2013/07/02

現地報告(6/28-30)

活動日:2013.6.28-30
報告者:清水 幹生

6/28(金)の活動状況 
*9時30分から10時30分まで、群馬・埼玉の群埼(ぐんさい)女性フォーラムの方々を五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅へお連れして、住民の方々とおちゃっこした。
初めの内は全体で話し込んでいたが、女性フォーラムの方々が、住民の方々の間に入られてからは、数組のグループに分かれたかたちとなり、話が進み賑やかな雰囲気で懇談が出来た。








私の側には女性の方と男性の方が居られて、そこに女性フォーラムの方が2名入られて懇談が進んだ。住民の男性は88歳になられる方で、この津波で奥さんと子供さん一人を失っておられる。
この方が、「私はこの辛い悲しい出来事を誰にも話したくないと思っていて事実そのようにしてきた。そんな時、お酒を飲んでいる時についついある人に話してしまった。その事を今でも後悔している」と、話された。
その話を聞いて、自分の若い頃の事を思い出した。
宇部興産に入社して間もない時の事です。すでに父母を亡くして2人兄弟と母の祖父母と私を加えて5人で会社の社宅で暮らしていました。私と祖父母とは意見が合わず、昼間疲れて部屋で寝ていると、「若い者が昼間から寝る奴がどこにいるか」と、布団の上から蹴飛ばされる事もあり、何かにつけて意見が合わず、家で寝る事も出来ずに友達の家や公園のベンチで寝る事もあった。数ヶ月我慢したが、寝不足で仕事をしながら寝る事もあり、先輩から頭を叩かれる事もあり、限界に来ていた。ついに親戚の人にお願いして祖父母を養老院(老人ホーム)に入れて貰った。
しかしながら、何も事情もわからない社宅の人々は、「幹ちゃん(私の事)、あんなにお世話になったお祖母ちゃんとお祖父ちゃんちゃんをあんな養老院に入れてひどい人だね」と、云われた時は自分の胸を針で刺されたような痛みを感じた。
この痛みは数年間忘れる事も出来ず、その辛さを教会に持って行くしかなかった。この時の辛さを、この88歳の方が話されているのを聞いている時に思い出し、「そうだろうなあ、自分の辛い事や悲しい事を何で人に話さねばならないのか!」と、私も思っていた。
同情心は禁物です。
辛さや苦しみはわが身で乗り越えて行かねば、本当に立ち上がれない。それゆえ、私は、「Sさん(88歳の方)、でもねそれでも生きて行かねばなりませんよ、同じ生きるなら元気で前向きに生きて行きましょうよ」と、話しました。
こんな事を言えるようになるには、2年掛かりました。

<現地の方々と東京学生寮の学生で植えた仮設住宅の花壇の花>




 *五右衛門ヶ原のテニスコート仮設住宅でのおちゃっこを10時40分に終わり、皆さんを岩手県高田市の奇跡の一本松まで案内した。
その後、気仙沼に帰りお土産を買われて昼食を終えて、気仙沼教会を午後2時に出発されて帰られた。
前現地代表の嶋田先生が皆さん方を引率されて来られて、久しぶりの再会でした。「じゃあ、来月のドリームキャンプでお会いしましょう」と、云って車を見送った。車は一ノ関でレンタルしたもので、一ノ関からは新幹線で帰られたようです。




*皆さんを見送った後、現地レポートの仕上げでWeb用の写真を送付した。

6/29(土)の活動状況 
*ボランティアの受け入れ準備を9時過ぎから行い、布団などの準備と部屋の掃除をした。
*午前11時に日本橋教会のIさんを迎えに行き、教会に帰りIさんを降し、イベント用物を買い忘れていたので買いに行った。昼食を済ませて、イベントの主役である歌のおばちゃんである銀座教会のYさんご夫婦を迎えに気仙沼駅に行った。
*教会でお届けを済ませて、銀座教会のYさんご夫婦と日本橋教会のIさんを連れて岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)杉下仮設住宅に向かった。杉下仮設住宅の集会所前についたら、すでに数人の方が待って居られた。
*14時からの歌のおばちゃんYさんの楽しい歌の会が始まるので、マイクで仮設住宅の住民に呼びかけて歩いた。
約30名の方が参加されて、いよいよ歌の会が始まった。昔で云う童謡の歌から演歌等20曲ぐらいを皆で歌った。音痴である私さえ大きな声で歌うと気持ちが良い。プロの歌手が歌うのを聞くのも良いが、自分が腹の底から大きな声で歌うのは、確かに脳を活性化させてくれる。








ちゃんちきおけさ1:後ろの女性のお茶碗にご注目
ちゃんちきおけさ2:ひきつづきお茶碗とお箸にご注目

おけさ終了


 *1時間30分後、歌の会を終えて楽しみのビンゴゲームを行った。ビンゴゲームをある程度行った後、ジャンケンゲームを日本橋教会のIさんに担当して貰って楽しい時間を過ごしました。
やはり後ろの女性にご注目



