2014/02/03

現地報告(1/25‐1/31)

活動日:2014.1.25-31
報告者:清水幹生

1、1月25日(土)の活動状況

*午前中、福岡から来られたMさん、広島から来られたYさんお二人を連れて五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅に向かった。冬物の衣料を頼まれていたので、支援者の方から送って貰っていた物を届けに行った。
1時間おちゃっこして談話していると、「清水さん若いご婦人が幼子を抱えて入居して来たのだけれども、1歳と2ヵ月の男の子だけども服が少ないの。何とかならない。」と、支援のお願いが有りました。Mさんが、「清水さん私の娘に頼んでみるから」と、その場で娘さんに電話連絡されて、支援して下さることになった。有りがたい事です。Mさん有難う御座います。 
 
*26日(日)に五右衛門ヶ原野球場仮設住宅で行う餅つきの準備した。Mさん、Yさんの手際の良さで速く作業が終わりました。
  
*午後3時頃からMさん、Yさんを厳美峡までご案内した。

 
2、1月26日(日)の活動状況
 
*Mさん、Yさんは朝の6時57分の列車で帰られるので気仙沼駅まで送った
  一週間、ご苦労様でした。有難う御座いました。

* 朝の8時30分頃から幹雄先生と清水で餅つきの道具・材料及びビンゴゲームの景品等を車に積み込んだ。
 
* 9時30分前に、小泉からKさん(女性)、気仙沼公園仮設住宅からOさん(女性)の被災者の方、気仙沼教会信者のOさんが応援に駆け付けて下さった。
気仙沼公園仮設住宅のOさんに軽トラを運転して頂き、2台の車で現地の五右衛門ヶ原仮設住宅に向かった。美紀子先生を含めて5名のスタッフで餅つきイベントの開始である

*現地に到着すると自治会会長のSさんが出迎えて下さった。集会所前に車を横付けにしていると、元気の良い若い(30歳後半?)方が来られて、あの重い臼を一人で抱えて指定の場所に降ろしてくれた。そのうち数人の女性や男性の方が来られて、荷物を降ろしてくれた。この仮設住宅では、ある時期まではこのように多くの人が手伝うような事は殆ど無かったが、なかなか良いムードになって来たようである。
*もち米を蒸かし器に移し10時20分、蒸かし開始である。集会所の中では大根擦りを男性がしていた。今日は寒さのせいか、もち米の蒸かしに時間が掛かる。11時にひと臼めの餅つきを開始した。
 
*総勢40数名の参加者が有り、お餅も3臼ついたが全て無くなった。  

*最後はビンゴゲーム・ジャンケンゲームである。何故かこれが一番盛り上がる。この仮設住宅は100所帯、100所帯全員に景品は準備しない。貰って当たり前という思い、自立心を損なうような過分な支援物資は準備しない方が良いのです。皆で楽しみ賑やかに過ごす事で絆も強くなり、被災者のお互いが助け合うムードが出来てくればそれで良いのです。その為のビンゴゲーム・ジャンケンゲームなのです。
 
 
 


        
 
*予定時間を過ぎてしまい、寒かったせいもあり降雪が心配されたが、雪は降らず無事に餅つきイベントを終える事が出来た。他の仮設住宅から応援に来て下さったOさん・Kさん、この仮設住宅の方達の中で打ち解けておられた。教会に帰り、後片付けをして全てが完了した。その後、信者さんのOさんを自宅まで送り、私の今日の活動も無事終わりとなりました。皆さん有難う御座いました。

3、1月27日(月)の活動状況
 
*午前中、小泉中学校グランド仮設住宅の自治会会長宅を訪問した。2月11日(水 祝日)に、バグパイプ演奏とおちゃっこイベントを行う事を提案し、了承して頂いた。この時、自治会会長の奥さんは、「清水さん災害復興住宅に入る事は決まったけれども、入居するのにはもう3年掛かりそうなのよ、それまではこの仮設住宅に居るようになると思う。だから今まで通り宜しくお願いしますね」と、深々と頭を下げられてお願いされた。
この地方は、経済力のある方が多いのか高台に家を建てられて仮設住宅を出て行かれる方が多い。経済力の差を感じ、「弱いものは何時でも最後になるのだなあ!?」と、たいした手助けも出来ない自分の活動に、行き詰まりを感じる。

*「甫嶺仮設住宅に長く行っていないなあ!」と、思い直ぐに午後から岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)甫嶺(ほれい)の仮設住宅へ向かった。この仮設住宅には2人の女性が行政から雇われて、駐在して仮設住宅の方々の面倒を見て居られる。このお二人も被災者で、家(隣の泊地区の方)を津波で流されている。久しぶりにお会いするお二人、お元気でした。
仮設住宅(23所帯)の様子を聞いてみたら、「この仮設住宅に入居されている方の多くは家は流されている訳ではなく半壊されていて、今は修理されて仮設住宅を出て行かれる方が多いです。残りの方々は昼間は働きに出て行かれていて、2,3人ぐらいの方しか昼間は居ません。私達は土・日は休みなのでボランティアに来られても、お世話をする人が居ません」と、話されていた。



4、1月28日(火)の活動状況

*岩手県宮古市田老町の田老サポートセンターへ1月31日(金)に訪問する事を連絡しOKを頂いた。目的は2月9日(日)に行う予定のバグパイプ演奏とおちゃっこイベントの打合せの為である。

