2014/02/17

現地報告(2/8-2/17)

活動日:2014.2.8-17
報告者:清水幹生

 
 
1、2月8日(土)の活動状況
 
*朝のご祈念中に東京方面からYさんが到着された。
*2月1日~2月7日までの現地レポートの作成に取りかかった。
*イベント・おちゃっこの買い物をした。Yさん・美紀子先生・清水の3人でスーパーマーケットに出かけて買い物をした。
*イベントに参加するために、バグパイプの加藤さんが午後4時30分頃、教会に到着した。


 
2、2月9日(日)の活動状況
 
*朝のご祈念後、教会前の坂道の雪かきを行った。教会長先生・幹雄先生・バグパイプの加藤さん・東京方面から来られたYさん・清水の5人で行った。
*大雪が降る中、岩手県宮古市田老町の田老サポートセンターへ、バグパイプ演奏・おちゃっこを行なう約束を守るために、朝8時過ぎにYさん・バグパイプの加藤さんを連れて教会を出発した。岩手県大船渡市三陸町に有る三陸道の駅まで来た時、大吹雪となり、これ以上進むことは危険だと判断したその時、田老サポートセンタのNさんから電話があり、「清水さん、こちらも大雪で大変です。仮設住宅の人達の参加も少ないと思うし、清水さんも大変でしょうから今度、雪の降らない時に来て下さい」という事で、結局教会へ帰る事になった。
 

 
*教会前の坂道の下まで帰り着いた時、坂道を上ろうとしたら、ステップワゴン車はスリップして上れない。そこで、坂の下の所に車を置き、坂の下から教会までの坂道の雪かきを行なう事になった。約2時間かけてYさん・加藤さん・幹雄先生・清水の4人で何とか全部取り除く事が出来て、ステップワゴン車は教会の駐車場に無事に到着する事が出来た。今日のボランティア活動は雪かきで終わった。
*夕食時、Yさん・加藤さん・清水の3人でボランティア活動について話す事が出来た。加藤さんの戦場ジャーナリストをしておられた時の話も聞かれ、楽しく夕食が出来た。また、Yさんの一級建築士として被災地の建物の建て方についても、色々と話して下さり、勉強になりました。

 
 
3、2月10日(月)の活動状況
 
*東京方面から来られたYさんは朝の8時41分の列車で帰られた。ご苦労様でした。
*岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)杉仮設住宅で行なう、バグパイプ演奏とおちゃっこを行なうために朝8時30分に教会を出発した。バグパイプの加藤さんをお連れして、残雪のある中をステップワゴン車を走らせた。越喜来までの道のりは心配するほどの事は無く、無事に杉下仮設住宅に上る坂道まで到着した。坂道は残雪が多く、スリップしながらも何とか仮設住宅へ到着した。
*今年初めてのイベント、遠い越喜来までバブパイプの加藤さんが来られて杉下の仮設住宅の人々は30数名もの参加があり楽しくして頂きました。中には、バグパイプ演奏に合わして踊る方も居られて一段とムードが高まりました。「 スカートの下は何かはいているの?寒くない」等と、色々な質問も出ました。最後はいつものようにビンゴゲーム、ジャンケンゲームで景品を持ち帰って頂きました。
 

 
 
*帰りの時はやはり急坂に残っている残雪が心配でしたが、若干スリップしたが無事教会に到着した。
*杉下仮設住宅でのイベントを済ませて、急いで昼食をとり、午後1時30分からの気仙沼教会の月例祭に参拝した。
*月例祭後、お米の小分けをした。


 
4、2月11日(火 祝日)の活動状況
 
*小泉中学校グランド仮設住宅でのバグパイプの演奏とおちゃっこイベントに行くために、8時30分頃荷物をステップワゴン車に荷物を詰め込んだ。
*バグパイプの加藤さん・清水の2人で9時頃小泉中学校グランド仮設住宅へ向かった。国道45号線上の残雪は殆ど問題なかったが、小泉中学校グランド仮設住宅へ上る坂道は残雪があり凍結した箇所がありましたので、上り坂下から勢いをつけてステップワゴン車を発信させたら辛うじて、高台の頂上にたどり着いた。四輪駆動車であれば苦労せずに済みましたが・・・。
*集会所に到着し荷物を降ろす頃、自治会長の奥様や数人の方が、お手伝いに来てくださった。自治会長は、ぎっくり腰となり動けないようでした。
*10時頃、バグパイプの加藤さんは演奏の準備もできたので、集会所周りをバグパイプを演奏しながら練り歩いて頂いた。10時30分から集会所内でバグパイプの演奏を開始した。最初は10数人の参加者でしたが、最終的には30数人の参加者となった。ここでも、色々と質問が出ていましたが、男性がスカートをはいている事に注目が集まっていました。
*約45分間バグパイプの演奏をして頂き、最後はビンゴゲーム・ジャンケンゲームを行ないました。
 





