3月15日(土)~3月22日(土)までの現地活動状況
1、3月15日(土)の活動状況
*金光教東日本大震災三年祭が宮城県石巻市の石巻中央公民館で行われるので、気仙沼教会の 信者さん7名と金光出版から来られたIさん、Kさんと清水で3台の車で分乗して参拝しました。
*清水は金光出版のお二人の車に便乗して、被災地を案内しながら石巻に向かった。
*清水は、現地で金光教首都圏フォーラムの金光教東日本大震災3年祭参拝ツアーの一行と合流し、以後案内役をさせて頂きました。祭典では大崎教会の田中真人先生が金光教首都圏災害ボランティア支援機構の代表として、気仙沼での活動を丁寧に15分間の中で発表されました。
*祭典後は、被災された石巻教会に金光教東日本大震災三年祭参拝ツアーの一行と共に参拝しました。石巻教会は津波で大きな被害を受け、今回新築のお陰を蒙られました。敷地一杯に建築されたお広前にお参りしてご祈念させて頂きました。
*石巻教会参拝後、奥州交通のバスで一路気仙沼へと向かいました。この奥州交通は岩手県高田市に本拠地が有りますが、大震災の時の事務所はあの奇跡の一本松の近くに有ったようですが、幸いバスは他の場所に有りバス被害は無く、事務所は流されたが従業員及びご家族には被害は無かったようです。この奥州交通の社長とは色々な事でバスを利用する事で親しくさせて頂き、色々な情報を頂いている。気仙沼に向かう途中の南三陸(志津川)までは海岸線を通らず三陸道を走った。南三陸(志津川)からはバスを降りずに参加者の皆さんには車窓から外をご覧いただきながら、時々被災地の状況を説明した。
*午後6時ごろ今日の宿泊地ホテル一景閣に到着した。リニューアルオープンした一景閣をご存じない方、ここでの泥かき・部屋の掃除・皿洗い等の活動をされた方達の「ほう綺麗になったなあ」という言葉を聞くと何かしら胸が「キューン」となった。
*清水は一旦気仙沼教会に帰り、別部隊の5名も気仙沼に宿泊するのでその方達の夕食先などへのご案内をした。その後、教会長先生と一景閣に戻り午後7時からの懇親会に出席した。
*午後7時から30分間、「NPO法人南町紫市場」副理事長の坂本正人さんに、紫会館避難所からNPO法人南町紫会館立ち上げまでの様子をお話し頂いた。随分、「金光さんにはお世話になりました」とお褒めの言葉とお礼を述べて居られました。
*午後9時に懇親会も終わり、急いでピンポンというお店に行きました。別部隊のT先生、Kさん(女性)、Yさん、Aさん、Oさん達に合流しましたが、ここも終わりに近づいていました。ここのお店の親父さんには何時も安くして頂いていますが、料理はお魚主体で大変美味しいです。この5人と教会に帰り、教会長先生と交えて一杯飲みながら懇談しました。Aさん(男子大学生)はよく泣く。人の話を聞く度に泣いている。本当に泣き虫で有る。
*教会を後にしてスナックジャズバーのバレンタインに向かった。色々な人が来ていたが、ある女性が完全に飛んでいた。歌を歌いながら踊りまくっていた。元気の良い女性でバイタリティーもあり、女性ながら皆を引っ張って行く能力に長けている。久しぶりに大いに飲み、楽しませて頂いた。オーナーの熊谷長さんもにこやかに楽しんで下さった。
2、3月16日(日)活動状況
* 朝のご祈念後、朝食を頂きながら別部隊の5人とちょっと話が出来て良かった。朝食を済ませて、Oさんに一景閣まで送って頂いた。Oさんは今回ご両親も気仙沼教会に参拝されて、一景閣に宿泊された。三年祭ツアーの参加者ではないが三年祭を終えて気仙沼に訪れた方は、50名を超えているのではないかと思います。有りがたい事です。
*午前8時に一景閣で皆さんと合流して気仙沼の被災地を案内し、安波山(航海の安全を願って付けられた山の名前)の展望台までバスで上がり、ここで御霊様のお道立てと、気仙沼の復興を願いご祈念しました。
*安波山を後にして気仙沼教会を参拝。気仙沼教会教会長先生の講和を頂き、皆さんは南町紫市場で買い物をした。ここで昼食の弁当とお茶、さらに献花2組をバスに積み込んだ。
*お魚市場にも寄り、最後の買い物をして一路、松島へと向かった。南三陸(志津川)までの被災地を案内しながら、約一時間後に南三陸(志津川)の防災センター前に到着した。
