2013/10/31

現地報告(10/29-31)と2013年11月の予定

活動日:2013.10.29-10.31
報告者:清水 幹生

A. 10月29日(火)、10月30日(水)の活動状況
*29日、30日は清水の腰の療養の為ボランティア活動はお休みしました。
 いよいよ10月も終わります。何とか10月も御用が出来ました。
腰に痛みもありますが、若干色々とボランティア活動などの事で考えすぎて悩み、精神的な事も有ったかと思います。腰の方は温泉に浸かり乍ら、広島のマッサージ師Iさんの助言通りにしましたらかなり良くなってきました。
全てを忘れての温泉療養は効果が有ったと思っています。

*11月度の予定をお知らせいたします。
1、11月1日(金) 気仙沼教会の霊神祭(月例祭)の為午後は活動無し。
*午前中:小泉中学校グラウンド仮設住宅の訪問
NPO/NGOの連絡会議
2、11月2日(土)
*岩手県高田市長部(おさべ)仮設住宅へお水とお米の配付。
*4日(月 祭日)の小泉中学校グラウンド仮設住宅での餅つきイベントの準備。
3、11月3日(日)
*奥松島の月浜仮設住宅へ訪問
 18日にバグパイプイベントを行うのでその打合せ。
4、11月4日(月 祭日)
*朝10時から小泉中学校グラウンド仮設住宅で餅つきイベントを行う。
この日は羽田(はた)太鼓保存会が参加してくれる。乙島教会の若先生がボランティアに来て下さる。
5、11月5日(火)
*乙島教会の若先生を田老サポートセンターにお連れして、来年の音楽コンサート開催について時期などについて打合せに行く。
(支援機構の体制は分からないが、継続しなくても田老町の被災者を励ます為には必要な事と考えていますので、必ず実行出来るように方法については考えます)。
*田老町の帰りに越喜来(おきらい)の杉下仮設住宅を訪問する。
6、11月6日(水)
*お米の小分け
*乙島教会の若先生をお連れして仮設住宅を訪問
7、11月7日(木)
*午前中cadoccoの掃除
*午後は乙島教会の若先生を南三陸町の被災地めぐりをしながら大川小学校へ案内する。
8、11月8日(金)
*ボランテイアの受け入れ準備の為金光会館の掃除、寝具の準備を行う
夕方、東京寮のT先生及び学生は車で、元金光学園居られたTさんは列車で来られる。合計6名の参加である。
*午後、NPO/NGOの連絡会議
9、11月9日(土)
*東京寮のT先生一行を含めて6名を気仙沼・高田・大槌町・出来れば田老町までの被災地を案内する。
夕食は美紀子先生不在の為、越喜来(おきらい)の信者さんの経営する嘉宝荘で摂る予定。
10、11月10日(日)
*午前中は東京寮のT先生一行を含めて6名を五右衛門ヶ原仮設住宅でおちゃっこをする予定。
*午後は気仙沼教会の月例祭に参拝する。
11、11月11日(月)
*東京寮のT先生一行含めて6名が東京へ帰られるので、南三陸の被災地を見ながら松島まで案内する。元金光学園のTさんは松島海岸駅から東京へ帰られる。
10日の夕方から味野教会のMさんが来られるので、行動を一緒にと考えている。
12、11月12日(火)から15日(金)
*味野教会のMさんを仮設住宅の草取り及びおちゃっこ、cadoccoの掃除、イベント用の買い物を行って貰う。被災地案内も行う。
*15日(金) 午後、NPO/NGOの連絡会議
13、11月16日(土)
*餅つきイベントの準備
*金光会館の掃除
14、11月17日(日)
*朝10時から12時30分まで、気仙沼公園仮設住宅で餅つきイベントを行う。
この日はバグパイプが参加してくれる。
15、11月18日(月)
*午後1時30分から1時間30分、奥松島の月浜仮設住宅でバグパイプイベントを行う。
16、11月19(火),20日(水)
*イベント及び活動の予定は無し
17、11月21日(木)
*午前中cadoccoの掃除
18、11月22日(金)
*午後気仙沼教会の月例祭参拝。
*午後からのNPO/NGOの連絡会議。
19、23(土)、24日(日)
*イベントの予定は無し、ただし仮設住宅とかみなし住宅への訪問は随時行う。
20、11月28日(木)
*午前中cadoccoの掃除。
*10時30分から乙女の会おちゃっこ。
21、11月29日(金)
NPO/NGOの連絡会議。
22、11月30日(土)
*清水がフォーゲル倶楽部の会議に出席の為ボランティア活動はお休み。
11月に来られる予定があったマッサージ師の方が12月になった。

