2013/04/18

現地報告(4/13-18)


活動日:2013.04.13-18
報告者:清水 幹生

4/13(土)

* 午前中、金光会館とボランテイアハウスの清掃と風通しを行った。
  ボランテイアの皆さんが帰られると一抹の寂しさを感じますが、部屋の掃除や洗濯が待っていますので忙しくなり気が張ってきます。

* 午後からは、14日の越喜来杉下仮設住宅での餅つきイベントの最後の買い物を、美紀子先生と一緒にした。

* 夕方からは餅つき用のもち米を約15kg洗い、五つの入れ物に分けて水に浸した。一昼夜水に浸さないと蒸し上げ状態が悪く、美味しいお餅にならない。

* 夜930分ごろ日本橋教会のIさんを気仙沼駅に迎えに行った。


4/14(日)の活動状況

* 朝食後、準備を整えて美紀子先生・信者さん3名・日本橋教会のIさんと私で2台で越喜来杉下仮設住宅に向かった。またも天気に恵まれて非常にいい天気でした。

* 現地で羽田太鼓保存会の方々と落ち合った。演奏者は22名と多くの方に応援に来て頂いた。臼と杵一式、気仙沼教会の信者さんHさんが持って来られて、「清水さんこの杵と臼一式はお譲りしますので、これからはそちらで管理して下さい」と、臼・杵一式を貰い受ける事になりました。

* 1010分羽田太鼓の演奏が始まった。音を聞きつけて住民の方々が続々と集まりはじめ80名以上の方が参加された。仮設住宅の隣り合せに有る老人ホームの方々も参加されて、太鼓の音に合わせて、手を叩き非常に良い笑顔をしておられた。






















* 30分で太鼓演奏を終わり、いよいよ餅つきの開始である。
  越喜来の信者さんと日本橋教会のIさんがもち米を練り始めましたが、Iさん段々と腰が入るようになり清水の出る時はありませんでした。  
 小さい子供が、「僕もつきたいよ」と、そばに寄って来た。住民のお爺さんが、「よし、わしと一緒にやろう」と、年寄と小さい孫のような子供が楽しそうに餅つきをはじめた。良い状況で、チョッの間だけでも辛い思いを忘れる事が出来れば、幸いである。














* 1時間後に餅つきは終わり、再び羽田太鼓の演奏が始まった。彼らは直接的な津波の被害は受けていないが、職場が海の側で職を失い太鼓保存も危ぶまれてていた。応援するつもりで、太鼓の演奏をお願いし、支援のつもりで寸志をお渡ししている。










* 30分後羽田太鼓の演奏も終わり、最後のビンゴゲームを今度は集会所の中で行った。
  30名近い参加があり、賑やかに楽しく過ごさせて頂きました。




  
餅つきは総勢100名を超える参加者となり、天気にも恵まれて皆さんに喜ばれ良い一日でした。
帰りは嘉宝荘により、弁当を頂きました。何時も弁当は嘉宝荘に頼むが、値段以上に素晴らしい料理で本当に美味しいかった。

女将のKさんは、疲れている顔はしているが以前のような疲れ切った顔ではない。
津波で民宿と本宅を失い、土地なども二束三文で全ての財産を失い疲れ切った顔を私は見守り続けて来た。
だからこそ、今の顔は喜びの顔と分かるのです。
私の家内と同じ年、私と誕生日が同じ日、孫も一日違いと、何となく運命的な出会いと感じている。
さあこれから、この人がどんな生き方をされるかが大きな課題となる。
頑張れよKさん!!

全てを終わり教会に帰り後始末をし信者さんのOさんを自宅まで送りました。
日本橋教会のIさんは、すべての後始末を終えて東京に帰られました。
毎月一回は必ず気仙沼 に訪れる意気込みには、頭が下がります。
Iさん、ご苦労様でした。


4/15(月)

* 急に決まった事ですが、九州のある教会から送られて来た薩摩芋・里芋を、釜石・大石・越喜来・泊・綾里の被災された信者さん宅まで、奥原教会長先生のお供をして届けた。いつも思う事ですが、こんな辺鄙な所まで先覚先師の先生方は布教されて、その凄さに恐れ入っている。
車で一日がかりでしたが、布教された先生は当時どのようにしてこの辺鄙な所に布教されたのであろうかと、思いを巡らされました。