この防災センターでは、避難するように住民の方達へ呼びかけ続けて、結婚も決まっていた女性が3階から屋上に逃げる途中で津波にさらわれて命を落としている。防災センター前に祭壇が設けられているので、参加者全員が集まり献花後、御霊様のお道立てを祈りご祈念した。また南三陸(志津川)のホテル観洋に向かう途中に、気仙沼教会の信者さんSさんが経営しておられたふとん屋の場所を紹介した。Sさんは大津波にさらわれて、未だご遺体は発見されていない事をお伝えした。
*ホテル観洋でトイレ休憩の後、海岸線の国道398号線を走り、途中の被災された海岸線の案内をしながら石巻市の大川小学校へ向かった。大川小学校に到着した頃、お雨足が強くなったが、祭壇前に集合して献花して祈りを捧げた。
此処の小学生は先生4名を含めて74名の児童が亡くなっている。未だ4名の児童のご遺体は発見されていない。小学校のすぐ裏は山があり「なぜここに逃げ込まなかったのか」という非難が出ているが、「いざと云う時に正しい判断は難しいのであろうか?」と人間の弱さを感じる。判断の誤りを責めるのは容易いが、実際そこにいて大津波を経験していない我々には非難することはできない。
*大川小学校を後にして、一路松島へと向かった。大川小学校で追悼の旅を終えて今度は被災地には違いないが、湾内の多くの島々のお陰で大津波による被害から逃れて、復興の早かった日本三景の一つ松島の観光を楽しむこととなった。松島へは予定時間よりも早く到着出来たので、午後2時の観光連絡船に乗り、50分間の観光を楽しんだ。塩釜へは4時には到着し、そのままバスで仙台駅まで向かった。予定の新幹線乗車まで2時間近くあるので、参加者の皆さんは仙台を楽しまれたのであろう。清水は仙台駅で皆さんとお別れして、奥州交通のバスで気仙沼教会へ帰った。
3、3月17日(月)の活動状況
*3月8日(土)から3月14日(金)までの現地レポートの作成を完了させて提出した。
*宇部東教会らの教会便りの原稿依頼を受けていたので作成に取り掛かった。
4、3月18日(火)の活動状況
*吉見音楽コンサートのチラシ作成にかかった。
*金光会館の荷物を教会長先生とボランティアハウスの土間に移した。
5、3月19日(水)の活動状況
*ドリームキャンプの現地調査に出掛けた。宮城県蔵王町の「国立花山青少年自然の家 南蔵王野営場」を訪れた。すでに以前電話で仮予約を入れていたので、訪問した時は係の人と話はスムースに行えた。ただ、蔵王を目の前にした雪景色は素晴らしいかったが、野営地は雪が深く全てを見て回る事は出来なかった。「雪解けはいつ頃になりますか」とお尋ねしたら、「4月の終わり頃になるでしょう」といわれたので、最終的な下見は4月に再度訪れることにした。ただし、仮予約をしておかないと利用者が多いので、日時とキャンプファイヤーを行う日を定めて仮予約した。自分ではキャンプ地としては、ここは良いのではないかと判断している。近々、フォーゲル倶楽部のスカイプ会議が行われるので、キャンプ地は今月中には決定される。
*キャンプ地を後にして、コテージや学習棟を完備している「財団法人 エコキャンプみちのく」を訪問した。場所は宮城県柴田郡川崎町大字川内字向原である。良い場所であり、コテージも完備されているがキャンプ地というよりも別荘みたいであった。コテージを含めて学習棟は既に予約が入っていてダメであった。テントサイトを案内されたが、設備が良くなくキャンプには向かないと判断した。財団法人が経営するだけあって素晴らしい設備と感じたが、使用料金が高い。
*「エコキャンプみちのく」を後にして、キャンプの事ではなく、福島県を訪れる事も今回の目的であったので、以前から気に掛かり「いちど現地に来てみて来てください」と、福島県伊達市保原にある金光教保原教会の娘さんが、以前ひかり新聞に寄せられた記事を見ていたので、今回は何としても保原教会に訪問したかった。
