2013/01/31

現地報告(1/28-31)

活動日:2013.01.28-31
報告者:清水 幹生
 
1月28日(月)
① 田中前記念公園仮設住宅での音楽コンサート
* 830分頃、今日の活動場所の田中前記念公園仮設住宅に私一人で向かった。
自治会会長のご主人が今日、大腸ポリープを取り除く手術をされるので、気にかかっていましたので、音楽コンサートを行う前に様子を伺うために、奥さんに会いに行きました。

「清水さん大丈夫ですよ、主人ちょっと心配みたいですけど。今は、病院で麻酔だろうと思いますが、時間をかけて薬を飲んでいます。手術は昼からですから、私もコンサートには参加しますから」と言われ、本当に大変な時なのにと思い、感謝の気持ちで一杯になりました。我々の方がボランティアしてもらっています。

* 945分頃美紀子先生を含めて6名で、田中前記念公園仮設住宅へ向かいました。
集会所に入ったら、すでに暖房は入っていた。
会長に挨拶し、呼び込みを始めましたが、参加者はありません。そのうち会長が自ら3名の方を連れて来られた。この仮設住宅の人々は、なかなか部屋から出ようとされない。
何とか工夫して、イベントに参加して頂き楽しんでもらいたい。
最終的には7名の方が参加され、1時間30分の音楽コンサートを終える事が出来ました。

ある男性のご老人が、気仙沼町歌を歌って下さった。「気仙沼に町歌があったのか」と、地元の人達さえ知らない貴重な歌でした。

ビンゴゲームをするつもりでしたが、途中で帰られた人もあり、中止して賞品は残っていた人には好きな物を持って帰って頂きました。途中で帰られた方には会長から渡して頂くようにしました。
少ない人数だったけれど参加された方々は、楽しみ明るい顔されていました。

② 越喜来杉下仮設住宅での音楽コンサート
* 昼食を済ませて美紀子先生・銀座教会のYさんご夫婦・鎌倉教会のMさん・嶋田先生・清水の6人で越喜来に向かいました。鎌倉教会のMさんは、陸前高田方面は初めてなので被災地巡りをしながら越喜来に向かった。
高田市役所・ホテル キャピタル1000もいよいよ取り壊しが始まった。




* 杉下仮設住宅では330分まで絵手紙教室が行われていた。
4時から音楽コンサートが始まるのですが、集会所内には10名ぐらいの方が残っておられ、絵手紙教室を終えて帰られらそうな4名の方も、集会所へ引き返して下さった。
そうこうするうちに、参加者は37名となった。
私たちボランティアを含めると43名となり、大変な賑わいとなりました。

 
 
 
 
 
 

5分間休憩後、ビンゴゲームを行いました。

賞品は目玉にお米3kgを準備した。他の賞品は、数件の教会から賞品用として支援して下さった物を、使わせて頂きました。参加者全員に何かは当たりました。お米は最初に全て無くなりました。

ビンゴで盛り上がったところで、音楽コンサートの第2部に入りました。最高の盛り上がりとなり、演歌に入るとリクエストが多くなり、「これは何時までも経っても終わりそうもないなあ」と、嬉しい悲鳴を感じました。
1時間30分で終わらせましたが、参加者全員、本当に楽しく明るい顔になり帰って行かれました。
キーボードの演奏者のYさん嬉しそうでした。
皆さんありがとう!!

* 音楽コンサートを終えて、信者のKさんが経営する嘉宝荘で夕食をした。
しかしながら、Kさんは前日に妹さんのご主人のお父さんを亡くされ、音楽コンサートの今日の夕方6時からお通夜だった。「清水さんからの頼みだから引き受けたけれど、他の人だったら断ったよ」と、言われた時は本当に申し訳なく、「有難う、本当に大変な時なのにごめんなさい」としか言えなかった。
私は初めてKさんご夫婦に会った時から、何かしら親しみを感じ離れがたく思っています。
「この人達が本当に立ち上がるまで、絶えず顔を見せて、元気付けて行こう」と、思いました。

* 越喜来から教会に帰ってからの談話は、今日の音楽コンサートについて喜びの話しに尽きました。談話を終えてYさんご夫婦を一景閣に送り部屋に帰り、ちょっと現地レポートの編集をして、今日1日の活動を終えた。
皆さん有難うございました。

