後からは、24日に東新城で行う餅つきイベントのチラシの作成・印刷作業を行った。
*自分の車(コルトプラス)のタイヤを冬タイヤ(新品)に取り替えたが、今回も2時間待つことになった。

3、1122日(金)の活動状況
*午前中、24日(火)の餅つきイベント用の材料等の買い物をした。
*関東方面のある教会の信者さんのお友達から御布団一組送られて来た。ある仮設住宅の人が欲しがっておられたので、教会まで取りに来て頂いた。
*午後130分から気仙沼教会の月例祭に参拝した。
*夕方、24日の東新城での餅つきイベントのチラシを配付した。

4、1123日(土)の活動状況
*午前中、金光会館の掃除と毛布・布団干しをした。
*フォーゲル倶楽部会報第18号の原稿依頼があり、原稿書きに取り組んだがどうも集中出来ないので、被災地の工事現場の様子を見に行ってみた。鹿折(ししおり)の現場を見て回りながら写真を撮った。建物の土台(基礎)を撤去しているがまだまだ多く残っていて、どう考えても11月中には終わりそうもない。

どのように鹿折(ししおり)の被災地が変化しているのか、高台から写真を撮りたいと思い、鹿折中学校近くの小高い所に登ってみた。
そこは畑が有り、野菜を収穫しているご婦人に会い、ちょっと声を掛けてみた。
「私はね、鹿折から唐桑(からくわ)の舞根(もうね)と云う所にお嫁に行ったの。今日は鹿折の実家の土地で野菜栽培をしているので、収穫に来たの。」と話してくれた。
さらに話はつづき、「この大津波は我が家(建設会社とのこと)の玄関先まで来ましたが、家は残りました。舞根(もうね)は牡蠣(カキ)の養殖をしていますが、大津波で大きな被害を受けました。全国からのボランティアの方達のお蔭で元気づけられたり、企業ボランティアの方達からは『ここはこのようにしたらどうですか』と、アドバイスを頂いたりして、良い方向に行くようになりました。ボランティアは良い事も悪い事もあるけれども、私達もボランティアの人達も作業を通じてお互いが元気になれたのですよ。それで良いのですよ」と、話して下さった。
続けてお話しくださった内容が気に掛かっている。
「私の家も昔はノリ栽培をしていましたが、沿岸で魚の加工をしている加工工場からの排水により、良いノリの栽培が出来なくなりました。今は排水規制が厳しくなり良くなったとは思います。
この大津波で破壊された沿岸に高いコンクリートの防潮堤が築かれるかもしれません。このために植物性プラクトンが少なくなり、これをエサにして成長している牡蠣(カキ)・ホタテ貝・わかめなどの良い海の幸を育てることができなくなるかもしれません。だから、この地域には防潮堤は必要ないと思って、頑張っています」
と、防潮堤の問題点を語ってくださった。
あとでインターネットで防潮堤の問題を調べてみると、以下の記事が見つかった。
「植物性プラクトンは鉄・亜鉛等無機質が必要で、これを運んでくれるのが栄養豊富な川の水です。栄養度の高い水を運ぶには川の上流の山々に多くの森林が必要です。沿岸に高いコンクリートの防潮堤を築くことは潮の流れを変えてしまい、植物性プラクトンに栄養分が行き渡らなくなる可能性があるのです。漁師は森と海が分断されるのを恐れているのです。」
これが正しいかどうかはわからない。しかし、漁師の方々は長年の経験から海と森の関係を良く知っているからこそ、高いコンクリートの防潮堤を築く事に反対していると思う。
*夕方、24日の餅つきイベントのもち米を洗いバケツに入れて水で浸した。
もち米を水に浸す理由は、もち米に十分な水を含ませて蒸かすと、もち米が柔らくなり美味しいお餅になるからです。水に浸す時間は10時間以上必要です。

5、1124日(日)の活動状況
*朝の8時過ぎに、餅つき用具や水に浸したもち米を車に運んだ。
気仙沼教会の美紀子先生と信者さん二人(女性)を連れて東新城仮設住宅へ向かった。既に住人の方々が集会所に来ておられて、トン汁の準備をしておられた。
集会所の前の道路側に、臼・プロパンガスボンベ・バーナーを設置してもち米の蒸かしを開始した。道路のそばなので、「何が始まるのであろうか」と、通りすがりの人々が見ていた。
この仮設住宅の人々は、過去のイベントでは出て来られる方は少なかった。例えばバグパイプの演奏の時は僅か3名だった。致し方ないので、近所を演奏しながら練り歩いたことがあった。
11時頃もち米の蒸かしも完了したので、餅つきの開始である。
小学生の低学年の子供が二人、早く餅つきがしたいようで小さな杵(きね)を持って待っている。
ある程度、餅になるまでは大人がついて、それから子供についてもらった。
男の子、女の子ともに、楽しく餅つきを楽しんでいました。



今回は男衆も多く、集会所の中では大根擦りは男衆が一所懸命擦っておられた。ひと臼(うす)つき終えたところで、全員集会所に入り出来上がったお餅と、住民が作られたトン汁を頂いた。両方とも美味しいかった。


