2013/09/23

現地報告(9/16-23)

活動日:2013.9.16-23
報告者:清水 幹生

9月16日(月 祭日)~9月23日(月 祭日)までの活動状況
1、9月16日(月 祭日)の活動状況
*池田マッサージイベントのチラシの配布
1.松崎柳沢仮設住宅
2.田中公園仮設住宅
3.西八幡前仮設住宅
*金光会館の掃除とボランテイア受け入れの準備

2、9月17日(火)の活動状況
*池田マッサージイベントのチラシ配布
1.五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅
2.五右衛門ヶ原運動場仮設住宅
*お水の配布
1.蔵内仮設住宅
2.小泉小学校仮設住宅

3、9月18日(水)の活動状況
*9時から12時まで松崎柳沢仮設住宅で池田マッサージを行った。
此処の老婦人達はこの大津波でご主人を無くされている方が多く、仮設住宅で一人暮らしをしている方が多い。その為か?皆さんが日頃から集会所に集まり手作りをされながら、談話をする事で寂しさを紛らしている。
中には、部屋に帰ると頭が痛くなる方が居られる。この大震災の後からその様になられたようである。マッサージを受けられた方は8名でした。


 <手作り活動の様子>



*13時30分からは西八幡前仮設住宅で池田マッサージを行った。
ここの住民の話題は復興住宅の事だった。「どうなるのかね?工事は何時からは始まるの?」と、不安な様子だった。マッサージを受けた方は10名でした。最後の人が終わるまで集会所には数人が残り談話が続いた。終了は17時だった。
Iさんご苦労様でした!!






4、9月19日(木)の活動状況
*9時から田中公園仮設住宅にて、12時まで池田マッサージを行った。参加者は5名でした。





*マッサージの間、天ヶ沢仮設住宅の自治会会長宅を訪問して10月27日(日)の餅つきイベントについて打ち合わせて、10月27日(日)10時から行う事に決まった。
*午後1時から五右衛門ヶ原運動場仮設住宅で夕方の5時過ぎまで池田マッサージを行った。参加者は16名でした。自治会会長と打合せ、餅つきイベントを来年の1月13日(月 祭日)10時から行う事に決定した。




*五右衛門ヶ原運動場を後にして、岩手県高田市気仙町上長部(かみおさべ)仮設住宅に向かった。自治会会長に会い、10月14日(日)10時から餅つきイベントを行う事に決定した。会長にやっとお会いする事が出来、打合せも簡単にスムースに終える事が出来た。

5、9月20日(金)の活動状況
*朝10時30分から五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅にて池田マッサージを行った。夕方の4時過ぎまで行い、参加者は10名でした。





*五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅でマッサージをしている間に、小泉中学校グラウンド仮設住宅の自治会会長宅を訪問して、餅つきイベントの打合せをした。11月4日10時から行う事に決定した。
*昼過ぎに歌手の和 由紀子さんから連絡が入り、「明日は(21日)母が癌と分かり手術を行う事になりました。その為に、たろうちゃんハウスの2周年感謝祭(22日)には、22日の朝東京を出発して現地に向かいます」と、いう大変な内容でした。気仙沼教会で無事に手術が終えるようにお願いのお届をしたが、「和さん大丈夫かな」と、お願いしながら心配な心が出て来た。

6、9月21日(土)の活動状況
*朝9時から気仙沼公園仮設住宅ほ訪問して、池田マッサージを行った。夕方17時過ぎまで行い21名の方が参加された。
さすがのIさんもお疲れの様子でした。
自治会会長と打合せ、11月17日の10時から餅つきイベントの開催が決定した。









*17時から西八幡前仮設仮設住宅から夕食会に招待されていたので、Iさんと清水の二人でお邪魔した。19時30分まで住民の方と談話をしながら楽しく過ごさせてもらった。











*18時30分ごろ大崎教会のNさん・Sさんが到着された。
明日のたろうちゃんハウスのイベントの打合せをしながら、Nさん・Sさん・Iさん・清水及び奥原先生ご夫婦を交えて談話した。

7、9月22日(日)の活動状況
*朝5時に気仙沼教会を出発して、田老町へ向かった。
途中、大槌町の被災地を見学して、田老町の世界一強固と云われていた防波堤を見学した後、観光地の三王岩を見学した。