 
*ここの仮設住宅は100所帯の入居者がありましたが、現在は家を建てたり、都会に移転したりなどで70所帯ぐらいになっている。ここも結構、貧困の差があるようで、自力で家を建てて出て行かれる方は良いのですが、最後まで残られる方達は災害復興住宅が建つのを待つしかないのです。復興住宅に入居出来るまでには「後3年は掛かるのでは!?」と、自治会長が話されていた。でもこの小泉中学校グランド仮設住宅は、学校のグランドに建てられたもので、早い時点で他の仮設住宅へ移動する時が来るかもしれないのです。ちょっとでも元気で楽しくして頂きたいと思い、景品(ほとんどが生活用品)を準備してビンゴゲーム・ジャンケンゲームを行なっているのです。
* イベント終了後、加藤さんを松島で送る事にしました。志津川から海岸線を通り石巻市に入るところに大指(おおさし)という地区があります。小さな地区ですが断崖絶壁の下に港があり、集落がありました。その集落は大津波で全て破壊されて10数件の方達が仮設住宅に入居されている。国道398号線の傍にあり、以前からここを通過する度に気に掛かっていた仮設住宅でした。「バグパイプを演奏しながらなんとかイベントが出来ないものか」と、思っていました。今回、良い機会なので寄って交渉してみようと思ったのです。
*大指地区を訪れる前に志津川の大森地区という場所があり、そこで大森食堂を営んで居られるWさんの所で昼食をとりました。大森地区はすぐ目の前が港です。大震災の有った年の4月、がれきの山の間で加藤さんはバグパイプを演奏されました。加藤さんが演奏された場所は大森食堂から800メートル離れた所にあるのですが、Wさんは「何にもないがれきの中から、聞きなれない音が聞こえてきたんだなあ」と話されていたが、きっと傷んだ心を癒されたのだと思う。そのWさんに気仙沼教会の信者さんSさんの事を聞いてみました。Sさんはこの志津川でふとん屋を営んで居られた方で未だご遺体は発見されていない。「あのSさんですか、あの人を知らない人はこの志津川でいないと思いますよ。人の面倒見が良く本当に良い人でした。お店の3階に逃げて居られたのに、何があったのかわからないが、1階に降りて来た所を大津波に襲われたようです。あのまま3階に居ればたぶん助かったであろうに」と、話して下さった。Wさんも今営んで居られる場所で大森食堂を経営しておられたが、大津波で全てを無くされている。息子さんが北海道から帰られてきて、この大森食堂の後を継ぐようである。若い人が帰ってきてお店を継ぐ話を聞いて、「ああ良かったなあ」と思いました。

おおもり食堂
 
*志津川を後にして、海岸線を走る国道398号線を車を走らせ、大指に到着した。仮設住宅のあるお宅を訪問して、仮設住宅の自治会長宅を教えて頂きためお尋ねしたら、「ここは大指地区でこの仮設住宅を管理していますので、地区会長に聞いて下さい」と、言われて地区会長のお宅を教えて頂いた。その地区会長宅を訪問してバグパイプの演奏とおちゃっこイベントの話をしましたら、「それは有りがたいのですが、そろそろワカメの作業が始まるので、6月に来ていただけませんか。ここは辺鄙な所でなかなかボランティアさんも支援して下さる方も少ない所ですので、ぜひ来て下さい」と、言われましたので、私と加藤さんの名刺とイベントのチラシをお渡ししました。加藤さんに「これで6月に来れますね」と、話しました。また一つ絆が生まれました。

 
*大指を後にして、松島駅まで加藤さんを送り気仙沼に帰りました。少々疲れはしましたが、新しい小さな集落の方達と絆が生まれた事に喜びを感じて、今日の活動を終える事が出来ました。
 


