報告者:清水 幹生
6/14(金)
*朝7時過ぎに岡垣教会のMさんとその友達のYさんが到着された。
*午前中、Mさん・Yさんは教会周りの草取りをして下さった。
*清水は岩手県高田市小友に住んで居れる散髪屋さんのFさん宅を訪れた。昨日訪れたが留守で会えず、心配だったので再度訪れた。お元気だったので安心し、1時間おしゃべりをした。
*午後からは購入したお米が150kg届いていたので、小分けをした。岡垣教会のMさん・Yさん、美紀子先生、清水で作業しました。これは必要な方々と景品用に使うものです。
*夕食をしながら岡垣教会のMさん・Yさんを囲み談話しました。福岡から車で来られ、しかも草取りの道具も自前のものを積み込み、途中は車の中で寝ながら気仙沼来られました。高年齢ながら元気も良く、体がよく動きました。久しぶりに自分に似たタイプの方でした。
6/15(土)
*午前中は16日の公開講演会の準備を全員で手伝った。
*午後は岩手県高田市気仙町の仮設住宅にお米を配付した。作業者は岡垣教会のMさん・Yさんと清水でした。
*お米の配付後、Mさん・Yさんを高田市の被災地に案内した。
*夕方5時40分ごろ、公開講演会の岩本先生とお連れの二人の女性を迎えに行った。
*夜10時30頃、京都の中立売教会のSさんを気仙沼駅まで出迎えに行った。
6/16(日)
*午前中は公開講演会の直前準備のお手伝いをした。昼食は、教会からカレーライスを頂いた。美味しいかった!!
*清水は、ある仮設住宅の未信奉者の方を4名迎えに行きました。顔見知りの方ばかりで、お役に立てればいいなあ!!
*午後1時から公開講演会が始まった。参加者は総勢50名近くで、信者さんよりも未信奉者の方がはるかに多かった。
<講演会のようす>
<講演会第2部 体操>
<第3部・歌の会>
<第4部 おちゃっこ>
*公開講演会が終わって、仮設住宅の4名を送った。岡垣教会のYさんはヘルパーの資格があるので、4名の中には体の具合が悪い人もあり、車からの乗り降りに手助けが必要なので、一緒に来てもらった。
4名の公開講演会の感想は、「良かったよ、本当に来てよかった」と、話して下さった。他にもこんな話をして下さった。
「ありがとうという話の内容だったけれども、私達は海の幸には”ありがとう”と言えるるけれども、海にはまだ”ありがとう”とは言えないよ。大切と思うよ”ありがとう”と言う事は、だからそう言えるように努力はするようにしていくよ」と、話してくれた。
津波の辛い体験は、そうそう消え去ることは無い。「ありがとう」と、言えるのはいつになるのであろうか?
6/17(月)
*朝、6時40分、気仙沼教会教会長先生の奥原先生は、京都での東近畿教区の先生方の研修会に講師として出向かれた。
*朝、8時41分、岩本先生一行は岡山へと出発された。
*朝8時30分から夕方の3時過ぎまで五右衛門ヶ原の運動場仮設住宅で草刈りをしました。ボランテイアは岡垣教会のMさん・Yさん、京都の中立売教会のSさんと清水の4名でした。実は仮設住宅からの参加者は会長の御主人だけで他には一人もありませんでした。次回からはこのような事が無いようにせねばなりませんが、お年寄りばかりで草取りは大変な重労働になりますが、ボランテイアだけでは何の意味もありません。次回からは気を付けます。
それでも、昼食や、休憩時間には4名の方がいろいろとお世話下さいました。昼食の”冷やしそうめん”本当に美味しいかった。
岡垣教会のMさん・Yさん本当にすごい。日頃から山での仕事・ミカン農家での仕事で体が丈夫に出来上がっている。京都の中立売教会のSさん慣れない仕事なのに、愚痴ひとつこぼさず、もくもくと作業されている姿、「ボランテイアに来るだけの事はあるなあ!」と、思いました。
草刈りの途中での休憩時間には、会長を含めた4名の住民の方達と触れ合い語り合いが出来て良かったと思う。休憩時間と作業が終わった後の時間を含めて1時間は談話が出来ました。ボランテイアに来た3名は初めての事でもあり、良い会話が出来ました。
草刈機は重たい、かなり腰に堪えたが何とか最後まで作業が出来て一安心でした。教会に帰り、夜は久しぶりに温泉風呂に入りに行きました。やれやれでした。
6/18(火)