1月29日(火)
* 朝食後、一景閣にYさんご夫婦を迎えに行き、教会にお連れした。
* 東新城仮設住宅に行き、Fさんの手術後の経過の状況と、Fさんのお母さんの様子を探りに訪問した。
Fさんは個室から普通病棟へ歩いて移動したと聞き一安心しました。
お母さんも83才なのに、仮設住宅で娘さんの帰りを一人で待って居られる姿に、「親は有り難いなあ、どうか元気で過ごして下さいよ」と、心の中で祈っていました。

* 田中前記念公園仮設住宅に会長のOさんを訪ねたが、入院しておられるご主人の所に行っておられるのでしょう。
手術の結果を知りたかった。
インフルエンザが流行しているので、見舞いにも行けない。
* 1110分の列車で帰られる銀座教会のYさんご夫婦と鎌倉教会のMさんを気仙沼駅まで送った。
ご三人ご苦労様でした。
* 午後は、フォーゲル倶楽部からの依頼である気仙沼物産品のカタログを作成の為に、土産物屋に行き、物産品の値段と写真を撮りに行った。
全国の皆さん、このカタログを見て気仙沼の土産品を注文して下さい。これもボランティア活動になりますので、よろしくお願いします。 

1月30日(水)
* 午前中、東新城の仮設住宅にFさんのお母さんを訪ねた。
元気そうだった。良かった。
* 田中前記念公園仮設住宅にOさんを訪ねたが留守だった。
* 午後から越喜来に嘉宝荘を訪れた。昨日の音楽コンサート後の夕食のお礼に、土産物持ってKさんに会いに行った。
妹さんの、ご主人のお父さんのお通夜に、Kさんを参列させられなかったお詫びを言いたかった。
本当に有難うKさん!!

1月31日(木)
* 午前中は明日の月例祭と現地ボランティア用の買い物をした。
* 午後は、奥原教会長先生のお供をして釜石方面で被災された信者さん宅を手土産のお米を持って訪れた。
7所帯を訪れたが、気仙沼からかなりな距離を、よくここまで布教されたものだと、頭が下がる思いで一杯でした。
* 奥原先生は、「震災後一度も行っていない信者さんの所を訪ねたい」と、言われて越喜来から海岸線を走り、岩手県大船渡市三陸町綾里白浜まで訪ねた。
白浜についてあるお店に入りKさん宅を教えて貰ったら、そのお店が訪ねたいお宅だった。
家も家族も無事で津波の被害はなかったようである。本当にお会い出来て良かった。
嶋田先生と清水がお供しました。

こうして、1月も無事に活動を終える事が出来ました。

以上です。

2013/01/27

現地報告(1/25-27)


活動日:2013.01.25-27
報告者:清水 幹生

1月25日(金)
* 午前中、岩手県陸前高田市要谷仮設住宅へお米を配布した。
自治会会長のMさんは留守でお会い出来ませんでしたが、電話があり話が出来ました。
音楽イベントの事等、要望を聞く事が出来、やっと我々の活動を認めて下さったようで嬉しく思っています。
* 午後は岩手県陸前高田市小友新田地区にお米を配布した。
地区会長のWさんと会い話が出来た。この小友新田地区は、仮設住宅に入らずに津波で傷んだ自宅を修理したり、新築したりされた方々が殆どで老人が多い。
子供さん達は都会に出て行かれ、「小友新田にはもう帰らない」と、寂しそうな顔で話された。
広大な田畑があるけれど、全て海水で全滅に等しい。
このご老人達の行く末はどうなるのか心配である。
せめて楽しくなるように、音楽イベント等を行いたい。
* 小友新田からの帰りに陸前高田の高田市役所・ホテルキャピタル1000の、取り壊し状況を写真を撮った。






1月26日(土)
* 9時過ぎ東新城仮設住宅にFさんのお母さんの様子をみに訪れた。今日も元気そうなので安心し、お茶を頂き帰りました。
* 早めに千葉さんのフリーダムで昼食を済ませ、音楽コンサートの一行を迎えに気仙沼駅へ向かいました。
127分過ぎに、相変わらず夫婦仲の良い銀座教会の信者Yさん夫婦と、今回初めて気仙沼へ訪れてこられた鎌倉教会の信者Mさんを迎えました。

* 午後2時から始める松崎松沢仮設住宅での音楽コンサートの準備をして、130分に教会を出発した。
* 集会所は狭く、暖房が入っていなかったので、エアコンのスイッチを入れて、コンサートの会場作りをした。実は自治会会長のTさんはお勤めでお留守の為、会場作りをする住民への手配が出来ていなかったようです。
各家庭をまわり、呼び掛けをすると、ようやく6名の方々集まって来た。
Yさんのキーボードで楽しく歌い始めました。
我々ボランティアのメンバー、美紀子先生を含めて6名を合わせて、12名で大きな声で歌いました。
途中ビンゴゲームをして2時間があっと言う間に終わりました。
参加されなかった人の中にはインフルエンザにかかっている人もあり、少ない人数でしたが、継続的な活動が大切なので、これからも続けて行きたい。