*気仙沼公園仮設住宅の自治会会長のTさんに連絡し、2月16日(日)におちゃっこイベントを提案して了承を頂いた。
 
* 2月度の活動予定の作成に取り掛かった。

 
5、1月29日(水)の活動状況
 
*岩手県高田市気仙町上長部(かみおさべ)の仮設住宅の自治会会長宅を訪問し、信念の挨拶をした。

*岩手県高田市気仙町裏仮設住宅の詩吟の先生Sさん宅を訪問し、新年の挨拶と「今年は是非、仮設住宅で詩吟の演奏をしましょう」と、提案した。



6、1月30日(木)の活動状況
 
*午前中。cadoccoの清掃作業を行った。
 
*10時30分から乙女の会が始まるので、東新城仮設住宅のFさん親子を迎えに行った。西八幡仮設住宅のKさん、小泉からKさん、気仙沼公園仮設住宅からOさん、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅のMさん、そして気仙沼教会の信者Oさん、そして気仙沼教会教会長先生ご夫婦及び清水の10人で、気仙沼教会の談話室で乙女の会が始まった。参加者の持って来られた料理と美紀子先生の手料理を頂きながら、談話が始まった。

*始めのうちは普通の御婦人方のお喋りでしたが、だんだんと大震災当日の生々しい話になって来た。仮設から来られた人たちは、全員辛い悲しい経験をしている。話しながら、涙ぐむ人も有り、「どんなに辛く悲しかったのか」と、全国の皆さんに伝えたいのですが言葉では表現できません。
鹿折地区は大津波と火事で全滅です。
ある人は「車の中でお母さんが3人の子供を抱えている状態で御遺体が発見されたのよ。
かわいそうで、とても見ては居れなかった」とか、「自宅に居て逃げなくても大丈夫だろうと思っていたら」、「津波が来るぞ逃げろ」と、云う放送で慌てて外に出たらもう津波は目の前。
鹿折唐桑駅の向こうまで逃げて間一髪助かった」と、話された方も居た。
小泉の方は、「小泉の町は小高い丘の上に有った家も含めて町全体が大津波で流されて全滅。私たち親子も命だけは助かったけれども全てを失った」と、話された。私はただだだ聞くだけで何の言葉も発する事は出来なかった。
 


 
*乙女の会は気仙沼教会教会長先生ご夫婦と清水を含めて10名でした。被災状況を話された方達は、「こうして3年経つけども、何とか生活出来ているのはボランティアさん達のお蔭だけど、住居を得て安定した生活が出来るようになった時、恩返しをしようとしても、もうその時は恩を受けた人は居ないのよね。どうしたら良いのだろう」と、云う言葉出ました。「恩を受けた人に恩返しは出来ないけれども、そのお礼は同じ人ではなく助けてあげないといけない人達に尽くしてあげたら良いのではありませんか」とある方が話された。
今回の乙女の会は被災者の方達は着実に心が復興に向き始めている事が分かった。この乙女の会継続して行きたい!!

 
*南町紫市場の坂本さんから、「清水さん3月8日(土)に餅つきをして欲しいんだけど」と、云われて、8日の午後1時30分から餅つきを行うように決定した。
 
*夕方、田中前公園仮設住宅を訪れた時、餅つきの話が出て2月15日(土)10時~12時で餅つきおちゃっこイベントをする事になった。

※今後のスケジュール--------------------
 

★2月15日(土)10時~12時 餅つきイベント(田中前公園仮設住宅)

★3月8日(土)13時半~ 餅つきイベント(南町紫市場)

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7、1月31日(金)の活動状況
 
* 2月9日(日)に岩手県宮古市田老町の田老サポートを訪れた。
バグパイプ演奏とおちゃっこイベントの開催について打合せを行った。ビンゴゲームとジャンケンゲームを行い景品を渡す事も説明した。また、担当者のNさんから、「清水さん、時期はお任せいたしますが、餅つきをして頂けませんか」と、頼まれた。「470所帯分、何臼つけばいいかなあ!!」と、チョット見当がつかないが気を引き締めて頑張るしかない。
 




*昨年、田老サポートセンターを訪れた時、田老町にもう一つ有る樫内(かしない)の仮設住宅の方が居て、「私たちの仮設住宅にも来てよ」と、云われていました。田老サポートセンターの担当者Nさんにお願いして、宮古市社会福祉協議会田老福祉センターに問い合わせていた頂き「宮古市社会福祉協議会田老福祉センターに連絡頂き登録して頂ければ、いつでもイベントを開くのは構いません」と、了承の回答を頂きました。
田老サポートセンターでの打合せを済ませて、田老サポートセンターの直ぐ側に有るたろうちゃんハウス(商店街)で昼食をした後、樫内(かしない)に行き、場所の確認および仮設住宅を見に行きました。樫内と云う所はすぐ目の前が太平洋で断崖絶壁の地です。眺めは素晴らしく、神様からのご褒美でしょうか、その一番見晴らしの良い高台には洋館建てのコーヒー店があり美味しいコーヒーを頂く事が出来ました。風景を楽しみながら、暫くゆっくりとさせて頂きました。