B.10月31日(木)の活動状況
*午前中、cadoccoの掃除を行った。
*午前10時30分より乙女の会おちゃっこを行った。
今回初めての方・・・小泉の方と、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅からから2名の参加がありました。合計9名でのおちゃっこでした。
徐々にではあるが、新しい人が参加するようになってきた。中には、我々が行う餅つきイベントをお手伝いして下さる方も出てくるようになりました。
家の中に閉じ籠るよりは、今までのお礼を込めてボランティアしたいとの事で、本当にいい方向に進んでいます。
布教活動ではありませんが、教会の談話室で行う”おちゃっこ”。社会へ窓を開いた感じがする。このまま長く継続して行き、人の助かる”おちゃっこ”に成長して行く事になれば良いなあ!!









【つぶやき】
*10月も無事終える事が出来ました。ご支援有難う御座いました。
あと5か月間、精一杯御用させて頂きます。
支援機構は、来年以後の災害ボランティア活動を、さし当り1年間は継続するように決定された。有難い事です。
来年以後の現地代表をお受けするかどうかは、来年3月までの活動を行ってみてその結果で神様が判断されるでしょう!!
全て神様任せです。神様からのお知らせを待っています。
神様のご信頼を得られるような人が助かる活動になれば良いのですが!!
*支援機構にお願いですが、大島が大変な状況です。そちらへボランティア活動に出かけられる人もおられるでしょう!!その人達への支援も必要かと思います。何とかしてあげてください。
以上です。

2013/10/28

現地報告(10/22-28)

活動日:2013.10.22-28
報告者:清水 幹生

1、10月22日(火)の活動状況
*岩手県高田市小友のFさん宅を訪問し1時間おちゃっこした。
Fさんどうやら、災害復興住宅への入居は断念されて、このままプレハブのお店に住まれる事に決められた。災害復興住宅が建つ場所は高台で、「年寄が買い物をしたり、病院に行くのにはとても住める場所ではないし、何時入居出来るかどうかわからない。そんな所、あてには出来ない」と、話されていた。
とにかく、このFさんマイナス思考ではなくプラス思考で前向きに生きておられる。私が訪問すると、とにかよくしゃべられる。初めごろは東北なまりの言葉にはついていけない事が有りましたが、2年以上も経つと理解できなかった言葉が何となく分かるようになるのですね。
年齢も私より一つ若いだけで、同じような年齢で話が合うのかもしれません。
*宇部から布団が届いたので、欲しがっておられた東新城仮設住宅のFさん宅へ届けた。
*宇部から届いた布団を五右衛門ヶ原運動場仮設住宅のOさんへ届けた。
*支援した布団は古い布団ですが、お客様用として使っておられたものを送って下さった。
以前から布団の支援を頼まれていたので、宇部に連絡を取り、「綺麗な布団が有れば送ってほしい」と、お願いしていました。
「いまさら何故布団が欲しいの」と、思われるかもわかりませんが、震災後行政等からの支援された物は、非常に薄く寒さの厳しい東北では耐えられるような品物ではない。別ルートから支援された布団と重ね合わせて使用されている。
東北の寒さは本当に厳しいです。
現在私が使用している布団は支援機構からのものと思います。そんなに薄い物ではありませんが、古いのは確かで、真冬は何枚か重ね合わせないととても寒くて耐えられません。
ボランティアハウスは古い建物で、隙間風は入って来るし、夏は昆虫が入って来ます。色々な昆虫と同居していますよ。
余談になりましたが、支援された布団の替え時に来ていて、必要な方もおられるということなのです。
要望されて支援を望まれる方が出て来たら、改めて皆さんにお願いする事もあるかと思います。その時は宜しくお願いいたします。
*腰の痛みは続いていますが、気に掛かっていた方々に会えることが出来ました。
無事に今日も何とか動く事が出来ました。感謝感謝です。