*あくる日の30日は越喜来(おきらい)から近い甫嶺(ほれい)での音楽のコンサートなので、嘉宝荘に4人が泊まりました。山形からいとこの集まりでバス一台でお客が来られており、夕食時に山形の面白い演劇を見せて貰った。楽しい一行でした。

*嘉宝荘は今年の3月15日オープンした新築の建物でした。女将のI・Kさんは本当に忙しい中、本来の元気の良いおばちゃんに復帰しました。
もう大丈夫でしょう!!でも私は彼女の本宅が出来上がるまでは・・・・・。御主人は口数の少ない真面目で女将を支えておられる。その姿を見ると嬉しくなる。 

6/30(日)の活動状況 
*朝、食事のあとに支払いを済ませたが、あの大御馳走で何と消費税込みで一人6,500円だった。きっと女将が大サービスしてくれたに違いない!!そう思っていよう。
*嘉宝荘を9時15分に出発して甫嶺(ほれい)の仮設住宅に向かった。小さな漁村で、21所帯の小さな仮設住宅である。老人が多いが、今日は小学生が4人も参加してくれた。大人を含めると23名となり、今までで一番多い参加者でした。








皆、大きな声で歌い本当に賑やかに過ごしてくれました。ビンゴゲーム・ジャンケンゲームでは、やはりお米が大人気でした。





*12時過ぎに甫嶺(ほれい)を後にして、気仙沼に向かいました。途中越喜来(おきらい)の道の駅によりトイレ休憩をしてアイスクリームを頂いた後、気仙沼教会に向かった。
教会に着いたら、私の息子が彼女を連れて来ていた。
「お父さんが、(俺の人生最後の大仕事だ)と云ったから息子として父親の最後の仕事ぶりと被災地を見ておかねばと思ったから気仙沼に行くんだよ」と、気仙沼に来る前に電話で云っていた。
2年ぶりに我が息子と会ったのです。
神様も心憎い事をされますね!感謝感謝です!!

*15時から田中前公園仮設住宅での吉見音楽コンサートに、美紀子先生・幹雄先生・日本橋教会のIさん・Yさん夫婦及び清水の息子と彼女を連れて行きました。会長の御主人が出迎えて下さり、集会所に荷物などを車から降ろした。
そうしていると、昨年のドリームキャンプに参加されたOさんに出会った。キャンプには、「仕事が休めず今年は断念しました」と云われ、チョット残念な思いをしています。
*開始時間になりましたので、集会所に帰りましたら子供たちもいて、今までにない人数で15名ぐらいの参加者がありました。私と日本橋教会のIさんと私の息子と彼女は、30分ぐらいでお暇しました。Iさんを気仙沼駅まで送り、息子と彼女を被災地を案内して回り、17時ごろ気仙沼を後にして一ノ関に向かいました。









息子たちは新幹線で東京に帰り、私は気仙沼に帰り夕食をして、Yさんご夫婦と教会で先生ご夫婦を交えて、一杯飲みながら談話して賑やかに過ごしました。
田中前公園仮設住宅での音楽コンサート、幹雄先生がビンゴゲーム・ジャンケンゲームをして下さり、大変盛り上がったそうです。歌の方も、チョットお酒が入ったご老人が気仙沼町歌等を歌って下さり、面白かったようです。

Yさんご夫婦ご苦労様でした。日本橋教会のIさん有難う御座いました。大変助かりました。

こうして6月も終わりました。私が現地代表になり4ヶ月経ち何とか活動が出来ている事に感謝しています。
故郷を離れてもはや2年と2ヵ月、留守中の宇部の家庭では家内が一所懸命頑張ってくれています。でも、めぐり多い我が清水家、色々な問題が起こっても不思議ではない家系、それを全て神様にお預けして、気仙沼にやって来た。いや神様が差し向わされたのでしょう。
皆さん私は人を助ける活動をしている訳ですが、結局は我が身が助けられているのです。
今回気仙沼に来た我が息子、かなり落ち込み苦しんでいたようです。
それを知っていた私ですが、「全てを神様にお預けしたのだから良いようにされるであろう」と、心配はしないで現地の活動に没頭できました。
今回、息子を神様が差し向わされたものと感謝しています。息子はそこまでの事とは理解はしていないでしょうが!!いずれ、神様を感じる時が来るでしょう。

皆さん、どんな事が起きようとも神様を離さない事です。今は何事もない時でも、どのようなご無礼をしているかわかりませんから、いつ何が起こるかわかりません。
日頃から教会に出来るだけ足を運び、教祖の教えに触れて我が心を鍛えておく事です。
この東日本大地震と大津波、我々人間には大きな試練です。被災地でない所に住んでいる方達も謙虚に受け止めて頂きたい。

今年も半年が過ぎて、もう7月です。
時間が経つのは早い、健康のお蔭を頂き元気な心で明日からも活動(御用)して行きます。
皆様方、これからも宜しくご支援ください。

*写真は鹿折(ししおり)に津波に流されて来た貨物船です。この船の底には一台の乗用車が押し潰されるように、未だ撤去されずにいます。「中に御遺体は無いのか」と、ふとそう思うと皆さん方に見せておきたいと思い、今日(7月2日)写真を撮りました。




以上です。