*教会長先生の高橋トシ先生と2時間近く談話した。ご主人の高橋博先生を昭和50年に亡くなられて以来、この保原教会で御用されている。博先生のご信心の様子を聞かされて、「すごい」と強烈な思いを抱かされました。 頂いた『しのび草』の本を気仙沼に帰り直ぐ読ませて頂いたが、さらに強烈なパンチを食らったような思いがした。私は自分で「保原教会にお参りするんだ」という思いで参拝したのであるが、それは違っていた。神様が「お参りせよ」と差し向けて下さったのだと、高橋トシ先生と出会い、さらに『しのび草』を読む事で、そのように思わされた。
博先生、トシ先生の信心人生、何かしら自分の生い立ちと似ていることもあり、同じ匂いを感じたような気がした。トシ先生との出会いは私にとっては貴重なものとなりました。帰りにはドリームキャンプの事もお願させて頂きました。
*この保原の町は東京電力の原発からはそう遠くはない。町には入ったが人通りが少なく非常に静かだった。 一人の中学生に出会ったが、首から何かぶら下げていた「放射線量測定をするものかなあ」と思った。片方の手にはお水の入ったペットボトルを持っていた。今でも私が住んでいる山口の宇部よりも数段に放射線量は多いようであるが、人体には影響はないと言われている。
トシ先生にお水の事をお聞きしました。「お水の支援などはどうですか?」とお聞きしましたら、「東北センターや郡山教から送られてきています」という事でひと安心しました。
*これからは、出来るだけ多く訪問して近所の状況を調査してみようと思います。何か支援する事が有るかどうかを!! 原発事情は大津波などでの被害とは違う。どのように違うのか確かめたい。70歳になるのにやはり放射線量は怖い。現役の頃、もんじゅの工場の使用済み燃料棒を水の中に治める装置を私が勤めてい社が受注した。私は運転指導書を作成していた関係で放射能の勉強をさせられた。怖さを知る事が出来ましたが実際に稼働する時は赴任していないので、本当の意味での怖さはわからない。おそらく原発被災地の人々も放射線の怖さはわからないでしょう!!それだけに問題は大きいと思うのです。
6、3月20日(木)の活動状況
*この日も他のキャンプ地を訪れるつもりでしたが、宿泊したホテルで朝起きて外を見てみたら大雪でした。「これは大変、早くここを出ないと車を走らせることが出来ない」と思った。事実、ホテルを出てみたら前方が見えないほどの大雪でした。南蔵王にあるホテルでしたので大雪になったのかもしれない。平地に下がるとみぞれになり、だんだんと雨になった。気仙沼に帰り、高橋トシ先生から頂いた本を夢中で読んだ。夜遅くなりましたが、気仙沼も雪となって来た。「明日は春季霊祭だがこれは大雪になりそうだなあ」と、思った。
*吉見音楽コンサートのチラシの印刷に取り掛かった。枚数が多いので時間はかかるが、何とか必要な枚数は印刷できた。
7、3月21日(金)の活動状況
*朝起きたらやはり大雪で、しかも水分の多い雪でした。雪かきを教会長先生・幹雄先生と一緒にしましたが、雪が重く大変な雪かきとなりました。
*少々疲れたので昼ごはんまで休憩して、午後1時からの春季霊際に参拝した。大雪の中を多くの信者さんが参拝された。
8、3月22日(土)の活動状況
*午前中、雪かきで体全体の筋肉が痛むが、岩手県高田市気仙町上長部仮設住宅に3月29日に行う吉見音楽コンサートのチラシを配布した。
*午後からは美紀子先生と本吉町津谷に住んでおられるKさん宅を訪問した。Kさんは落ち込むタイプなので、励ましに行きました。乙女の会にも参加してくれる人でもあります。2時間近くおしゃべりして帰りました。おしゃべりですがこれが良い結果を生む事もあるのです。
*夕方、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅の自治会会長のMさん宅を訪れて4月からの新しい自治会について様子を聞いた。自治会長と副会長は決まったようであるが、色々と人間関係が大変なようである。とにもかくも「自治会の内容がどうであれ我々の活動は今まで通り活動をして行きますから」と伝えた。ボランティア が自治会の中まで入り込むのは、決して良くないと私は思っているので関わることはしない。何とか住民の方達が、生活基盤の住居が決まるまで元気づける活動だけに徹して行きたい。
以上です