報告者:清水 幹生
故郷の宇部に10日間帰って来ました。
首都圏金光教・支援機構・金光教本部・東北教区におけるドリームキャンプの事等でいろいろと悩んでいました。
ボランテイア活動の支援の在り方とか、被災地の現状を的確に伝えられない事、被災地への心の寄せ方、ドリームキャンプについての思い方の違いなどで少々気が滅入って、「もういいや、どうにでもなれ!」と、現地を飛び出したくもなった。
その度に、「お前はそれで良いのか!神様は何のためにお前を気仙沼派遣されたのだ」と、我が心が問いかけて来て、何とか思い直しながら、活動して来た。
だがもう限界を感じ、「一度故郷の宇部に帰ろう」と思い、現地を空ける良い時期を選んで故郷の宇部に帰った。
正直な所、宇部に帰り家族たちと接していると、「このまま宇部に居たいなあ」と、思いました。
そうすると、被災者の方達の顔が浮かび、「あの人達は帰る家もないし、ホットする場もないのだ。今の自分の様なホットする場を作らなければいけないし、自分と接して下さり、「清水さんと会うとホットするよ」と、云われるようにならなければ!」と、思いを新たにさせられました。
先日、ある仮設住宅のあるお宅に顔を見せに行きました。「清水さん帰って来たのね!嬉しい、心強くなるよ」と、云われ一瞬驚きました。
この人の様な人が増えて来てくれると、「ああ神様の御用が出来ているのだなあ!」と、嬉しくなるしありがたく思います。
私は、自分の辛い事・悲しい事・苦しい事等を経験して来たことを思い出しながら、被災者の方達に接して様子を見ています。
震災後2年経ち、やっと自分に心を開いて下さるようになって来た。
「家内が具合が悪くなり入院したのよ」と、泣きながら語ってくれた人もあり、その時は病院へお見舞いに行きました。
「自分の女房が具合が悪くなったら、俺はどんな行動をするのかなあ!」と、自分に置き換えて見ました。そうしたら、病院へ足が向いていました。
私は思うのです。現在の被災者への支援は心と心の接し方だと思うのです。いかにして相手の事が自分の事のようぬ思えるか!と云う事が大切と思うのです。
被災者が悲しい思いをしている時は、一緒に涙を流し心の傷を共有してあげれば良い。
そうすると、長期に滞在せねばなりません。言い方を変えれば”エンドレス”になりかねません。いつかは、見切りをつけて帰るようになるでしょうが!!
せめて、災害復興住宅や集団移転先が決まり、生活の基盤が安定するまでは!と、思うが自分の気力がいつまで持続出来るかはわからない。
もうじき70歳になるが、幸いにも健康のお蔭を頂いている。
もうまわりの事には囚われず、目の前の難儀をされている人達の事だけを考え・思い、活動に専念する事にします。
自分の主観を皆様方に述べすぎ、皆さん方を責めて来た事に気付きました。
ご無礼をお許しください。
今後は、自分の主観は控えて現地の活動状況だけを報告する事にします。
6/8(土)から6/13(木)までの現地活動状況
6/8(土)
*五右衛門ヶ原の運動場仮設住宅に11日19時から21時まで音楽イベントを開くので、チラシを作成して、各所帯に配布した。その時、自治会会長のNさんから17,18日に草刈りをして欲しいと頼まれた。お受けした。
*五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅を訪問しおちゃっこした。
*東新城のFさんを訪問し、おちゃっこした。
6/9(日)
*田中前記念公園仮設住宅のOさん宅を訪問して、ドリームキャンプの案内と申込書を手渡した。その時、紫会館避難所に居られたHさんと出会い、「清水さんキャンプの事ならあの家にも子供がいるから案内したらいいよ」と、教えて下さった。早速、その家を訪問したら中学生の女の子が出て来た。キャンプの話をしたら、「はい、良いですね」と興味を示してくれた。
*南八幡前仮設住宅に行き、昨年のドリームキャンプに参加してくれたYさん宅を訪問したら、住民の方達は花の苗に水をやる作業をしていた。その中にY君が居てキャンプの案内と申込書を手渡した。そうしたら、「私にも下さい」と、云われ持っていた案内書と申込書10部全部無くなった。10軒全員参加の模様で、ここだけで20人近くの参加者となる。そうなれば嬉しいのだが?