2、10月23日(水)の活動状況
*腰の痛みがひどく今日は部屋に籠る事が多かったが、お米の購入と来月からのイベントの打合せを電話・メールでさせて貰った。

3、10月24日(木)の活動状況
*腰の痛みは変わらないが、何とか動けるので、午前中はcadoccoの掃除をした。
*午後は部屋で休憩しながら、イベントの打合せ・連絡などをした。

4、10月25日(金)の活動状況
*27日の天ヶ沢仮設住宅での餅つきイベントに羽田太鼓保存会にお願いして了承して貰っていたが、「おたふく風邪がはやり、かなりの人達がかかり太鼓演奏が出来ません」と、連絡が入った。
ボランテイアの人も誰も来ないし、気仙沼教会の方も都合が悪くなり、結局2名の者で餅つきイベントを行わなければならなくなった。
台風の影響で大雨となっており、「もう中止にしようかなあ」と、腰の痛みも治まらないし、ふと弱気になってしまいました。
そんな時、天ヶ沢仮設住宅の自治会会長から、「清水さん、土曜日(26日)の昼から晴れるようですよ」と、餅つきイベントを期待されている様子だった。
「これはいかん、お願いが足りないな!腰の事は神様に任せたはず、何とかなる」と、思いを切り替え、イベント用の買い物に出掛けました。
*雨が止まないので、他の仮設住宅への訪問は中止し、腰の療養に専念する為に昼からは休養した。

5、10月26日(金)の活動状況
*朝、目が覚めてから服を着替える時に腰が、「ギク」とした。もう一度布団に入り眠ったら、朝参りの時間になっていた。
じゃっかん腰の痛みも和らいだようで、「これなら何とか餅つきイベント出来るなあ」と、思った。
でも、なかなか雨は止まない。
昼食後、イベント用のお米を美紀子先生と一緒に小分けした。
*イベント用の材料等を買い足し、もち米を洗いバケツに移し水で浸した。
*気仙沼公園仮設住宅の自治会会長が用事で教会に来られたので、しばらくおちゃっこした。
その席上で来年の1月26日(日)に餅つきをするように決まった。
*午後7時過ぎ雨も止み、星空が見えた。「やったね。これで餅つきイベントは出来る」と、思ったら腰の痛みが和らいるのに気が付いた。
寝る前に金光会館に行きお風呂を沸かして腰を温めながら、マッサージ師の広島のIさんから教わった治療方法で、お風呂の中で太腿をさすり、股関節を揉み解した。
「よしよしこれで明日は大丈夫だろう!!」と、思った。

6、10月27日(日)の活動状況
*朝起きてみたら、空は青空が見える。やったね!!
朝食を済ませて、車に餅つきイベント用の材料・用具などの詰め込みをした。奥原教会長先生と幹雄先生が、荷物運びを手伝ってくださりすべて準備は整え終わった。
*午前9時20分に気仙沼教会の信者のSさん(女性)が来られた。
頼もしい助っ人であるSさん、でもちょっと具合が悪いようであったが、「何とか御用をさせて貰おう」と、思い馳せ参じて下さった。
今日の餅つきイベントのボランティアは私とこのSさんと二人である。
*天ヶ沢仮設住宅に到着したら、住民の方達は既に数人の方達で会場作りをされていた。
手伝うボランティアが少ないので、中止さえしようと思ったのに、今日は住民の方達が準備をしていて下さるではありませんか!!
神様のお計らいにまた、「まいったまいった」です。
小高い所に有る天ヶ沢仮設住宅、50所帯であるが最近はボランティアに来る方達も少ないと聞いている。ボランティアが少なくなって来て自立心が高まって来たのでしょうか!!
*材料や用具を車から降ろしてみたら、肝心なもち米蒸かし器を忘れて来ているのに気付いた。慌てて教会に取に帰った。
これがかえっていい結果をもたらし、Sさんは住民の人達と語り合う事が出来、餅つきについて説明も十分出来たようである。
集会所の中でご婦人たちが餅つきなどの準備をされている間、外では男衆が北海道から伝わって来たという、「ちゃんちゃん焼き」という料理を作っていた。また、数人のご夫人たちは豚汁を作っておられた。

その内、さんまが焼きはじめられた。その焼き方(炭焼き)が非常に上手であった。焼きたてのさんま、美味しかった!!