*3名の方を被災地を案内しました。田老町までの被災地をご案内出来て良かったです。
<大槌町のひょっこりひょうたん島>
<田老町の防波堤>
<山王岩>
<世界一高い津波が来たところ 津波の高さ 40メートル>
<防波堤のひび割れ・・・世界一高い津波が来た地点>
<浄土ヶ浜>
*夕方6時過ぎに教会に帰り、身支度して一景閣に行きました。オーナーのSさんから、「清水さん今夜一杯どうですか?今、私一人なので私の自宅に来て下さいよ」と、云われていました。
被災地を案内している時電話があり、ボランテイアの方達と一緒に一景閣の方に来てください」と、連絡が入りました。
一景閣を訪れたら、オーナーは待って居られ二階の海側の朝食を取る部屋に案内されました。素晴らしい良い部屋になっていました。グランドオープンしてからは、この部屋に入るのは初めてでした。あの泥まみれで重油臭かったこの部屋が、「こんなにも綺麗になるのか!」と、びっくりしました。
ボランテイア来られた岡垣教会のMさん・Yさん、京都の中立売教会のSさん方、オーナーの話される大震災の体験話の、大変重い苦しい話を受け止められているようでした。
私は感じました。「今日のオーナーはチョットちがうなあ、何となく元気が無い。明るく話されているが、あのやる気満々の顔付とは違う」と、思いました。まだ奥さんの具合が心配なのであろうか?
夜9時過ぎまで良く話されました。此方も久しぶりに本格的な美味しいものを頂く事が出来ました。
*われわれが留守にしている間に、ひかりプロジェクトにお願いしていたお水2リットル入りのペットボトル360本が到着し、腰を痛めている幹雄先生が対応して下さった。申し訳ありませんでした幹雄先生。
6/19(水)
*京都の中立売教会のSさんが大谷海岸あたりの島の状況を見たいとの事で朝、8時過ぎに案内した。津波でもとは陸続きであったのが、今は陸と離れていた。
*ひかりツアーからお米が150kg届いていたので、小分けをした。岡垣教会のMさん・Yさん、美紀子先生、京都の中立売教会のSさん、清水で作業しました。
これは23日の五右衛門ヶ原の仮設住宅でのおちゃっこの時、景品として使用するものです。京都の中立売教会のSさんはお米の小分けを手伝って帰りたいと言う事で、作業に加われました。
*お昼前の11時過ぎに京都の中立売教会のSさんを気仙沼駅まで送った。
*午後からは岩手県高田市の長部仮設住宅にお米とお水を配付した。岡垣教会のMさん・Yさんも参加されて仮設の様子を感じられたようである。
*長部からの帰りにコンビニにより、23日の五右衛門ヶ原の仮設住宅でのおちゃっこのチラシを300部コピーし、各仮設住宅一軒一軒配布した。岡垣教会のMさん・Yさんも参加されましたので、早く配付が終わりました。
*夜9時過ぎに、ひかりツアーの件でフォーゲル倶楽部のSさん・Oさんとスカイプ会議を開き、打合せを行いました。
6/20(木)
*午前中、cadoccoの掃除に岡垣教会のMさん・Yさんと清水3人で行いました。3人だと作業も早く10時頃には作業完了となりました。
*11時ごろ奥原先生を気仙沼駅まで迎えに行った。
*岡垣教会のMさん・Yさん達が帰る準備が完了した。三陸町の被災地を案内し、小泉・外尾・蔵内の各仮設住宅にお水を配付する作業にも参加してもらう事になった。
11時15分頃、奥原先生のお見送りを受けつつ、気仙沼教会を後にして、一路小泉へ車を走らせた。外尾→小泉小学校→蔵内の順番にお水を配付して、三陸町の志津川へ向かい防災センター前に行き祈りを捧げ、ホテルで昼食を取った。
昼食後、志津川中学校の有る高台まで行き、志津川の町が一望出来る所を案内した。一望出来る所のフェンスに震災前の写真が掲げてあった。震災前後の町の様子が良くわかった。
<震災前>
岡垣教会のMさん・Yさん達とはここでお別れした。有難う御座いましたと、車が見えなくなるまで見送り、私も教会に向かった。
*教会に帰り、金光会館の各部屋を見てまわると全て綺麗に掃除してあった。自分の部屋に帰ったら急に眠くなりましたので、一寝入りし、現地レポートの作成に取り掛かりました。
夕食を取り、お風呂に入り、22時過ぎごろやっと作成完了となりました。
以上です。