* 夕食で5人になるのは久し振りで、奥原先生ご夫婦を交え楽しい談話が始まりました。年齢も全員50才以上で、話も弾みました。
銀座教会のYさんご夫婦は談話後、一景閣の方へ移動されました。

1月27日(日)
先日の夜半から冷え込み大雪となり、朝の仕事初めは雪かきから始まった。
* 奥原教会長先生は今日、盛岡教会の月例祭及び新年会なので、気仙沼駅まで送り、朝のご祈念についた。ご祈念後、雪かき開始である。
使っているステップワゴン車は四輪駆動ではない上に古いので、教会前の坂は凍結や大雪では登る事が出来ない。
雪かきを怠る事は出来ないのです。やはり東北のような寒い所は、四輪駆動は必需品ですね。
雪かき後、銀座教会のYさん夫婦を一景閣に迎えに行き、外壁塗装が完了した一景閣の写真を撮った。



* 1030分から五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅にて音楽コンサートを行いました。
銀座教会のYさん夫婦がコンサートの準備をしている間に、住民の方々がお茶やお菓子を出されて、自然に「おちゃっこ」が始まりました。
1030分になりましたので、音楽コンサートを開始しました。
住民7名とボランティア5名の12名で、12時まで楽しい雰囲気で過ごす事が出来ました。
今年に入り、連週イベントが続いたようで、役員の方の中には、「次の週は休みます」と、言っておられる方もいた。
ボランティア側も考えて、お邪魔にならないよいに注意しながらスケジュールを組む必要がある。

* 午後からは、鎌倉教会のMさんは気仙沼が初めてなので、南三陸方面の被災地を案内した。
志津川に着き、海岸沿岸に行ってみましたら波止場あたりは海中で、以前来たときは歩けたのに、もう歩けない。



余震があるごとに地盤沈下している。志津川の町のど真ん中を流れている川はもう数十センチで溢れてしまいそうな状況だった。
帰り道、美味しいケーキ屋により、銀座教会のYさんの旦那様が美味しいケーキを買われご提供頂き、夕食後の談話の時皆さんで美味しく頂きました。
* 今夜は教会長先生も盛岡から早く帰られ、ボランティアの為に美味しい餃子を焼いて下さった。
談話も更に盛り上がり、今日1日の活動の感想も出て楽しく過ごせました。
皆さん今日1日ご苦労様でした。

以上

2013/01/24

「現地報告(1/22-24)」


活動日:2013.01.22-24
報告者:清水 幹生
 
1月22日(火)
* 美紀子先生を生活相談室に送る途中、東新城仮設住宅のFさん宅にむかった。Fさんの脳腫瘍手術の結果を聞く為に、留守番しておられるお母さんを訪れた。
9時から夜の1130分まで掛かる大手術だったが、手術は大成功だった。
本当に良かった。
届けたご神米を懐に入れて手術に臨まれたようで、神様のお計らいと、皆様のお祈りぞえに感謝しています。
皆様方有難うございました。
* 午後から現地レポートの作成に取り掛かった。
空いた時間を利用して、作成に集中する。被災者の顔を思い浮かべながら書き始めるが、時間が経つのは早い。
* 嶋田先生は午後からNPO,NGO連絡会議に出席された。
* 清水は夕方から、仮設住宅の人達用に編集された「わわ新聞」を、田中前記念公園仮設住宅と松崎松沢仮設住宅に配布した。 

1月23日(水)
* 9時過ぎに東新城仮設住宅で一人ぼっちで、娘さんの回復を待っておられるFさんのお母さんを訪ねた。
今日は多少、顔に笑みがあった。
1時間ぐらい、お母さんの愚痴や生きて来られた人生を聞かせて頂いた。
* 午前1030分頃、嶋田先生と2人で小泉小学校・外尾・蔵内仮設住宅に、わわ新聞を配布した。 