*11時30分餅つき開始である。
子供が二人、「私にもやらせて!」と、Sさんの側を離れない。男衆も参加されて、餅つきをして下さった。私の出る間はあまり無く、本当に住民の皆さん方が協力して下さった。
前のイベントの時は15名ぐらいで男性は非常に少なかったが、今日は全体で約40名、男性が十数人と多かった。
住民の、「自分たちでやらなくては!」と、云う思いが出て来たのであろうか?
Sさんは、「清水さん、今回初めてですよ、こんなに住民の人達が自分たちで料理を作り、ボランティアの人達に振舞うのは!やはり、『自分たちでやらなくては』と、いう気持ちが出て来たのでしょうね」と、話して下さった。













*最後はビンゴゲーム・じゃんけんゲームで楽しく賑やかに過ごす事が出来ました。
帰る時には、さんま・こんぶ・わかめ・お花等のお土産まで頂いた。
感謝感謝の一日でした。有難う御座いました!!
*教会で後片づけを終えて部屋に帰り、現地レポートの作成に取り掛かった。

7、10月28日(月)の活動状況
*11月4日(月 祭日)は小泉中学校グラウンド仮設住宅で餅つきイベントを予定しているので、チラシを印刷して配布した。
*帰りに気仙沼鉄道の小泉駅周りの写真を撮ってみたが、まだまだ震災後の後片付けは終わっていない。


*千葉さんのフリーダムで昼食をしたが、千葉さんが「清水さん、やっと市がまち作りの青写真を出してくれましたよ。まだまだ最終的な事にはなりませんがね」と、話して下さった。店には顔なじみのお客が来ておられましたが、震災当日の話が出て来ていて、「うちもみんな流されたよ」と、話し声が聞こえた。
もう2年と7ヵ月も経ちますが、復興への道のりが長いせいか、この様な震災当時の様子を話される事を聞く事が多い。
*昼食後、部屋に帰り現地レポートの作成に取り掛かった。
昨日から作成中でしたが、写真の取り込みをするのにミスがあり、お店に行きカメラの取り扱い方を教わって来て、やっと何とかなりました。午後2時過ぎに終える事が出来ました。
*五右衛門ヶ原運動場の自治会会長のNさんから電話が有り、「午後5時過ぎにお願いしたいことが有るので来て頂けませんか?」と、連絡が有りました。現地レポートが書き終えているので良かった。

*写真は、気仙沼被災地の復興工事の様子2枚。

何だか家の土台撤去の作業が早まったような気がします。
先日、プラザホテルのサウナで顔見知りの土建業者同士が話していましたが、「11月一杯で今の作業は完了させろ」と、指令が出たようである。
とても終わりになるような状態ではないが、「来年から東京オリンピックの工事が始まる可能性が高いが、まさかそのせいではあるまいか」と、変に勘ぐってしまう。
被災地の復興工事を遅らせないで、何とか被災者の生活基盤を早く確保して頂きたいものです。
以上です。

2013/10/21

現地報告(10/15-21)

活動日:2013.10.15-21
報告者:清水 幹生

1、10月15日(火)の活動状況
*西日本の松永教会の若先生のA先生が、各教会の子弟5名を連れて朝6時ごろ気仙沼教会に到着された。夜通し車を運転されて来て下さったので、午前中は睡眠を取って頂いた。
*清水は、気仙沼教会の信者Sさんの会社の荷物整理を手伝った。
*午後からは松永教会の若先生A先生・柳井教会の子弟Kさん・松岡教会の子弟Kさん(女性)・出石教会の子弟Oさん・宮崎教会の子弟Mさん安浦教会の子弟Yさん6名でお米の小分けをした。

