報告者:奥原 幹雄
皆様、新年あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
これまで井上さん(日本橋)が担当して下さっておりました現地報告の更新作業を、年明けから引き継がせて頂くことになりましたので、改めましてご挨拶申し上げます。
今後とも、宜しくお願い致します。
1月11日(土)の活動状況【特別篇】
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この活動はあくまでも私(奥原幹雄)の個人的活動がきっかけとなり、連合会の先生方のご賛同を得て実現した活動になります。その為、支援機構のボランティア活動とは異なりますが、2年10ヵ月目の被災地の現実としてご報告させて頂きたいと思いますので、あらかじめご了承ください。
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本日は1月11日。震災から2年と10ヵ月目を迎えました。
今日は午前10時に教会を出発し、車に祭具一式を積んで仙台に向かった。目的地は仙台市営葛岡墓園管理事務所。この葛岡墓園では、震災からこれまで毎月11日の月命日に、震災でお亡くなりになり身元不明となっている方の弔いの儀礼を諸宗教が交代で執り行っている。
今回は金光教の儀礼で執り行うこととなり、東北第一教会連合会の若手教師(有志)で慰霊祭をお仕えさせて頂くことになった。
※これに至る経緯は下記にまとめます。
*祭具を車に積み込んで、午前10時に気仙沼教会を出発。気温-2℃で道路の凍結が多少心配された。
*若柳金成ICから東北道へ入り、築館を通過する頃から吹雪となり視界が真っ白になったが、無事に仙台に到着。
*仙台宮城ICで東北道を降りて、葛岡墓園に向かった。集合時間が14時だったが1時間も前に到着してしまったため広大な葛岡墓園の中を車でドライブし、さらに車を降りて散策して時間を潰した。
*13時半頃駐車場に戻り、本日の祭員の井上先生(石巻)、御船貴行先生(仙台)、西川浩明先生(仙台南部)と合流。
*その後、今回お話をいただいたK牧師(日本キリスト教団)が到着され、墓園管理事務所へと入っていった。
*霊安室が本日の祭典会場であった。霊安室の中に入ると遺骨が5つ並べられてあり、そこには番号札が付けられてあった。身元不明者のため番号で管理されている。
*持参した八足や三宝を並べて祭壇を設えて、二階で更衣を行った。
*参拝者は、キリスト教の牧師3名、僧侶3名、いわき市から来られた方1名、幹事(医療関係者)の方1名で計8名、祭員を含めると合計12名での慰霊祭となった。
*参拝者は、どなたも金光教の儀礼はご存知なく、慣れない手付きで玉串をお供えされた。
*祭典終了後、宮城県宗教法人連絡協議会の流儀に則り、参拝者は各々の宗派の儀礼で弔いを行った。
今回の慰霊祭を通して感じたことは、墓園管理事務所の霊安室に置かれていた5体の遺骨は、その内1体は入れ替わりがあり、残りの4体は震災からずっとそこに置かれたままになっているということを聞いて、何とも言えない気持ちになった。身元不明者ではあるが、それぞれに様々な事情を抱えている。身元が判明していても引き取り手が無かったり、引き取りを拒否されたりというケースもあるようだ。
身元不明の遺骨は県内にはまだ沢山あるようだが、全ての遺骨がこのような弔いをされているのだろうか、という思いも沸いて来る。いずれにしろ、震災から2年10ヵ月が経過したという事実はあるが、現実にはその間ずっと霊安室に置かれている遺骨もあるという現実を改めて目の当たりにさせられた。今更に犠牲となられた御霊様の立ち行きをご祈念させて頂こうという思いが強くなった。
〔今回の経緯〕
本日、この身元不明者の慰霊祭を金光教が執り行うことになった経緯は、私が参加させて頂いた臨床宗教師研修(東北大学 実践宗教学寄付講座)での出会いがご縁となり、今回の慰霊祭が実現した。
仙台市営葛岡斎場における身元不明者を含めた震災犠牲者の弔いを諸宗教合同で行ったことが契機となり、宮城県宗教法人連絡協議会の事業として2011年3月末に「心の相談室」が発足。悲嘆を抱える遺族にたいする包括的支援を継続するために、故岡部健氏が室長となり、宗教者、医療者、宗教学者、グリーフケアの専門家などが協力して、東北大学に事務局をおいた。
「心の相談室」
http://www.sal.tohoku.ac.jp/kokoro/diary.cgi
主な活動として、電話相談、僧侶による移動式傾聴喫茶(Café de Monk)、ラジオ版 Café de Monk(エフエム仙台、過去放送分はyoutubeで視聴可)の運営、仙台市営葛岡斎場における月例合同慰霊祭などを行なっている。