* アルジェリアの事件が気にかかっていた。定年退職前の3年間日揮の本社で働いた私は、「一緒に働いた仲間が犠牲になったのではなかろうか」と、心配していた。
日揮の知り合いに連絡したが、未だに音沙汰が無い。私も同じ業種のプラント建設で、建設現場の監督及びプラント試運転指導の業務に携わっていた。
発展途上国でのプラント事業は常に危険が伴う。
同じプラント事業の他社では、犠牲者は出るのは覚悟の上か、棺桶は常時準備していたようである。
定年退職後、友人でもある現役時代の会社の副社長から電話があり、「おい清水、アルジェリアに行かないか」と、誘われた。治安の悪さは知れ渡っていましたが、行きたい気持ちもあった。
身震いもするような緊張感の中で、しかも何もない砂漠の中に新設されるプラント建設の仕事は男として魅力があり、やりがいがある。
危険は覚悟の上だが、死までは考えてはいない。
今回の事は本当に残念な気持ちで一杯である、ただ今は知り合いからの連絡を待っている。

気仙沼でのボランティア活動とアルジェリアの事件が私に取って何を意味しているのか、計り知れないでいる。

1月24日(木)
* 午前中はcadocooの掃除。
嶋田先生と清水の2人で2時間掛かったが、水が冷たかった。
* 午後からお米150kg購入し、一袋3kgづつ50袋に小分けした。美紀子先生・嶋田先生・清水の3人で作業した。
このお米は高田市の小友新田地区と要谷仮設住宅へ配布する。

[あとがき]
現地レポートの作成には、時間が掛かる。もともと文章力がない自分、何をどのように表現したら良いか工夫もせず、頭に浮かんだ事を指が勝手にキーボードを押してくれる。
読んで下さる皆様方に読みづらい思いをさせて、本当にすみません。
写真を取り込んで読みやすい内容にしようとおもっていますが、活動が終わたあと、夜にしている作業なので、ついつい思いどおりにはいかないこともあります。
それでも被災者の気持ちや被災地の真実は、飾りげ無く書いているつもりです。
もっともっと楽しく有意義な現地レポートにしていきたく思っていますので、これからもご支援下さい。

以上

2013/01/21

無事手術終了のお知らせ(2013.01.21)


活動日:2013.01.22
報告者:清水 幹生
 
[おしらせ] 

昨日(1/21)の朝9時から脳腫瘍の手術をされた東新城のFさん、昨日の夜1130分無事手術が終わりました。

長時間の大手術で、結果を心配しつつ仮設住宅で待っておられたお母さん、眠そうな顔で私達に対応して下さいました。

皆様のお祈りぞえ有難うございました。

現地報告(1/20-21)


活動日:2013.01.20-21
報告者:清水 幹生

1月20日(日)
*朝の8時30分頃、美紀子先生と嶋田先生を上鹿折の山の中にある火葬場まで案内した。
ボランティアハウスの家主さんのMさんが亡くなられたので、気仙沼教会の美紀子先生と支援機構の現地代表の嶋田先生が参列されるが、お二人とも火葬場までの道のりがわからなかったので、清水が案内した。

ボランティアハウスは現在清水が一人で住んでいる。昨年までは、多くのボランティアが来られたときでは13名宿泊した事もあります。
ボランティアハウスには便所が無く、炊事場もありません。 夜遅くトイレに行きたくなれば、いったん外にでて真っ暗な中を歩いて、ボランティアハウスの後ろ隣りの、誰も住んでいないお化け屋敷の外にある便所を借りて使用しなければならない。
私は人を恐ろしがらせるのが好きで、「あの便所は夜になると何かしらゴソゴソと音がするじゃあ、おばけが出るぞ」と、若い人達をからかった。
未だに、私以外はこの便所を夜使用した人はいないでしょう。
でも私にとってこのボランティアハウスは、我が家同然で居心地良いですよ。
ただ、雨とか雪が降る日の夜は、便所を使用しているとき首筋に冷たい雨水や雪が入ると、「なんだあ!」と、誰かが側に居るような気がして寒い上に更に寒気がして、出すものを早く排出して部屋に帰ります。
20ヶ月も住まわさせて頂き、本当に有り難い思いで一杯です。

Mさんのご冥福をお祈り致しています。

*南町紫市場では、復興グルメF-1大会が開かれ南三陸から岩手県の大槌町までの
復興仮説商店街から、6ヶ所の団体が参加して味を競った。
南町紫市場がダントツトップでした。
南町紫市場の坂本さんが、「有り難う御座いました。ダントツのトップだったよ」と、電話で話してきた。
良かった良かった。

この大会があることは、大会数日前まで知らせもなく皆様に連絡が出来ませんでした。
「遅くなってもお知らせすればよかったかなあ」と、反省していますので、ご勘弁ください。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