5、2月12日(水)の活動状況

*金光会館の掃除とシーツなどの選択を行なった。
*16日(日)に気仙沼公園仮設住宅でのバグパイプの演奏とおちゃっこのチラシを作成し、各家庭に配布した。
 

 
6、2月13日(木)の活動状況
 
*午前中cadoccoの清掃作業を行なった。
*午後から15日、16日のイベント用の買い出しに美紀子先生とスーパーマーケットに出かけた。とうとう支援機構から毎月頂く現地活動費が底をついた。「何だかお金の振り込みをお願いするのに気が引けるが致し方ないなぁ」と思ったが、資金が無ければ活動は出来ない。
*2月で私が現地代表となり1年となりますので、現地費用を集計して解析し、来季(この4月から)の予算を決めるのに役立てる作業に取り掛かった。

 
 
7、2月14日(金)の活動状況
 
*現地レポートの作成に取りかかったが、来季の予算をはじき出すための作業にも取り掛かっていたが、ある方からのご指摘のメールがあり、その事が気に掛かりなかなか作業が前に進まない。考えすぎるのか、とうとう朝方まで寝る事が出来なかった。「私には支援機構現地代表のご用は無理なのかなあ」と、ついついマイナス思考になってしまう。少々の事には落ち込むことは無いのだが、ちょっと今回はまいりました。
*夕方、バグパイプの加藤さんが明日からの2日間、イベントに参加する為に再度到着された。
*夕方から15日(土)に田中前仮設住宅で行なう餅つきイベントのもち米を洗い水に浸した。

 
 
8、2月15日(土)の活動状況
 
*寝不足ながら2時間足らずの睡眠で朝の御祈念時には目が覚めた。風も強く雪が舞っていた。「餅つきできるかなあ」と、心配した。
*朝食後、加藤さんを連れて餅つきイベントの現地、田中前仮設住宅に向かう事にした。「清水さん、もち米はお水に浸してているのだろう、餅つきしたほうが良いよ」と、奥原教会長先生からの助言で若干元気を頂きましたが、この風が強く雪の中で餅つきが出来るかどうかはわからない。
*田中前仮設住宅の自治会長宅を訪問して、「今日、このようは状態の中で餅つきしますか?」と、伺ったら「金光さんさえ良ければぜひやって下さい」と、言われたので決行することにした。「じゃあお願いですが、もち米を蒸かすのに集会所の台所を使わせて下さい。餅つきは集会所横で搗き(つき)ます。集会所中ではとても餅つきは出来ませんので」と、お願いして、つきの時にずぶ濡れになる事を覚悟して、急いで教会に帰り 準備を整えた。準備をしている時に、気仙沼公園仮設住宅のOさんが応援に来て下さった。有りがたかった。助け船が一人でも欲しい時だけに涙が出るほど嬉しかった。
*数名の方が集会所に来て下さり準備を整える事が出来た。第1回のドリームキャンプに来てくださったOさんも、手伝いに来てくださった。「ことしはぜひキャンプに参加して下さい」と、言ったら。「こんな大きなおなかでは参加は無理ですよね」と大きなおなかを私に見せて下さった。あの目の吊り上がった顔つきは無く、何だか穏やかで明るい顔つきでした。「女性は、子供が出来るとこんなに違うものなのか?」と思いつつ、「子供さんさえ良ければ私たちが面倒を見ますから参加させてやって下さい」と、お願いした。傍に3人の子供がいたので、頭をさすりながら、「さあ今年はキャンプに参加するんだぞ」と、言ったら笑顔で、「うん」と、言ってくれた。
 






 
*餅つきは二臼でしたが、雪の降る中を自治会長の御主人と私で搗き(つき)あげる事が出来ました。バグパイプの加藤さんは、餅つきの間中バグパイプを演奏して下さった。住民の参加も確か子供を合わせると十数名であったかと思う。最後はやはりビンゴゲーム・ジャンケンゲームを行ない、バグパイプの演奏も狭い集会所ではあるが演奏して頂いた。
*12時30分には無事終えて教会に帰る事が出来ました。気仙沼公園仮設住宅のOさん応援有難うござ御座いました。部屋に帰り、寒気がしたので下着から全てを着替えると生き返ったような気分でした。
*夕食時は奥原先生ご夫婦を加えてちょっとお酒を飲みながら談話したが、加藤さんの話は面白い。加藤さんは早稲田大学の工学部を出て居られる。一時は、建設会社に勤められていた方で、職種は私と同じようなプラントの建設であった。