たろうちゃんハウスには9時前に到着し、たろうちゃんハウスの中で昼食を済ませた。
*前日、たろうちゃんハウスの事務局の方から、「清水さんこれは急に決まった事なのですが、朝の番組で有名なあまちゃんが来るのですよ。その為に御迷惑をお掛けするかもしれませんが宜しくお願いいたします」と、素晴らしい情報でした。
*関係者の方達ともお会いし、最後の打合せも済ませ、池田マッサージを行う田老サポートセンターへ行き担当者の方と打ち合わせてIさんを紹介した。
あまちゃんが来るので、マッサージは10時から行う事にした。










「あまちゃんが来るよ!」と、言ったら大崎教会のNさんなかなか信じてくれなかった。
*9時過ぎにはバスであまちゃんがやって来た。
顔は小さいが、目はきらきらと輝いて見えましたが・・・・・。
*10時からセレモニー が始まり、あまちゃんのインタビューが始まりました。凄い人出で、私も一番前で写真を撮りました。
続いて餅まきが始まり、あまちゃんも加わり凄い盛り上がりでした。
餅の中には、あまちゃんのサインしたTシャツがもらえるメモや、あまちゃんと一緒に写真を撮れるというメモも入っていると言う事でしたが、それはゲット出来ませんでした。











*バグパイプはセレモニーにが始まる前に、人集めにと思い演奏しながら敷地内を練り歩いて頂きました。効果は有りました。










先頭にロシアの国旗をロシア人の女性に旗手となって頂き練り歩いて頂きましたが、金髪でプロポーション抜群の女性なので余計に目立ちました。


















 




 


 

*和 由紀子 歌手の到着が遅くやきもきしましたが、何とか間に合い無事トリを務める事が出来、ホットしました。
実のお母さんが癌の手術を前日にされて、疲れているところを何とか間に合わせて下さいました。和さん有難う御座いました。






*予定通り全てのプログラムは午後3時で終わり、われわれ全員、田老サポートセンターに集まり帰り支度をしました。
和さん一行は午後3時30分に出発されて盛岡から新幹線で帰られました。


バグパイプの一行は車で盛岡まで行き東北自動車道経由で東京へと帰られました。
我々は、Iさんのマッサージが終わり、午後4時30分にたろうちゃんハウスを出発し気仙沼には午後7時ごろ到着しました。
*21日は清水の70歳の誕生日でしたが、一日遅れですが紫市場の方々がお祝いの準備をされていて、紫会館でお祝いのパーテイーをして下さいました。
有り難い事です。本当に感謝感謝です。
皆さん有難う御座いました。

8、9月23日(月 祭日)の活動状況
*朝9時から東八幡仮設住宅へ出向き、池田マッサージを行いました。12時までに6名の方が参加されました。ここでのイベントは今回が初めてでした。







 
*12時過ぎごろ教会に帰りましたら、大崎教会のNさん・Sさんが帰られるところでした。今日は三連休の最終日になりますので、早めに出発する事になりました。
Nさん・Sさん有難う御座いました。

<切断される第十八共徳丸>





以上です

2013/09/18

現地報告(2013/9/18特報)

活動日:2013.9.18
報告者:清水 幹生

皆さんこんにちは!!
大津波により、家をなぎ倒しながら打ち上げられていた鹿折の船、第十八共徳丸の解体作業が始まりました。



 
以上です。

2013/09/17

現地報告(番外編9/16,17)

活動日:2013.9.16-17
報告者:奥原 幹雄

現地レポート(番外編)
9月16日-17日
「第6回日本スピリチュアルケア学会
/第10回アジア太平洋パストラルケア・カウンセリング学会合同学術大会」

9月16日
東北大学で「日本スピリチュアルケア学会」が開催され、宗教団体による災害支援活動のパネル展示があると言うことで、見学に行ってきました。金光教の他、下記の団体によるパネル展示がありました。
・孝道教団
・真如苑
・世界宗教者平和会議WCRP
・天理教宮城教区
・立正佼成会
・杏林大学キリスト教研究所
・超宗派・超宗教の支援活動
加えて公開講演会があり、講師は
・森 清範氏(清水寺貫主、北法相宗管長)
・大井 玄氏(東京大学名誉教授、医師)
・島薗進氏(上智大学教授、宗教学者)
の3名。
司会は、
・高木慶子(上智大学グリーフケア研究所特任所長)
・鎌田 東二(京都大学こころの未来研究所センター教授)
というメンバーで行われました。 