*11時30分から気仙沼教会の報徳祭と新年会でした。
報徳祭後の新年会では、一景閣のご夫婦と話が出来ました。その話の中で、グランドオープンを3月15日に行うとの事でした。奥様も津波の辛い経験からある程度立ち直られているようでした。
また、鹿折に住んでおられた方の話では、「鹿折では鹿折唐桑駅の近くまで流されて来た船がいる近くに、復興住宅が立つようです。嵩上げをしてね」と、話されていた。



1月21日(月)
*朝8時30分頃、松崎柳沢仮設住宅に行き、26日の午後に行う予定の銀座教会の信者Fさんの音楽コンサートの開始時間を決めに会長さんに会った。
コンサートは午後2時と決まり、ちらしに開始時間を記入するために教会に帰った。

*東新城仮設住宅に住んでおられるFさんの脳腫瘍の手術が、仙台の病院で朝9時頃から始まった。仮設住宅ではお母さんが一人で暮らしておられるので、様子を美紀子先生と見に行った。やはり心配なのか、ちょっと やつれて見えた。時折涙声になるのは致し方がない。
何とか慰めながら、1時間近く話し、近くの店まで買い物に連れて行き、気分転換をさせて仮設住宅にお連れした。
手術結果はまだ聞いていませんが、手術されるご本人は懐にご神米を入れて手術に向かったと聞きました。

*午後から、再び松崎柳沢仮設住宅に向かった。音楽コンサートのチラシを各家庭に配布するために。

陸前高田に行く予定が、松崎柳沢仮設住宅から帰り部屋に帰ったら、ついついうたた寝をして行かれなかった。
でも、うたた寝て気持ちが良いですね。皆さんもどうぞ!

今日もどうやら無事におわりました。

2013/01/20

お知らせ(2013.01.20)


活動日:2013.01.20
報告者:清水 幹生
 
「お知らせ」
ボランティアハウスの家主のMさんが亡くなられました。
今日、火葬されましたので火葬に気仙沼教会からは美紀子先生、支援機構からは現地代表の嶋田先生が参列されました。
 
Mさんのご冥福をお祈りします。

ご家族の方からは、「家屋敷をどうこうするつもりはありませんから、今まで通りご使用下さい」と、家屋敷の使用については許可を頂いています。

以上ご報告いたします。

2013/01/19

現地報告(1/17-19)


活動日:2013.01.17-19
報告者:清水 幹生
 
1月17日(木)
* 今日は、岩手県大船渡市三陸町越喜来泊の信者Hさん宅で、新年祈願祭が行われた。朝は、やはり路面は凍結してしていたが、天気は良く青空だった。
1130分からのお祭りだが、路面の凍結の心配もあり、気仙沼教会を930分に出発した。途中は殆ど凍結の心配もなく、1時間で泊に到着した。
お祭りの準備をしている間に、越喜来泊地区の信者さん達がお参りに来られ、お祭りが始まる頃には20名近くの信者さんで賑やかになった。
 
 

気仙沼教会の信者さんは、南三陸から釜石までと範囲が広い。越喜来泊地区は年2回、祈願祭が行われている。
今回の震災で家屋敷など全てを失った人も多い。
直接的に被災されていないが、仕事場であった海は津波で荒らされ養殖場を全て失い、収入源を絶たれた人も多い。そんな中、教会長先生は、私達ボランティアをお供に、定期的に各信者さん宅を訪問した。
収入源を絶たれた人達は、お米など生活用品は必需品だ。私達はお米等を支援し、時折お宅を訪問する事に心掛けた。
 
私は感じさせられた。
信者さんは震災で信心力が弱っていたであろうが、教会長先生が自ら各家庭を訪問されて顔を見せる事は、どんなに嬉しく元気付けられたかを。お供をした私は側で見て来た。
これぞまさしく本教の神髄(真髄)である、現場(青空)結界お取り次ぎではないでしょうか?

Hさんやこの地方の言葉は、私は初めの頃さっぱり理解出来なかった。「はあ、そうですか」と、わかったような顔をして、頷くのみでした。月日が経ってくると、英語よりも理解しがたい言葉が理解出来るようになってきた。
そうした中でHさんは、「私の家は津波の被害はないので、避難所のように支援物資の配布はなかった。だが支援物資を頂いた人が、いろいろと分けてくださった。だからそうした人達に、今度は私が何かをさせて頂きたい。こうしてお米を頂いていますが、欲しい人がたくさんいますので、余分があれば頂けませんか」と、優しい目で私を見つめながら話された。
その話を聞いた後、Hさんの所には継続的に多めなお米を支援している。