南町のcadoccoの方にもかなり問い合わせの電話があり、バス一台では足りないかも!と、嬉しい悲鳴になるかもね?
*気仙沼教会は教会長先生と私だけなので、明日(10日)の月例祭のお供え物の買い物を清水がした。
*6月23日のひかりツアープログラムの一つに、仮設住宅でのおちゃっこを予定している。そのおちゃっこのチラシを作成した。ちらしは300部必要である。仮設住宅は五右衛門ヶ原の三か所の仮設住宅であり、各自治会の了承は得ている。
6/10(月)
*金光会館の各部屋の風通しと掃除をした。合間にシーツ等の洗濯もした。
*お米150kgを購入した。費用はある教会の信徒会から支援金を頂いているのでそれを使わせて頂いた。お米はイベント用と必要としている仮設住宅やみなし住宅への方達への配付用である。
*午後からの月例祭に参拝した。
6/11(火)
*午前中、この日のイベントのゲームに使うお米の小分けをした。
*イベントに必要な物の買い物をした。
*19時のイベントに間に合うように18時15分に五右衛門ヶ原の運動場仮設住宅に向かった。
既に、バグパイプの演奏者の加藤さん・歌手の和 由紀子さん・ギター伴奏者の井上隆生さん・ピアノ演奏者の方達の一行は集会所前に来ていた。
*18時45分にバグパイプを仮設住宅内を演奏しながら歩いて貰った。会場の集会所にぞくぞく住民の方が集まり最終的には総勢50名になった。
和 由紀子さんの後、ビンゴゲーム及びジャンケンゲームをして大いに賑いました。
*イベント終了後、バグパイプの演奏者の加藤さん・歌手の和 由紀子さん・ギター伴奏者の井上隆生さんにお礼を込めて食事を御馳走した。食事をしながら今後の支援活動などを話し合った。和 由紀子さんは歌手活動25年にもなり、ご主人はあの都はるみの歌も作られていたほどの実力のある作曲家でもあるという事がわかった。
これだけの実力のある方と知り合いになれ、今後も協力して下さることになり、本当に有りがたい事です。
12日の朝、仙台近くでラジオ放送に出られるので、一ノ関のホテルに向かう為22時30分に気仙沼を後にされた。
*バグパイプの加藤さんは金光会館に泊まって頂いた。
6/12(水)
*朝、8時30分に教会を出発して岩手県大船渡市三陸町越喜来甫嶺(おきらい ほれい)仮設住宅に向かった。10時からバグパイプの演奏を集会所の前で行う事にした。バグパイプは音が大きいので、外での演奏に向いている。住民の方達が十数名集まり、ベンチや車の中で聞いている人もいた。21所帯の中での十数名は少ないとは言えない。老人の方が殆どであったが、演奏途中で質問も出ていた。
本当に喜ばれて、バグパイプの演奏者の加藤さんもこころなしか嬉しい様子でした。これからも過疎地といえる地を積極的に訪れて、住民の皆さんに喜んで頂けるように活動して行きたく思っています。
今回のイベントは頼まれての事でしたが、実力者の歌手やギター演奏者などの方達と知り合い、今後のイベントにも参加してくれそうなので、大きな協力者を得た感じがしました。
6/13(木)
*午前中はcadoccoの掃除を清水一人で行いました。
*午後からは現地レポートの作成に取り掛かりました。合間に岩手県高田市の小友に住む散髪屋のFさんを訪れたが留守だった。何か有ったのかな?
碁石海岸及び広田半島に行き榊を探したが、なかなか良いのが無い。こちらの榊は山榊で本榊ではない。山榊は葉っぱ小さい。広田半島の山の中を探して30本確保したが、教会長先生のOKがでるかな?
やっと現地レポート作成完了しました。添付写真は6月13日午後3時30分に撮影したものです。
以上です。