2、10月16日(水)の活動状況
*午前中、台風の影響でボランティア活動を控えて、松永教会のA先生一行6名の方には奥原教会長先生に震災時の様子をご講義して頂いた。
皆さん熱心に聞かれて、メモを取られていた。
*松永教会A先生一行6名の方を、午後から雨も小降りになり風も収まりましたので、南三陸を南下して石巻の大川小学校までの被災地を案内した。 



3、10月17日(木)の活動状況
*朝8時に松永教会A先生一行6名の方を連れて岩手県宮古市田老町も田老サポートセンターへ向かった。途中、大槌町の被災地を見学し、さらに田老町の世界一強固な防潮堤と云われた防潮堤を見学し、田老町の観光地「三王岩」を見学した後、田老サポートセンターへ向かった。








 *田老サポートセンターに到着した時はお昼を過ぎていたので、たろうちゃんハウスで昼食を済ませた。たろうちゃんハウス2周年記念感謝祭の時、お世話になったたろうちゃんハウス協同組合の事務長とお会いして親交を深める事も出来た。
*午後1時過ぎたが、予定通り田老サポートセンターでおちゃっこをビンゴゲーム・ジャンケンゲームをしながら開催した。
我々が到着した時、すでに仮設住宅から数人の方が来ていた。参加者は職員を含めると約40名でした。




*松永教会A先生一行6名の方達は全員20代で大学生が多かった。
その若さを利用して、ビンゴゲームでビンゴになった人達をエスコートして貰い、景品を取りに来させるようにした。
女性一人を含む6名のエスコート役の中から、好きな人にエスコートして貰い景品を取りに来られた老人の顔は、笑顔一杯で嬉しそうでした。
景品を取りに来る間は手を組んで、皆で歌を歌いながら手拍子を加えて喜びあいました。午後2時30分までの1時間30分はあっという間に終わりました。  


*この田老仮設住宅は、当初は470所帯ありましたが、2年7ヶ月過ぎた現在は370所帯になりました。多少、ご自分で家を建てた方も居れれますが、大半は職を求めて都会へ流出されたようです。
これから先も都会へ出稼ぎに行かれる事が多くなるでしょう!!
私の高校生の頃を思い出します。東北の若い人達が集団就職をする光景をテレビで映していましたが、それと同じような現象が起こりつつあるように思います。取り残されたご老人はどうなるのでしょうか?
田老を後にする前に、ご老人達数名と懇談しましたが、その寂しそうな目・希望の無さそうな雰囲気、忘れる事は出来ません。
帰る時、手を握られて、「また来てね」と、云われ、「はい又来ますからね」と、答えましたが、「こんな事でこの人達の真の助かりになるのであろうか!!」と、自問自答した。
*若い松永教会A先生一行6名の方達のお蔭で田老町のご老人達、「元気貰ったよ」と喜びの声を聞きました。6名の若い方達、本当に有難う御座いました。
*若い松永教会A先生一行6名の方達のご苦労さんに対して、田老を後にした後、「折角東北に来たのだから、太平洋側の断崖絶壁の男性美が見られる場所がこの近くに有るからご案内しますよ」と、岩泉町にある、「熊の鼻」という国立公園を案内した。
気仙沼教会に帰り着いたのは午後7時過ぎでした。 



*若い松永教会A先生一行6名の方達は夕食を済ませ休憩後、午後9時過ぎに車で富山を経由して岡山へと帰られた。
ご苦労様でした!!

4、10月18日(金)の活動状況
ボランティアが全員帰られたので、午前中から、金光会館の掃除とシーツ・枕カバーの洗濯と布団干しを行った。この作業はいつも一日がかりである。
*布団干しの合間に27日(日)に天ヶ沢仮設住宅で行う餅つきイベントのチラシを印刷した。
*31日(木)に教会で行う、「乙女の会のおちゃっこ」の案内を、五右衛門ヶ原テニスコート・東新城の仮設住宅に居られるメンバーにした。