「お参りされた信者さんの中には、信心が途絶えていた人がいて、再び参拝された」と、教会長先生は嬉しいそうに話された。
お祭りも終わり、お直会が始まった。私は、ついつい美味しいお酒を頂き少々酔ってしまった。あちこちで談話が始まり、楽しげに過ごすご老人の様子を見ました。
良いお祭りだった。

* Hさん宅での祈願祭後、今度は越喜来のMさん宅の宅祭に参拝した。
Mさんの家に津波が押し寄せたが床上浸水で済み、リフォームで住めるようにされ、宅祭を今年も行う事が出来た。
ここでもお直会を頂き、完全に食べ過ぎとなり、美紀子先生が準備してくださった夕食は全然食べる事ができなかった。
美紀子先生ごめんなさい。
こうして越喜来泊の祈願祭・宅祭を無事終える事が出来ました。

1月18日(金)
* 嶋田先生はNPONGO連絡会議に出席された。
* 私は、越喜来の信者さんが入院されていた事がわかり、教会長先生を大船渡市の中央病院にお連れした。教会長先生を病院において、私は越喜来杉下仮設住宅に向かった。
28日の午後から行う銀座教会の信者Yさんの音楽コンサートの打ち合わせ、及びチラシとポスターを渡す為に訪問した。

全て予定通りに打ち合わせが出来て、午後4時から音楽コンサートを行う事になった。
大船渡市の中央病院で待っておられる奥原教会長先生を迎えに行った。帰りは4時頃となり、途中で冷え込み始めてマイナス4℃まで下がった。

今日も無事御用が出来ました。

1月19日(土)
* 午前中、美紀子先生・嶋田先生・清水の3人で明日の報徳祭・新年会の買い物をした。
* 買い物前に、田中前記念公園仮設住宅にOさんご夫婦を訪ねた。ご主人の大腸ポリープの手術が28日だと聞いていましたので、美紀子先生にお願いして一緒に訪問し元気付けたかったのです。
「心配しないで、お祈りしていますから。これをお守りと思って下さい」と、ご神米を差し出したら、ちょっと涙を拭い気持ち良く受け取って頂いた。

* 私は午後から五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へ、271030分から行う銀座教会の信者Yさんの音楽コンサートのチラシを届けた。
* 嶋田先生と清水は午後3時から、明日、南町紫市場で行うF1グランプリグルメで使う机20台を、商工会議所から南町紫市場へ運んだ。
それにしても今日の南町紫市場の人出は少ない。寒さの為なのか?

以上です。

2013/01/16

現地報告(1/15-16)


活動日:2013.01.15-16
報告者:清水 幹生
 
1月15日(火)の活動状況
* 前日からの雪が朝方も降り、今日は朝から夕方まで雪かきだった。
私の車は教会よりさらに上の駐車場に止めてある。
午後から駐車場に行ってみたら、車は雪の中に埋もれていた。まずは駐車場の雪かきをして、車のエンジンをかけ、車内を暖めた。1時間以上かけて車内を暖めると、やっと車上の雪が溶け始めたので、雪を車から全て取り除いた。雪国は大変でございます。

* 午後3時頃美紀子先生を東新城にある、社会福祉協議会の中に設置されている生活相談室に迎えに行った。
そのまま、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問した。
実はFさんから美紀子先生に電話があり、16日に入院し21日に脳腫瘍の手術をする旨の連絡があった。
美紀子先生は、元気付ける為に、ご神米を届けたい一心で訪問された。私も会いましたが、涙を一杯溜めて私と握手した。
その涙顔を見ながら、「大丈夫だよ祈っているから、自分も元気を出してきっと帰って来るんだという強い気持ちを持つんですよ」と言うと、握っていた手を強く握り返してくれた。

私は、「津波と火事で二度も命を失うところを助けていただいたのに、神様はまだこの人に試練を与えられるのか」と、ふと神様を恨めしく思い、「神様のお計らいは奥が深いが厳しいなあ」と感じた。
Fさんに対しては、自分の辛かった時を振り返りつつFさんの心の中に入ろうとして、私の辛かった時の話を先日、話してみた。
Fさんの涙は悲しい涙ではなく、美紀子先生の、「助かって欲しい」という、熱い思いを感じられ、「自分を見守って下さる人いるのだ」という、喜びの涙だと感じている。
Fさんにはこの試練を乗り越えて欲しい。まだ大学生の子供さんがいる。私のように親を、一人前になる前に失わせたくない。
親を早く亡くした子供の辛さ悲しさは、その後の人生を左右する事になる。
だからこそ、何としてもFさんには生き延びて欲しい。
命の問題は人間では計り知れない。祈るしかない!