*その後もうひと臼(うす)ついたが、これで十分だった。家に持ち帰られる方もあり、30所帯の人達には全員行き渡ったと思う。参加者は25名ぐらいでした。
最後にはビンゴゲーム・ジャンケンゲームをして景品をお渡ししたが、住民の方は景品もさることながら、ゲームの雰囲気が良かったようで、「こんなに楽しいとは思わなかったよ。有難う」と、ニコニコ顔でお礼をおっしゃった。
今回楽しい雰囲気を印象付けられましたので、これからのイベントがやり易くなります。
これも、あのお具合の悪いFさん親子と娘さんのご主人の働きかけが有ったからこそです。思い返してみるに、「Fさんのお母さんの体の具合が悪いので、心配して顔を見せていたからこそかなあ」と、小さな事しか出来ていないがこんな良い結果になって良かった。神様有難う御座います!!
10時から始めて午後1時過ぎに終わり、後片付けをして130分に教会に帰り着きました。気仙沼教会の信者さん二人(女性)、仮設住宅の方達と親しくなったり、もともと知り合いの方達と再会できたりして、ボランティア活動が身に着き良い結果が出ています。地元の人達が助け合って行く事が一番良い事です。皆さんご苦労様でした。
*フォーゲル倶楽部会報第18号の原稿、何とか書きあげて依頼者に送る事が出来た。

6、1125日(月)の活動状況
*朝起きると、ちょっとだけだがあちこちの筋肉に心地良い痛みを感じた。
昔はこんなことは無かったが、やはり日ごろ身体を鍛えていないのが原因と思う。電話で娘と話すと、「お父さん年はいくつと思うの、もう70歳だよ、もう若くはないのだからね。もっと体をいたわって下さい」と、言われてしまう。
930分頃、教会長先生と幹雄先生にお供をして岩手県大船渡市三陸町の越喜来(おきらい)泊(とまり)地区に住んで居られる信者Hさん宅へ向かった。
2年と8ヶ月、船も大津波で無くして海にも出られず、また湾内の海底にはがれきが有り養殖も出来ない有様だった。
発注していた船がやっと出来上がり、今日は船下しのお祭りが湾内の一角に祭壇を設けて行われた。お父さんは涙ぐんでおられたが、今度はご自分が船主ではなく息子さんのTさんが船主となられた。親から子へと受け継がれて行く様子、胸がジーンとする光景でした。100年間もご信心が伝わっているご家庭、すごいことです。
まだ湾内にはがれきが残っているとのことでしたが、まずは復興への足掛かりとなるお祭りでした。




7、11月26日(火)の活動状況
*朝9時前に美紀子先生を生活相談室まで送り、そのまま唐桑の舞根(もうね)まで行ってみた。随分久しぶりだったからか、以前はあまりなかった養殖の筏が多く浮かんでいた。居住地はプレート(地盤)が沈没した為に水浸しである。もともとこの舞根(もうね)は埋め立てられて出来た土地である。確かに防波堤は低く津波で破壊されている。



一方、山を見てみると、ところどころ森林は無くなり丸裸にされている。嵩上げ用の泥を取るのか、災害復興住宅を作るためなのかどうかわからない。しかし、森がなくなれば腐葉土も無くなり、栄養度の高い川の水が海にあまり流れ込まなくなって養殖に影響が出るのではなかろうか?

舞根(もうね)を通り過ぎて内湾側の海岸線を走ってみたが、防波堤はことごとく破壊されてそのままの状態である。それでも湾内には養殖の筏は浮かんでいた。



高いコンクリートの防潮堤が築かれば、陸からは海の様子が分からなくなり、養殖している人々には大きな打撃となる。海岸線を走り大島と唐桑の間が見渡せる所に来たが「この間を大津波は走り抜けながら、湾内を破壊して行ったのであろう」と、暫く風景と大津波の駆け抜けて行く様子を想像してみた。それにしても、人影はあまり無い。土木建築の業者が目につくぐらいである。
*唐桑から帰り現地レポートの作成に再び取り掛かった。
現地レポート、この一週間の光景を思いつくまま、その中で頭に浮かんだことを殴り書きしてしまう。時には出会った人々との会話や相手の顔を思い出し、涙ぐみながら書いてしまう。文書の体裁まではなかなか気が回らずにいる。見直せばいいのですが・・・。
皆様にご迷惑をお掛けしていますが、お許しください。精一杯頑張りますので!!
【つぶやき】
ある事で我が心を痛めて、それが神様からのお知らせ事となかなか受け止める事が出来ず、数日気持ちが重い。餅つきイベントに支障がが無いように、気持ちを高めるようには気を付けたがボランティア活動、色々な意味で難しいと思えばより難しくなる。
やはり、「俺が、俺が」と、云う思いが強すぎるのであろうか?「させて頂く」と、いう思いが我が心になかったのであろうか?人様の事に心を向けて心掛けているのだが、神様の目から見れはまだまだ不十分なのでしょう。

私には厳しい修業である。それこそ70歳の手習いである。
以上です。