講演内容は、ひとことで言うのは難しいのですが大変興味深く、勉強になるお話しばかりでした。
特に震災以降「こころのケア」については、いろんな角度から取り上げられておりますが、スピリチュアルな面での「こころのケア」の必要性は強く感じました。

9月17日
東北大学で開催された日本スピリチュアルケア学会と合同開催の「アジア太平洋パストラルケア・カウンセリング学会」のメンバーによる被災地バスツアーがありました。
ツアーの最後が気仙沼で、五十鈴神社を参拝した後ホテル観洋で会食という旅程になっており、会食の場で気仙沼教会長奥原志郎先生がスピーチを行いました。 


バスツアーの幹事が鎌田東二先生(京都大学こころの未来研究所センター教授)で、鎌田先生は震災以降何度も被災地を訪れており、気仙沼に来る度に教会に来られ、これまでにも5~6回は来られております。その都度、いろんなお話しをしてくださり、また気仙沼の状況も聞いて帰られています。

そんな御縁もあって、今回は学会メンバーのバスツアーの最後の会食でスピーチという依頼をいただき、お受けしました。

メンバー30名中半数以上が外国人という会場で、通訳を介してのスピーチでしたが、最後にはメンバーから拍手とお礼の言葉もいただき、思いを伝えることが出来たのではないかと感じました。 

お土産として、ボランティア活動の記録誌「人を助けたい」をメンバー全員に、またボランティア感想文の「未来につなぐ言葉」は残部が少なかったので10部ほど、学会に寄贈させて頂きました。
以上です。

2013/09/15

現地報告(9/9-15)

活動日:2013.9.9-15
報告者:清水 幹生

1、9月9日(日)の活動状況
*9月1日から9月8日までの現地レポートの作成。
*シーツなどの洗濯及び金光会館・ボランテイアハウスの掃除及び風通しを行った。
*夕方、ボランテイアハウス・金光会館周りの草取りを行った。

2、9月10日(火)の活動状況
*五右衛門ヶ原の仮設住宅、テニスコート・運動場を訪問しておちゃっこしながら、情報を得たりイベントの打合せをした。
*東新城仮設住宅のFさん宅を訪問して1時間ぐらいおちゃっこした。

3、9月11,12,13,14日(水・木・金・土)の活動状況
*この4日間は清水の所用の為活動は休憩させてもらったが、一部活動しているので報告いたします。
11日(水)
会津若松まで出かけて、あの有名な会津の鶴ヶ城入り口で食堂に入り昼食を頂いた。
前々から気に掛かっていた原発の被災者の方々が、この会津若松に引っ越されている事を聞いていたので、この食堂の女将さんに様子などをお聞きした。



 『ここに原発被災者の方々が食事に来られることがよくあります。何を如何してあげたらいいのか分かりませんでしたので、最初の頃はサービス等をしていましたが、ある日、「もうそっとしといて下さい。何もして頂かなくても良いですから」と、語られたましたので、それからはサービスも止めました。何かしらそっとしていてほしいのではないでしょうか?大津波での被災者の方達の気仙沼と、原発での被災者の方達は思いがかなり違うように思いますよ』と、話して下さり仮設住宅の場所も教えて下さったので、ひとつの仮設住宅を訪問してみた。
大熊町・双葉町から移り住んで居られる仮設住宅です。
静かでひっそりしていました。二人の方に出会いましたが、語り掛ける事も出来ず、ものすごく気が重くなりました。
年内にもう一度福島県を訪れて、原発に近い場所を訪問してみたいと改めて思いました。どんな支援が出来るかだけではなく、被災者ではない自分が原発被災者の方と接してみてどのように感じたかを、全国の方にお知らせしたい。  










*12日(木)
午前中、cadoccoの掃除
*13日(金)
午後からNPO/NGO連絡会議
*14日(土)
所用を終えて、夕方五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を訪問した。 
前橋教会のT先生からリサイクルの材料にと、着物が届いていましたので、それを会長のMさんに手渡すために訪問しましたが、4,5人の方が集会所に来られて1時間ぐらいのおちゃっこが始まりました。
前橋教会のT先生、有難う御座いました。これを機会に群埼女性フォーラムとの交流がはじまればと願っています。