もう一名、命に関わっている人がいる。
田中前記念公園仮設住宅のOさん、昨年の暮れから体調を崩し、検査したら大腸にポリープが2個発見され、そのうちの1個に問題があり、28日に手術する事になった。
津波で苦しんで来た人達が、今度は病気と戦わなければならない。
人生は本当に何が起こるかわからない。
それでも生きていかねばならない。何の為に生きて行くの?

上記に述べたこと、ボランティア活動に関係ないように思うかもしれませんが、2人の命に関わる事、我々は何か大切な事を学ばなければならないのではないでしょうか?
皆様方ご自身の人生を振り返りつつ、あるいは上記のお二人に我が身に置き換えて考えてみて下さい。
きっと貴方の心の中に何かが生まれるはずです。

* 配布用のお米を150Kg購入した。約50所帯分であるが、ある教会の信徒会からの支援金で賄う事が出来ています。
支援有難うございます。

1月16日(水)の活動状況
* 午前中、昨日購入したお米を3Kgに小分けして約50袋出来た。
作業者は、美紀子先生・嶋田先生・清水でした。必要な所に配布していきます。
* 午後は、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へ、20日に行われる新年会のビンゴゲームの賞品の一部を届けた。
ある教会の信徒会から賞品の支援を頂きました。有難うございました。
ただ、一カ所に支援するには量が多いので、他所でのイベントに使わせていただきますので、ご了承下さい。
* 小泉中学校グランド仮設住宅へ訪問し、自治会会長のOさんとKさん宅を訪れ、新年の挨拶をした。
会長のOさんは、部屋まで招いて下さり、1時間近く談話した。今までは、玄関先で挨拶するのみだったのが、今回は違った。金光ボランティアを認めて下さったのであろうか。
有り難い事です。

こうして、今日も無事に活動を終える事が出来ました。
真っ暗な中を教会へと車を走らせた。
やはり帰る所があるのは有り難い。

以上です。

2013/01/14

現地報告(1/13-14)


活動日:2013.01.13-14
報告者:清水 幹生
 
1月13日(日)の活動状況
* 12日の夜1040分、気仙沼着最終列車で、日本橋教会のIさんが到着された。
* 13日の早朝は冷え込み、ボランティアハウスから教会までの下り坂、完全に凍り付き、とても教会まで辿り着けない。四つん這いになり、ゆっくり下りて朝の御祈念に間に合った。
御祈念後、塩化ナトリウムを道路上にバラまき、氷を溶かす作業をした。

* 午前中は道路上が凍結し、車の運転は危ないので部屋でレポートを書いたり、ボランティア仲間に連絡する等した。
* 午後から、嶋田先生とIさんは14日の五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の、餅つきイベントの買い物にでかけた。
清水は、陸前高田の小友で散髪屋を営んでいるFさん宅を訪問し、新年の挨拶をした。おちゃっこしながら、小友の様子を聞きどのようなイベントを行えば、皆様に喜んでいただけるか、思案した。
* 午後3時には五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の集会所に、嶋田先生・Iさん・清水が集合して、新年会時に使用した椅子・机を回収して借り主に返却した。
新年会は楽しく賑やかであったようです。 

* 夕方からは、餅つきようの餅米をとぎ、2.5kgづつ6つの鍋に浸した。餅米を水に一晩浸さないと、蒸す時に良い蒸しあがりにならない。美味しい餅を作るには、手間暇が掛かるのです。もう2年越しになりますので、立派な金光ボランティア餅つき店の看板をあげられます。
* 夜は、奥原教会長先生が、教会連合会の会合から帰って来られ、久し振りに夜遅くまでミーティングした。

1月14日(祝)の活動状況
* 朝食後しばらくして、雪が舞い始めた。
美紀子先生・信者のSさんとOさん・嶋田先生・日本橋教会のIさん・清水の6名がきょうの餅つきメンバーである。
* 9時頃から車に餅つき道具の一式を積み込み、945分五右衛門ヶ原運動場仮設住宅に向かった。途中大雪となり、ステップワゴン車が五右衛門ヶ原の坂を上がられるかどうか心配したが、嶋田先生さすがに第一種の大型免許の持ち主、スイスイと上ってしまった。

* 集会所では住民の皆さんお待ちかねで、すでにお湯も沸いていた。
* 集会所の玄関前を餅つき場所と決めて、雪が降るのでブルーシートで屋根を作り、臼の中に雪が降り込まないようにした。

 
 