現在、現地スタッフは私一人であるが、手助けしてくれる方々は多い。確かに一人では背負いきれない事もありますが、この辺鄙な所に足を踏み入れると、先覚先師の先生方の事を思えば楽です。腹を据えて被災者の方々に心を寄せて行かねば、先覚先師の先生方に申し訳ないと褌のひもを締めなおすというか、心を引き締めることになった。


4/16(火)

* 花粉症がひどく体調が悪い。午前中はパソコンと睨めっこ、Windows8いまいち操作が分からない。かたくなった我が脳みそを刺激しながら、勉強している。
会計を見ながら、随分4月はお金を使っているなあ!と思いつつ、「本当にお役に立つ支援が出来ているのか」と、ついつい余計な事が頭をよぎる。

* 体調が悪いが部屋でパソコンと睨めっこするよりは、やはり現場に出て行く事が一番と思いを変えて、しばらく行っていない岩手県高田市の小友にいる散髪屋を営んでいるFんを訪ねた。
  やはり一人ぽちっちでしたが、元気そうであった。「清水さん元気だった、おしゃべりが一番元気になるよ」と、1時間近く話し込んだ。
  次男夫婦と孫さん二人を失い、希望も夢も無くしてしまったFさん、多くの人達とおちゃっこをする事を楽しみとしている。
  私には子供もいるし、孫も5人と恵まれている。少々問題があっても子孫が続く事は大きなお蔭である。
  またまた、Fさんから元気を貰った。

* 気仙沼教会のご子息である幹雄さんが、学院を無事卒業されて帰って来られた。子供たちは当然喜んでいるが、奥様の何とも言えない笑顔が印象的でした。


4/17(水)

* 上長部の仮設住宅を訪れた。
  先日ここでバグパイプの演奏をした時、演奏を始めた途端頭を抱えて部屋から出て行った自治会会長の奥さんの事が気に掛かっていた。
  お米を手土産にお宅を訪れたら、元気なお顔で出て来られた。
  「そんなに津波の音が凄かったのですか?」と、聞いてみたら、「それは凄くてバグパイプの音を聞いたら思い出して頭が痛くなったの」と、話して下さった。
  よかれとした事が、場合によっては大きなダメージを与える事になりかねない。
  「ごめんなさいね、知らない事と言え辛い事を思い出させてしまい」と、話したら、
  「それは仕方ないよ、それよりジャンケンゲームは楽しかったよ、久しぶりに良く笑ったよ」と、私を慰めて下さった。
  「今度は若い男女の歌手が来るからね、今度はやさしい音色と思うから56日の午前中に訪れるけれど、良いですか?」と、お願いしたら快くOKを頂いた。
  そのうち部屋の中からご主人が、「生ワカメを持って行けよ」と、取り立ての生ワカメを下さった。
  お蔭を頂きましたよ皆さん!!

* 上長部を後にして今度は小友の地区会長のWさんを訪ねた。
  モビリア仮設住宅でのバグパイプ演奏の橋渡しをして下さったお礼をする為にお米を手土産に訪れたのです。
  「清水さん今度は小友小学校で演奏して貰ったらどうであろうか?きっと子供たちの為になるよ」と、提案して下さった。


4/18(木)

* 朝の御祈念は幹雄さんが就かれ、教話をされた。
  これから毎日、幹雄さんが教話もされるようである。
  いよいよバトンタッチの始まりである。

* 午前中はcadoccoの清掃を一人で行い昼まで掛かりました。

* 午後からは、幹雄さんを南町の各会長に合わせ御挨拶をしました。
  あとは、仮設住宅を回り挨拶に回るつもりです。

* 午後3時過ぎに岩手県高田市気仙町の仮設住宅に、九州から送られて来た薩摩芋を配布した。

* 夕食後、現地レポートの作成に取り掛かりやっと10時過ぎに書き終えるところである。
  
ドリームキャンプの気仙沼用のポスターの原案が出来上がり、cadoccoの責任者である坂本さんに見せて了解して貰った。
フォーゲル倶楽部に送り多少修正して完成させる。
今月中には南町及び仮設住宅にポスターを貼りに行き、申し込みを受け入れる事になる。
すでに何人かは申し込みを口頭ではあるが受けている。

以上です