4、9月15日(日)の活動状況
*現地レポートの作成。
*午前10時紫神社(元紫会館避難所があった場所)の祭典が始まった。




*お米の小分け作業を美紀子先生と二人で行った。90kgを3kgに小分けして30袋にした。必要な方達とイベント用に使用する。
*五右衛門ヶ原運動場の自治会会長の御主人のお母さんが亡くなったという情報が入った。当年100歳でした。
*池田マッサージのチラシ(田中公園仮設住宅・西八幡仮設住宅・松崎柳沢仮設住宅用)を作成した。配布しようとしたが大雨で断念したが、明日はまだひどくなりそうである。

【つぶやき】 
会津若松での大熊町・双葉町から移動されて仮設住宅に住んで居られる場所を訪問した時、
「東京オリンピック開催が決まったが、これでまた東北の大震災の事は全国の人々からは忘れられていくのであろうなあ!また被災地の復興もますます遅れて行き、東北の太平洋側の被災地は、仙台・石巻以外の被災地は過疎化が進み、若者は職場を求めて都会へと進むのであろう」と、思わされて、
『東京オリンピック開催は経済効果は上がるであろうが、大震災及び原発の事故による放射能の汚染の後始末も終えずして、人間として大事な心は育つのであろうか?「かわいそうだなあ!」と、難儀な人への思いは(心)はますます、無くなって行くのであろうか?』と、心配になって来る。
「放射能汚染」、楽観視してはいけない。東京オリンピック開催そのものに喜びを感じる事は構わないが、浮かれないで、大津波での被災者・放射の汚染での被災者の方達の事を忘れないで欲しい!
以上です。

2013/09/08

現地報告(9/1-8)

活動日:2013.09.01-08
報告者:清水 幹生

1、9月1日(日)の活動状況
*午前中:西八幡仮設住宅にわわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配付した。
*午後1時30分より気仙沼教会霊神祭(月例祭)に参拝。
*夕方:気仙沼公園仮設住宅を訪問
→9月21日9時より夕方4時までIさんマッサージ、11月17日10時より餅つきイベント決定。

2、9月2日(月)の活動状況
*朝9時より:8月度の現地会計報告と領収証を支援機構会計担当のT先生へ郵送した。
*10時より:松崎柳沢仮設住宅・田中公園仮設住宅へ、わわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配布した。
*午後2時より:天ヶ沢仮設仮設住宅へ、わわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配布した。
*夕方4時より:岩手県高田市長部仮設住宅へ、お水とお米を配付した。

3、9月3日(火)の活動状況
*午前9時より:五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へおちゃっこに行った。
「古着の着物の支援がしたい」と、云う話が以前ボランティアに来られた方から有り、その事を自治会会長のMさんに話して、「本当に必要かどうか取りまとめて下さい」とお願いし、了解を得た。
*午後2時頃、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問し1時間近くおちゃっこした。
*全ての用事を済ませ、輔教研修会受講の為夕方6時過ぎに金光へ向けて車で出発した。
4,5日の二日間の研修会である。

