2013/09/08

現地報告(9/1-8)

活動日:2013.09.01-08
報告者:清水 幹生

1、9月1日(日)の活動状況
*午前中:西八幡仮設住宅にわわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配付した。
*午後1時30分より気仙沼教会霊神祭(月例祭)に参拝。
*夕方:気仙沼公園仮設住宅を訪問
→9月21日9時より夕方4時までIさんマッサージ、11月17日10時より餅つきイベント決定。

2、9月2日(月)の活動状況
*朝9時より:8月度の現地会計報告と領収証を支援機構会計担当のT先生へ郵送した。
*10時より:松崎柳沢仮設住宅・田中公園仮設住宅へ、わわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配布した。
*午後2時より:天ヶ沢仮設仮設住宅へ、わわ新聞(発行元:わわプロジェクト 被災者向けの情報誌)を配布した。
*夕方4時より:岩手県高田市長部仮設住宅へ、お水とお米を配付した。

3、9月3日(火)の活動状況
*午前9時より:五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅へおちゃっこに行った。
「古着の着物の支援がしたい」と、云う話が以前ボランティアに来られた方から有り、その事を自治会会長のMさんに話して、「本当に必要かどうか取りまとめて下さい」とお願いし、了解を得た。
*午後2時頃、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問し1時間近くおちゃっこした。
*全ての用事を済ませ、輔教研修会受講の為夕方6時過ぎに金光へ向けて車で出発した。
4,5日の二日間の研修会である。

4、4,5,6日(水、木、金)の活動状況
*5日(木)のcadoccoの掃除以外は特に活動は無し。
*6日の夕方には本中野教会のA先生がボランティアに来られた。

5、7日(土)の活動状況
*清水は5日の午後には輔教研修会を終え、輔教の再任手続きを取る為に宇部東教会に帰り、教会で再任手続きの書類を書き終えて、教会長先生に手渡して後の手続きをお願いした。久しぶりに教会長先生とお話が出来て、今後の気仙沼での活動についてどうして行けばいいか等の、お取次ぎが出来て良かった。
その後、自宅に帰り夕食を家族としてお風呂に入り数時間睡眠を取り6日の午前2時に宇部を出発した。
家内の寝顔に向かって、「有難う、お蔭で気仙沼での御用に邁進出来ます。孫達を頼みます」と、お礼を申してそっとベッドを抜け出し一路東京へと向かった。
東京には午後6時には到着したが息子と息子の彼女に会うには時間が掛かった。
築地で会うのに、私が道を間違えてりして、午後7時過ぎにやっと会えた。夕食をしながら久しぶりの再会を喜び、彼女の息子に対する一つ一つの仕草に、「これなら大丈夫だなあ」と感じた。午後9時30分に息子たちと別れたが、別れる時に彼女に、「この子を頼むね、しっかり見守って下さいよ」と、近い将来私の娘になる彼女に別れを告げて、いよいよ気仙沼に向かった。
時折、睡眠を取りながら気仙沼へと急ぎ、7日の午前4時30分に気仙沼教会に到着した。ボランテイアハウスの自分の部屋に入るとそのまま、朝の御祈念の6時前までぐっすり寝てしまった。
*朝の御祈念後、本中野のA先生とお会いし今日の作業の説明をした。
*昼食後10時まで睡眠を取らせてもらって、東新城仮設住宅のFさん宅を訪問した。A先生には、このFさんのお母さん会って頂きたかったのです。
病気で苦労されていて、今こそ神様に向かって欲しいのです。祈る事・願う心をお育て頂き何としてもお蔭を頂いて欲しい。
*Fさん宅を後にして、五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅を訪問した。
おちゃっこしながら、A先生には自治会会長と副会長との懇談を楽しんで頂いた。着物の支援は、住民の方達が快くお受け下さる事になりました。
東京都と気仙沼の仮設住宅の方々と交流が継続されて行けば、新しい展開が生まれるかもしれません。
*テニスコート仮設住宅を後にして五右衛門ヶ原運動場仮設住宅の自治会会長のNさんに会い、午後からの草取りの時間を2時からと決めた。
*午後2時に五右衛門ヶ原運動場仮設住宅にA先生と向かい、私が草取り機で刈り取りA生が刈った草を一ヶ所に集めて下さった。
住民は誰も出て来なかったのは、他のイベントが有ったためではあるが少々、「これで良いのか」と、思いながら4時まで作業した。
終わった頃、会長と副会長が冷たい飲み物とお菓子を持って来られた。
「今度はいつ来てくれるの」と、声が掛かって来たので、「住民の方のお手伝いもお願いしますよ」と、言いましたが日時はまだ決めていない。
*教会に帰ってから本中野教会のA先生には、金光会館でお風呂に入って頂きました。
私は着替えてから又、そのまま夕方7時前まで寝込んでしまった。午後7時には気仙沼教会教会長先生を、盛岡の月例祭終えて帰られるのでお迎えして、教会に帰り、A先生と共に夕食を楽しみました。
部屋に帰り、自宅に無事に気仙沼に帰って来た事を連絡していなかったので急いで連絡した。他にも連絡したい事が有ったのですが、もう何もする気がしなくて床に就いた。朝5時までぐっすり寝込みました

6、9月8日(日)の活動状況
*9時過ぎにA先生をお連れして、岩手県高田市要谷(ようがい)仮設住宅にお米を配付した。
*要谷仮設住宅を後にして、岩手県の小友地区のFさん宅を訪問した。
Fさんはお留守でしたが、体の不自由なご主人が居られたのでお土産のお米を渡した。Fさんどうして身体の不自由なご主人を置いてから」と、思いました。
後から電話が有り、「大船渡のお祭りに行って楽しんで来たの」と、云われた。そうだなあ、何時もご主人の面倒を見て来ているから、「たまには楽しむことも大事だなあ」と、勝手に納得してしまった。
後日また会いに行きますが、「今度来た時に色々と話したいよ!!」と、電話で話されました。女の身一人、色々と辛い事もあるだろうなあ!!
Fさん宅を後にして、A先生を大槌町までご案内した。
あの有名なひょっこりひょうたん島は、東大海洋研究センターの岸壁から渡り通路が復元されていて、歩いて渡る事が出来ました。 






  






*大槌町を後にして、釜石市内を案内しながら越喜来(おきらい)の杉下仮設住宅をご案内して、泊に有る嘉宝荘により昼食を頂いた。昼食が終わる頃、女将夫婦が帰って来られて、A先生と談話する事が出来ました。
これまでA先生には多くの方にお会いして頂きたいと念じていましたが、十分な事は出来ませんでした。
*嘉宝荘を後にして教会に帰り、一休憩して本中野教会のA先生を気仙沼駅までお送りした。午後5時41分の列車でA先生は東京へ帰られました。
A先生とは、気に掛かっていた今後の支援機構の体制等を話す事も出来、A先生のこの気仙沼に来られた理由もお聞きしました。
二日間、あちこちお連れしながら車の中での話、教会では夕食を頂きながらの話で自分にとっては、A先生が来られたのは神さまのお差し向けと感じられました。
A先生、大変なところを来て下さり有難う御座いました。
<気仙町の成田山から、最後の写真は震災前の気仙町>




以上です。