5、10月19日の活動状況
*20日が気仙沼教会の教祖130年記念大祭の為、19、20日はボランテイア活動はお休みにしている。
*ボランテイア活動はお休みにしているが、27日に行う天ヶ沢仮設住宅での餅つきイベントのチラシと、11月4日に行われる小泉中学校グランド仮設住宅の餅つきイベントのポスターを配付しに行った。
*小泉中学校グランド仮設住宅の帰りに、以前、小泉中学校グランド仮設住宅で暮らしておられ、その後家を建てられたKさん宅を訪問した。
Kさんの事は以前から気に掛かっていたのですが、ちょっと時間が空いてしまいました。
Kさんは震災前に御主人を亡くされて、子供さん一人(成人)を連れての生活である。女一人で生活費を稼ぎ暮らしている時に、大震災で大津波に会い住む家も流されてしまった。大震災前からコツコツとお金を貯めていたからこそ家も建てる事が出来た。
それなのに、周りからのやっかみ(妬みとか、うらやましさ等)が酷く、心を痛めて居られ、外を歩く事さえも控えて居られた。私も小さい時親を亡くし周りのいろいろな”やっかみ”に出会ってきた。その度に、「くそーお前らに負けてたまるか?バカヤロー」と、自分にカツを入れて来た。
それゆえKさんには、「そんなやっみを気にしないで切り捨てて、ご自分の人生と跡取りの息子さんの為に、マイナス思考にならずにプラス思考で生きさせて頂きましょう」と、進言した。
信心が有る私が、このKさんなような人になんて言ってあげたらいいのでしょうか?
 「お詫びとこのように家を建てられた事や今までの事に感謝をして」というような、きれい事な言葉は言えない。
自分が経験して来た事をもとにして、信心している現在の私の信心力で助言してあげるしかないのです。

5、10月20日(日)の活動状況
*ボランテイア活動は気仙沼教会の教祖130年祭記念大祭の為に、お休みです。

6、10月21日(月)の活動状況
*18日から体調が悪く、19日の夕方から急に腰が痛くなり、御大祭後は部屋で休息していました。21日も腰の痛みは直らず、床に伏していましたが時折起きて、現地レポートの作成に取り掛かりました。
原因は恐らく神様からのお知らせと思っています。
それは18日(金)に東新城のFさん宅を訪問した時ですが、Fさんのお母さん(83歳)は大震災後体中が痛み始めて、未だ良くなっていません。「お母さんまだ痛みは治まりませんか」と、聞きましたら、「全然良くなりません、金光様、金光様と云いながら痛む手のひらをさすりながらお願いはしていますがね」と、云われる。
このお母さんは信者さんではありませんが、「神様にどのようにしてお祈りすればいいなかねえ」と、神様に心が向き始めています。
しかし、私は痛がられるこのお母さんの様子に対して、今一つ心が籠っていなかったと思うのです。「清水さん長い間来なかったね。元気だった」と、いつもの口癖で云われる。10日間は空けないようにして訪問しており、痛さからの寂しさがそうさせていると思うのですが、「そうそういつも来られないよ」と、心の中で思ってしまった。
こうしてFさん宅を後にする時、「今度はいつ来るの」と、声が掛かる。「間を空けないように来ますよ」と、答えて車の乗って帰る時から、体が重くなって来た。「変だなあ。どうしたのであろうか?と、思いつつ教会に帰った。
19日の夕方から体が段々重くなりましたが、腰はまだ痛みませんでした。20日の御大祭当日服装を整え、靴下をはき終えて体を起こした時から急に腰が痛くなり始めました。教会まで何とか歩いて行けましたが、御大祭後、お直会を頂き後片付けする頃から痛みが激しくなりましたので、部屋に帰り床に就きました。
「夕食ですよ」と、美紀子先生から連絡が有りましたが、教会まで行くのが難しく夕食は断りました。夜になると雨が激しくなりました。トイレは隣の家の物を利用していますが、雨の中を傘をさして行くのが腰が痛くて辛かった。
このような痛みで毎日を暮しておられるFさんのお母さんの辛さが、チョットわかるようになりました。次回の訪問からは、私の態度も良い方に変わると思います。
やはり神様は全てを御存じなのですね!!恐れ入りました。
こうして午後10時過ぎに現地レポートを書き終える事が出来ました。文書は乱れていると思いますが、ご勘弁ください。