4、4,5,6日(水、木、金)の活動状況
*5日(木)のcadoccoの掃除以外は特に活動は無し。
*6日の夕方には本中野教会のA先生がボランティアに来られた。

5、7日(土)の活動状況
*清水は5日の午後には輔教研修会を終え、輔教の再任手続きを取る為に宇部東教会に帰り、教会で再任手続きの書類を書き終えて、教会長先生に手渡して後の手続きをお願いした。久しぶりに教会長先生とお話が出来て、今後の気仙沼での活動についてどうして行けばいいか等の、お取次ぎが出来て良かった。
その後、自宅に帰り夕食を家族としてお風呂に入り数時間睡眠を取り6日の午前2時に宇部を出発した。
家内の寝顔に向かって、「有難う、お蔭で気仙沼での御用に邁進出来ます。孫達を頼みます」と、お礼を申してそっとベッドを抜け出し一路東京へと向かった。
東京には午後6時には到着したが息子と息子の彼女に会うには時間が掛かった。
築地で会うのに、私が道を間違えてりして、午後7時過ぎにやっと会えた。夕食をしながら久しぶりの再会を喜び、彼女の息子に対する一つ一つの仕草に、「これなら大丈夫だなあ」と感じた。午後9時30分に息子たちと別れたが、別れる時に彼女に、「この子を頼むね、しっかり見守って下さいよ」と、近い将来私の娘になる彼女に別れを告げて、いよいよ気仙沼に向かった。
時折、睡眠を取りながら気仙沼へと急ぎ、7日の午前4時30分に気仙沼教会に到着した。ボランテイアハウスの自分の部屋に入るとそのまま、朝の御祈念の6時前までぐっすり寝てしまった。
*朝の御祈念後、本中野のA先生とお会いし今日の作業の説明をした。
*昼食後10時まで睡眠を取らせてもらって、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問した。A先生には、このFさんのお母さん会って頂きたかったのです。
病気で苦労されていて、今こそ神様に向かって欲しいのです。祈る事・願う心をお育て頂き何としてもお蔭を頂いて欲しい。
*Fさん宅を後にして、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を訪問した。
おちゃっこしながら、A先生には自治会会長と副会長との懇談を楽しんで頂いた。着物の支援は、住民の方達が快くお受け下さる事になりました。
東京都と気仙沼の仮設住宅の方々と交流が継続されて行けば、新しい展開が生まれるかもしれません。
*テニスコート仮設住宅を後にして五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の自治会会長のNさんに会い、午後からの草取りの時間を2時からと決めた。
*午後2時に五右衛門ヶ原運動場仮設住宅にA先生と向かい、私が草取り機で刈り取りA生が刈った草を一ヶ所に集めて下さった。
住民は誰も出て来なかったのは、他のイベントが有ったためではあるが少々、「これで良いのか」と、思いながら4時まで作業した。
終わった頃、会長と副会長が冷たい飲み物とお菓子を持って来られた。
「今度はいつ来てくれるの」と、声が掛かって来たので、「住民の方のお手伝いもお願いしますよ」と、言いましたが日時はまだ決めていない。
*教会に帰ってから本中野教会のA先生には、金光会館でお風呂に入って頂きました。
私は着替えてから又、そのまま夕方7時前まで寝込んでしまった。午後7時には気仙沼教会教会長先生を、盛岡の月例祭終えて帰られるのでお迎えして、教会に帰り、A先生と共に夕食を楽しみました。
部屋に帰り、自宅に無事に気仙沼に帰って来た事を連絡していなかったので急いで連絡した。他にも連絡したい事が有ったのですが、もう何もする気がしなくて床に就いた。朝5時までぐっすり寝込みました

6、9月8日(日)の活動状況
*9時過ぎにA先生をお連れして、岩手県高田市要谷(ようがい)仮設住宅にお米を配付した。
*要谷仮設住宅を後にして、岩手県の小友地区のFさん宅を訪問した。
Fさんはお留守でしたが、体の不自由なご主人が居られたのでお土産のお米を渡した。Fさんどうして身体の不自由なご主人を置いてから」と、思いました。
後から電話が有り、「大船渡のお祭りに行って楽しんで来たの」と、云われた。そうだなあ、何時もご主人の面倒を見て来ているから、「たまには楽しむことも大事だなあ」と、勝手に納得してしまった。
後日また会いに行きますが、「今度来た時に色々と話したいよ!!」と、電話で話されました。女の身一人、色々と辛い事もあるだろうなあ!!
Fさん宅を後にして、A先生を大槌町までご案内した。
あの有名なひょっこりひょうたん島は、東大海洋研究センターの岸壁から渡り通路が復元されていて、歩いて渡る事が出来ました。 






  






*大槌町を後にして、釜石市内を案内しながら越喜来(おきらい)の杉下仮設住宅をご案内して、泊に有る嘉宝荘により昼食を頂いた。昼食が終わる頃、女将夫婦が帰って来られて、A先生と談話する事が出来ました。
これまでA先生には多くの方にお会いして頂きたいと念じていましたが、十分な事は出来ませんでした。
*嘉宝荘を後にして教会に帰り、一休憩して本中野教会のA先生を気仙沼駅までお送りした。午後5時41分の列車でA先生は東京へ帰られました。
A先生とは、気に掛かっていた今後の支援機構の体制等を話す事も出来、A先生のこの気仙沼に来られた理由もお聞きしました。
二日間、あちこちお連れしながら車の中での話、教会では夕食を頂きながらの話で自分にとっては、A先生が来られたのは神さまのお差し向けと感じられました。
A先生、大変なところを来て下さり有難う御座いました。
<気仙町の成田山から、最後の写真は震災前の気仙町>




以上です。