 
9、2月16日(日)の活動状況
 
*寝すぎて奥原先生を駅まで送る事をついつい忘れるところであった。今日は盛岡教会の月例祭であった。
*朝の御祈念時にどうも体の調子悪い。お腹が痛いしやや熱ぽっい。お願いしながらの御祈念でしたが、一向に良くならない。ご祈念後トイレに行ったが、お腹が張るのに出るものが出ない。「金光様何とかして」と、お願いするがなかなか良くならない。今日は、気仙沼公園仮設住宅のバグパイプの演奏とおちゃっこイベントである。何とか体調が良くならなければと思うが良くならない。「神様、何か私にご無礼が有りましたか、気が付きませんがご無礼が有りましたらお許し下さい」と、お願いするが良くならず、とうとう汚い話で悪いですが、肛門が痛み始めて血が滲むようになってしまった。「私は、何か相当なご無礼をしたのであろうなあ」と、ふと、「あのご指摘頂いたメールの事で不足に思ったことなのであろうか」と、思わされて、「すみません」と、お詫びするもどうしても合点が出来なかった。
*出かける準備をして、加藤さんと美紀子先生をお連れして気仙沼公園仮設住宅に向かった。荷物を集会所に降ろす間に、またもトイレに行きたくなり行ったが、出るものは出ず、ますますお腹が張る。時間が来たので、加藤さんに仮設住宅の周りをバグパイプを演奏して頂きながら練り歩いて頂いた。おかげで50数名の方が参加されて賑やかなイベントとなりました
*やはりここでも男がスカートをはいているのが気に掛かるようであった。小さな子供たちが数名いて、演奏をして室内をまわる加藤さんの後をついて歩く。45分間演奏して頂いた後、あるお年寄りが、「日本の軍艦マーチを演奏して欲しい」と、リクエストが有り、加藤さん何とか演奏して頂き、そのお年寄りを喜ばせる事が出来た。
*バグパイプ演奏の後、いよいよビンゴゲーム・ジャンケンゲームの始まりである。住民の目つきが変わり、雰囲気が盛り上がって来るのが肌で感じられる。お腹の痛いのも・お腹が張って来るのも忘れて大きな声で皆さんに呼びかける。反応は強い。ここにはデジタル式のビンゴが有るので、私がスタートボタン押して、住民の方にストップボタンを押すと自動的にナンバーが出てくる仕掛けである。住民と一体になるには、このデジタル式ビンゴは非常に面白く楽しめる。今日も住民の方に喜んで頂いた。
 







 
*イベントを終えて教会に帰り、直ぐにトイレに駆け込んだら、あら不思議!?出るものがちゃんと出ました。ただ、肛門をお水で洗うと滲みて痛い。痛くても出るものが出る事は本当に有り難い。私の現役のころの仕事、化学プラント工場建設が終わり、いち早く立ち上げるのが工場内から出てくる汚染された水の処理工場である。これがうまく動かなければ全工場を立ち上げる事は出来ない。人間の体の仕組みと同じであるのです。美紀子先生から貰った下剤を多く飲みましたが、これが後から災いの元となるのである。それにしても、気仙沼公園の仮設住宅の方々の役員の方が良くお手伝い下さった。 有難うございました。
*加藤さんが14時20分の列車で帰られるので駅まで送り、美紀子先生と夕食の買い物に出かけた。さあ、いよいよ始まりである、あの下剤の飲みすぎで下痢の連続が始まった。この下痢は翌朝まで続き、奥原先生が、「トイレ困るだろう」と、教会の玄関のカギを貸して下さった。ボランティアハウスにはトイレが無いのである。


 
10、2月17日(月)の活動状況
 
*現地レポート作成に取り掛かった。作成に取り掛かっているうちに、現地経費が振り込まれたメールが届いた。これで明日からの活動費を賄えることが出来る。ホットしています。
*まだ体の調子は良くはありませんが、現地レポートの作成もほぼ終える事が出来ました。遅くなりましたが、もうじき提出いたします。
 
以上です。