* 餅つき準備開始の10時から全て終了まで2時間45分であった。
合計15kgの餅米で6臼つきました。

* お手伝いの住民も多く、男衆も多くの方がつき手に加わり、和やかに楽しい餅つきでした。日本橋のIさんも住民の方々の、「腰を入れて」という掛け声で、餅つきを楽しんだ。大雪の中の餅つき、楽しく良いイベントだった。




 

 


 

 
 
 




 
 







 
 
* 帰り道、雪は降り続けていた。教会の坂道でステップワゴン車はスリップし、なかなか教会に帰り着かない。坂道の雪かき後、やっと坂道を上れて、教会に辿り着いた。

* 東京も大雪で大変だと情報が入り、日本橋教会のIさん今日中に帰れるかどうか心配したが、夜9時過ぎに到着したと連絡が有り、ひと安心した。

皆さんご苦労様でした。

2013/01/12

活動報告(1/10-12)

活動日:2013.01.10-12
報告者:清水 幹生
 
1月10日の活動状況

* ある信者さんからの冬物衣類の支援物資を西八幡仮設住宅に届け、必要な物だけを持って帰ってもらうようにと、置いて帰りました。
* 手土産にお米とお水を持って、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問した。
津波と火事で家など全てを失い、命が奇跡的に助かりながら、以前手術した脳腫瘍が悪くなり、再度手術する事になった。「私、この家に帰ってこれるかなあ!」と、不安で弱気になっておられたので、見舞いと元気付けるために訪問した。
話し始めると暗い話ばかりが飛び出してくる。
「いかんいかん、明るくなるような話しをしましょうね」と、話題を明るいものに変えた。
2時間ちかく話し、「元気を出すのですよ、きっとここに帰れるから。子供さん・お母さん・ご主人の為にも、ここに帰ってくるんだという強い心を持って下さい」と、言って別れました。
辛い事が重なると人間は、段々と弱気になって来る。こんな時こそ、暖かい思いやりが必要となる。
神様、助けてやって下さい!

* 午後130分からは、気仙沼教会の月例祭に参拝した。

* 月例祭後、大船渡市三陸町の越喜来に行き、杉下仮設住宅を訪問し、新年の挨拶をした。
「何か必要な物はありますか?」と言いましたら、「衣類等はいらないけれど、楽しくなるような音楽とかゲーム等が良いですね」と、答えがありました。もう、物資の支援は手土産程度にして、皆さん方を明るくさせるイベントが必要のようである。
杉下仮設住宅の帰りに、信者さんが経営される嘉宝荘により、新年の挨拶をした。津波で失った民宿を再建中だったが、ほぼ完成していた。オープンは315日を予定にしているとの事でした。嘉宝荘があるこの商店街は、道路が建設され商店街は無くなるようです。

1月11日の活動状況

* 西八幡仮設住宅から冬物衣類の物資を引き取り、松崎松沢仮設住宅に持って行って引き取って頂いた。西八幡仮設住宅では、あまり必要性がなかったようである。
* 午後1時からNPO及びNGO連絡会議があり、嶋田先生が出席した。
JVC及びシャンティーの2つボランティア団体が今年から向こう3年間=2015年まで活動をする事を宣言したそうです。他の団体もこの3月で、様子が変わって来るようです。
* 17時に市民会館から椅子45脚借りて、軽トラで五右衛門ヶ原運動場の集会所に運んだ。これは、新年会を13日に行う為に必要であり、会長から頼まれたものです。

1月12日の活動状況
* 9時に古町コミニューティセンターから机13台借りて、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の集会所へ運んだ。これも新年会用である。
* 小泉小学校仮設住宅・外尾仮設住宅・蔵内仮設住宅へお水2リットル入りペットボトル120本配布した。

[番外編]
被災地の市役所に他の市役所から応援に来ていた職員が、自殺した報道があったようである。ひとりは上司に、「私は何かお役に立っているのでしょうか?」と、レターが届いていたようです。
無残な被災地をみたり、職場の中で被災された方々の苦情を聞く内に、自分の果たす役目に行き詰まりを感じたのではないでしょうか?
私自身、何時も被災された方のお話を聞いていると、切なくやりきれん気持ちになります。
気仙沼の復興が進まない現状を何時も目の前にしているだけに、ついつい、「俺、何か役に立っているのか」と、自分を責めます。「神様が見守っていて下さる」という、神様を信頼する絶対的な心と自分を支えてくれている人が居なかったら、恐らく私も潰れていたでしょう。
この活動に、のめり込む程、自分を責める度合いは強くなります。
皆さんの支援が大きな力となります。
暖かい励ましと、皆さんの愛情を私達に下さい。
それが被災された方々を助ける力の素となります。

以上です。